とくべつなひ

『 ちょっと出かけて来る。
すぐ帰る。 』


 そんな書置きが残っているのを見つけたのは、言うまでもなく飛影である。

 昨日までは、なんの異変もなかったのだ。
 昨夜も、一緒に寝た。
 なのに、今朝起きたら、軀はいなかったのである。

 どこに行ったのだ。
 百足内部は隅々まで探した。
 心当たりのありそうな者には尋ねもしたのだが。
 逆に、一体どういうことだと詰問される破目になったが。
 主に奇淋にだ。

 これは外に出たな。

 まあ、妖気の欠片も感じなくなっているのだからそうとしか言えないが。
 探しに――

 そう、思った矢先。

「軀様!!」

「軀様、お帰りで!!」

 廊下が騒がしくなってくる。
 飛影は思わず飛び出る。

 向こうから、人垣を掻き分けて。
 軀その人が、上機嫌な足取りで近付いてくる。

「軀ーーーーーーー!!!」

 飛影は赤くなっているのか蒼くなっているのか、自分でもわからない顔色で詰め寄る。
 一体、朝から何をしてきたのだ、この女は。
 しかも、今日は。

「ああ、飛影。今日はさ、お前と祝いたいことがあって、あの日だろ?」

 軀は、手の中の箱と袋を持ち上げる。
 飛影は一瞬きょとんとする。
 さしもの世間的なことに興味のない飛影も、重ねられたその白っぽい箱がケーキ屋の箱だと知っている。
 そして、洒落たつる草模様の袋に入っているのは、酒瓶。
 どうもシャンパンというやつではないか。

「む……くろ、お前……?」

 もしかしてもしかすると。
 叱責というか文句の言葉も失速する飛影である。

 そんな彼に、最近見せるようになった上機嫌な笑顔で笑いかけ、軀はぽんと肩を叩く。

「ほら、部屋、行こうぜ? 今日は、あの日なんだからな?」


 ◇ ◆ ◇

 軀の部屋の、いつも食事をするテーブル。
 元々一人で使っていたにしては広すぎるテーブルに軀と向かい合った飛影は、目の前に広げられたそれに目をぱちくりさせる。

「……ケーキを買って来たのか」

 そうだ、今日は軀の誕生日だ。
 例の「プレゼント」を贈ってから、ちょうど一年経過したのだ。
 あのプレゼントを、軀が「使用」していたのは、せいぜい一日か二日で、あっさりし過ぎるほどあっさり殺してしまい、後は自室で飛影と戯れることに夢中になっていた記憶があるが。

「それもあるけど。昼飯そろそろだろ? 買って来たのもあるし、一緒に食べようぜ」

 軀に促され、飛影は広げられたそれらを見回す。
 何故か、臙脂色に近い色合いの、いかにも魔界風の小さめのケーキが一ホール丸ごと、飛影の目の前に置かれる。
 軀は、幾つかある小分けのケーキの中で、オレンジ色の割と可愛いケーキを目の前にしている。
 メイドが持ってきたグラスに注がれる、金色の上等なシャンパン。

「軀、これは……」

 臙脂色のケーキから、いかにも心そそる匂いが漂ってきて、飛影は軀に説明を求める。

「それ、火焔果のケーキなんだってさ。大統領府のケーキ屋で売り出されたっていうから、朝一番に並んで買って来た。他のケーキと一緒にな?」

 飛影はまじまじと目を見開く。
 火焔果は知っている。
 主に炎系の妖怪が好む、体内の火の気を活性化させる効果のある果実である。
 美味だが、炎系以外の妖怪が食べると、いささか体温が上がり過ぎて危険と言われているものだ。

「俺に……か?」

 今日は軀の誕生日だというのに。

「去年、嬉しかったからさ。今日はあの時の感謝もと思ってさ」

 大統領府に行った時、チラシをもらったからな。
 お前にやろうと、目を付けていたんだ。

「そんなに……気にする必要はない」

 飛影はようやくそれだけ言える。
 実際、軀の父親だというあの男は、恰幅がいいだけの弱者でしかなかった記憶。
 よくこんな豚から軀が生まれたなと不思議に思うくらい。
 トンビが鷹どころの差異ではなく、飛影がボコボコにしてヒトモドキを寄生させる手間など、実際何ほどのこともなかったのだ。

「……やる。そろそろ、暑い季節だしな」

 飛影は、ごそごそ用意していたその包みを引っ張り出す。
 白に近いくらいの薄い紫色のラッピングに、藤色と淡い金色のリボン。

「ありがとう。いいのか?」

 軀は嬉しそうにラッピングを開く。
 中に畳まれて収められていたのは、白くきらめく薄手のストールのようなもの。

「冬夏布のストールか!? これ、欲しかったんだよな、通年使えるし。ありがとうな!!」

 冬夏布というのは、ある特殊な植物の繊維から紡がれる布だ。
 最高級品は星空のように柔らかく上品にきらめき、非常に美しい。
 名前の通り、暑い時には涼しく、寒い時には暖かく、まとった者の体感温度を調整してくれる効果がある不思議な布である。
 要するにこれ一枚あると、寒かろうが暑かろうが一定の温度に保ってくれるので、いつでも快適という訳だ。

 ――実はこれ、元雷禅の国の特産品の一つで、飛影は幽助のコネで最高級品をゲットしたのである。
 幽助を通じて特注品を注文する時、誰に向けてのプレゼントかバレてしまい、散々からかわれたが、目の前の軀の嬉しそうな笑顔を見ていれば、そんなことはどうでも良くなる。

「ああ、そうだ。それから、朝方、ちょっとお前の妹のところに行って来た」

 飛影は、呑み込みかけたシャンパンに、あやうくむせそうになる。

「!?」

「お前の誕生日、ちゃんと祝いたいと思ってさ。妹とは双子だろ? 誕生日同じだろ? 訊き出して来た。寒い時期の生まれなんだな、飛影」

 軀は、遠い目になる。
 そりゃそうだよな、氷女の子なんだから。

 そんな風に口にしながら、軀は冬夏布のストールを纏う。
 飛影の思っていた通り。
 その繊細で高貴な美しさは、軀にとても似合っている。

「俺の誕生日など……」

「そうもいかねえさ。目出度い日が多い方がいいんじゃねえか? 俺たちはさ」

 昔と違って。
 今はさ。

 軀が、口づけた指先を、飛影の唇に、ちょん、と触れさせたのだった。
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