螺旋より外れて
「俺を殺してくれないか?」
幻海の目の前にいるのは、ごついヘルメットをかぶった大柄な魔族。
雷禅の旧友の一人、鉄山である。
幻海と鉄山がいるのは、魔界トーナメントの本戦会場の控室。
大きなモニターが掲げられた空間。
幻海の隣には、戸愚呂兄弟が付いている。
弟の方が、その奇妙な言葉に、眉を跳ね上げたのがわかる。
「おい、てめえ。いきなり来て何を言ってやがる」
幻海自身より早くその言葉に反応したのは、戸愚呂兄も同じだ。
こちらは露骨に、尖った言葉を投げかける。
「殺すのがまずいなら……封印してくれ。半永久的に。この問題の答えが見つかるまで。あんたなら、できるだろう? 次の試合の時に、そうしてくれ」
ヘルメットの奥から、低く重々しい声が、悲痛な色を帯びて洩れ出す。
幻海はくいと顎を上げて、鉄山を見据える。
「確かに、次の本戦第一試合ではあんたと当たるはずだったな。しかし、どういう……」
幻海は言いかけ、ふと言葉を切る。
「……なるほど」
「……わかるだろう。俺はもう、駄目なんだ。リンクしたての体じゃ、これに対抗しきれない」
せっかく永夜に苦労かけたのにな。
俺が力を十全に使いこなせなかった。
鉄山は、雷の鳴り響く魔界の天を仰ぎ見る。
ヘルメットの奥の光の強い目、そこには静かな決意がある。
「……兄さん。鉄山さんっていうお名前だったねェ」
戸愚呂弟が静かに口を挟む。
「何があったんだい。俺たちにもわかるように説明してくれないですかねェ? 力を貸そうにも、どういうことかわからないのでは」
「すまない。言えない。言えないようになってるんだ」
鉄山は苦い声を絞り出す。
「とにかく、幻海さん。俺を、次の試合で、殺すか封印するかしてくれ。頼む」
と、そこに近づく足音が複数。
「おい、鉄山っていったな、オメー。どういうことだよ!?」
幽助が流石に怪訝そうな表情である。
「鉄山、大体は何があったか俺ならわかる。だがよ、早まるなよ」
雷禅が低い声で告げる。
旧友でなく、他の誰かに怒っている目つきだ。
「鉄山様。医務室に参りましょう。母がおります。食脱医師の母が」
永夜が冷静な声で、そう進言する。
「いや。医務室に行くなと脅されている。行ったら……弾けさせると」
雷禅父子ばかりか、幻海、そして戸愚呂兄弟がすうっと目を細め、その状況の異様さに静かな驚きを見せる。
鉄山は更に続ける。
「とにかく……俺は試合をするしかない。幻海、あんたとな。そこであんたに負けるなら仕方ない。もう、あんたに頼むしかないんだ」
鉄山はじっと幻海を見据える。
ヘルメットの作る影の中から注がれる視線は、絶望と同時に静かな決意を秘めている。
「……わかった。殺してやろう」
幻海は、さらりと応じる。
幽助がぎょっとしたように師匠を見、雷禅が顔を強張らせ、永夜がはっとしたように。
戸愚呂兄弟は、素早く視線を交わす。
「ありがとう。……ああ、雷禅」
鉄山が、雷禅に向き直る。
「俺が死んだからって、この幻海さんを恨まないでくれ。俺が望んだことで、その負担をこの人におっかぶせただけなんだ。この人のせいじゃない。第一、お前にとっては、大事な息子のお師匠さんだろう?」
お前の代わりをしばらくしてくれたような人じゃないか、と説得されて、雷禅は呻くしかない。
「わかっているが、だが……!! どうしようもねえのかよこれ!!」
「どうしようもない。……さ、幻海さん、そろそろだ」
鉄山は、会場の巨大モニターを仰ぐ。
そこでは、魔界トーナメント本戦の組み合わせ表が表示されていたのだ。
◇
◆ ◇
『さあ、いよいよ始まりました!! 魔界トーナメント本戦、第一回戦!!』
実況の小兎が声を張り上げる。
会場も海鳴りのように湧き上がっている。
『本戦第一試合は……魔界でも名前が知られた、霊光波動拳の幻海選手!! 対するは、魔界三竦みの一角、雷禅選手の旧友です!! 鉄山選手!!』
『幻海選手は、前々から対妖怪の戦いに長けています。また、鉄山選手は、あの雷禅と打ち合える実力者。ここまでならS級妖怪である鉄山選手有利ですが、彼らは両者とも天界の助力を得ています。どうなるかわかりませんね』
解説の妖駄が、冷静に両選手を分析する。
億年樹の上の、円形の闘技場で向き合った幻海と鉄山。
二人の間には厳然と先ほどの「約束」が横たわる。
「では……両選手、構えて!!」
浮遊生物に乗った審判が、手を振り上げる。
「はじめ!!!」
合図と同時に、鉄山が仕掛ける。
巨大な拳を振りかぶると同時に、彼の背後から、目覚めた地龍のように、巨大な山津波が湧き上がる。
一気になだれ落ち、闘技場は一瞬で大量の土砂に埋もれる。
まるでそこににわかに小山ができたかのような風景。
『あっと、これは一撃!! 鉄山選手の一撃で、幻海師範が埋まってしまいました!!』
実況の小兎が口にする間にも、その限界を埋めた土砂が、見る間に固まる。
巨大な岩と化して、それは地面にめりこんだはずの幻海を封じたようだ。
『鉄山選手は、大山津見神とリンクをしていると申しますから。先手を取られたのが、幻海選手としては痛かったでしょうね』
何てことなさそうに、解説の妖駄が説明する。
『さて、鉄山選手は新たにできた岩の上にいますが……』
小兎が言う通り、鉄山は、今しがた万年の時が流れたように出現した大岩の上に呆然と立っている。
まさか、あの幻海師範がこんなに呆気ないとは思わず。
「そんな……なあ、約束だったじゃねえかよ……」
鉄山は、自分の足元、救いの神になるはずだった人物を下敷きにした岩を見下ろす。
その時。
「まずい……駄目だ!!」
鉄山の胸のプロテクターの下で、何かが蠢いている。
わずかに露出した皮膚の下で異様な色の何かが走り回り……
「動くなよ!!」
鉄山の背後の空間が輝く。
輝く門のように見える場所から、幻海の爽快な姿が現れる。
一瞬。
「霊光波動拳・療の拳『解』!!」
幻海の輝く拳が、鉄山の胸を打つ。
その瞬間、鉄山の全身から引きちぎられるように、何か異形の塊のようなものが飛び出す。
それは、見る間に億年樹の上空を覆うほどに巨大に広がっていく。
さながら人の顔に似たものを備えた黒雲だ。
が。
「霊光波動拳・仙の拳『転』!!」
幻海がその異様な塊に向けて霊丸に似た光を撃ち出す。
それが触れた途端に、巨大な黒雲のようなそれは、まるで時間を逆回ししたかのように縮小し。
「さて、こんなもんだな」
幻海が、テニスボール程度の大きさの、光の玉を手にして、その大岩の上にたたずむ。
すぐ前には膝をついた鉄山。
「あんたが心配していたのは、これだろ?」
幻海は、しれっと鉄山にその玉を示す。
「もう大丈夫だ。こいつは、あんたはもちろん、この世の誰にも、もう危害は加えられない」
幻海の手の上で、その玉は激しく輝き。
次いで、光に炙られて蒸発するように、ひときわまばゆく輝いたかと思うと、一瞬で消え失せたのだ。
その光景を、鉄山は信じられないものを見たように見つめているばかり。
『あっと、これはどうしたことでしょう!? 鉄山選手の体から弾き出された何かが、幻海選手の技によって封じられた後に消されたように思えましたが……』
小兎が困惑気味に実況する。
「こいつは、『呼ばれざる者』の手の者が、この人に植え付けた呪いの種だ。時限式と遠隔式を組み合わせ、鉄山さんが命令に背いた場合と、一定の時間が経過した場合に、この人の体を食い破って、致死性の呪いが拡散するようになっていた」
幻海の答えを、低空に降りて来た審判の集音マイクが拾う。
「で、霊光波動拳と軍荼利明王の力を組み合わせた技で引っぺがして、無効化及び消滅させたっていう訳だ。もう心配いらないよ」
幻海が、ぐったり疲れたような鉄山の広い肩にほっそりした手を乗せて軽く叩く。
「お疲れ様、怖かったし疲れただろう」
「……ありがとう……」
鉄山は、一気に気が抜けたのか、ヘルメットの頭を岩の上に落としてぐんにゃりしている。
「ええと……この場合勝敗は……」
審判の、鹿の角と蹄を持ち、花を絡みつかせた美少女が、困惑したように可愛らしく首をかしげて、幻海と鉄山を交互に見やる。
「……もういい。全ての気力は尽きた。戦うなんてとんでもねえ。俺の負けでいい。最初からそのつもりだし」
鉄山は、重々しく呻いて宣言する。
「……ということだ。あたしは、もう少し成り行きを見守りたいんだが」
幻海が、審判を見上げる。
「ええと、はーい、幻海選手の勝利でーす!!」
審判が高らかに幻海の勝利を宣言し、本戦Aブロック第一試合は幕を閉じたのだった。
幻海の目の前にいるのは、ごついヘルメットをかぶった大柄な魔族。
雷禅の旧友の一人、鉄山である。
幻海と鉄山がいるのは、魔界トーナメントの本戦会場の控室。
大きなモニターが掲げられた空間。
幻海の隣には、戸愚呂兄弟が付いている。
弟の方が、その奇妙な言葉に、眉を跳ね上げたのがわかる。
「おい、てめえ。いきなり来て何を言ってやがる」
幻海自身より早くその言葉に反応したのは、戸愚呂兄も同じだ。
こちらは露骨に、尖った言葉を投げかける。
「殺すのがまずいなら……封印してくれ。半永久的に。この問題の答えが見つかるまで。あんたなら、できるだろう? 次の試合の時に、そうしてくれ」
ヘルメットの奥から、低く重々しい声が、悲痛な色を帯びて洩れ出す。
幻海はくいと顎を上げて、鉄山を見据える。
「確かに、次の本戦第一試合ではあんたと当たるはずだったな。しかし、どういう……」
幻海は言いかけ、ふと言葉を切る。
「……なるほど」
「……わかるだろう。俺はもう、駄目なんだ。リンクしたての体じゃ、これに対抗しきれない」
せっかく永夜に苦労かけたのにな。
俺が力を十全に使いこなせなかった。
鉄山は、雷の鳴り響く魔界の天を仰ぎ見る。
ヘルメットの奥の光の強い目、そこには静かな決意がある。
「……兄さん。鉄山さんっていうお名前だったねェ」
戸愚呂弟が静かに口を挟む。
「何があったんだい。俺たちにもわかるように説明してくれないですかねェ? 力を貸そうにも、どういうことかわからないのでは」
「すまない。言えない。言えないようになってるんだ」
鉄山は苦い声を絞り出す。
「とにかく、幻海さん。俺を、次の試合で、殺すか封印するかしてくれ。頼む」
と、そこに近づく足音が複数。
「おい、鉄山っていったな、オメー。どういうことだよ!?」
幽助が流石に怪訝そうな表情である。
「鉄山、大体は何があったか俺ならわかる。だがよ、早まるなよ」
雷禅が低い声で告げる。
旧友でなく、他の誰かに怒っている目つきだ。
「鉄山様。医務室に参りましょう。母がおります。食脱医師の母が」
永夜が冷静な声で、そう進言する。
「いや。医務室に行くなと脅されている。行ったら……弾けさせると」
雷禅父子ばかりか、幻海、そして戸愚呂兄弟がすうっと目を細め、その状況の異様さに静かな驚きを見せる。
鉄山は更に続ける。
「とにかく……俺は試合をするしかない。幻海、あんたとな。そこであんたに負けるなら仕方ない。もう、あんたに頼むしかないんだ」
鉄山はじっと幻海を見据える。
ヘルメットの作る影の中から注がれる視線は、絶望と同時に静かな決意を秘めている。
「……わかった。殺してやろう」
幻海は、さらりと応じる。
幽助がぎょっとしたように師匠を見、雷禅が顔を強張らせ、永夜がはっとしたように。
戸愚呂兄弟は、素早く視線を交わす。
「ありがとう。……ああ、雷禅」
鉄山が、雷禅に向き直る。
「俺が死んだからって、この幻海さんを恨まないでくれ。俺が望んだことで、その負担をこの人におっかぶせただけなんだ。この人のせいじゃない。第一、お前にとっては、大事な息子のお師匠さんだろう?」
お前の代わりをしばらくしてくれたような人じゃないか、と説得されて、雷禅は呻くしかない。
「わかっているが、だが……!! どうしようもねえのかよこれ!!」
「どうしようもない。……さ、幻海さん、そろそろだ」
鉄山は、会場の巨大モニターを仰ぐ。
そこでは、魔界トーナメント本戦の組み合わせ表が表示されていたのだ。
◇
◆ ◇
『さあ、いよいよ始まりました!! 魔界トーナメント本戦、第一回戦!!』
実況の小兎が声を張り上げる。
会場も海鳴りのように湧き上がっている。
『本戦第一試合は……魔界でも名前が知られた、霊光波動拳の幻海選手!! 対するは、魔界三竦みの一角、雷禅選手の旧友です!! 鉄山選手!!』
『幻海選手は、前々から対妖怪の戦いに長けています。また、鉄山選手は、あの雷禅と打ち合える実力者。ここまでならS級妖怪である鉄山選手有利ですが、彼らは両者とも天界の助力を得ています。どうなるかわかりませんね』
解説の妖駄が、冷静に両選手を分析する。
億年樹の上の、円形の闘技場で向き合った幻海と鉄山。
二人の間には厳然と先ほどの「約束」が横たわる。
「では……両選手、構えて!!」
浮遊生物に乗った審判が、手を振り上げる。
「はじめ!!!」
合図と同時に、鉄山が仕掛ける。
巨大な拳を振りかぶると同時に、彼の背後から、目覚めた地龍のように、巨大な山津波が湧き上がる。
一気になだれ落ち、闘技場は一瞬で大量の土砂に埋もれる。
まるでそこににわかに小山ができたかのような風景。
『あっと、これは一撃!! 鉄山選手の一撃で、幻海師範が埋まってしまいました!!』
実況の小兎が口にする間にも、その限界を埋めた土砂が、見る間に固まる。
巨大な岩と化して、それは地面にめりこんだはずの幻海を封じたようだ。
『鉄山選手は、大山津見神とリンクをしていると申しますから。先手を取られたのが、幻海選手としては痛かったでしょうね』
何てことなさそうに、解説の妖駄が説明する。
『さて、鉄山選手は新たにできた岩の上にいますが……』
小兎が言う通り、鉄山は、今しがた万年の時が流れたように出現した大岩の上に呆然と立っている。
まさか、あの幻海師範がこんなに呆気ないとは思わず。
「そんな……なあ、約束だったじゃねえかよ……」
鉄山は、自分の足元、救いの神になるはずだった人物を下敷きにした岩を見下ろす。
その時。
「まずい……駄目だ!!」
鉄山の胸のプロテクターの下で、何かが蠢いている。
わずかに露出した皮膚の下で異様な色の何かが走り回り……
「動くなよ!!」
鉄山の背後の空間が輝く。
輝く門のように見える場所から、幻海の爽快な姿が現れる。
一瞬。
「霊光波動拳・療の拳『解』!!」
幻海の輝く拳が、鉄山の胸を打つ。
その瞬間、鉄山の全身から引きちぎられるように、何か異形の塊のようなものが飛び出す。
それは、見る間に億年樹の上空を覆うほどに巨大に広がっていく。
さながら人の顔に似たものを備えた黒雲だ。
が。
「霊光波動拳・仙の拳『転』!!」
幻海がその異様な塊に向けて霊丸に似た光を撃ち出す。
それが触れた途端に、巨大な黒雲のようなそれは、まるで時間を逆回ししたかのように縮小し。
「さて、こんなもんだな」
幻海が、テニスボール程度の大きさの、光の玉を手にして、その大岩の上にたたずむ。
すぐ前には膝をついた鉄山。
「あんたが心配していたのは、これだろ?」
幻海は、しれっと鉄山にその玉を示す。
「もう大丈夫だ。こいつは、あんたはもちろん、この世の誰にも、もう危害は加えられない」
幻海の手の上で、その玉は激しく輝き。
次いで、光に炙られて蒸発するように、ひときわまばゆく輝いたかと思うと、一瞬で消え失せたのだ。
その光景を、鉄山は信じられないものを見たように見つめているばかり。
『あっと、これはどうしたことでしょう!? 鉄山選手の体から弾き出された何かが、幻海選手の技によって封じられた後に消されたように思えましたが……』
小兎が困惑気味に実況する。
「こいつは、『呼ばれざる者』の手の者が、この人に植え付けた呪いの種だ。時限式と遠隔式を組み合わせ、鉄山さんが命令に背いた場合と、一定の時間が経過した場合に、この人の体を食い破って、致死性の呪いが拡散するようになっていた」
幻海の答えを、低空に降りて来た審判の集音マイクが拾う。
「で、霊光波動拳と軍荼利明王の力を組み合わせた技で引っぺがして、無効化及び消滅させたっていう訳だ。もう心配いらないよ」
幻海が、ぐったり疲れたような鉄山の広い肩にほっそりした手を乗せて軽く叩く。
「お疲れ様、怖かったし疲れただろう」
「……ありがとう……」
鉄山は、一気に気が抜けたのか、ヘルメットの頭を岩の上に落としてぐんにゃりしている。
「ええと……この場合勝敗は……」
審判の、鹿の角と蹄を持ち、花を絡みつかせた美少女が、困惑したように可愛らしく首をかしげて、幻海と鉄山を交互に見やる。
「……もういい。全ての気力は尽きた。戦うなんてとんでもねえ。俺の負けでいい。最初からそのつもりだし」
鉄山は、重々しく呻いて宣言する。
「……ということだ。あたしは、もう少し成り行きを見守りたいんだが」
幻海が、審判を見上げる。
「ええと、はーい、幻海選手の勝利でーす!!」
審判が高らかに幻海の勝利を宣言し、本戦Aブロック第一試合は幕を閉じたのだった。