螺旋より外れて
『樹里さん、瑠架さん、螢子さん、麻弥さん!! そちら何があったのですか!? 状況を報告してください!!』
小兎の声が、その場にいる彼女たちの脳裏に響く。
どろどろ鳴るいつもの魔界の空の下、億年樹の濃い影の下には、無残な葬破の死骸。
彼女たちは立ちすくむばかり。
葬破は、魔界における「呼ばれざる者」の信徒の国の長だったはず。
それも、この魔界トーナメントで、露骨に軀に喧嘩を売るほどに自信たっぷりだったのだ。
それが、この短時間のうちに死骸へと変じている。
どういうことなのだ。
「……小兎ちゃん。葬破が死んでいますわ」
瑠架が冷静な声で小兎に応じる。
「恐らく複数の者に、大きな刃物でめった刺しにされています。刃物は死体に突き刺さったまま。……視認した映像を送りますが、見えますか?」
瑠架が無残な死骸に目を据えて、そのい映像を思念に乗せて小兎に送る。
『これは……!! 本当に葬破選手が殺害された……殺害したのは同行していたはずの、元国民だった者たち……』
小兎が、どうにか状況を飲み込もうとしている。
『癌陀羅の警察組織を向かわせます。検死して本人かどうかを……それと殺人犯捕縛のために緊急配備を』
「いや、本人確認は必要ねえぜ。こいつは本人だ」
不意に落ち着いた滑らかな女の声が聞こえて、そこにいる全員が振り向く。
心地よい声であり、取り立ててどすを利かせている風でもないのに、問答無用でひれ伏したくなる魔力めいた威圧感。
振り返ると近づいて来る小柄な人影。
首から上を忌呪帯でぐるぐる巻きにした異様な姿。
軀その人である。
背後に、影のように飛影を引き連れている。
「ふむ」
樹里、瑠架、螢子、麻弥が困惑している間に、軀は構わず葬破の死骸のそばに近づく。
飛影がその隣に並ぶ。
「あれだけ自信満々に喧嘩を売って来やがった奴が、仲間割れであっさり殺害されたと。妙な話だな」
軀は忌呪帯の奥でくつくつ笑う。
妙というより、面白くてたまらないと思っているような声音。
飛影が、横でふん、と鼻を鳴らす。
「あの腐れ邪神の高位信徒ともあろう者が、あっさりし過ぎているぜ。このくらいになれば、本人が無抵抗だったと仮定しても、殺害するのは骨であるはず。こんな短時間に数人程度に殺害されるものか」
「そういうことだ。実質、これは自殺だな」
軀の返事に、樹里、瑠架、螢子、麻弥は思わず顔を見合わせる。
「あ、あの、軀様? 自殺なんですかこの人!? な、なんで……」
麻弥が思わず叫ぶ。
「簡単なことだ。こいつは『呼ばれざる者』の高位信徒。恐らくリンクもしていたはず。そのくらいの奴を平の信徒がこんな風に倒すには、倒される葬破の方が、自分の体から、神気の元になっている自分の魂を引っこ抜かなくてはならない。その状態なら、こんな原始的な刃物も通る」
軀は血まみれの刃物にあごをしゃくる。
「“殺される”前に、自分で幽体離脱して、その後に手下に肉体を破壊させた。他殺に見せかけた自殺だ」
警備組は息を呑む。
樹里が頭上をきょろきょろ。
「ええ!? すると、この人の幽霊さん、どっかに無傷で漂っているってこと!? ヤダー!!」
怖気を振るったように、樹里は体をかばう。
まるで今にも取り憑かれるのを心配するように。
「えっ……でも……どうして、この人そんなことを!?」
螢子はすっかり目を白黒させている。
一般人の水準で言えば、かなり度胸がいい部類に入る彼女ではあるが、流石にここまで無残な死骸はショックだ。
「幽助が言ってましたけど、霊体だけになってしまうと、本当にふよふよ漂う以外に何もできないって。一回だけ桑原くんに取り憑いた状態で話しかけて来たことがあったんですけど、ほんの短い時間で……霊体が無事だったとしても、あんまり意味ないんじゃないですか?」
ふむ、と軀が鼻を鳴らす。
「そういうことだ。高位信徒であればあるほど、肉体を捨てることに意味はない。その肉体であいつらにとっての功徳ってやつを積んで来た訳だからな。前の肉体が修復が難しいほどに破損したんで肉体を捨てて霊体化し、新しい肉体を探すってことは有り得るが……こいつの場合、特に大怪我をしていた様子はない。理由は謎だな」
忌呪帯の奥から覗くぎろぎろした軀の右目は冷たく、感情は読み取れない。
ふと。
飛影が、いつの間にか、額のヘアバンドを外して、邪眼を開いているのが見える。
気付いた瑠架が、怪訝そうに見つめる。
「あの……?」
「葬破の霊体は見当たらないな」
飛影は元々の両目も開く。
「間違いない。すでに奴は新しい肉体に入り込んでいる。それがどれだかはわからんがな」
「ほお」
軀は予想していたかのような受け答えであったが、警備組は全員肝を潰したような顔である。
「えっと、新しい肉体を用意していた……ってこと!? えらく斬新なやり方だけど、な、なんで……!?」
麻弥は大きな目をぱちぱちさせる。
「わざわざ新しい肉体に乗り換えるなんて、よっぽどその新しい肉体は有利なシロモノなの!? 元の肉体をこんなにしたからには、二度と戻れなくていいって思ってたのよね!?」
麻弥は死骸と軀飛影のコンビの間に視線をさまよわせる。
軀は、面白そうに、彼女を振り返る。
「それもあるが、この事態を引き起こした葬破の狙いは、恐らくお前さんのその反応だよ」
「へ?」
麻弥はきょとんとするしかない。
「お前さん、ここまで訳の分からない事態に巻き込まれたのは恐らく初めてだろう? どういう意味かわからなくて、すっかり動転しているな? 葬破の狙いはそこだ。お前さん並みに素直な反応が返ってくること。すなわち、これは陽動だ。周囲を驚かせて不安にさせるのが最大の目的だな」
麻弥は、真っ青な顔で首を横に振る。
「そんな……そんなことのために自殺を……?」
「奴らは邪神なんてけったいな奴の信徒だ。どういう行動原理かなんぞ、奴らの身内以外に理解などできまい」
飛影は再度鼻を鳴らす。
「ま、動揺しないのが、最大の奴らへの防御法だ。昼飯はまだだろう? お前さんたちも、後は黄泉のところの警察に任せていったん引き上げろ。腹ごしらえをして、午後からに備えるのが一番効率がいいぞ」
言うや否や、軀はきびすを返す。
警備組は顔を見合わせ、次いで、ばらばら駆けつけてくる癌陀羅警察の足音を聞く。
「なんか、納得いかないような気もするけど……」
瑠架が溜息。
「確かに軀様の仰る通りなんでしょうねー。言われてみれば、驚いて動転する以外に何もできないですもの、今の時点で」
樹里が唇を押さえる。
「……わたし、今すぐ蔵馬くんのところに言って相談してみる。吐き出さないとおかしくなりそう」
麻弥がぐん、と小さな拳を握る。
「私も幽助に相談しようかな。蔵馬くんと多分一緒だよね」
螢子は大きく息を吐いてその場に背を向ける。
警官が現場を保存しはじめるや、全員がそこに背を向ける。
恐らく何かが始まったのだと、全員が認識しながら、それが具体的に何なのかは、誰一人として把握していなかったのだ。
今は、まだ。
◇
◆ ◇
「さあ、128組の予選が一斉に始まります!!」
わかりにくい魔界の午後。
それでも定刻通りに、予選は開始される。
小兎が晴れやかな声を張り上げ、128組の予選開始を告げる。
浮遊式のカメラが選手たちを追う。
「おっと!! 放送席から最も近い、予選第一ブロックで早くも動きがあったようです!! こ、これはー!?」
カメラがズームした第一ブロック予選会場の億年樹。
そこに立っていた人物。
桑原和真以外に、誰もいなかったのだ。
「よっっっっしゃあああああぁぁーーーー!!!!!!!」
物質化神剣を高々と掲げ、桑原和真は開始数秒にして、勝利の雄たけびを上げたのだった。
小兎の声が、その場にいる彼女たちの脳裏に響く。
どろどろ鳴るいつもの魔界の空の下、億年樹の濃い影の下には、無残な葬破の死骸。
彼女たちは立ちすくむばかり。
葬破は、魔界における「呼ばれざる者」の信徒の国の長だったはず。
それも、この魔界トーナメントで、露骨に軀に喧嘩を売るほどに自信たっぷりだったのだ。
それが、この短時間のうちに死骸へと変じている。
どういうことなのだ。
「……小兎ちゃん。葬破が死んでいますわ」
瑠架が冷静な声で小兎に応じる。
「恐らく複数の者に、大きな刃物でめった刺しにされています。刃物は死体に突き刺さったまま。……視認した映像を送りますが、見えますか?」
瑠架が無残な死骸に目を据えて、そのい映像を思念に乗せて小兎に送る。
『これは……!! 本当に葬破選手が殺害された……殺害したのは同行していたはずの、元国民だった者たち……』
小兎が、どうにか状況を飲み込もうとしている。
『癌陀羅の警察組織を向かわせます。検死して本人かどうかを……それと殺人犯捕縛のために緊急配備を』
「いや、本人確認は必要ねえぜ。こいつは本人だ」
不意に落ち着いた滑らかな女の声が聞こえて、そこにいる全員が振り向く。
心地よい声であり、取り立ててどすを利かせている風でもないのに、問答無用でひれ伏したくなる魔力めいた威圧感。
振り返ると近づいて来る小柄な人影。
首から上を忌呪帯でぐるぐる巻きにした異様な姿。
軀その人である。
背後に、影のように飛影を引き連れている。
「ふむ」
樹里、瑠架、螢子、麻弥が困惑している間に、軀は構わず葬破の死骸のそばに近づく。
飛影がその隣に並ぶ。
「あれだけ自信満々に喧嘩を売って来やがった奴が、仲間割れであっさり殺害されたと。妙な話だな」
軀は忌呪帯の奥でくつくつ笑う。
妙というより、面白くてたまらないと思っているような声音。
飛影が、横でふん、と鼻を鳴らす。
「あの腐れ邪神の高位信徒ともあろう者が、あっさりし過ぎているぜ。このくらいになれば、本人が無抵抗だったと仮定しても、殺害するのは骨であるはず。こんな短時間に数人程度に殺害されるものか」
「そういうことだ。実質、これは自殺だな」
軀の返事に、樹里、瑠架、螢子、麻弥は思わず顔を見合わせる。
「あ、あの、軀様? 自殺なんですかこの人!? な、なんで……」
麻弥が思わず叫ぶ。
「簡単なことだ。こいつは『呼ばれざる者』の高位信徒。恐らくリンクもしていたはず。そのくらいの奴を平の信徒がこんな風に倒すには、倒される葬破の方が、自分の体から、神気の元になっている自分の魂を引っこ抜かなくてはならない。その状態なら、こんな原始的な刃物も通る」
軀は血まみれの刃物にあごをしゃくる。
「“殺される”前に、自分で幽体離脱して、その後に手下に肉体を破壊させた。他殺に見せかけた自殺だ」
警備組は息を呑む。
樹里が頭上をきょろきょろ。
「ええ!? すると、この人の幽霊さん、どっかに無傷で漂っているってこと!? ヤダー!!」
怖気を振るったように、樹里は体をかばう。
まるで今にも取り憑かれるのを心配するように。
「えっ……でも……どうして、この人そんなことを!?」
螢子はすっかり目を白黒させている。
一般人の水準で言えば、かなり度胸がいい部類に入る彼女ではあるが、流石にここまで無残な死骸はショックだ。
「幽助が言ってましたけど、霊体だけになってしまうと、本当にふよふよ漂う以外に何もできないって。一回だけ桑原くんに取り憑いた状態で話しかけて来たことがあったんですけど、ほんの短い時間で……霊体が無事だったとしても、あんまり意味ないんじゃないですか?」
ふむ、と軀が鼻を鳴らす。
「そういうことだ。高位信徒であればあるほど、肉体を捨てることに意味はない。その肉体であいつらにとっての功徳ってやつを積んで来た訳だからな。前の肉体が修復が難しいほどに破損したんで肉体を捨てて霊体化し、新しい肉体を探すってことは有り得るが……こいつの場合、特に大怪我をしていた様子はない。理由は謎だな」
忌呪帯の奥から覗くぎろぎろした軀の右目は冷たく、感情は読み取れない。
ふと。
飛影が、いつの間にか、額のヘアバンドを外して、邪眼を開いているのが見える。
気付いた瑠架が、怪訝そうに見つめる。
「あの……?」
「葬破の霊体は見当たらないな」
飛影は元々の両目も開く。
「間違いない。すでに奴は新しい肉体に入り込んでいる。それがどれだかはわからんがな」
「ほお」
軀は予想していたかのような受け答えであったが、警備組は全員肝を潰したような顔である。
「えっと、新しい肉体を用意していた……ってこと!? えらく斬新なやり方だけど、な、なんで……!?」
麻弥は大きな目をぱちぱちさせる。
「わざわざ新しい肉体に乗り換えるなんて、よっぽどその新しい肉体は有利なシロモノなの!? 元の肉体をこんなにしたからには、二度と戻れなくていいって思ってたのよね!?」
麻弥は死骸と軀飛影のコンビの間に視線をさまよわせる。
軀は、面白そうに、彼女を振り返る。
「それもあるが、この事態を引き起こした葬破の狙いは、恐らくお前さんのその反応だよ」
「へ?」
麻弥はきょとんとするしかない。
「お前さん、ここまで訳の分からない事態に巻き込まれたのは恐らく初めてだろう? どういう意味かわからなくて、すっかり動転しているな? 葬破の狙いはそこだ。お前さん並みに素直な反応が返ってくること。すなわち、これは陽動だ。周囲を驚かせて不安にさせるのが最大の目的だな」
麻弥は、真っ青な顔で首を横に振る。
「そんな……そんなことのために自殺を……?」
「奴らは邪神なんてけったいな奴の信徒だ。どういう行動原理かなんぞ、奴らの身内以外に理解などできまい」
飛影は再度鼻を鳴らす。
「ま、動揺しないのが、最大の奴らへの防御法だ。昼飯はまだだろう? お前さんたちも、後は黄泉のところの警察に任せていったん引き上げろ。腹ごしらえをして、午後からに備えるのが一番効率がいいぞ」
言うや否や、軀はきびすを返す。
警備組は顔を見合わせ、次いで、ばらばら駆けつけてくる癌陀羅警察の足音を聞く。
「なんか、納得いかないような気もするけど……」
瑠架が溜息。
「確かに軀様の仰る通りなんでしょうねー。言われてみれば、驚いて動転する以外に何もできないですもの、今の時点で」
樹里が唇を押さえる。
「……わたし、今すぐ蔵馬くんのところに言って相談してみる。吐き出さないとおかしくなりそう」
麻弥がぐん、と小さな拳を握る。
「私も幽助に相談しようかな。蔵馬くんと多分一緒だよね」
螢子は大きく息を吐いてその場に背を向ける。
警官が現場を保存しはじめるや、全員がそこに背を向ける。
恐らく何かが始まったのだと、全員が認識しながら、それが具体的に何なのかは、誰一人として把握していなかったのだ。
今は、まだ。
◇
◆ ◇
「さあ、128組の予選が一斉に始まります!!」
わかりにくい魔界の午後。
それでも定刻通りに、予選は開始される。
小兎が晴れやかな声を張り上げ、128組の予選開始を告げる。
浮遊式のカメラが選手たちを追う。
「おっと!! 放送席から最も近い、予選第一ブロックで早くも動きがあったようです!! こ、これはー!?」
カメラがズームした第一ブロック予選会場の億年樹。
そこに立っていた人物。
桑原和真以外に、誰もいなかったのだ。
「よっっっっしゃあああああぁぁーーーー!!!!!!!」
物質化神剣を高々と掲げ、桑原和真は開始数秒にして、勝利の雄たけびを上げたのだった。