螺旋より外れて

「幻海師範!! 戸愚呂のお兄さんと弟さん!! こちらへ!!」

 永夜の緊迫した声が聞こえて、兄を肩に乗せたまま、戸愚呂弟は足を速める。
 足元ででこぼこした木の根のせいで歩きづらいことおびただしいが、今更ではある。
 
 まるで夜のような暗い枝葉の重なりの下、サングラスでも不自由なく、戸愚呂弟はその場に急ぐ。

「あ、二人とも無事か!!」

 森の脇の獣道から、幻海が軽快な足取りで姿を表す。
 喜びを表現したくなった戸愚呂兄弟ではあるが、ほぼ同時に目に飛び込んで来た光景に、浮きたった気持ちなど、一瞬で引っ込む。

「おい、なんだこりゃあ!?」

 戸愚呂兄が気分悪そうに喉を鳴らしたのも道理。

 無数の蛇の群れのようにうねくる木の根に引っ掛かり、積み重なっているもの。

 それは、大部分人間であろう生き物の骨である。

 綺麗に白く曝された白骨という訳ではない。
 腐れかけた肉がそこここにまとわりつく、汚らしくも無残な有様の「白骨化した遺骸」である。

「……これは……禍報さんの食べ残しという訳かい」

 戸愚呂弟は、たちこめる臭気に眉を寄せつつも、その開けた部分の縁に立つ。

「そういうことらしいな。ものの例えじゃなく、本当に全部人肉の捧げものだったらしいね。しかも、想像していたよりかなり多い。一体、何人食い物にしやがったんだ」

 これだけ周辺から人間を浚っても、そう大きな騒ぎになっていないところからすると、あんたのニセモノはじめ、「呼ばれざる者」どもの他の活動が目立ちすぎて、ここには誰も注目しなかったんだろうな。
 幻海がきゅっと口を引き結ぶ。

「で、ここが人肉を禍報って奴に捧げていた祭儀場って訳か? なら、もしかして禍報自身が近くにいるってことかよ?」

 戸愚呂兄が形のいい鼻の付け根にしわを寄せて唸る。

「禍報自身が近くにいるかどうかは判然としませんね。何せ、この森は『呼ばれざる者』の神気が満ちていて、我らの感覚は上手く働かないものですから。しかし、恐らく間違いないであろうということは、禍報自身はこの森のどこかにはいるということ」

 我らを待ち構えていたとしか思えなかった反応ですからね。
 あの、最初に出迎えてくれた人の様子からして。
 永夜が静かに推測を述べる。

「そういえば、あの時訊くのを忘れていたが」

 戸愚呂弟が首をかしげる。

「禍報さんてえのは、あの、人間の女の子を鎖に繋いでたあいつなのかい?」

 永夜が首を横に振る。

「いえ、あれは禍報ではないですね。私も見たことのない男です。恐らく半妖もしくは魔族。連れていた女の子は人間に見えましたが……しかし、それも断言できない」

 ふむ、と弟が鼻を鳴らす。

「永夜さんでも断言できないのかねェ?」

 永夜はかすかに溜息。

「何せこの森は、霊的な磁場がおかしい。『呼ばれざる者』の神気が強すぎて、ことごとくこちらの感覚を狂わせてくるのが厄介なのです。五感にも霊的感性にも、分厚い布でも被せられてるみたいですよ」

 言われてみればそうだな、と戸愚呂は感じ取る。
 この森の雰囲気があまりに不気味なのではっきりは認識していなかったが、霊的感性がやけに鈍くなっている。
 元々戸愚呂は感覚的に鋭い方ではないため、さほど気にならないが、幻海や永夜はさぞ気分が悪いであろう。

 ふと、幻海が白い華奢な顎を上げる。

「お前たち、長居しすぎたかも知れないぞ」

 戸愚呂弟の肩の上で、兄がぴくりと震えたのがわかる。

 彼らの足元。
 木の根に絡まって無数に横たわる白骨が、かたかたと音を立てて立ち上がろうとする。

「!!! ちっ、しまった、屍も操れるのか!!」

 戸愚呂兄が呻く。
 弟が構わず筋肉を肥大させる。
 あいかわらずさほど大きくはなく、20%程度。

「そんな驚くようなことかねェ、兄者。分類すれば古典的な髑髏鬼(どくろおに)だよ。さほど強敵じゃ……」

「いや。よく見ろ!!」

 幻海が鋭く叫ぶや否や、立ち上がってきていた髑髏鬼たちに変化が訪れる。

 ぐるん、と、何かが裏返るような歪み方をした髑髏鬼が、その姿を変える。
 単なる白骨死体から、明かにこの世でも魔界のそれでもない奇怪な「何か」に変化していく。

 触手の先にうすぼんやり発光する球体をつけた、全身触手まみれの巨大ナメクジのようなもの。
 通常の五、六倍ほどもある人間の頭部が、無数に融合した灰色の塊。
 青と緑の二重螺旋を描く管のようなものの中に、赤い光が走り回る「何か」。

 そんな形容しようのない奇怪な何者かが、死骸に変わって無限かと思われる数湧いてくる。

「おかしいと思った。これは死骸に霊が戻って来たやつじゃないぞ」

 幻海が、自らの身に霊光鏡反衝を纏わせ、身構える。

「苦痛に満ちた死を経験した死骸を媒介にして、『呼ばれざる者』の眷属を地上に召喚しているのさ。生贄そのもので『呼ばれざる者』を強化し、地上に残った残骸は眷属を送り込む媒体になる。上手いこと考えたもんだな」

 霊光弾を放とうと、幻海が拳に意識を集中した時。

「流石幻海師範だなァ!? よくぞ気付いたぜァ!!」

 いつの間にか。
 生贄の広場の向こう側、大きな切株の上に、あの燕尾服の男が立ってくるくる踊るように手足を動かしていたのだ。
 傍らには、あの鎖で繋がれた女の子。

「だがよゥ。これはどうだァ!?」

 ふと、その女の子が前に進み出て華奢な腕を広げる。
 腕を広げた空間の中に薄黒い渦が湧き、青い光の筋を引いた弾丸が、眷属たちの頭上に降り注ぐ。
 豪雨のようなその不吉な光に曝された眷属が、見る間に数倍の体格へと成長していったのだった。
69/88ページ
スキ