燃ゆる里に時雨降るらむ
「背名瀬国(せなぜのくに)か……」
燐火円礫刀を無造作に体にかけた状態で、時雨は国境の峠道を行く。
般若丸が、どうもある人物によって、この国に連れて来られたらしいという情報を得るなり、時雨は主の許可を得てこの国へと足を踏み入れたのだ。
白っぽい薄青の秋の空の下見ることができる背名瀬国の国境の街は、自分が今までいた鬼咲国の村落よりだいぶ規模が大きい。
背名瀬国は鬼咲国より面積は大きく、元々はといえば、鬼咲国よりかなり裕福な国である。
山海の恵みは豊富であり、特産品の鉄と刀のお陰で富は保障されており、統治者の山科家は代々名君を生み出しており、かつての国力は鬼咲国と比べるべくもないほどのものであったのだが。
それが逆転したのは数年前。
若君が生まれる少し前、当然、魔界の時雨の故国と鬼咲国との間に通商が行われるようになってからである。
国力が逆転してからというもの、背名瀬国は鬼咲国の秘密を何とか探ろうとしていたはずである。
……他の幾つかの近隣国と同じように。
「さて。どこから攻めるか」
時雨は、遠くの山並み、その向こう側を望む。
背名瀬国に城は三つほどあったはずであるが、国境近くに一つあったはず。
この集落の向こう、大きな街に「会牙(あいが)城」が存在するはずだ。
時雨は、若君が連れ込まれるなら、恐らくそこであろうと見当を付けていたのである。
と。
周囲の藪が、がさがさ音を立てる。
ざわりと濃い下生えの緑を押し分けて出て来たのは、黒い繊維で撚ったような紐状の肢らしきものが棘だらけの胴体を吊り下げ、肢の先端には円形の刃らしきものが取り付けられているように見える、奇妙な青黒い生き物。
それが都合八体ばかり。
「推測は間違ってはおらぬ、か!!」
時雨は燐火円礫刀を構える。
◇ ◆ ◇
若君般若丸が浚われたあと、時雨が向かったのは魔財奉行所である。
若君を浚ったのは、間違いなく「呼ばれざる者」と関係している何者か。
そして、「呼ばれざる者」関連の情報が集まるのは、魔界忍者も詰める魔財奉行所の奉行、すなわち翔馬の元だ。
しかし。
「それが……お奉行様は、昨日から休みを取っておられまして」
奉行所で応対してくれた者が、困惑のにじむ口調でそう説明してくれたものだ。
「休み? というと、自宅においでということか」
翔馬の自宅なら知っている、が。
「それが……奉行所の者が奉行のお宅へ向かっても、どなたもお家にいらっしゃらないようなのです。閉門されていて、人の気配もなく……いったいどういうことなのかと、我らとしても困り果てていたところで」
時雨はその話を聞いて、この事件の背後にあるものの影を目にした想いを抱いたのだ。
◇ ◆ ◇
その城は、夜に沈み込んでいる。
わずかに三日月の光の差すその夜に、時雨は妖怪特有の身体能力を駆使して、城の堀も石垣も越え、その城の裏手に侵入したのだ。
古井戸に柳、庭とは言い難い無造作な、山際との境に石垣を巡らせた空間。
「……翔馬」
その男は、そこにいたのだ。
信じたくない気持ちがぎりぎりまであったのは事実。
だが、本来なら鬼咲国の若き魔財奉行であるはずの篠原翔馬剣重は、今、周囲に「呼ばれざる者」の眷属を引き連れて、この背名瀬国の会牙城にいる。
頭が小型の太陽のように発光している龍のような何か。
とんでもなく巨大な畳針のような見た目で、煙に包まれてゆっくり回転する何か。
そんな魔族ですらない奇妙な生き物に囲まれて、翔馬は笑っている。
あの朗らかで人の好い、暖かい笑顔はそこにない。
海千山千の魔界の戦争屋のような、酷薄な笑み。
「翔馬殿……」
時雨は、ゆっくり彼の前に進み出る。
「まさかそなたが背名瀬国の間諜だったとはな。いや、全く気付かなかった。しかし、どうしてだ?」
翔馬は、代々由緒正しい、三雲家譜代の臣。
国や主君に恨みを持つよう出来事があったとも聞かないし、そもそも若くして魔財奉行という要職に取り立てられて、財産も十分であったはず。
まさかこのような裏切りを行う理由はないように想える。
翔馬は、くく、と喉を鳴らす。
「おやおや。まるで人間みたいな一面的な見方をなさいますな。上位の妖怪とも思えぬ。この世界(人間界)に毒され過ぎではないですか?」
毒々しい言い草と表情に、時雨は違和感を覚える。
「どういうことだ?」
「私が、三雲家譜代の臣だから、裏切るのは解せない。悪い待遇などされたこともないはず。そう、お考えなんですな?」
翔馬はくすくす笑う。
「確かにこの体をもたらした家系は、三雲家に恩があるといえましょう。でも、魂はそういう訳じゃないのでねえ」
時雨はぎくりとする。
魂?
「我ら『呼ばれざる者』の信徒となった者にはよくあることですよ。何らかの理由で元のの肉体を失ったなら、別のそれなりに霊力の高い体質の人間なり半妖なりに乗り移って生まれ変わる。普通は移行先が胎児の時分にね」
時雨は翔馬のその言葉をどうにか理解しようとする。
いや、そういう現象なら魔界ではありふれているくらい。
だが、目の前の「翔馬」の姿の男とその冒涜的なやり口の接点が、どうしても繋がらない。
つまり。
自分が「翔馬」だと思っていたのは、こいつが被っていた小綺麗な皮の部分のことだけだったのだ。
こやつは全く、「呼ばれざる者の信徒」の尻尾を掴ませなかった。
見事。
「……貴様が何者であろうとも」
時雨は燐火円礫刀を油断なく構え。
「我が主に仇なす者は斬り捨てるのみ!! 言え!! 般若丸様はどこだ!!」
翔馬が、禍々しい笑みを見せる。
彼の周囲の空間から湧き出るように、無数に思える「呼ばれざる者」の眷属が歩み出て、時雨を取り囲み……
幼い声が響いたのはその時。
「時雨ーーーーー!!!」
瞬間、時雨を取り囲む眷属の壁が、青白い爆炎に包まれた。
夏の昼間のようにまばゆい輝きが、その荒れた庭を圧したのだった。
燐火円礫刀を無造作に体にかけた状態で、時雨は国境の峠道を行く。
般若丸が、どうもある人物によって、この国に連れて来られたらしいという情報を得るなり、時雨は主の許可を得てこの国へと足を踏み入れたのだ。
白っぽい薄青の秋の空の下見ることができる背名瀬国の国境の街は、自分が今までいた鬼咲国の村落よりだいぶ規模が大きい。
背名瀬国は鬼咲国より面積は大きく、元々はといえば、鬼咲国よりかなり裕福な国である。
山海の恵みは豊富であり、特産品の鉄と刀のお陰で富は保障されており、統治者の山科家は代々名君を生み出しており、かつての国力は鬼咲国と比べるべくもないほどのものであったのだが。
それが逆転したのは数年前。
若君が生まれる少し前、当然、魔界の時雨の故国と鬼咲国との間に通商が行われるようになってからである。
国力が逆転してからというもの、背名瀬国は鬼咲国の秘密を何とか探ろうとしていたはずである。
……他の幾つかの近隣国と同じように。
「さて。どこから攻めるか」
時雨は、遠くの山並み、その向こう側を望む。
背名瀬国に城は三つほどあったはずであるが、国境近くに一つあったはず。
この集落の向こう、大きな街に「会牙(あいが)城」が存在するはずだ。
時雨は、若君が連れ込まれるなら、恐らくそこであろうと見当を付けていたのである。
と。
周囲の藪が、がさがさ音を立てる。
ざわりと濃い下生えの緑を押し分けて出て来たのは、黒い繊維で撚ったような紐状の肢らしきものが棘だらけの胴体を吊り下げ、肢の先端には円形の刃らしきものが取り付けられているように見える、奇妙な青黒い生き物。
それが都合八体ばかり。
「推測は間違ってはおらぬ、か!!」
時雨は燐火円礫刀を構える。
◇ ◆ ◇
若君般若丸が浚われたあと、時雨が向かったのは魔財奉行所である。
若君を浚ったのは、間違いなく「呼ばれざる者」と関係している何者か。
そして、「呼ばれざる者」関連の情報が集まるのは、魔界忍者も詰める魔財奉行所の奉行、すなわち翔馬の元だ。
しかし。
「それが……お奉行様は、昨日から休みを取っておられまして」
奉行所で応対してくれた者が、困惑のにじむ口調でそう説明してくれたものだ。
「休み? というと、自宅においでということか」
翔馬の自宅なら知っている、が。
「それが……奉行所の者が奉行のお宅へ向かっても、どなたもお家にいらっしゃらないようなのです。閉門されていて、人の気配もなく……いったいどういうことなのかと、我らとしても困り果てていたところで」
時雨はその話を聞いて、この事件の背後にあるものの影を目にした想いを抱いたのだ。
◇ ◆ ◇
その城は、夜に沈み込んでいる。
わずかに三日月の光の差すその夜に、時雨は妖怪特有の身体能力を駆使して、城の堀も石垣も越え、その城の裏手に侵入したのだ。
古井戸に柳、庭とは言い難い無造作な、山際との境に石垣を巡らせた空間。
「……翔馬」
その男は、そこにいたのだ。
信じたくない気持ちがぎりぎりまであったのは事実。
だが、本来なら鬼咲国の若き魔財奉行であるはずの篠原翔馬剣重は、今、周囲に「呼ばれざる者」の眷属を引き連れて、この背名瀬国の会牙城にいる。
頭が小型の太陽のように発光している龍のような何か。
とんでもなく巨大な畳針のような見た目で、煙に包まれてゆっくり回転する何か。
そんな魔族ですらない奇妙な生き物に囲まれて、翔馬は笑っている。
あの朗らかで人の好い、暖かい笑顔はそこにない。
海千山千の魔界の戦争屋のような、酷薄な笑み。
「翔馬殿……」
時雨は、ゆっくり彼の前に進み出る。
「まさかそなたが背名瀬国の間諜だったとはな。いや、全く気付かなかった。しかし、どうしてだ?」
翔馬は、代々由緒正しい、三雲家譜代の臣。
国や主君に恨みを持つよう出来事があったとも聞かないし、そもそも若くして魔財奉行という要職に取り立てられて、財産も十分であったはず。
まさかこのような裏切りを行う理由はないように想える。
翔馬は、くく、と喉を鳴らす。
「おやおや。まるで人間みたいな一面的な見方をなさいますな。上位の妖怪とも思えぬ。この世界(人間界)に毒され過ぎではないですか?」
毒々しい言い草と表情に、時雨は違和感を覚える。
「どういうことだ?」
「私が、三雲家譜代の臣だから、裏切るのは解せない。悪い待遇などされたこともないはず。そう、お考えなんですな?」
翔馬はくすくす笑う。
「確かにこの体をもたらした家系は、三雲家に恩があるといえましょう。でも、魂はそういう訳じゃないのでねえ」
時雨はぎくりとする。
魂?
「我ら『呼ばれざる者』の信徒となった者にはよくあることですよ。何らかの理由で元のの肉体を失ったなら、別のそれなりに霊力の高い体質の人間なり半妖なりに乗り移って生まれ変わる。普通は移行先が胎児の時分にね」
時雨は翔馬のその言葉をどうにか理解しようとする。
いや、そういう現象なら魔界ではありふれているくらい。
だが、目の前の「翔馬」の姿の男とその冒涜的なやり口の接点が、どうしても繋がらない。
つまり。
自分が「翔馬」だと思っていたのは、こいつが被っていた小綺麗な皮の部分のことだけだったのだ。
こやつは全く、「呼ばれざる者の信徒」の尻尾を掴ませなかった。
見事。
「……貴様が何者であろうとも」
時雨は燐火円礫刀を油断なく構え。
「我が主に仇なす者は斬り捨てるのみ!! 言え!! 般若丸様はどこだ!!」
翔馬が、禍々しい笑みを見せる。
彼の周囲の空間から湧き出るように、無数に思える「呼ばれざる者」の眷属が歩み出て、時雨を取り囲み……
幼い声が響いたのはその時。
「時雨ーーーーー!!!」
瞬間、時雨を取り囲む眷属の壁が、青白い爆炎に包まれた。
夏の昼間のようにまばゆい輝きが、その荒れた庭を圧したのだった。