螺旋より外れて

「しっかし、北神、やけに似合うな……」

「笑わないで下さい、国王。スーツだとおかしいですから。こういう髪型だと、人間界では、一般的な組み合わせではないでしょう」

 久しぶりの、人間界の陽光の下である。
 やけに威圧的なパーカとワイドパンツ、スナイパーキャップに黄色いサングラスといういでたちの北神は、スタジャンにジーンズという、人間界の普段着の幽助と並んで歩いている。
 普段着にするとさほど目立たない幽助と違い、明かに北神の周囲を周りの人間が避けて大きく空間が開いているのは、どう考えても彼がS級妖怪だからではなかろう。

「……親父、本当に人間界にいるのかなあ」

「……可能性の問題です。国王が、幽助さんに最期にお話しになったように、人間の奥方様の転生を待ってああいうことをしておられたなら、人間界に執着していることは、大いに考えられるでしょう」

 今考えれば、過剰なくらいに人間界に対して気遣いしておられたのも、人間を食料にして恥じない軀や黄泉を許せなかったのも、どこかに転生しておられるかも知れない奥方様を想ってのことと解釈すれば合点がいきます。
 北神はそう説明する。

「……コエンマが、誰かが結界を破った形跡があるって、言ってたしなあ」

 この少し前、ぼたんが伝えに来たのだ。
 ちなみに北神にビビッていたが、攻撃さえしなければ大人しい奴だからと幽助が保証することで落ち着いたのである。

「あまりに露骨に破ってあるのが気になりましたが……しかし、無視するには、どのみち大きすぎる要素ではあります」

 北神は考え込むように。
 渋い顔である。
 やはり状況的に、不穏なものを感じざるを得ないのだ。

「でもよ、そうなると、誰か協力者みたいな奴が、人間界側にいるってことなんか? あの墓の破り方、雑な親父にしては妙に丁寧でおかしいっていうか」

 幽助はどうも思考を整理しきれないのか、困惑のにじむ言葉をこぼす。
 状況的にそうとしか思えないのだが、別の状況を鑑みると、それはあり得ないのだ。

 霊界が結界を設置したのが500年前。
 それ以降、雷禅は、人間界には出向いていないはずだ。
 幽助をスカウトした時のような、人をやる手段は使えるし、結界を破る方法も幾つもあるのであるが、霊界とことを構える厄介さから、雷禅はもちろん、軀も黄泉も、結界自体に手出しはしたことがないはずだ。

 だとすると「人間界の協力者」とは、一体誰なのか。
 500年も生き続ける「人間」など、存在するはずもないのに。

 そもそも、あの、怪盗よろしく墓の中から雷禅を奪い去っていった手管を思うと、本当に人間なのかという疑念は拭えない。
 S級A級が揃った見張りを、鮮やかというのも愚かしいほどあっさり出し抜いたのだ。
 雷禅自身並みの超S級妖怪でも、ここまで見事な手腕を見せる者がそうそういるかどうか疑問である。

 そもそも、雷禅が死んでから連れ去ったのはなぜなのか。
 彼に用があるなら、生前の時点で助けてやればいいだけのこと。
 霊界も周囲のS級妖怪も出し抜く謎の技術のある”人間”が、何故それはしなかったのか?
 そして、このような”人間”が実在するなら、まず第一に、一体何者なのか?

 考えれば考えるほど、幽助にはわからなくなるだけである。
 経験という点で幽助とは比べ物にならない北神でも頭を抱えているのだから、幽助程度に推論できるはずもないのだが。

「人間であっても、S級妖怪に迫るどころか、上回る力を持つ者はいたのですが。少なくとも、かつてはいましたよ」

 北神は、何かを思い出す口調で呟く。

「かつて? そりゃ何百年も前だろ? ま、俺の時代にも、仙水って奴はいたけど。親父にはぶっ飛ばされてたけどな」

 幽助が何気なくこぼすと、北神はきっぱり首を振る。

「その方のことなら伺いましたが、それどころでないレベルの人間の方もいらしたのですよ。一度だけ、ちらっと雷禅国王にうかがったことがあるのですが、あの雷禅様が、人間の退魔師に負けたことがあるそうです」

「ああん!?」

 流石に幽助はぎょっとして北神を振り返る。

「親父が!? 人間に!? 嘘だろオイ!!」

「雷禅様が、その手の冗談を仰ると思いますか? 当時、有名な退魔師の男だったそうです。こいつの姿を視認できるくらいに近付いた魔族で、生きて帰ってきた奴はいない……というので、姿を見た者がほとんどいない、有名なのに謎の多い男でしてね」

 北神の顔がやや青ざめている。
 本当に怯えている冷たい気配を感じ、幽助は、どうも一切誇張のない情報だと判断する。

「仙水みてえな評判の奴だな」

「昔と今とでは、状況が違います。申し訳ないですが、その方とはレベルが違うはずですね。昔は、雷禅様や軀、黄泉も気軽にホイホイ人間界に出入りしてたんですよ。人間側も、防衛のために必死でそういう者を生み出さざるを得なかった訳でしょうね」

「……そいつ、純粋な人間だったのか? 俺みたいに」

 幽助はふと不穏な疑問がよぎるままに問いを口にする。

「それはわかりません。何せ、謎が多すぎる男だったんですよ。ただ、密教の秘術を施されて、地上の生き物の範疇を超えた力を手に入れている、という噂は聞いたことがあります。当時の最前線で我らと戦っていた密教なら、さもあらんですね」

 北神は、何かを思い出したのか、ますます顔が青ざめている。
 その密教退魔師本人というのは、よほど恐れられていた存在だったのだろう。

「へえ……ああ、俺の師匠の婆さんなら、知ってるかもな、そいつのこと。ちなみに、そいつ、名前はなんていったんだ?」

「無明聖(むみょうひじり)と呼ばれていましたよ。無明、というのは、仏教の用語で『救いのない』とか、そういう意味でしたか。私に会えば、魔族には救いがない――そういう意味の名乗りだったようですね」

「気合入ってんなあ……まあ、もうとっくの昔に死んではいるんだろうけど」

 幽助はちらと何か奇妙な感覚に襲われたが、すぐに過ぎ去った感覚は瞬時に薄れる。
 なにせ、直近でこなさなければならない課題は山積みなのだ。

「そうですね。それが救いでは……」

 北神が言いかけた時。

 幽助のバッグに入っていたスマホが、やけに呑気な着信音を響かせる。

「ん? 誰だ?」

 訝しがりながら電話に出た幽助は、すぐ奇妙さに顔を歪ませる。

「……おふくろ? 俺が帰ってるって、よくわかったな?」
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