螺旋より外れて
「天界の使者の皆さん。はじめまして、私が禍報です」
何だか自分たちが間違っている気になるくらい、後ろ暗さのないあっけらかんとした調子で、禍報は幻海たちに自己紹介する。
怪訝そうな顔を見せた幻海たちであるが、一人永夜だけは緊張の面持ちを見せる。
「皆さん、お気をつけてください。友好的なように見えるかも知れませんが、こやつは『呼ばれざる者』の手の者の中でも最悪の部類。見た目ほど可愛い訳ではありませんからね」
永夜に情容赦ない解説を付けられ、禍報はけらけら笑う。
「手厳しいねえ、永夜。君とは長い付き合いじゃないか。もっと優しくしてくれてもいいんじゃないか?」
永夜は、あらゆる思いが込められているであろう溜息を一つ。
「……これが最後にしたいですね。あなたは笑い話にするには悪質過ぎる」
ますます笑う禍報に、幻海が鋭く突っ込む。
「悪いが、あたしはお前さんがどんな奴だかなんて興味ない。さっさと消えてもらうよ。人食いの怪物だという証拠がこれだけあれば十分さ」
周り中に散らばる食い散らかされた骨を、幻海は目で示す。
が、敵もさる者。
「ねえねえ、幻海はさあ、結局のところ、戸愚呂兄弟のどっちが好きなのさぁ?」
不意に、禍報が幻海に向き直り、顔を近付けるようにして問い質す。
「やっぱり弟? でもさ、兄も悪くないんじゃない? こういう毒があるっぽい奴、幻海は好きでたまらないんじゃない?」
ねえねえどうなのさ? と詰め寄る禍報に向け、幻海は冷たい目を向ける。
「そうだな、お前さんを始末した後でゆっくり考えるとしよう」
ニヤリ、とどこか毒々しい笑みを、幻海は浮かべる。
きらびやかな邪神の神使は、大きめの口を吊り上げてにやりと笑う。
「えーつれないなあ。じゃあさ、戸愚呂兄弟、君たちの間では、どんな話し合いになってるんだい? まあ、わかるけどさ。簡単じゃないよなあ」
戸愚呂弟がサングラスの下で眉を寄せ、戸愚呂兄は不穏な雰囲気で目をすがめる。
素早く永夜が割り込む。
「戸愚呂さんご兄弟、耳を貸してはなりません。こやつの言葉に意味などない。捕食者の本能で、相手が動揺しそうなことを口にして戦いやすくしているだけです」
戸愚呂弟が鼻を鳴らす。
「俺たちはあくまで獲物、という訳だ。舐められたモンだねェ」
けっ、と戸愚呂兄が吐き捨てる。
「テメエは殺すぜ化け物」
ますます、禍報は笑いを濃くする。
裏返った笑い声。
「殺すって? ちなみに私は生きているのかなあ、どう思う?」
一見意味の取れない言葉に、戸愚呂兄弟が怪訝な表情を見せたその時。
禍報の肉体が、急激に空気に溶けるように薄れ。
そして、一瞬のうちに消え失せる。
「!! 気を付けて、霊体化です!!」
永夜が叫ぶ。
幻海が淡々と宙空を見据える。
何か見えているようだ。
「なるほど、こいつは自在に肉体を霊体化できるのか。普通の攻撃は通じない、と」
永夜がうなずく。
「正確には単純な霊体化ではないですね。本人は『狭間の存在』と名乗っています。物事の在り方、『理(ことわり)』の狭間にある存在ということ。通常の術や武術は通じない、んですが……」
戸愚呂弟がそれを聞いてニヤリと笑う。
「しかし、俺たちは『宿神持ち』だ。そうだろう?」
禍報の笑い声が、どこからともなく響く。
「甘いねえ!! 甘いよ!!」
と。
「ぐぅっ!?」
戸愚呂弟が呻いて体を折る。
「おい……!?」
急に振り回された格好になった戸愚呂兄が、弟の肩から飛び降りる。
見る間に、戸愚呂弟の肉体が変質していく。
赤黒い血管めいた筋が全身に走り回り、皮膚が青黒く染まる。
爪が伸び、手足が膨張し、筋肉が肥大化して……
「まずい……浄!!」
幻海が駆け寄り、浄化の気を叩き込む。
一瞬にして、戸愚呂弟の姿は元に戻る。
「チッ……!! 霊体じゃねえけど、霊体みたいに憑依はできるってか!? 冗談じゃねえぞ……!!」
戸愚呂兄が地面から立ち上がりながら呻く。
「礼を言うぞ、幻海……。しかし、これはもしや一番危険なのは俺たち兄弟か?」
戸愚呂弟が大きく息を吐く。
幻海がうなずく。
「こいつには術法に近いやり方がまだ通じるようだが、あんたらは両人とも不得手だからな。ま、こいつでも纏っていな」
幻海が近付き、最初に地面の戸愚呂兄に、次いで戸愚呂弟に触れる。
触れられたところから、薄い白銀の光の膜のようなものが、戸愚呂兄弟の全身に行き渡る。
全身が浄化される感覚に、戸愚呂兄弟は安堵の息を吐く。
禍報の憑依を跳ねのける「浄化」の術だ。
この光が消えるまでは、禍報は兄弟に憑依はできまい。
「……さて、ところであの方、どこに行かれたのでしょうね?」
永夜がふと周囲を見回す。
全員が気付く。
禍報の気配が消えている。
「……? おい、まさか逃げたとかか?」
戸愚呂兄は自分の言葉を信じていない調子で呟く。
「可能性はゼロではないですが、恐らくそうではないでしょう。狭間の存在ですからね。空間の狭間に隠れて完全に気配を断ったのではと推測されます」
ふむ、と、戸愚呂弟が鼻を鳴らす。
「要するに、どこから攻めて来るか、わからないってことじゃないのかい?」
永夜はかすかに溜息。
「一言で言うと、そういうことですね」
「チッ、冗談じゃねえぞ!!」
全員が周囲の僅かな気の変化に集中する。
奇妙な鳥の声。
葉擦れの音。
森の唸るようなざわめきが妙に大きく耳を打つかに思われる。
「!!」
幻海が息を呑んだのはその時である。
彼女の足元から背後にかけて、不意に巨大な「穴」が開いたのだ。
それは「穴」としか言いようがない。
空間そのものに開いた暗黒の穴である。
幻海が、その穴に落ちようとした時。
「幻海!!」
戸愚呂弟が、不意に彼女の目の前にいたのだ。
瞬時に彼女の肉体を引っ張り上げる。
「……大丈夫か。怪我は?」
「……傷はない。礼を言うよ」
戸愚呂弟と幻海が並ぶ。
「だが、今のことで思い付いたことがある。次に奴がこっちに出てきた時が勝負だ」
「ほう? どういう作戦だい?」
戸愚呂弟は面白そうに。
幻海は首を横に振る。
「いや。どこで聞いてるかわからないからな。あんたは、戸愚呂兄を『装備』して、霊体を攻撃できる準備をしておいてくれ」
戸愚呂弟がうなずく。
「兄者。篭手に。『時啜り』の力を出せるようにしてくれ」
「何かわからねーが」
筋肉操作を始めた弟の右腕に、戸愚呂兄が巻き付くように「装備」される。
ヨーロッパの悪魔の鎧を思わせる、棘だらけの篭手である。
80%にまで筋肉を膨れ上がらせた戸愚呂弟の姿と相まって、それはまさしく地獄から人類を食い散らかしに来た悪魔の姿のように見える。
「幻海師範が厄介と見て、何としても排除しようとしているという訳ですね。我らはその後にゆっくり始末という訳ですよ」
永夜は、相変わらず周囲を警戒しながら、何かしらの術を周囲に撒いている。
戸愚呂兄弟には何の術かは判別できないものの、恐らく一種の「撒き餌」だろうと見当をつける。
風が止む。
一瞬。
「そこだ!!!」
幻海が、一見何もないように思える空間に、拳を叩き込む。
猛獣にも似た絶叫。
薄赤い靄が、見る間に人の形を取る。
禍報だ。
幻海の技は、霊体に転じた存在を、現世に固着させる効果のあるものであったようだ。
「これが、『修』の拳の一つ、『転身』。これで、あんたは狭間の存在には当分なれない」
「ずいぶん親切だな、幻海!!」
風どころか周囲の大気の全てを巻き込むように、戸愚呂弟が戸愚呂兄を装備した右腕を突き出す。
音とも言えぬ、だが確かに轟き渡る「音」が鳴り響く。
禍報のみぞおちあたりに、戸愚呂80%の拳が叩き込まれる。
同時に篭手となった戸愚呂兄に、膨大な禍報の「時間」が吸い取られていく。
砕けた禍報の時間はその時点で停止、肉片に纏いついた「時間」は、一瞬にして兄に吸い取られて行く。
その攻防は瞬きの魔。
「……森が?」
永夜が顔を上げる。
いつの間にか、異世界じみた森は、通常の郊外の山林に見えるものに戻っていたのだ。
「……上手く行った、か」
さしもの幻海が緊張したように天を仰ぐ。
今やその空は、当たり前の緑の枝葉に切り取られた春の淡い色。
「ま、禍報さんにはいなくなってもらったからねェ。宿神の方々には、合格点をもらえると思うよ」
「緊張して腹減ったぜ。報告の前に何か食わせろ」
戸愚呂弟は、いつもの調子で戸愚呂兄を肩に乗せ、森の出口と思しき方向に目を向けたのだった。
何だか自分たちが間違っている気になるくらい、後ろ暗さのないあっけらかんとした調子で、禍報は幻海たちに自己紹介する。
怪訝そうな顔を見せた幻海たちであるが、一人永夜だけは緊張の面持ちを見せる。
「皆さん、お気をつけてください。友好的なように見えるかも知れませんが、こやつは『呼ばれざる者』の手の者の中でも最悪の部類。見た目ほど可愛い訳ではありませんからね」
永夜に情容赦ない解説を付けられ、禍報はけらけら笑う。
「手厳しいねえ、永夜。君とは長い付き合いじゃないか。もっと優しくしてくれてもいいんじゃないか?」
永夜は、あらゆる思いが込められているであろう溜息を一つ。
「……これが最後にしたいですね。あなたは笑い話にするには悪質過ぎる」
ますます笑う禍報に、幻海が鋭く突っ込む。
「悪いが、あたしはお前さんがどんな奴だかなんて興味ない。さっさと消えてもらうよ。人食いの怪物だという証拠がこれだけあれば十分さ」
周り中に散らばる食い散らかされた骨を、幻海は目で示す。
が、敵もさる者。
「ねえねえ、幻海はさあ、結局のところ、戸愚呂兄弟のどっちが好きなのさぁ?」
不意に、禍報が幻海に向き直り、顔を近付けるようにして問い質す。
「やっぱり弟? でもさ、兄も悪くないんじゃない? こういう毒があるっぽい奴、幻海は好きでたまらないんじゃない?」
ねえねえどうなのさ? と詰め寄る禍報に向け、幻海は冷たい目を向ける。
「そうだな、お前さんを始末した後でゆっくり考えるとしよう」
ニヤリ、とどこか毒々しい笑みを、幻海は浮かべる。
きらびやかな邪神の神使は、大きめの口を吊り上げてにやりと笑う。
「えーつれないなあ。じゃあさ、戸愚呂兄弟、君たちの間では、どんな話し合いになってるんだい? まあ、わかるけどさ。簡単じゃないよなあ」
戸愚呂弟がサングラスの下で眉を寄せ、戸愚呂兄は不穏な雰囲気で目をすがめる。
素早く永夜が割り込む。
「戸愚呂さんご兄弟、耳を貸してはなりません。こやつの言葉に意味などない。捕食者の本能で、相手が動揺しそうなことを口にして戦いやすくしているだけです」
戸愚呂弟が鼻を鳴らす。
「俺たちはあくまで獲物、という訳だ。舐められたモンだねェ」
けっ、と戸愚呂兄が吐き捨てる。
「テメエは殺すぜ化け物」
ますます、禍報は笑いを濃くする。
裏返った笑い声。
「殺すって? ちなみに私は生きているのかなあ、どう思う?」
一見意味の取れない言葉に、戸愚呂兄弟が怪訝な表情を見せたその時。
禍報の肉体が、急激に空気に溶けるように薄れ。
そして、一瞬のうちに消え失せる。
「!! 気を付けて、霊体化です!!」
永夜が叫ぶ。
幻海が淡々と宙空を見据える。
何か見えているようだ。
「なるほど、こいつは自在に肉体を霊体化できるのか。普通の攻撃は通じない、と」
永夜がうなずく。
「正確には単純な霊体化ではないですね。本人は『狭間の存在』と名乗っています。物事の在り方、『理(ことわり)』の狭間にある存在ということ。通常の術や武術は通じない、んですが……」
戸愚呂弟がそれを聞いてニヤリと笑う。
「しかし、俺たちは『宿神持ち』だ。そうだろう?」
禍報の笑い声が、どこからともなく響く。
「甘いねえ!! 甘いよ!!」
と。
「ぐぅっ!?」
戸愚呂弟が呻いて体を折る。
「おい……!?」
急に振り回された格好になった戸愚呂兄が、弟の肩から飛び降りる。
見る間に、戸愚呂弟の肉体が変質していく。
赤黒い血管めいた筋が全身に走り回り、皮膚が青黒く染まる。
爪が伸び、手足が膨張し、筋肉が肥大化して……
「まずい……浄!!」
幻海が駆け寄り、浄化の気を叩き込む。
一瞬にして、戸愚呂弟の姿は元に戻る。
「チッ……!! 霊体じゃねえけど、霊体みたいに憑依はできるってか!? 冗談じゃねえぞ……!!」
戸愚呂兄が地面から立ち上がりながら呻く。
「礼を言うぞ、幻海……。しかし、これはもしや一番危険なのは俺たち兄弟か?」
戸愚呂弟が大きく息を吐く。
幻海がうなずく。
「こいつには術法に近いやり方がまだ通じるようだが、あんたらは両人とも不得手だからな。ま、こいつでも纏っていな」
幻海が近付き、最初に地面の戸愚呂兄に、次いで戸愚呂弟に触れる。
触れられたところから、薄い白銀の光の膜のようなものが、戸愚呂兄弟の全身に行き渡る。
全身が浄化される感覚に、戸愚呂兄弟は安堵の息を吐く。
禍報の憑依を跳ねのける「浄化」の術だ。
この光が消えるまでは、禍報は兄弟に憑依はできまい。
「……さて、ところであの方、どこに行かれたのでしょうね?」
永夜がふと周囲を見回す。
全員が気付く。
禍報の気配が消えている。
「……? おい、まさか逃げたとかか?」
戸愚呂兄は自分の言葉を信じていない調子で呟く。
「可能性はゼロではないですが、恐らくそうではないでしょう。狭間の存在ですからね。空間の狭間に隠れて完全に気配を断ったのではと推測されます」
ふむ、と、戸愚呂弟が鼻を鳴らす。
「要するに、どこから攻めて来るか、わからないってことじゃないのかい?」
永夜はかすかに溜息。
「一言で言うと、そういうことですね」
「チッ、冗談じゃねえぞ!!」
全員が周囲の僅かな気の変化に集中する。
奇妙な鳥の声。
葉擦れの音。
森の唸るようなざわめきが妙に大きく耳を打つかに思われる。
「!!」
幻海が息を呑んだのはその時である。
彼女の足元から背後にかけて、不意に巨大な「穴」が開いたのだ。
それは「穴」としか言いようがない。
空間そのものに開いた暗黒の穴である。
幻海が、その穴に落ちようとした時。
「幻海!!」
戸愚呂弟が、不意に彼女の目の前にいたのだ。
瞬時に彼女の肉体を引っ張り上げる。
「……大丈夫か。怪我は?」
「……傷はない。礼を言うよ」
戸愚呂弟と幻海が並ぶ。
「だが、今のことで思い付いたことがある。次に奴がこっちに出てきた時が勝負だ」
「ほう? どういう作戦だい?」
戸愚呂弟は面白そうに。
幻海は首を横に振る。
「いや。どこで聞いてるかわからないからな。あんたは、戸愚呂兄を『装備』して、霊体を攻撃できる準備をしておいてくれ」
戸愚呂弟がうなずく。
「兄者。篭手に。『時啜り』の力を出せるようにしてくれ」
「何かわからねーが」
筋肉操作を始めた弟の右腕に、戸愚呂兄が巻き付くように「装備」される。
ヨーロッパの悪魔の鎧を思わせる、棘だらけの篭手である。
80%にまで筋肉を膨れ上がらせた戸愚呂弟の姿と相まって、それはまさしく地獄から人類を食い散らかしに来た悪魔の姿のように見える。
「幻海師範が厄介と見て、何としても排除しようとしているという訳ですね。我らはその後にゆっくり始末という訳ですよ」
永夜は、相変わらず周囲を警戒しながら、何かしらの術を周囲に撒いている。
戸愚呂兄弟には何の術かは判別できないものの、恐らく一種の「撒き餌」だろうと見当をつける。
風が止む。
一瞬。
「そこだ!!!」
幻海が、一見何もないように思える空間に、拳を叩き込む。
猛獣にも似た絶叫。
薄赤い靄が、見る間に人の形を取る。
禍報だ。
幻海の技は、霊体に転じた存在を、現世に固着させる効果のあるものであったようだ。
「これが、『修』の拳の一つ、『転身』。これで、あんたは狭間の存在には当分なれない」
「ずいぶん親切だな、幻海!!」
風どころか周囲の大気の全てを巻き込むように、戸愚呂弟が戸愚呂兄を装備した右腕を突き出す。
音とも言えぬ、だが確かに轟き渡る「音」が鳴り響く。
禍報のみぞおちあたりに、戸愚呂80%の拳が叩き込まれる。
同時に篭手となった戸愚呂兄に、膨大な禍報の「時間」が吸い取られていく。
砕けた禍報の時間はその時点で停止、肉片に纏いついた「時間」は、一瞬にして兄に吸い取られて行く。
その攻防は瞬きの魔。
「……森が?」
永夜が顔を上げる。
いつの間にか、異世界じみた森は、通常の郊外の山林に見えるものに戻っていたのだ。
「……上手く行った、か」
さしもの幻海が緊張したように天を仰ぐ。
今やその空は、当たり前の緑の枝葉に切り取られた春の淡い色。
「ま、禍報さんにはいなくなってもらったからねェ。宿神の方々には、合格点をもらえると思うよ」
「緊張して腹減ったぜ。報告の前に何か食わせろ」
戸愚呂弟は、いつもの調子で戸愚呂兄を肩に乗せ、森の出口と思しき方向に目を向けたのだった。