目覚め
「南野くん!? もしかして、南野くんじゃない!?」
不意に、街中で声をかけられた。
懐かしい声を。
休日のコーヒーショップ、奥側の席。
反対側の植木の影の席に、「彼女」がいるなんて思わなかったのだ。
「喜多嶋……?」
読んでいた、さっき買って来た本から顔を上げる。
そうだ。
何年会わなくても忘れるはずがない。
「やっぱり南野くんだ!! 髪、伸ばしたんだね!!」
ニコニコ嬉し気に笑いながら、喜多嶋麻弥が蔵馬のテーブルに近付いてくる。
彼女は、少し雰囲気が変わっていた。
少し背が伸びていたし、スタイルもずいぶん大人っぽい。
甘美で整った目鼻は、聖母的な暖かさと、無邪気さと裏腹のちょっとしどけないくらいの色香を増している。
黒髪は上品なリボンでまとめて肩に流している。
何より変わっているのは服装の趣味だ。
大学生になったからだろうか、個性的な私服だ。
レトロな縞のロングスカートに、ふっくらした胸元を強調するコルセット、胸にスカートと同じ柄の大きなリボンの付いたゆったりしたブラウス、短めのケープに、編み上げのショートブーツ、とどめは頭に乗せたごついゴーグルの付いた帽子である。
蔵馬は、それがいわゆる「スチームパンク」と呼ばれる趣味だと知っている。
「喜多嶋……ああ、中学の時一緒だった喜多嶋だよな? 久しぶり」
平静を装って、蔵馬は本を隣の椅子に置く。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
麻弥は、夢幻花であの時の記憶ばかりか、蔵馬への恋心も全部忘れたはず。
自分は今「たまたま街中で出会った中学時代の同級生」というだけだ。
その設定を忘れてはならない。
やり過ごすんだ……
そう考えた矢先、蔵馬はあることに引っ掛かる。
麻弥の霊気がずいぶんと……
「ね、こっちに座っていい?」
麻弥が蔵馬とテーブルを挟んだ向かい側の椅子を指す。
「ああ、構わないよ。元気そうだな。雰囲気変わってて誰かと思った」
これは半分だけ嘘だ。
少々雰囲気が変わっていても、一目で誰かわかったから。
むしろ、麻弥のあの無邪気なエキセントリックさが、今のスタイルでより強調されて、よりわかりやすく「麻弥」だったのに。
「やった!! うふふ、嬉しい!!」
麻弥は今まで自分が座っていたテーブルから、甘い匂いのするかぼちゃラテの乗ったトレーを運んでくる。
蔵馬のスタイルは、ターコイズブルーのゆったりめパーカーに、ジーンズというシンプルなもの。
麻弥に会うとわかっていたら、もう少し気合を入れたのだが。
「ねえ、南野くん」
蔵馬と向かい合うや、麻弥はにわかに真剣な顔で身を乗り出してくる。
「ん? どうしたんだよ、喜多嶋。俺、何か顔について……」
「その、後ろの男の人っていうか……誰?」
「え?」
蔵馬は思わず背後を振り返る。
何もない。
コーヒーショップの二色の壁紙があるだけだ。
「え……なんだよ、何もいないじゃないか。どうしてそんなことを」
……麻弥は、霊感があの時以上に強くなっている。
奇妙な違和感の原因はこれ。
何があったのだろう?
中学卒業以来、全く会っていなかったはずなのに。
幸いにというべきか、高校は別だったし、その後の彼女の進路とも接点がない。
なんで彼女はこんなに高い霊力を。
幻海師範並みじゃないか。
「ううん、脅してる訳じゃないわ。見えるのよ。白……っていうか、銀色の男の人が」
相変わらず真剣な表情のまま繰り出された爆弾発言に、顔がこわばるのを蔵馬は感じる。
「銀色の……」
「うん。でもね、その人人間じゃないみたい。頭の上に、大きな銀色の、獣っぽい耳があるの。狐さんの耳かな、これ?」
蔵馬は内心冷や汗を流す。
間違いない。
あまりに高くなった霊力ゆえ、麻弥には、蔵馬の「正体」が見えているのだ。
「ちょっと……怖い感じ。きれいなんだけど、目つきが鋭くて。でも、そんなに悪い存在じゃないって感じるの。ね、南野くん。そういう人……っていうか、に心当たりある?」
麻弥はますます真剣に詰め寄る。
蔵馬は、困った表情を作り、軽く紅茶で舌を湿らせる。
「ごめん……よくわからないなあ。先祖が何かしてた的なことを、知り合いの霊能力者さんに聞かされたことはあるから、その関係なんじゃないかなあ。なんか化けて出て来たって話はないよ。いたって普通」
蔵馬は、少々幻海を引き合いに出し、ちょっとだけ嘘をつく。
何かやっていたのは先祖ではなく自分だが、自分があれこれしてた時期は、人間なら先祖しかいないくらいに昔なので仕方ない。
「あとそれから……俺、もう、南野じゃないんだ」
「え?」
麻弥がきょとんとする。
「母が再婚して、畑中っていう名前になったんだ。弟もできてね」
麻弥がぱっと顔を輝かせる。
「あ、そうだったの!! おめでとう、全然知らなかった!! じゃあ、畑中くんて呼ぶね!!」
心底嬉しそうにニコニコする麻弥に、蔵馬はかつてと同じ、自分には決して存在しない純粋なきらめきを見出し、眩しく、愛しくなる。
……今なら、彼女を護れるかも知れないという思いが湧き上がる。
それから、とりとめのない話をする。
新しくできた弟も、秀一という名前で、家庭内がしばらく混乱していたということ。
大学には通っておらず、義父の会社で働いていること。
友人に霊感の強い男の子がいること。
麻弥は、大学生だそうだ。
市内の大学で、分子化学を学んでいるらしい。
将来の夢は、研究職だという。
蔵馬が一際興味を引かれたのが、彼女の大学のサークル。
「怪談を蒐集・研究するサークルなのね。まあ、オカルト全般っぽいんだけど。でも、最近活動がちょっと……困ったことがあってね」
蔵馬はじっと目を伏せた彼女を見る。
日の当たる宝石みたいな目が曇っている。
「困ったこと? 何か不祥事をしでかして大学に怒られた人が出たとか、そういう?」
もしかして、麻弥の霊力が増大する原因はそのサークルとやらにあるのか?
蔵馬は殊更平静を装い、情報を引き出そうとする。
「ううん、そういうのじゃなくて」
麻弥は、ぷるぷると可愛く首を横に振る。
「……部員がね。行方不明になった人が出て」
「行方不明? どういう状況?」
ちりちり。
蔵馬の首の後ろが金属の櫛で引っ掻かれるみたいに。
「わかんないの、ある日大学から自宅アパートに戻らなかったみたい。ご家族の方から連絡つかないって部員に問い合わせがあって、警察とアパートの大家さんに通報して、ご家族が彼女のアパートの部屋に行ってみたら誰もいなくて」
家出という訳ではないだろう。
実家住まいでないなら意味がない行為。
蔵馬は先を促す。
「冷蔵庫の中とか、仕込んであった生の食材が残ってて。戻って来るつもりだったのに戻れなくなった可能性が高いって判断されて、結局捜索願が出されて」
蔵馬は静かに質問を口にする。
「その行方不明の人って、どんな人? 何か居なくなるような心当たりはない?」
「……すっごい、霊感の強い女の子なの。敏感過ぎるから、心霊スポットでは守ってあげないとって感じではあるんだけど。日常的に霊を見てたんだって」
麻弥がかすかに眉をひそめる。
蔵馬の引っ掛かりが大きくなる。
霊感の強い女の子の失踪。
また、麻弥が付け加える。
「ねえ、畑中くん。中学の時も、こんなことあったのを覚えてる? 一人また一人って居なくなったけど、家出ってことにされててさ……あれって、結局誰も出てこなかったけど……あの時と、ちょっと、似てない……?」
蔵馬は凝然と麻弥を見詰めて、しばらく口を引き結んでいたのだった。
不意に、街中で声をかけられた。
懐かしい声を。
休日のコーヒーショップ、奥側の席。
反対側の植木の影の席に、「彼女」がいるなんて思わなかったのだ。
「喜多嶋……?」
読んでいた、さっき買って来た本から顔を上げる。
そうだ。
何年会わなくても忘れるはずがない。
「やっぱり南野くんだ!! 髪、伸ばしたんだね!!」
ニコニコ嬉し気に笑いながら、喜多嶋麻弥が蔵馬のテーブルに近付いてくる。
彼女は、少し雰囲気が変わっていた。
少し背が伸びていたし、スタイルもずいぶん大人っぽい。
甘美で整った目鼻は、聖母的な暖かさと、無邪気さと裏腹のちょっとしどけないくらいの色香を増している。
黒髪は上品なリボンでまとめて肩に流している。
何より変わっているのは服装の趣味だ。
大学生になったからだろうか、個性的な私服だ。
レトロな縞のロングスカートに、ふっくらした胸元を強調するコルセット、胸にスカートと同じ柄の大きなリボンの付いたゆったりしたブラウス、短めのケープに、編み上げのショートブーツ、とどめは頭に乗せたごついゴーグルの付いた帽子である。
蔵馬は、それがいわゆる「スチームパンク」と呼ばれる趣味だと知っている。
「喜多嶋……ああ、中学の時一緒だった喜多嶋だよな? 久しぶり」
平静を装って、蔵馬は本を隣の椅子に置く。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
麻弥は、夢幻花であの時の記憶ばかりか、蔵馬への恋心も全部忘れたはず。
自分は今「たまたま街中で出会った中学時代の同級生」というだけだ。
その設定を忘れてはならない。
やり過ごすんだ……
そう考えた矢先、蔵馬はあることに引っ掛かる。
麻弥の霊気がずいぶんと……
「ね、こっちに座っていい?」
麻弥が蔵馬とテーブルを挟んだ向かい側の椅子を指す。
「ああ、構わないよ。元気そうだな。雰囲気変わってて誰かと思った」
これは半分だけ嘘だ。
少々雰囲気が変わっていても、一目で誰かわかったから。
むしろ、麻弥のあの無邪気なエキセントリックさが、今のスタイルでより強調されて、よりわかりやすく「麻弥」だったのに。
「やった!! うふふ、嬉しい!!」
麻弥は今まで自分が座っていたテーブルから、甘い匂いのするかぼちゃラテの乗ったトレーを運んでくる。
蔵馬のスタイルは、ターコイズブルーのゆったりめパーカーに、ジーンズというシンプルなもの。
麻弥に会うとわかっていたら、もう少し気合を入れたのだが。
「ねえ、南野くん」
蔵馬と向かい合うや、麻弥はにわかに真剣な顔で身を乗り出してくる。
「ん? どうしたんだよ、喜多嶋。俺、何か顔について……」
「その、後ろの男の人っていうか……誰?」
「え?」
蔵馬は思わず背後を振り返る。
何もない。
コーヒーショップの二色の壁紙があるだけだ。
「え……なんだよ、何もいないじゃないか。どうしてそんなことを」
……麻弥は、霊感があの時以上に強くなっている。
奇妙な違和感の原因はこれ。
何があったのだろう?
中学卒業以来、全く会っていなかったはずなのに。
幸いにというべきか、高校は別だったし、その後の彼女の進路とも接点がない。
なんで彼女はこんなに高い霊力を。
幻海師範並みじゃないか。
「ううん、脅してる訳じゃないわ。見えるのよ。白……っていうか、銀色の男の人が」
相変わらず真剣な表情のまま繰り出された爆弾発言に、顔がこわばるのを蔵馬は感じる。
「銀色の……」
「うん。でもね、その人人間じゃないみたい。頭の上に、大きな銀色の、獣っぽい耳があるの。狐さんの耳かな、これ?」
蔵馬は内心冷や汗を流す。
間違いない。
あまりに高くなった霊力ゆえ、麻弥には、蔵馬の「正体」が見えているのだ。
「ちょっと……怖い感じ。きれいなんだけど、目つきが鋭くて。でも、そんなに悪い存在じゃないって感じるの。ね、南野くん。そういう人……っていうか、に心当たりある?」
麻弥はますます真剣に詰め寄る。
蔵馬は、困った表情を作り、軽く紅茶で舌を湿らせる。
「ごめん……よくわからないなあ。先祖が何かしてた的なことを、知り合いの霊能力者さんに聞かされたことはあるから、その関係なんじゃないかなあ。なんか化けて出て来たって話はないよ。いたって普通」
蔵馬は、少々幻海を引き合いに出し、ちょっとだけ嘘をつく。
何かやっていたのは先祖ではなく自分だが、自分があれこれしてた時期は、人間なら先祖しかいないくらいに昔なので仕方ない。
「あとそれから……俺、もう、南野じゃないんだ」
「え?」
麻弥がきょとんとする。
「母が再婚して、畑中っていう名前になったんだ。弟もできてね」
麻弥がぱっと顔を輝かせる。
「あ、そうだったの!! おめでとう、全然知らなかった!! じゃあ、畑中くんて呼ぶね!!」
心底嬉しそうにニコニコする麻弥に、蔵馬はかつてと同じ、自分には決して存在しない純粋なきらめきを見出し、眩しく、愛しくなる。
……今なら、彼女を護れるかも知れないという思いが湧き上がる。
それから、とりとめのない話をする。
新しくできた弟も、秀一という名前で、家庭内がしばらく混乱していたということ。
大学には通っておらず、義父の会社で働いていること。
友人に霊感の強い男の子がいること。
麻弥は、大学生だそうだ。
市内の大学で、分子化学を学んでいるらしい。
将来の夢は、研究職だという。
蔵馬が一際興味を引かれたのが、彼女の大学のサークル。
「怪談を蒐集・研究するサークルなのね。まあ、オカルト全般っぽいんだけど。でも、最近活動がちょっと……困ったことがあってね」
蔵馬はじっと目を伏せた彼女を見る。
日の当たる宝石みたいな目が曇っている。
「困ったこと? 何か不祥事をしでかして大学に怒られた人が出たとか、そういう?」
もしかして、麻弥の霊力が増大する原因はそのサークルとやらにあるのか?
蔵馬は殊更平静を装い、情報を引き出そうとする。
「ううん、そういうのじゃなくて」
麻弥は、ぷるぷると可愛く首を横に振る。
「……部員がね。行方不明になった人が出て」
「行方不明? どういう状況?」
ちりちり。
蔵馬の首の後ろが金属の櫛で引っ掻かれるみたいに。
「わかんないの、ある日大学から自宅アパートに戻らなかったみたい。ご家族の方から連絡つかないって部員に問い合わせがあって、警察とアパートの大家さんに通報して、ご家族が彼女のアパートの部屋に行ってみたら誰もいなくて」
家出という訳ではないだろう。
実家住まいでないなら意味がない行為。
蔵馬は先を促す。
「冷蔵庫の中とか、仕込んであった生の食材が残ってて。戻って来るつもりだったのに戻れなくなった可能性が高いって判断されて、結局捜索願が出されて」
蔵馬は静かに質問を口にする。
「その行方不明の人って、どんな人? 何か居なくなるような心当たりはない?」
「……すっごい、霊感の強い女の子なの。敏感過ぎるから、心霊スポットでは守ってあげないとって感じではあるんだけど。日常的に霊を見てたんだって」
麻弥がかすかに眉をひそめる。
蔵馬の引っ掛かりが大きくなる。
霊感の強い女の子の失踪。
また、麻弥が付け加える。
「ねえ、畑中くん。中学の時も、こんなことあったのを覚えてる? 一人また一人って居なくなったけど、家出ってことにされててさ……あれって、結局誰も出てこなかったけど……あの時と、ちょっと、似てない……?」
蔵馬は凝然と麻弥を見詰めて、しばらく口を引き結んでいたのだった。