螺旋より外れて

「食脱医師……? もう七百年も前に、子供を産んで死んだって」

「そうじゃな、確かに昔そういうことはあった。正確には、我はその生まれ変わり。食脱医師は、浦飯温子という女に転生しておったのじゃ。そなたの、二重の意味で母親なのじゃ、我は」

 幽助の問いかけに、食脱医師は淀みなく応じる。

「おふくろが、雷禅の探していた、食脱医師の転生だったってことか……」

 呆然と、うわごとのように呟く息子に、食脱医師は苦笑で応じる。

「お陰で、奴に追いつかれたわ。いや、我が手を伸ばしたのか。とにかく、雷禅は無事じゃから、会って確かめてみるがよい」

 その屋敷の玄関を引き開け、温子だった食脱医師は、幽助と北神を内部に招き入れる。
 と。

「!!! 雷禅様!?」

 一歩入った瞬間に感じた妖気に、北神が度を失う。
 幽助も感じている、今や懐かしい、強大過ぎる妖気。

 靴を放り出すようにして、北神、幽助も屋敷に上がり込む。
 縁側に面した廊下を渡り、居間らしき部屋へ。

「おう。おめえら、来たか。とりあえず、軽くなんか食え」

 まるで十年前からこの屋敷に住んでいるようにリラックスして。
 雷禅が、そこであぐらをかいている。

 ――座卓の上の皿に並べられた、パウンドケーキをつまみながら。

「お、親父……!! えっ!?」

 幽助は一瞬混乱する。
 雷禅は、人肉以外の一切の食料を摂取できないのではなかったか。
 なのに、どう見ても、人間が食べるような菓子をつまんでいる……。

「らっ、雷禅様……!!」

 北神が突進する。
 雷禅の目前にひざまずくようにして彼の無事を確認する。

「ああ、ご本人に間違いない、一体、何故このようなことに!?」

「あー……話せば長くなるけどよ。ま、北神。オメーも、大抵のメシ食えるように、治療を受けろよ。幽助も、朝からろくすっぽ食ってなかったりすんじゃねえのか?」

 幽助と北神が顔を見合わせる。

「やっ……ちょっと待て、なんでおめーがメシ食えてるのかくらいは説明しろよ!! どうなってんだこれ……って、治療ってなんのことだよ!?」

 幽助が吼えると、食脱医師がそっと割り込む。

「魔族の中の一部が、人肉以外の食料を摂取できない、というのは、レッキとした病の一種なのじゃ、幽助。病なら、食脱医師たる我が治療できる」

 幽助はまじまじと目を見開く。
 食脱医師は、静かに雷禅の姿を指し示す。

「治療の結果は、見ての通り。まあ、蘇生も行ったが、肝心なのは人肉食の治療の方じゃの。これ以降、雷禅は一般的な食事で問題なく栄養を摂取できるゆえ、この問題は解決じゃ。あとは、とりあえず北神殿も、同じ治療を施したいのじゃが」

 視線を向けられた北神は、ようやく我に返ったように姿勢を正す。

「これは奥方様、ご挨拶もせず、ご無礼申し上げました。わたくし、長年雷禅様にお仕え申し上げております、北神と申します。なにせ急なことで動転しておりまして」

「いや、騒がせたのは申し訳なかった。魔界のゴタゴタに巻き込まれないようにするには、雷禅を人間界に連れ去り隠匿する必要があっての。聞けば、幽助が言い出しっぺで、統治者を決めるための武術大会を開くとか? それまでに、雷禅と北神殿の治療も終わらせたかったゆえ、ちょうど良いわ」

 食脱医師が、幽助と北神に、着座するよう促す。

「北神殿、少し服をくつろげて、胸元を出してくれぬか?」

「は」

 北神が手早くパーカーを脱ぐ。
 半ば露わにされた胸元、喉下あたりに、食脱医師が、精神の集中を感じられる様子で指先を触れる。
 ぼうっと、霊的な瑠璃色の光が溢れる。

「おお、これは……な、なんでしょう、胸から腹にかけて、非常に暖かく」

「今、そなたの体質が変わっている最中じゃ。間もなく、人肉以外の食事も摂れるよう、体質が変わるゆえ、安堵して待たれよ」

 食脱医師に告げられ、北神は、かしこまって、じっと待つ。

「不思議な感じです。ぬくもりが腹の下にまで浸透というか降りて来るというか。こ、こんなに簡単に“治る”のですか、人肉食体質というのは?」

 長年、どうしようもないことの代名詞だったはずなのですが。
 北神がそんな風に呟くと、雷禅がけらけら笑う。

「簡単に思えるのは、こいつが一流の食脱医師だからだよ。ま、しばらく待て。すぐに一緒にメシ食えるようになるぜ。今、上の倅(せがれ)が、食事の用意してやがるからよ」

 その言葉に反応したのは、北神というより幽助。

「上の倅? 俺以外に子供いんのか?」

「続き柄としちゃ、おめえの兄貴ってことになるな。同時に、43代前の先祖でもある。700年前に、こいつが産んだ最初の子だ」

「ああん!?」

 雷禅のあっさり放たれた爆弾発言に、幽助は卒倒せんばかりとなる。

「700年前って……そいつ人間なんじゃねえのか!? だから霊界も気づかなかったっていう……」

「世の中な、そんな簡単な話ばかりじゃねえんだよ。少なくともおめえの敵ではねえから、安心しろ。おめえの好きなの作っておくって、張り切ってたぞ」

 まだ納得していない幽助に、食脱医師が囁く。

「要するに、雷禅は、子供がほしいあまりに、魔族大覚醒を一部失敗しての。そなたの兄は、人間でありながら、魔族並みの寿命となってしまったのじゃ。そのせいで苦労はしてしまったようじゃが。雷禅の言う通り、そなたのことは可愛いだけじゃから、攻撃などされぬ。安心せえ」

「あ、そうなのか? ま、そういう事情なら、安心なんだろうけどよ。どんな奴なのかな」

 幽助はすでに身内モードに入って、警戒心を解く。
 が、雷禅の次の言葉で大爆発したのは、北神だ。

「昔からの通り名だと、無明聖(むみょうひじり)って呼ばれているな」

「無明聖!!!」

 ぎょっとした北神を、置いてきぼりにするが如くに。

「さて、皆さん、お食事をお持ちしました」

 雪見障子を開けて、大きな盆にチャーハンらしき食事を乗せた若い男が、部屋に入ってきたのだった。
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