燃ゆる里に時雨降るらむ

 りん、とどこかで鈴が鳴る。

 それを聞いていたのは、はて何人であったか。
 月夜である。
 柔らかな光を投げかける十六夜の月が、その街では最も大きな道を照らす。
 大きな道とは言っても、夜中である。
 すでに人気(ひとけ)はなく、周囲の商家を中心とした家々も静まり返っている。

 この道をまっすぐ行けば、城。
 蛇行する川が抱えるような形の城は、今は月明かりにぼんやり浮かび上がる。
 そんな城へと続く道に、まるで月光が生み出した幻であるかのように、異形の一行が現れたのだ。
 
 絢爛と飾り立てられた輿を中心に、周囲に十数人の異形の者どもが取り巻いている。
 きらきらした金具が輝く輿の周囲には火の玉。
 周りの生き物は、一つ目の立ち上がった馬、角の四本ある巨人、自分の首を腕に抱えた女。
 その他諸々、百鬼夜行というべきその行列。

 だが。
 先頭の提灯の家紋らしき紋様、それに肝心の輿の上の、御簾の内側の花嫁衣裳らしき女。

 ……これは、花嫁行列だ。
 妖怪の輿入れなのだ。

「彼」は、生まれて初めて見る、ここまで堂々とした妖怪たちに単純な恐怖とも嫌悪とも違う、妙に高揚する気分を味わい。
 ただ、彼らを上司たちの後ろについて見詰めるしかできず。
 静けさを破る鈴の音が、その異形の行列の中の一人、なにやら輪の形をした奇妙な道具らしきものを肩にかけた男の、なんと額に食い込んだ円環状の装飾らしきものから響いて来るのを、「彼」は見て取り。
 およそ見たこともないその異様な身の飾り方に、寒気を覚えるしかなかったのだ。


 ◇ ◆ ◇

 時雨は、目の前の怯えた人間の群れを淡々と眺める。
 人間界の夜は明るくて良い。
 月が煌々と照り映え、主の乗る輿の周囲を護る火の玉がなくとも、魔界で生まれ育った時雨には視界が不自由になることはない。
 主の妖怪姫・火波(ほなみ)姫の輿入れに随伴して人間界に移住することになった家臣の一人が時雨。
 妖怪と人間が野合することはよくある話であるが、こうして双方それなりの家格の者同士で正式な婚姻関係を結ぶなど珍しい。
 新郎新婦が純粋に好き合った――というのも理由の一つではあるが、無論それだけではない。

 この人間界の中でも、この戦国の世の波に揺れる小舟のようなこの小国には、魔界の魔族にとって、かなり魅力的なものがあるのだ。
 何も人肉食の魔族にとっての人肉などという直截的なものだけが、人間界の特産品ではない。

 主は、それを他の魔族勢力に流さず、自分の生国が独占して輸入するために、濃い縁を結ぼうと、魔族でありながら人間界の武将の御台所(みだいどころ)に収まろうとしている。
 まあ、これは人間相手に、というのが珍しいだけで、主や自分の生まれた国の高貴な女なら、だれでもぶつかりえる問題。

 そして。
 その姫君の輿入れに随伴して他国に移住する時雨のような魔界武士も、ありふれた光景。
 ただ、行き先が人間界なのが珍しいというだけ。

 時雨は、頼りないばかりの霊気を隠す術すら持たない人間たちの群れの中で、例外を見つける。
 時雨から向かって左側、奥にいる青年武士。
 人間の年齢はよくわからない時雨ではあるが、恐らく二十代の半ば程度だろうと見当をつける。

 他の人間の数倍はある霊気量。
 明かにある程度の訓練の形跡がある。

 ほう、と時雨はその若者に目を向ける。
 端正で物静かに見えるその若者は、時雨の注意を引いたのも知らぬげに、ただ輿を注視している。
 うっすら透けて見える美しい女の影に、注意を持っていかれるのは、まあ、若い男としてはごく当たり前であろう。

 どういう素性の者か知りたい。
 時雨は尋ねる機会をどうすべきか考え始めたのだった。


 ◇ ◆ ◇

「火波姫様をお迎えにまかり越しました。三雲宗衛門宵紘(みくもそうえもんよいひろ)の家臣の者にてございます」

 迎えの一行の先頭に立っている壮年の武士が、朗々たる声を張り上げる。
 こちらも、花嫁行列の先頭に立っている目が五つある一つ角の鬼が応じる。

「これなるは魔界、錦蓮(きんれん)国の火波姫様と、その付きの一行。お出迎えを感謝いたす」

 と、その時。

「宵紘(よいひろ)は、まだ起きておるかえ?」

 輿の中から。
 火波姫が、いきなり声をかけてきたのだ。

「あれはのう、子供の頃と変わらぬいとけないところがあってのう? 夜遅くまで起きておられぬ。このような時間になっては、起きておられないのではないかえ?」

 輿の中からくすくす笑う甘い甘い声。
 蜜のような、という形容が似合う。
 火の玉にぼんやり照らされる輿の内部、美しい女の姿を、外部から禁忌の思いと共に眺めることはできる。
 だが、その額にそそり立つ短刀のような二本の角が、その女を人でない者だと伝える。

 時雨は思う。
 あの絶妙な角度で反る、美しく優雅な角は、姫君の種族の女性の美の象徴ではあるが、人間にはどう捉えられるのであろうか、と。

「ははあ、それはもう、御心配無用のことかと。殿は首を長くしてお待ちで」

 人間側の代表者の言葉に帰って来たのは、更なるくすくす笑い。

「まあ、良いわ。さあ、案内してたもれ」

 冷や汗を流さんばかりの新郎家臣に先導され、時雨も混じる花嫁行列は、しずしずと城に向かって歩み行く。
 時雨は、すぐ気付く。
 目の前の背中は、あの霊気の大きな若者のもの。

「あの」

 時雨が何事か話しかけようか思案し始めると、不意に若者が時雨を振り返る。

「あなた様のその……お体にかけておられる丸いもの」

 時雨は燐火円礫刀にちらと目をやる。

「もしや、刀、なのですか?」

 若者は、燃え上がるような霊気に包まれながら、ごく涼し気な顔で、時雨に目を剥けている。
 興奮はしているようだが、他の人間たちほど怯えている様子はない。
 時雨は興味を引かれる。

「そうだ。燐火円礫刀という。魔界の、ある野牛の角を加工して作られる刀でな」

 近寄りすぎて刀で若者に傷を付けないように注意しつつ、時雨はそう応じる。

「拙者は時雨という。そなたはどちら様かな? いや、何者かと訊いた方が妥当か。ただの武士ではあるまい」

 時雨が名乗ると若者は、はっとした顔で何か言いかけ――すぐに顔を引き締める。

「ご無礼つかまつりました。私は、篠原翔馬剣重(しのはらしょうまけんじゅう)。翔馬とお呼びください。私は……」

 続く言葉を聞いた時、時雨は大きく目を見開いたのだった。
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