目覚め
「きゃーーーきゃーーーーきゃーーーーーーー!!! すごーーーーい!!!! 何あれ何あれ!? でっかい虫ーーーーー!!!」
麻弥がまだ宙に浮きながら、蔵馬の肩をぺしぺし叩いて興奮を伝えている。
恐るべき人肉レストランの外、幻海と戸愚呂が屍相手に暴れてすっかり森がなぎ倒され開けた視界。
その視界いっぱいに、巨大な虫としか言えない物体が、地響きを立てながら近付いて来る。
言わずと知れた、軀の移動要塞百足である。
「あれは、かつての魔界の三竦みと呼ばれた最強の妖怪の一人、軀という人の使う、移動要塞だよ。大丈夫、彼女は今の魔界の新体制の下では、人間を保護する活動を担っているからね。保護しに来てくれたんだ」
蔵馬は穏やかに告げ、麻弥の腕を軽く叩いて落ち着かせる。
次いで、桑原が背負っている、気絶した人間の女性にちらりと視線を走らせる。
「彼女も大丈夫。記憶の消去もできる設備と人材がある。普通の日常に戻れるよ。喜多嶋も、喜多嶋の先輩も」
桑原が背負っている、人肉レストランから救出した女性は、麻弥の前に浚われていた彼女の先輩である。
たまたま客がキャンセルして予定が宙に浮くという奇蹟のお陰で助かったのだ。
ただ、あまりに精神的ショックが大きく、今は飛影の邪眼の催眠恒果で深い眠りに就かせている。
「良かった……いつもの……あ!! でも、私人間に戻れないかも!! どどど、どうしよ……!!」
麻弥ははたと我に返り、おろおろし出す。
と、口を挟んだのは戸愚呂弟。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。人間形態と魔族形態を行き来するのは、ちょっとした慣れが必要なだけで、そう難しいことじゃない。でもまあ、今は軀さんが色々事情を訊いてくると思うので、そのままのお姿でいた方が説明しやすいでしょうな」
麻弥は、おお、と手を打つ。
「あ、そうなんですか? ありがとう強そうなお兄さん!!」
戸愚呂が微笑ましそうに笑うと、蔵馬が麻弥にそっと囁く。
「彼は戸愚呂弟。あの肩の上の兄と組んでいて、『戸愚呂兄弟』っていう有名な妖怪ユニットとして活動してる。彼ら、あれでも元人間だからね。意見は参考になると思う」
麻弥はへえ~~~と思わずちらちら戸愚呂兄弟に視線を向けてから、おもむろに蔵馬に視線を戻す。
「……畑中くんも、人間から妖怪になった人?」
「いやいや」
蔵馬はくすくす笑う。
「俺は、逆。妖狐蔵馬という妖怪だったんだけど、人間の胎児と融合して『秀一』という人間になったんだ。半妖と言えるかも知れない」
まあ、この辺の事情は入り組んでいてね。
ゆっくり時間を取って話せればいいんだけど……
と口にした蔵馬は、ふと横からの視線に気付いて振り返る。
視線の先には、この上なくニタニタ笑う幽助と桑原。
「……何か?」
「いや……蔵馬、オメー、その喜多嶋って子と話している時、すっげえ幸せそうないい顔してるのな」
幽助がニヤニヤしながら、蔵馬の肩を叩く。
蔵馬はやや照れ臭そうに笑う。
「そうかな」
「そうそう。おめーってさ、いつもなんかまずい状況を何とかしないといけねーって感じで、どっか張り詰めた表情してること多いけど、その子といる時は満ち足りた感じの妖気出してるんだよな!!」
桑原にまで賛同され、蔵馬は苦笑する。
「困ったな……俺、そんなに尻尾出てましたかね」
麻弥がついっと宙を滑ってくっついてくる。
「……畑中くん。私と話すのが嫌じゃないんなら……もっと、色々話してくれる? 中学の時のこともあるけど……畑中くんがあの銀色の人からどんな事情があって今の畑中くんになったのかとか……色々知りたいの」
話したくないことがあれば仕方ないけど、でも、もう私も畑中くんを助けられるくらいの力はあるんでしょう?
何かの力になれるかも。
麻弥がそんな風に口にすると、蔵馬の心は暖かな想いで満たされる。
そうだ。
もう、前とは事情が違うのだ。
彼女を護りたいなら、前とは違った対処をしなければ……
「まあ、一通り慣れるまで、あたしの寺に通って訓練するといいよ。蔵馬も手伝ってやるといい。その時、色々積もる話もしていけばいいさ。そっちは邪魔せんよ」
幻海師範がさりげなく話をまとめる。
蔵馬は有難さに頭を下げ、麻弥は嬉しそうに礼を述べる。
もしかして、お山のお寺にお住まいの、有名な霊能力者の幻海師範ですか!? と質問し、ずっとお会いしたかったんですぅ!! とはしゃいでいる。
と。
凄まじい地響きが最高潮になり、全員の視界が百足で塗り潰されたところで、巨大な移動要塞は、その無数の肢を止めたのだった。
◇ ◆ ◇
「はじめまして、俺はパトロール隊の頭の軀だ」
近付いてきた、思いの外小柄な、ショートカットの女性に機械に置き換えられた右手を差し出され、麻弥は「魔界でトップの強い妖怪が、こんなに小さくて可愛い人なんだ!!」という驚きと共に、握手に応じる。
確かに右半身は物凄い傷で覆われているが、左半身はやはり妖怪であるせいか人間離れしているような美形だし、全体的に色素が薄くて可憐な印象を受ける。
宗教画の天使をどことなく彷彿とさせる女性だ。
「今回は、俺の不手際のせいで、危ない目に遭わせてすまなかったな。怪我はないか?」
そう尋ねられて、麻弥はきっぱり首を縦に振る。
「私は全然大丈夫です。だけど、先輩が……」
軀の背後で、桑原の背中から、医療用のキャリーに移される先輩に視線をやり、麻弥は顔を曇らせる。
「大丈夫だ、精密検査をして、結果に従って心身共に回復させる医療は施す。記憶も消した方がいいだろう」
軀がそう断言し、麻弥はよろしくお願いします、と頭を下げる。
内心、ほっとする。
先輩はもう大丈夫だ。
「しかし、突然凄いのに大隔世したな。驚いただろうが、かなり有利な存在になったということでもある。少なくとも、今回程度のチンピラは、二度とお前さんに手は出せまい」
軀が麻弥の体の周囲に浮かんでいる「星」に手を伸ばすと、慌てて麻弥が止める。
「あっ、危ないです!! これ、どういう仕組かわかんないんですけど、触ると触ったものがすぽんって消えちゃうんです!! あなたの手も消えちゃう」
「ふむ」
軀がじっと視線を注いだまま。
「……分子分解及びエネルギー吸収変換を行う超物体を従えた精霊か。これは俺でも攻略が厄介だな」
「ニヤついているのがわかるぞ軀。嬉しそうだな」
飛影が背後で軀を揶揄する。
軀は深い笑みを浮かべ、
「ああ、そりゃ嬉しいさ。これだけの精霊が大隔世してくるとはな。俺は若くて才覚のある奴が好きなんだ、知ってるだろ」
麻弥は、なんかよくわからないけど、無茶苦茶評価してもらってるの? と首をかしげる。
蔵馬がそっと彼女の耳に唇を寄せ。
「喜多嶋、君は軀に気に入られたようだ。良かった、ますます不埒な奴らは君に手出しできなくなった訳だ」
そうなのか。
才覚? 才覚あるのかな、私。
何の?
もしや戦いの?
不思議そうな麻弥に、軀は改めて振り返る。
「お前が大隔世したその種族についても説明しようか。部下たちが現場検証している間、要塞の中で資料でも見せよう」
「えっ、そういうのあるんですか? よろしくお願いしますっ!!」
麻弥はついてくるように合図を送る軀に、嬉しそうについていく。
蔵馬は苦笑しながら、残りの面々も飛影に促されて後に続く。
麻弥は、「この虫、中に入れるんだ!!」とか「こういうのゲームで見た!!」とか歓声を上げながら、百足の内部を軀の後ろについて進んでいく。
すれ違う妖怪たちの姿、有機要塞のグロテスクさも麻弥には興味深いもののようで、遠足のようにはしゃいでいる。
「お前さんは、あまり妖怪や魔界の文化を怖がらないんだな。普通、人間界の女の子なんて、こういうのは嫌なんじゃないのか?」
軀が思わずといったように尋ねると、麻弥は首をぶんぶん横に振る。
「ぜーーーーーんぜん!! 好きですこういうの!! 昔から!!」
ふむ、と軀が微笑む。
「ちょっと俺も人間への見方を改めねばならないか」
それが、どれだけの意味のある言葉か、その原因になった麻弥には全く認識できず。
幾つかある会議室の一つに、軀は麻弥たちを招き入れる。
長机に麻弥を中心に座らせ、自分は上座に置かれていたパソコンで、データベースを起動させる。
スクリーンに映し出されたのは、今の麻弥と同じフォルムの、こちらはコバルトブルー基調に輝く獣人。
「これが、お前さんの先祖だと思われる精霊。天界では『星霊獣(せいれいじゅう)』と呼ばれる存在だそうだ」
画面の中ではデータベースに登録された若い男性の姿の星霊獣が、自在に飛翔している。
「この……星霊獣って人たちって、精霊なんですよね? 何の精霊なんです?」
麻弥が首をかしげる。
「何でも、神々が宇宙の創造や破壊を行う際に、その手助けをする精霊だそうだ。天の星々を生み出したり、破壊したりもできるようだな」
軀がそう告げると、麻弥ばかりか蔵馬も目を見開く。
「……喜多嶋の本来の強さは……あんなものじゃない……と?」
「そうだな。幽助が大隔世した時に半端にしか力を使いこなせなかったっていうだろう? それと同じだ。マヤといったな、お前さんも、そういう状態だ。力の一端を小出しにしただけで、あの程度のチンピラどもは吹っ飛ばせたということなだけだな」
思いがけない話に、仰天している蔵馬と麻弥の横で、幽助が驚きに喉を鳴らす。
「俺が親父の力を持て余していた状態と同じかあ。じゃあ、この子がフルパワー使いこなせたら?」
「世界一つ滅ぼしかねないな。そうならんためには、今後の訓練が重要だが」
軀は蔵馬に向き直る。
「飛影から以前の話は色々聞いている。妖狐蔵馬、そもそもこのマヤという子が霊力を高める呼び水の役割をしてしまったのはお前さんの妖力だろう? 少しは責任を感じて、彼女の訓練に付き合ってやったらどうだ?」
「ええ。そうです。その通りです。俺と親しくならなかったら、そもそも喜多嶋は霊力を高めず、結果大隔世なんかに手が届くこともなく、ごく普通の人間として何事もない日常を暮らしていたかも知れない。あんなおぞましい奴らに目をつけられることもなかった」
蔵馬は鋭く息を吐き出す。
「世界を滅ぼせる力を持ったところで、喜多嶋の精神が鋼鉄になる訳じゃない。むしろ、この力を利用しようと言う開き直った奴らが近寄って来ることでしょう。危険だ。ごく普通の経済状況だった人間が、ある日突然大金持ちになってしまったようなものです。どれだけたかられるか」
麻弥は思わず悲壮といえるほどの表情の蔵馬を見詰める。
こんなに心配してくれているんだ。
「なあ、麻弥ちゃん、蔵馬も。何か困ったことがあれば俺も手伝うから、何でも言ってくれよ」
桑原が申し出る。
幽助も、蔵馬の表情からただならぬものを感じる。
「親父が言ってたな。前と同じわかりやすいやり方で人間を食い物にしようとする奴は減ったが、別のやり方で人間を餌食にするような奴らが裏で増えつつあるって。なあ、もし人間界で追い回されるようなことがあったら、親父に頼んで国でかくまってもらうからよ」
麻弥は、思わず、ありがとう、どうなるかわからないけど、何かの時には頼らせてもらうね、と礼を述べる。
「訓練をして、一日も早く力をコントロールすることが大事だよ。抑え込むのは逆効果だからね。怖いだろうが、自分からは逃げられない」
幻海が促すと、戸愚呂弟が後に続く。
「戦闘訓練なら付き合いますよお嬢さん。これでもちょっとしたもんなんですよ俺は」
戸愚呂兄がけらけら耳障りに笑いながら
「野暮な弟と違って、俺なら戦闘訓練以外も色々と教えられるぜぇ~~~」
蔵馬に物凄い目で睨まれた戸愚呂兄はますます笑う。
軀が、部下からの通信を取ってから、また全員に向き直る。
「現場検証が終わるまでは、とりあえずはこの要塞内部にいてほしい。客間を提供するから、呼び出すまで休んでいてくれ」
それぞれ部屋を割り当てられた彼らは、当分大人しく休むことにしたようだ。
もしかしたら、伏兵でもいる可能性があり、戦闘の手伝いくらいはしなければならないかも知れない。
そんな思いを抱えつつ。
蔵馬は、隣に割り当てられた麻弥の部屋の扉を叩く。
「……畑中くん?」
「すまない。話があるんだ。入っていいかな」
部屋の入り口に出た麻弥に、蔵馬はそう頼み込む。
何が起こっているのかわかっていない麻弥は、促されるままソファに座る。
その横に蔵馬。
「あの、畑中くん……?」
なんか近い。
どぎまぎする麻弥の目を、蔵馬は真剣な表情で覗き込む。
「君と再会した時から考えていたことがあるんだ」
「え? なに?」
急にどうしたんだろう?
麻弥はきょとんとする。
「……付き合わないか、俺たち」
「え」
急な申し込みに麻弥は嬉しさよりも衝撃で固まる。
「やはり、君の側で君を護りたい。だが、今のこの関係のままじゃ、限界がある。だから、もっと、近くなりたい」
蔵馬は麻弥の手を握る。
「喜多嶋。俺は、中学生の時、君に嘘をついていた」
「……? 妖怪だってこと?」
「それもあるが、あの時告白してくれただろう。俺はあの時、嬉しかった。君が俺と同じ思いを抱いていてくれたことに」
麻弥はまじまじと目を見開く。
自分は夢を見てるんじゃないだろうか。
「でも、あの時は君を遠ざけるのが君の安全にとって一番良かった。実際、俺に近付いたばかりに、おかしな奴に浚われたことがあるだろう?」
そういえば、その記憶はあいまいだが、誰かに何かおかしな術らしきものをかけられたのは覚えている。
「だけど……今は状況が違う。俺が半端に君を遠ざける方が、君の安全にとって脅威だ。俺は完全な妖怪だった頃はなかなかコワモテで鳴らしていてね。あんまり喧嘩を売るやつも多くはなかった。だから、君が俺の恋人になってくれた方が、君を護りやすいと思う」
蔵馬が、更にぎゅっと麻弥の手を握る。
「喜多嶋。愛してるんだ。君が恐ろしい目に遭うのが、どうしても耐えられない」
麻弥は目もくらむ幸福感の命じるまま。
蔵馬の胸に飛び込み。
そして、彼の告白への答えを、はっきり口にしたのだった。
蔵麻弥短編 「目覚め」 【完】
麻弥がまだ宙に浮きながら、蔵馬の肩をぺしぺし叩いて興奮を伝えている。
恐るべき人肉レストランの外、幻海と戸愚呂が屍相手に暴れてすっかり森がなぎ倒され開けた視界。
その視界いっぱいに、巨大な虫としか言えない物体が、地響きを立てながら近付いて来る。
言わずと知れた、軀の移動要塞百足である。
「あれは、かつての魔界の三竦みと呼ばれた最強の妖怪の一人、軀という人の使う、移動要塞だよ。大丈夫、彼女は今の魔界の新体制の下では、人間を保護する活動を担っているからね。保護しに来てくれたんだ」
蔵馬は穏やかに告げ、麻弥の腕を軽く叩いて落ち着かせる。
次いで、桑原が背負っている、気絶した人間の女性にちらりと視線を走らせる。
「彼女も大丈夫。記憶の消去もできる設備と人材がある。普通の日常に戻れるよ。喜多嶋も、喜多嶋の先輩も」
桑原が背負っている、人肉レストランから救出した女性は、麻弥の前に浚われていた彼女の先輩である。
たまたま客がキャンセルして予定が宙に浮くという奇蹟のお陰で助かったのだ。
ただ、あまりに精神的ショックが大きく、今は飛影の邪眼の催眠恒果で深い眠りに就かせている。
「良かった……いつもの……あ!! でも、私人間に戻れないかも!! どどど、どうしよ……!!」
麻弥ははたと我に返り、おろおろし出す。
と、口を挟んだのは戸愚呂弟。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。人間形態と魔族形態を行き来するのは、ちょっとした慣れが必要なだけで、そう難しいことじゃない。でもまあ、今は軀さんが色々事情を訊いてくると思うので、そのままのお姿でいた方が説明しやすいでしょうな」
麻弥は、おお、と手を打つ。
「あ、そうなんですか? ありがとう強そうなお兄さん!!」
戸愚呂が微笑ましそうに笑うと、蔵馬が麻弥にそっと囁く。
「彼は戸愚呂弟。あの肩の上の兄と組んでいて、『戸愚呂兄弟』っていう有名な妖怪ユニットとして活動してる。彼ら、あれでも元人間だからね。意見は参考になると思う」
麻弥はへえ~~~と思わずちらちら戸愚呂兄弟に視線を向けてから、おもむろに蔵馬に視線を戻す。
「……畑中くんも、人間から妖怪になった人?」
「いやいや」
蔵馬はくすくす笑う。
「俺は、逆。妖狐蔵馬という妖怪だったんだけど、人間の胎児と融合して『秀一』という人間になったんだ。半妖と言えるかも知れない」
まあ、この辺の事情は入り組んでいてね。
ゆっくり時間を取って話せればいいんだけど……
と口にした蔵馬は、ふと横からの視線に気付いて振り返る。
視線の先には、この上なくニタニタ笑う幽助と桑原。
「……何か?」
「いや……蔵馬、オメー、その喜多嶋って子と話している時、すっげえ幸せそうないい顔してるのな」
幽助がニヤニヤしながら、蔵馬の肩を叩く。
蔵馬はやや照れ臭そうに笑う。
「そうかな」
「そうそう。おめーってさ、いつもなんかまずい状況を何とかしないといけねーって感じで、どっか張り詰めた表情してること多いけど、その子といる時は満ち足りた感じの妖気出してるんだよな!!」
桑原にまで賛同され、蔵馬は苦笑する。
「困ったな……俺、そんなに尻尾出てましたかね」
麻弥がついっと宙を滑ってくっついてくる。
「……畑中くん。私と話すのが嫌じゃないんなら……もっと、色々話してくれる? 中学の時のこともあるけど……畑中くんがあの銀色の人からどんな事情があって今の畑中くんになったのかとか……色々知りたいの」
話したくないことがあれば仕方ないけど、でも、もう私も畑中くんを助けられるくらいの力はあるんでしょう?
何かの力になれるかも。
麻弥がそんな風に口にすると、蔵馬の心は暖かな想いで満たされる。
そうだ。
もう、前とは事情が違うのだ。
彼女を護りたいなら、前とは違った対処をしなければ……
「まあ、一通り慣れるまで、あたしの寺に通って訓練するといいよ。蔵馬も手伝ってやるといい。その時、色々積もる話もしていけばいいさ。そっちは邪魔せんよ」
幻海師範がさりげなく話をまとめる。
蔵馬は有難さに頭を下げ、麻弥は嬉しそうに礼を述べる。
もしかして、お山のお寺にお住まいの、有名な霊能力者の幻海師範ですか!? と質問し、ずっとお会いしたかったんですぅ!! とはしゃいでいる。
と。
凄まじい地響きが最高潮になり、全員の視界が百足で塗り潰されたところで、巨大な移動要塞は、その無数の肢を止めたのだった。
◇ ◆ ◇
「はじめまして、俺はパトロール隊の頭の軀だ」
近付いてきた、思いの外小柄な、ショートカットの女性に機械に置き換えられた右手を差し出され、麻弥は「魔界でトップの強い妖怪が、こんなに小さくて可愛い人なんだ!!」という驚きと共に、握手に応じる。
確かに右半身は物凄い傷で覆われているが、左半身はやはり妖怪であるせいか人間離れしているような美形だし、全体的に色素が薄くて可憐な印象を受ける。
宗教画の天使をどことなく彷彿とさせる女性だ。
「今回は、俺の不手際のせいで、危ない目に遭わせてすまなかったな。怪我はないか?」
そう尋ねられて、麻弥はきっぱり首を縦に振る。
「私は全然大丈夫です。だけど、先輩が……」
軀の背後で、桑原の背中から、医療用のキャリーに移される先輩に視線をやり、麻弥は顔を曇らせる。
「大丈夫だ、精密検査をして、結果に従って心身共に回復させる医療は施す。記憶も消した方がいいだろう」
軀がそう断言し、麻弥はよろしくお願いします、と頭を下げる。
内心、ほっとする。
先輩はもう大丈夫だ。
「しかし、突然凄いのに大隔世したな。驚いただろうが、かなり有利な存在になったということでもある。少なくとも、今回程度のチンピラは、二度とお前さんに手は出せまい」
軀が麻弥の体の周囲に浮かんでいる「星」に手を伸ばすと、慌てて麻弥が止める。
「あっ、危ないです!! これ、どういう仕組かわかんないんですけど、触ると触ったものがすぽんって消えちゃうんです!! あなたの手も消えちゃう」
「ふむ」
軀がじっと視線を注いだまま。
「……分子分解及びエネルギー吸収変換を行う超物体を従えた精霊か。これは俺でも攻略が厄介だな」
「ニヤついているのがわかるぞ軀。嬉しそうだな」
飛影が背後で軀を揶揄する。
軀は深い笑みを浮かべ、
「ああ、そりゃ嬉しいさ。これだけの精霊が大隔世してくるとはな。俺は若くて才覚のある奴が好きなんだ、知ってるだろ」
麻弥は、なんかよくわからないけど、無茶苦茶評価してもらってるの? と首をかしげる。
蔵馬がそっと彼女の耳に唇を寄せ。
「喜多嶋、君は軀に気に入られたようだ。良かった、ますます不埒な奴らは君に手出しできなくなった訳だ」
そうなのか。
才覚? 才覚あるのかな、私。
何の?
もしや戦いの?
不思議そうな麻弥に、軀は改めて振り返る。
「お前が大隔世したその種族についても説明しようか。部下たちが現場検証している間、要塞の中で資料でも見せよう」
「えっ、そういうのあるんですか? よろしくお願いしますっ!!」
麻弥はついてくるように合図を送る軀に、嬉しそうについていく。
蔵馬は苦笑しながら、残りの面々も飛影に促されて後に続く。
麻弥は、「この虫、中に入れるんだ!!」とか「こういうのゲームで見た!!」とか歓声を上げながら、百足の内部を軀の後ろについて進んでいく。
すれ違う妖怪たちの姿、有機要塞のグロテスクさも麻弥には興味深いもののようで、遠足のようにはしゃいでいる。
「お前さんは、あまり妖怪や魔界の文化を怖がらないんだな。普通、人間界の女の子なんて、こういうのは嫌なんじゃないのか?」
軀が思わずといったように尋ねると、麻弥は首をぶんぶん横に振る。
「ぜーーーーーんぜん!! 好きですこういうの!! 昔から!!」
ふむ、と軀が微笑む。
「ちょっと俺も人間への見方を改めねばならないか」
それが、どれだけの意味のある言葉か、その原因になった麻弥には全く認識できず。
幾つかある会議室の一つに、軀は麻弥たちを招き入れる。
長机に麻弥を中心に座らせ、自分は上座に置かれていたパソコンで、データベースを起動させる。
スクリーンに映し出されたのは、今の麻弥と同じフォルムの、こちらはコバルトブルー基調に輝く獣人。
「これが、お前さんの先祖だと思われる精霊。天界では『星霊獣(せいれいじゅう)』と呼ばれる存在だそうだ」
画面の中ではデータベースに登録された若い男性の姿の星霊獣が、自在に飛翔している。
「この……星霊獣って人たちって、精霊なんですよね? 何の精霊なんです?」
麻弥が首をかしげる。
「何でも、神々が宇宙の創造や破壊を行う際に、その手助けをする精霊だそうだ。天の星々を生み出したり、破壊したりもできるようだな」
軀がそう告げると、麻弥ばかりか蔵馬も目を見開く。
「……喜多嶋の本来の強さは……あんなものじゃない……と?」
「そうだな。幽助が大隔世した時に半端にしか力を使いこなせなかったっていうだろう? それと同じだ。マヤといったな、お前さんも、そういう状態だ。力の一端を小出しにしただけで、あの程度のチンピラどもは吹っ飛ばせたということなだけだな」
思いがけない話に、仰天している蔵馬と麻弥の横で、幽助が驚きに喉を鳴らす。
「俺が親父の力を持て余していた状態と同じかあ。じゃあ、この子がフルパワー使いこなせたら?」
「世界一つ滅ぼしかねないな。そうならんためには、今後の訓練が重要だが」
軀は蔵馬に向き直る。
「飛影から以前の話は色々聞いている。妖狐蔵馬、そもそもこのマヤという子が霊力を高める呼び水の役割をしてしまったのはお前さんの妖力だろう? 少しは責任を感じて、彼女の訓練に付き合ってやったらどうだ?」
「ええ。そうです。その通りです。俺と親しくならなかったら、そもそも喜多嶋は霊力を高めず、結果大隔世なんかに手が届くこともなく、ごく普通の人間として何事もない日常を暮らしていたかも知れない。あんなおぞましい奴らに目をつけられることもなかった」
蔵馬は鋭く息を吐き出す。
「世界を滅ぼせる力を持ったところで、喜多嶋の精神が鋼鉄になる訳じゃない。むしろ、この力を利用しようと言う開き直った奴らが近寄って来ることでしょう。危険だ。ごく普通の経済状況だった人間が、ある日突然大金持ちになってしまったようなものです。どれだけたかられるか」
麻弥は思わず悲壮といえるほどの表情の蔵馬を見詰める。
こんなに心配してくれているんだ。
「なあ、麻弥ちゃん、蔵馬も。何か困ったことがあれば俺も手伝うから、何でも言ってくれよ」
桑原が申し出る。
幽助も、蔵馬の表情からただならぬものを感じる。
「親父が言ってたな。前と同じわかりやすいやり方で人間を食い物にしようとする奴は減ったが、別のやり方で人間を餌食にするような奴らが裏で増えつつあるって。なあ、もし人間界で追い回されるようなことがあったら、親父に頼んで国でかくまってもらうからよ」
麻弥は、思わず、ありがとう、どうなるかわからないけど、何かの時には頼らせてもらうね、と礼を述べる。
「訓練をして、一日も早く力をコントロールすることが大事だよ。抑え込むのは逆効果だからね。怖いだろうが、自分からは逃げられない」
幻海が促すと、戸愚呂弟が後に続く。
「戦闘訓練なら付き合いますよお嬢さん。これでもちょっとしたもんなんですよ俺は」
戸愚呂兄がけらけら耳障りに笑いながら
「野暮な弟と違って、俺なら戦闘訓練以外も色々と教えられるぜぇ~~~」
蔵馬に物凄い目で睨まれた戸愚呂兄はますます笑う。
軀が、部下からの通信を取ってから、また全員に向き直る。
「現場検証が終わるまでは、とりあえずはこの要塞内部にいてほしい。客間を提供するから、呼び出すまで休んでいてくれ」
それぞれ部屋を割り当てられた彼らは、当分大人しく休むことにしたようだ。
もしかしたら、伏兵でもいる可能性があり、戦闘の手伝いくらいはしなければならないかも知れない。
そんな思いを抱えつつ。
蔵馬は、隣に割り当てられた麻弥の部屋の扉を叩く。
「……畑中くん?」
「すまない。話があるんだ。入っていいかな」
部屋の入り口に出た麻弥に、蔵馬はそう頼み込む。
何が起こっているのかわかっていない麻弥は、促されるままソファに座る。
その横に蔵馬。
「あの、畑中くん……?」
なんか近い。
どぎまぎする麻弥の目を、蔵馬は真剣な表情で覗き込む。
「君と再会した時から考えていたことがあるんだ」
「え? なに?」
急にどうしたんだろう?
麻弥はきょとんとする。
「……付き合わないか、俺たち」
「え」
急な申し込みに麻弥は嬉しさよりも衝撃で固まる。
「やはり、君の側で君を護りたい。だが、今のこの関係のままじゃ、限界がある。だから、もっと、近くなりたい」
蔵馬は麻弥の手を握る。
「喜多嶋。俺は、中学生の時、君に嘘をついていた」
「……? 妖怪だってこと?」
「それもあるが、あの時告白してくれただろう。俺はあの時、嬉しかった。君が俺と同じ思いを抱いていてくれたことに」
麻弥はまじまじと目を見開く。
自分は夢を見てるんじゃないだろうか。
「でも、あの時は君を遠ざけるのが君の安全にとって一番良かった。実際、俺に近付いたばかりに、おかしな奴に浚われたことがあるだろう?」
そういえば、その記憶はあいまいだが、誰かに何かおかしな術らしきものをかけられたのは覚えている。
「だけど……今は状況が違う。俺が半端に君を遠ざける方が、君の安全にとって脅威だ。俺は完全な妖怪だった頃はなかなかコワモテで鳴らしていてね。あんまり喧嘩を売るやつも多くはなかった。だから、君が俺の恋人になってくれた方が、君を護りやすいと思う」
蔵馬が、更にぎゅっと麻弥の手を握る。
「喜多嶋。愛してるんだ。君が恐ろしい目に遭うのが、どうしても耐えられない」
麻弥は目もくらむ幸福感の命じるまま。
蔵馬の胸に飛び込み。
そして、彼の告白への答えを、はっきり口にしたのだった。
蔵麻弥短編 「目覚め」 【完】