燃ゆる里に時雨降るらむ
一体、いつの間に。
「わしの刀を持て!!」
時雨は咄嗟に刀持ちの従僕に叫ぶ。
彼が持ってきた燐火円礫刀を手に、時雨は般若丸を庇う。
「若様。お下がりください。こやつは敵にございます」
乳母に抱えられて城の方へ退避する般若丸が、何が起こっているのか理解できずにきょとんとしている空気を感じつつ、時雨はその「何か」と対峙して静かに間合いを取る。
どうも……「これ」は、前にもこの城に、しかも般若丸の前に姿を現わしたのだと、般若丸本人の言動から窺い知ることができる。
しかも、その時は特に般若丸に危害を加えなかったようだ。
般若丸の反応からして「楽しく話をした」という状態だったと。
大名家の中でもまだ幼く、特に念入りに護られている般若丸に、そう易々と接触できるなど。
自分の護衛など、意味はないという挑発か。
こやつは般若丸に何をしたいのか。
何はともあれ、主を狙う曲者なら斬るのみ。
それが武士たる時雨の役目。
「貴様、何者だ。『呼ばれざる者』の手の者か」
時雨は、動かない被衣(かずき)の者に、低く声を投げる。
被衣を被っていても、男か女かも判然とせぬ者が、その声に反応したのか、わずかに動く。
顔を、上げる。
「!!! 貴様!!」
時雨は流石に息を呑む。
そこに見えた顔に、目も鼻も口もない。
代わりに、昆虫の足に似た尖った触覚らしきものが、束になって生えて、わきわきと蠢いている。
昆虫の肢の付け根に当たる部分、本物の昆虫だったら腹の甲殻の部分には、妙につやつやと黒光りする牙に彩られた、大きな顎が見えている。
それ以外は、華奢に見える女の体。
子供のようにも見えるが、柔らかく膨らんだ胸が小袖を押し上げ、性別を主張している。
この場合は、全く首から下の優美さを愛でる気にもならない、異様な雰囲気が醸し出されるだけなのであるが。
「……どうやって入り込んだのかも、ここで吐いてもらうぞ」
時雨は燐火円礫刀を構え、ずいと間合いを詰める。
ゆらゆらとした陽炎に似た、肉体の制限を感じさせない滑らかな動き。
般若丸が話をしたというからには、恐らくこやつも口がきけるのであろう、という判断の元、時雨はなるべく生け捕りを目論む。
勝機はある。
今の燐火円礫刀には、魔性石の粉末が練り込まれている。
こいつも呼ばれざる者の眷属ならば、魔性石の成分には弱いはず。
「ハッ!!」
時雨は右腕で燐火円礫刀を振りかぶり、巨大な戦輪として投げつける。
時雨とは妖気で繋がった刀は、追尾式の妖気弾よろしく、避けがたい弧を描いて被衣の女魔に迫る。
と。
「!!」
時雨は息を呑む。
女魔の被衣の内側から、ぶわりと闇が漏れ出る。
いや。
闇そのもののように見えたものは、漆黒の布状の邪気の塊である。
まるで薄い翼のように開いて膨れ上がったそれは、時雨の燐火円礫刀をふんわりとごく軽く撫でるように巻き込み、あっさりとその軌道を逸らせてしまったのだ。
時雨は戻って来た円礫刀を掴み取り……
ぶわん、という音がしたのはその時。
時雨の全身を、爆風のような衝撃が叩きつける。
円礫刀を手にしたまま、時雨の巨躯は、軽々と宙を舞う。
城の中庭に面した外縁、縁側に時雨は叩きつけられる。
木っ端が飛び散り、庇も崩れて瓦が落ちる。
土煙を上げて地面に食い込んだ時雨の体は、様々な瓦礫の下に埋まってまるで見えない。
周囲の人間たちが悲鳴を上げる。
武士とはいえ、流石に妖怪ですらないこのような存在に対抗する手段は持ち合わせていない。
悲鳴を上げる武士の一人が、昆虫の肢触手に刺し貫かれる。
一人、二人と犠牲者が増えていき……
斬!!
いきなり、肢触手がまとめて斬り払われる。
時雨の燐火円礫刀が、巨大な弧を描いて、そのまま女魔の側の大木を切り倒してまた戻っていく。
女魔はふわりと倒れる樹木から飛び離れ、燐火円礫刀が戻っていく方向に顔らしきものを向ける。
「まだこちらは終わってはおらぬぞ、不埒者め」
時雨が土埃にまみれた状態のまま、瓦礫の中から立ち上がっているのが見えている。
結い上げていた長い黒髪は衝撃で解けてほつれ、幽鬼のような垂らし髪だ。
りん、とかすかに装飾の鈴の音。
女魔が再びあの闇の翼を広げたその時。
裂帛の気合と共に、時雨が燐火円礫刀を頭上で回転させる。
小型の竜巻が沸き起こり、それは燐火円礫刀の切れ味を何十倍にも広げ増幅させ、刃の竜巻と成す。
「魔性旋嵐刃!!」
庭一面を巻き込みながら、魔性石の力を含んだ刃の竜巻が女魔ごと空間を薙ぎ払う。
あの闇翼はまさに紙のように一瞬でズタズタにされ、かすかな鳴き声を残して女魔が刃の嵐の中に消える。
庭木も庭石もまさに竜巻に巻き込まれたかのように舞い上げられ砕かれ。
嵐が収まった後には。
そこには、すでにあの女魔の欠片も残っていなかったのだ。
◇ ◆ ◇
「若様!!」
時雨は、半壊した城の外周部を超え、城の奥、若君の部屋へと向かう。
恐らく乳母たちはそこに般若丸をかくまったはずだという推測の元に。
しかし。
「これは……!! 般若丸様……!!」
時雨が若君の部屋で見たもの。
それは、何者かによって首を刎ねられた乳母の死骸のみ。
般若丸は、すでにどこにも姿が見えなくなっていたのである。
「わしの刀を持て!!」
時雨は咄嗟に刀持ちの従僕に叫ぶ。
彼が持ってきた燐火円礫刀を手に、時雨は般若丸を庇う。
「若様。お下がりください。こやつは敵にございます」
乳母に抱えられて城の方へ退避する般若丸が、何が起こっているのか理解できずにきょとんとしている空気を感じつつ、時雨はその「何か」と対峙して静かに間合いを取る。
どうも……「これ」は、前にもこの城に、しかも般若丸の前に姿を現わしたのだと、般若丸本人の言動から窺い知ることができる。
しかも、その時は特に般若丸に危害を加えなかったようだ。
般若丸の反応からして「楽しく話をした」という状態だったと。
大名家の中でもまだ幼く、特に念入りに護られている般若丸に、そう易々と接触できるなど。
自分の護衛など、意味はないという挑発か。
こやつは般若丸に何をしたいのか。
何はともあれ、主を狙う曲者なら斬るのみ。
それが武士たる時雨の役目。
「貴様、何者だ。『呼ばれざる者』の手の者か」
時雨は、動かない被衣(かずき)の者に、低く声を投げる。
被衣を被っていても、男か女かも判然とせぬ者が、その声に反応したのか、わずかに動く。
顔を、上げる。
「!!! 貴様!!」
時雨は流石に息を呑む。
そこに見えた顔に、目も鼻も口もない。
代わりに、昆虫の足に似た尖った触覚らしきものが、束になって生えて、わきわきと蠢いている。
昆虫の肢の付け根に当たる部分、本物の昆虫だったら腹の甲殻の部分には、妙につやつやと黒光りする牙に彩られた、大きな顎が見えている。
それ以外は、華奢に見える女の体。
子供のようにも見えるが、柔らかく膨らんだ胸が小袖を押し上げ、性別を主張している。
この場合は、全く首から下の優美さを愛でる気にもならない、異様な雰囲気が醸し出されるだけなのであるが。
「……どうやって入り込んだのかも、ここで吐いてもらうぞ」
時雨は燐火円礫刀を構え、ずいと間合いを詰める。
ゆらゆらとした陽炎に似た、肉体の制限を感じさせない滑らかな動き。
般若丸が話をしたというからには、恐らくこやつも口がきけるのであろう、という判断の元、時雨はなるべく生け捕りを目論む。
勝機はある。
今の燐火円礫刀には、魔性石の粉末が練り込まれている。
こいつも呼ばれざる者の眷属ならば、魔性石の成分には弱いはず。
「ハッ!!」
時雨は右腕で燐火円礫刀を振りかぶり、巨大な戦輪として投げつける。
時雨とは妖気で繋がった刀は、追尾式の妖気弾よろしく、避けがたい弧を描いて被衣の女魔に迫る。
と。
「!!」
時雨は息を呑む。
女魔の被衣の内側から、ぶわりと闇が漏れ出る。
いや。
闇そのもののように見えたものは、漆黒の布状の邪気の塊である。
まるで薄い翼のように開いて膨れ上がったそれは、時雨の燐火円礫刀をふんわりとごく軽く撫でるように巻き込み、あっさりとその軌道を逸らせてしまったのだ。
時雨は戻って来た円礫刀を掴み取り……
ぶわん、という音がしたのはその時。
時雨の全身を、爆風のような衝撃が叩きつける。
円礫刀を手にしたまま、時雨の巨躯は、軽々と宙を舞う。
城の中庭に面した外縁、縁側に時雨は叩きつけられる。
木っ端が飛び散り、庇も崩れて瓦が落ちる。
土煙を上げて地面に食い込んだ時雨の体は、様々な瓦礫の下に埋まってまるで見えない。
周囲の人間たちが悲鳴を上げる。
武士とはいえ、流石に妖怪ですらないこのような存在に対抗する手段は持ち合わせていない。
悲鳴を上げる武士の一人が、昆虫の肢触手に刺し貫かれる。
一人、二人と犠牲者が増えていき……
斬!!
いきなり、肢触手がまとめて斬り払われる。
時雨の燐火円礫刀が、巨大な弧を描いて、そのまま女魔の側の大木を切り倒してまた戻っていく。
女魔はふわりと倒れる樹木から飛び離れ、燐火円礫刀が戻っていく方向に顔らしきものを向ける。
「まだこちらは終わってはおらぬぞ、不埒者め」
時雨が土埃にまみれた状態のまま、瓦礫の中から立ち上がっているのが見えている。
結い上げていた長い黒髪は衝撃で解けてほつれ、幽鬼のような垂らし髪だ。
りん、とかすかに装飾の鈴の音。
女魔が再びあの闇の翼を広げたその時。
裂帛の気合と共に、時雨が燐火円礫刀を頭上で回転させる。
小型の竜巻が沸き起こり、それは燐火円礫刀の切れ味を何十倍にも広げ増幅させ、刃の竜巻と成す。
「魔性旋嵐刃!!」
庭一面を巻き込みながら、魔性石の力を含んだ刃の竜巻が女魔ごと空間を薙ぎ払う。
あの闇翼はまさに紙のように一瞬でズタズタにされ、かすかな鳴き声を残して女魔が刃の嵐の中に消える。
庭木も庭石もまさに竜巻に巻き込まれたかのように舞い上げられ砕かれ。
嵐が収まった後には。
そこには、すでにあの女魔の欠片も残っていなかったのだ。
◇ ◆ ◇
「若様!!」
時雨は、半壊した城の外周部を超え、城の奥、若君の部屋へと向かう。
恐らく乳母たちはそこに般若丸をかくまったはずだという推測の元に。
しかし。
「これは……!! 般若丸様……!!」
時雨が若君の部屋で見たもの。
それは、何者かによって首を刎ねられた乳母の死骸のみ。
般若丸は、すでにどこにも姿が見えなくなっていたのである。