目覚め
「これは……喜多嶋……」
蔵馬は、目の前の奇妙な機械を暗い目で見据えながら、重苦しい声で呟く。
人肉を扱う「闇業者」のアジトは、飛影の邪眼ですぐ見つけ出すことができたのだが。
しかし、そこに麻弥の姿はなかったのだ。
アジトに残っていた数人の魔族や協力者の人間を締め上げ、浚った女の子はどこに連れて行ったか尋問する。
返って来た答えが。
「なるほどねえ。これで魔界に瞬間転移できると」
戸愚呂弟が肩に兄を乗せたまま、蔵馬の横に立つ。
サングラス越しの視線の先には、この倉庫を改造したアジトの床に、まるで魔法陣でも描くかのように六角形に配置された奇妙な機械。
フロアランプだと言われれば思わず納得してしまいそうなサイズと全体の形状。
しかし、デザインや材質からすると、明かに魔界製である。
円形に等間隔で配置することにより、内部の空間に何か作用を引き起こすものだろうと、魔界の製品に慣れた蔵馬や飛影には判別がつく。
戸愚呂が大きく溜息をつく。
「左京さんのあの異様な努力はなんだったんだろうねェ。あの情熱、あの悲願は。こんなささやかな機械で、簡単に人間界と魔界を行き来できるモンだったとはねェ」
戸愚呂と蔵馬の見据える機械は、締め上げた闇業者に吐かせたところ、魔界と人間界を直接繋げる、小型のトンネルを開けるものだという。
恐ろしいことには、例え霊界の結界が魔界と人間界の間の亜空間に敷設してあろうとも、その亜空間そのものを飛び越え、両方の世界を直接繋げてしまうので、この機械には結界も無意味。
更に突っ込んで尋問すると、魔界ではかなり前からこういった機器は開発済みであり、結界敷設期間中にあまり利用されなかったのは、単に霊界とのトラブルを忌避したいという理由のみであったという。
ついでに付け加えるなら、この機械を魔界と人間界、一そろいずつ購入して一瞬で行き来出来るようにしても、総額でせいぜい自動車一台分くらいの価格だということ。
人間界の左京が、馬鹿げてるほどに天文学的なカネを注ぎ込んできた悲願の機械は、魔界では彼の車代にもならないくらいの金額で容易く手に入れることができたのだ。
蔵馬の背後から、幻海が近付いてくる。
「ここに飛び込んでおくのはやめた方がいいだろうね」
まるで蔵馬に、お前ならわかっているだろうが、と言いたげなニュアンス。
「向こうはここに踏み込まれる可能性は考えていたはずだ。だから、麻弥ちゃんばかりではなく、ここのアジトの頭も消えているんだ。彼女を誘拐するのは、そのくらいリスクがあると、向こうもわかっていたんだろうね。でも、そのリスクを冒しても構わないほど、彼女の血肉には今や莫大な価値があるということだ」
残留した霊力から類推するに、彼女の霊力はもはや人間か疑うレベル。
正直、一体何があったのかは気になっているけどね。
「ばあさん!! プーが来た!! 乗り込もうぜ!!」
幽助が倉庫の入り口のところで叫んでいる。
外には見慣れた紺碧の翼。
桑原、飛影が乗り込む。
彼らは業者が使っていた機械をそのまま使って踏み込むのは罠があると判断し、ブーストされて能力も増えたプーで、世界の壁を超えることにしたのだ。
「あたしと戸愚呂はこれで行くよ。蔵馬はどうする」
幻海が、懐から小さな船を象ったアクセサリを取り出し、ふいっと息を吹きかける。
見る間に小型の漁船くらいの大きさになった舳先(へさき)の反った船に、幻海が乗り込む。
戸愚呂弟も兄を乗せたまま続く。
蔵馬はプーに向かいかけて、ふと足を止める。
「……俺もこちらにいいですか? 今の顔を、彼らに見られたくないんです。情なくて」
蔵馬が要請すると、幻海も戸愚呂弟も何も言わずに場所を開けてくれる。
戸愚呂兄がニヤニヤしながら何事か言いかけたものの、弟に口を塞がれ、幻海に殴られる。
一羽の鳥と、一艘の船は、倉庫の扉をくぐって空へと舞い上がり、人工的に開けられた空間の亀裂に飛び込んだのだった。
◇ ◆ ◇
麻弥は、目の前の光景を唖然と眺めている自分を眺めている。
中学生だった頃、憧れていた男の子。
そうだ、南野くんだ。
あの頃は髪は短かった、思い出す。
その「南野くん」が、何かドロドロした奇妙な生き物? と話していたと思ったら、いきなり黒づくめの、剣!! を構えた逆毛の男の子と戦いだしたのだ。
しかも、使っていたのはその辺に生えていた草。
それが、「南野くん」が手にした途端、その斬りかかって来た男の子の使っている剣と同じくらいに大きくなって、「南野くん」は黒づくめで逆毛の男の子と斬り結び始めたのである。
逃げろと言われたが、腰が抜けて何が何だかわからなくなっていた記憶。
あっという間に「南野くん」は、その男の子と打ち合いながら視界から外れた場所に行ってしまったのだ。
呆然としていたら、背後から……
南野くん。
いえ、畑中くん。
あなたは誰なの、何者なの。
人間じゃなかった?
思い出したの、私はあの頃、あなたのことが好きだったよね。
告白もしたような気がする。
なのに、なんであなたのこと忘れてたんだろ?
昨日再会したあなたは前より素敵になってた。
私、あなたに「二度目の初恋」をした。
ああ、もう一度会いたいな……
麻弥は、目が覚める。
冷たい。
ふと見ると、コンクリートか石材だかわからないような材質の床に直接寝かされているようだ。
床?
麻弥は起き上がろうとする。
「何これ!?」
思わず悲鳴が出る。
麻弥の足首に、時代もののドラマや映画の中だけでお目にかかるような大層な器具……多分足枷がはめられていて、手には手錠のようなもの。
その状態で、麻弥は横向きに寝かされていたのだ。
「ちょっ……何なのこれ!!」
どうにか上半身だけを起こし、薄暗い周囲を見回す。
何かおどろおどろしい装飾がそこここにあるものの、それを除けば何か見たことがあるような風景。
そうだ、これは……独房だ。
金属の覗き穴らしきものが開いているごつい扉。
何もない壁。
うっすら光る天井の人間の頭蓋骨そっくりの照明。
便器剥き出しのトイレらしきものはあるが。
自分は何故こんなところにいるんだろう?
そもそもここはどこだ。
何でこんな独房みたいなところに自分がいるんだ。
流石に、いくら何かやらかしたところで、いきなり刑務所の独房に送られることなど、現代日本においてある訳がない。
するとここはどこかの刑務所の独房ではなく、行政機関とは何の関わりもない誰かの私的な身体拘束用の建物……という可能性はかなり高い。
実際、妙な趣味の――麻弥個人としては嫌いではないセンスであるが――装飾で飾られているところからすると、そうだとしか思えない。
「うわ。困ったな。私、猟奇殺人鬼とかに捕まったとかそういうこと?」
冗談めかして口にしてみたものの、麻弥は自らの推測に時間差で寒気が上がって来る。
……畑中くん。
麻弥は小さく口にした。
馬鹿だな。
また彼が都合よく助けてくれるなんて……そんな。
麻弥はじんわりと涙が滲むのを感じる。
どうしよう。
逃げないと。
彼に会いたい。
だが、試しに少し動かしてみた足枷も手錠も、まるで外れそうな隙がない。
足枷とか、手錠って、こんなのなんだ……とこんな状況にも関わらず感心してしまう麻弥である。
その時。
カツン、と軽い音と共に、覗き穴の覆いが持ち上げられ誰かが覗く気配がする。
麻弥は体を強張らせる。
どうしていいかもわからないうちに、金属の扉が耳障りな音と共に開いたのだった。
蔵馬は、目の前の奇妙な機械を暗い目で見据えながら、重苦しい声で呟く。
人肉を扱う「闇業者」のアジトは、飛影の邪眼ですぐ見つけ出すことができたのだが。
しかし、そこに麻弥の姿はなかったのだ。
アジトに残っていた数人の魔族や協力者の人間を締め上げ、浚った女の子はどこに連れて行ったか尋問する。
返って来た答えが。
「なるほどねえ。これで魔界に瞬間転移できると」
戸愚呂弟が肩に兄を乗せたまま、蔵馬の横に立つ。
サングラス越しの視線の先には、この倉庫を改造したアジトの床に、まるで魔法陣でも描くかのように六角形に配置された奇妙な機械。
フロアランプだと言われれば思わず納得してしまいそうなサイズと全体の形状。
しかし、デザインや材質からすると、明かに魔界製である。
円形に等間隔で配置することにより、内部の空間に何か作用を引き起こすものだろうと、魔界の製品に慣れた蔵馬や飛影には判別がつく。
戸愚呂が大きく溜息をつく。
「左京さんのあの異様な努力はなんだったんだろうねェ。あの情熱、あの悲願は。こんなささやかな機械で、簡単に人間界と魔界を行き来できるモンだったとはねェ」
戸愚呂と蔵馬の見据える機械は、締め上げた闇業者に吐かせたところ、魔界と人間界を直接繋げる、小型のトンネルを開けるものだという。
恐ろしいことには、例え霊界の結界が魔界と人間界の間の亜空間に敷設してあろうとも、その亜空間そのものを飛び越え、両方の世界を直接繋げてしまうので、この機械には結界も無意味。
更に突っ込んで尋問すると、魔界ではかなり前からこういった機器は開発済みであり、結界敷設期間中にあまり利用されなかったのは、単に霊界とのトラブルを忌避したいという理由のみであったという。
ついでに付け加えるなら、この機械を魔界と人間界、一そろいずつ購入して一瞬で行き来出来るようにしても、総額でせいぜい自動車一台分くらいの価格だということ。
人間界の左京が、馬鹿げてるほどに天文学的なカネを注ぎ込んできた悲願の機械は、魔界では彼の車代にもならないくらいの金額で容易く手に入れることができたのだ。
蔵馬の背後から、幻海が近付いてくる。
「ここに飛び込んでおくのはやめた方がいいだろうね」
まるで蔵馬に、お前ならわかっているだろうが、と言いたげなニュアンス。
「向こうはここに踏み込まれる可能性は考えていたはずだ。だから、麻弥ちゃんばかりではなく、ここのアジトの頭も消えているんだ。彼女を誘拐するのは、そのくらいリスクがあると、向こうもわかっていたんだろうね。でも、そのリスクを冒しても構わないほど、彼女の血肉には今や莫大な価値があるということだ」
残留した霊力から類推するに、彼女の霊力はもはや人間か疑うレベル。
正直、一体何があったのかは気になっているけどね。
「ばあさん!! プーが来た!! 乗り込もうぜ!!」
幽助が倉庫の入り口のところで叫んでいる。
外には見慣れた紺碧の翼。
桑原、飛影が乗り込む。
彼らは業者が使っていた機械をそのまま使って踏み込むのは罠があると判断し、ブーストされて能力も増えたプーで、世界の壁を超えることにしたのだ。
「あたしと戸愚呂はこれで行くよ。蔵馬はどうする」
幻海が、懐から小さな船を象ったアクセサリを取り出し、ふいっと息を吹きかける。
見る間に小型の漁船くらいの大きさになった舳先(へさき)の反った船に、幻海が乗り込む。
戸愚呂弟も兄を乗せたまま続く。
蔵馬はプーに向かいかけて、ふと足を止める。
「……俺もこちらにいいですか? 今の顔を、彼らに見られたくないんです。情なくて」
蔵馬が要請すると、幻海も戸愚呂弟も何も言わずに場所を開けてくれる。
戸愚呂兄がニヤニヤしながら何事か言いかけたものの、弟に口を塞がれ、幻海に殴られる。
一羽の鳥と、一艘の船は、倉庫の扉をくぐって空へと舞い上がり、人工的に開けられた空間の亀裂に飛び込んだのだった。
◇ ◆ ◇
麻弥は、目の前の光景を唖然と眺めている自分を眺めている。
中学生だった頃、憧れていた男の子。
そうだ、南野くんだ。
あの頃は髪は短かった、思い出す。
その「南野くん」が、何かドロドロした奇妙な生き物? と話していたと思ったら、いきなり黒づくめの、剣!! を構えた逆毛の男の子と戦いだしたのだ。
しかも、使っていたのはその辺に生えていた草。
それが、「南野くん」が手にした途端、その斬りかかって来た男の子の使っている剣と同じくらいに大きくなって、「南野くん」は黒づくめで逆毛の男の子と斬り結び始めたのである。
逃げろと言われたが、腰が抜けて何が何だかわからなくなっていた記憶。
あっという間に「南野くん」は、その男の子と打ち合いながら視界から外れた場所に行ってしまったのだ。
呆然としていたら、背後から……
南野くん。
いえ、畑中くん。
あなたは誰なの、何者なの。
人間じゃなかった?
思い出したの、私はあの頃、あなたのことが好きだったよね。
告白もしたような気がする。
なのに、なんであなたのこと忘れてたんだろ?
昨日再会したあなたは前より素敵になってた。
私、あなたに「二度目の初恋」をした。
ああ、もう一度会いたいな……
麻弥は、目が覚める。
冷たい。
ふと見ると、コンクリートか石材だかわからないような材質の床に直接寝かされているようだ。
床?
麻弥は起き上がろうとする。
「何これ!?」
思わず悲鳴が出る。
麻弥の足首に、時代もののドラマや映画の中だけでお目にかかるような大層な器具……多分足枷がはめられていて、手には手錠のようなもの。
その状態で、麻弥は横向きに寝かされていたのだ。
「ちょっ……何なのこれ!!」
どうにか上半身だけを起こし、薄暗い周囲を見回す。
何かおどろおどろしい装飾がそこここにあるものの、それを除けば何か見たことがあるような風景。
そうだ、これは……独房だ。
金属の覗き穴らしきものが開いているごつい扉。
何もない壁。
うっすら光る天井の人間の頭蓋骨そっくりの照明。
便器剥き出しのトイレらしきものはあるが。
自分は何故こんなところにいるんだろう?
そもそもここはどこだ。
何でこんな独房みたいなところに自分がいるんだ。
流石に、いくら何かやらかしたところで、いきなり刑務所の独房に送られることなど、現代日本においてある訳がない。
するとここはどこかの刑務所の独房ではなく、行政機関とは何の関わりもない誰かの私的な身体拘束用の建物……という可能性はかなり高い。
実際、妙な趣味の――麻弥個人としては嫌いではないセンスであるが――装飾で飾られているところからすると、そうだとしか思えない。
「うわ。困ったな。私、猟奇殺人鬼とかに捕まったとかそういうこと?」
冗談めかして口にしてみたものの、麻弥は自らの推測に時間差で寒気が上がって来る。
……畑中くん。
麻弥は小さく口にした。
馬鹿だな。
また彼が都合よく助けてくれるなんて……そんな。
麻弥はじんわりと涙が滲むのを感じる。
どうしよう。
逃げないと。
彼に会いたい。
だが、試しに少し動かしてみた足枷も手錠も、まるで外れそうな隙がない。
足枷とか、手錠って、こんなのなんだ……とこんな状況にも関わらず感心してしまう麻弥である。
その時。
カツン、と軽い音と共に、覗き穴の覆いが持ち上げられ誰かが覗く気配がする。
麻弥は体を強張らせる。
どうしていいかもわからないうちに、金属の扉が耳障りな音と共に開いたのだった。