螺旋より外れて

「これは……!!」

 幻海は素早く降ってきた肢から飛び退く。

「呼ばれざる者」の眷属は、今や怪獣といっても良い大きさだ。
 現実に存在した恐竜程度の大きさはあろう。
 樹木の天井を突き破り、今思い出したように降り注ぐ日差しに、くっきり黒い影に覆われた巨躯を浮かび上がらせている。

「ぬゥん!!!」

 戸愚呂弟は、一気に筋肉を60%ほどにまで肥大させる。
 目の前の、巨大な球体に六本の象のような肢が生えている眷属を殴り飛ばすや、そいつはまるで分子レベルまでにわかに分解されたように微細な粒子となって一瞬で溶け消える。

「ふうん、ただデカくなっただけかあ? ならそう難しくねェな」

 戸愚呂兄は一瞬で、大振りな剣に姿を変える。
 相変わらず、自ら支え手もなく宙に浮いている。
 ひゅん、と空間を撫で斬ると、虹色に輝く断面に添って空間がずれる。
 それに触れた巨大な頭の周囲に無数の手が浮かんだ眷属や、円柱をランダムに重ねたような眷属が一瞬で吸い上げられて見えない口に運ばれたように消える。

「力も数倍になったようですが。所詮、眷属ではありますので」

 永夜が手の中に黒い虚無の球体を作り出す。
 それが触れた眷属は永遠の虚無に吸い込まれて完全に消滅する。
 気配が欠片も残らない。
 沈黙。

「確かにそうだ。こいつらはね」

 幻海が、意味深な言葉を投げる。
 彼女に降ってきた人間ほどもある巨大な肉質の鞭が、彼女を覆う霊光鏡反衝に弾かれて、盛大に反対側に飛んでいく。

「『こいつらは』……?」

 戸愚呂弟は、幻海の視線の先を追う。
 さしもの彼が眉をかすかに震わせる。

 そこに見えていたのは、あの、鎖に繋がれた少女だ。
 華奢な白い腕から血が滴り、地面にうずくまる。
 小さな背中、髪にも血がついている様子からするに、頭部からも出血しているらしい。

「おい、あのガキ……」

 戸愚呂兄が不穏な声で唸る。

「!! あの女の子……!? しまった、まさかあの子と眷属が連動している……!?」

 永夜が息を呑む。

「ヒャァハハァァア!! 今ごろ気付いたかバカめがァ!!」

 燕尾服の小男がけたたましく笑う。

「こいつはな、膨大な霊気のお陰で、俺らの餌袋なんだよ!! だから、この生贄の森で生き延びさせているっていうのによォ!! 察しの悪いバカどもがよォ!!」

 戸愚呂弟がふう、と溜息をつく。

「……まずはあの子から救い出さないといけない訳か」

 まるでその言葉の意味を察したように、まだ生き残っている眷属たちが、鎖に繋がれた女の子の前に立ちはだかる。
 十重二十重に取り巻き、どこにも隙がないように。

「こいつを放っておいて、禍報ってのを探しに行くって訳にはいかねえよなァ?」

 戸愚呂兄が剣の姿のまま、疲れたように呟く。

「無駄だね。浅知恵が過ぎるんじゃねえのかい?」

 聞こえたらしく、燕尾服の男が更にけたたましく嘲り笑う。

「もしおめえらが逃げれば、このデカくなった化け物どもを街に差し向けて、生贄を強制徴収するだけよ!! この前、そこの筋肉ダルマのニセモノを送り込んだみてえになァ!!」

 幻海が舌打ちし、戸愚呂弟が眉をひそめる。
 永夜が嘆息する。

「なるほど、踏み込めば、弾ける罠という訳ですね。我らが踏み込むのは予想していた、そして皿屋敷市の市民全員が人質になるよう仕掛けておいた、と」

 流石に「呼ばれざる者」の手の者は周到ですよ。
 ついでに私たちを始末できれば御の字という訳だ。

「ここは、永夜さんに一肌脱いでもらうしかないかねェ。一番こういう搦め手に強いのがあんただろうからねェ」

 戸愚呂弟の言葉が終らぬうちに。

 凄まじい輝きが、周囲一体を圧する。

「彗星霊光弾!!!」

 幻海の拳が、凄まじい輝きを放出する。
 一瞬で焼石に落ちた水滴よりなお儚く、女の子を取り囲んでいた眷属たちが無数の霊光弾の前に砕け塵となる。
 まさに霊光の尾を纏う彗星のように、霊光弾に包まれた霊丸というべき一際巨大な霊気の弾が、眷属の消えた空間をまっすぐ突き進み……そのまま、そこにいた女の子に直撃する。

 更なる光。
 失せた後には、もはや何もない。

「おおおおぉぉう!! 何て奴だァ!! 殺しちまいやがっ……」

 悲鳴のように、燕尾服の男が叫んだ、のも束の間。

 素早く放たれた霊丸が、男の全身をもぶち砕いたのである。

「げっ、幻海師範……!?」

 さしもの永夜が目を白黒させている。
 たしかにこれなら街には被害がでないであろうが、あまりにも非情すぎるやり方である。

「おい。幻海。これじゃ、オメーの方が冥獄界行きなんじゃねえのかあ!? よくやるぜ」

 戸愚呂兄が呆れたように。
 しかし、弟がふと気配を感じ取る。

「いや、そういうことじゃないねェ」

 サングラス越しの視線を、女の子が消えたあたりに当てたまま、戸愚呂弟が鋭く告げる。

「まだ終わりなんかじゃないさ」

 戸愚呂兄、永夜も気付く。

 女の子が消えたあたりに、何やら薄黒くおかしな色合いに輝く煙のようなものが立ち上っている。
 見る間に、「それ」は人の形を取る。
 あの不幸な女の子ではない。
 もっと大柄である。

 筋肉の巻き付いた腕が伸びる。
 たくましい胴体。
 男性的な顔。
 目の周りの輝く仮面じみた羽飾り。
 手足の先が鳥の肢に似ている、膝と肘が羽毛に覆われたその存在は、ぎらつく真紅と紺碧に移り変わる色彩に包まれてそこに立ち現れる。
 見ようによっては神々しいかもしれないその姿はだが、近付けば氷を背中に突き込まれたような冷たいおぞましさを放射している。

「……なるほど、あんたが化けていた禍報って訳だね」

 幻海の指摘に、全員が多かれ少なかれぎくりとした顔をする。

「いやあ、これはこれは、やはり幻海師範は不世出だ。永夜よりも凄い」

 けらけらわざとらしいくらいの鷹揚さで笑いながら、人肉食の怪物「禍報」は、そこに姿を現わしたのだった。
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