燃ゆる里に時雨降るらむ

 眼下では、ごうごうと火の手が上がっている。

 時雨は、自分が仕えている若君の、まだ幼く頼りない肩を抱き寄せる。

「般若丸(はんにゃまる)様」

 時雨は、持って生まれた大人しい性質の若君には似合わぬその幼名を呼び、そっと小さな背中を叩く。
 まだ十にもなっていない幼さ。
 魔界ではともかく、戦乱の世とはいえ魔界ほどの凄惨さではない――流石に共食いがよくあることなどではない――人間界で、この経験をしてしまうのは気の毒だ。

「これが人の世。よくよく見ておかれよ。しかし、こうしたものを防ぐものもある。すなわち、我らのようなものを上手く使いだてすることにございますが」

 時雨は怯えているのかかすかに震えている小さな背中をさする。
 眼下の炎は城を呑み込み、周囲の街並みまで巻き込み、ますます火勢を高めていく。
 地獄のような光景だ。
 時折逃げ惑う人も見えるが、大半が巻き込まれているだろう。
 城に近い山肌に二人並んで下界の惨状を見下ろす時雨と般若丸は、まるで魔界に取り残された人間のようにただその光景を見詰めている。

「……時雨」

 般若丸が顔を上げる。
 大柄な時雨は、はるか下にある若君の顔を見下ろす。

「般若丸様、いかがなさいました?」

「……これは僕のせいなの?」

 般若丸は怯えているというより、どこかぼうっとしているような表情。
 時雨は、予想されていた質問に、静かに首を横に振る。

「いえ、般若丸様」

 時雨は、屈みこみ、若君と視線を合わせる。
 緋色の瞳。
 世界を燃やし尽くす夕焼けのような。
 美しいが、魔族の血を示すこの瞳を、本人はどう思っているだろう。

「あなた様が、この世界と拙者を、お救い下さったのでございます」

 般若丸は理解できなかったようだ。
 これは万の言葉と、そして何かの確信が必要だろうと。
 そう思った時雨の頬に、水滴が当たる。

 まるで火事が巻き上げた黒煙に触発されたように、天が暗くなり、そして、叩きつけるような雨が降り始める。


 ◇ ◆ ◇

 ……これは、五百年も昔の物語。
 時雨が、飛影にも、軀にも、いまだ出会っていなかった頃、人間界での出来事。
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