螺旋より外れて
「……どちら様だね、あんた」
戸愚呂弟が、のんびりとさえ聞こえる声音で問い質す。
戸愚呂兄は鋭い目を底光らせる。
「それ」は、ゆったり見えるが妙に滑らかな動きで、ついっと戸愚呂兄弟に近付いて来る。
「わたくしは、この森で……そうですね、お客様のお迎えをさせてもらっている者です。名を奸録(かんろく)と申します」
異形ながらも優雅に見える仕草で、奸録は兄弟に一礼する。
「……この森で生贄を受け取っている、禍報さんの配下か何かかい」
弟は兄と共に警戒しながら、サングラスの下から探るような視線を送る。
「まあ、そのようなものですが。そんなことより、あなた方は生贄にしたい相手がいるご様子。そのご相談を承りたいと思いましてね」
奸録のいきなりの提案に、戸愚呂の兄と弟が妙な沈黙を落とす。
「おいてめえ。そりゃどういう意味だ。俺らは生贄なんぞ」
兄が唸ると、奸録は息が漏れるような奇怪な笑い声を立てる。
構わず、奸録は続ける。
「わかりますよ。永夜、目ざわりですよね。ああいう『表面上は清廉潔白だけど裏がある』タイプは信用できない。まあね、完全な魔族でもなく、ほとんど人間界で暮らしているのに、特に大きな傷もなく七百歳になっているようなのは、その時点でまともじゃありませんけどね」
「……ずいぶん、永夜さんに恨みがあるみたいじゃないかね」
戸愚呂弟が静かに水を向ける。
「そりゃあそうですよ。彼のお陰で、我らは大きく『誤解』されてますからねえ」
奸録は大げさに長い腕を広げる。
人間的な「顔」などないのに、やけに感情表現は豊富である。
「誤解だって?」
戸愚呂弟は戸愚呂兄と一瞬だけ目を見交わす。
「そうです。例えば、あなた方、永夜には我らが『罪がない誰かを一方的に生贄にしている』って吹き込まれているでしょう?」
奸録はやれやれというように。
「違うって言いたいのかい?」
弟は警戒心を掻き立てられ、軽く足を広げて身構える。
「ええ、ええ、そりゃあもう、大幅に違います」
奸録は更に大きく腕を広げて、緑に塗りつぶされる天を仰ぐ。
「我らが求める生贄は、『その者を苦しめる悪人』ですよ。つまり、犠牲者だった者が神に加害者を裁いていただくのです。その行為を、永夜たちのような立場が違う者が『一方的な生贄』と表現しているだけですよ」
罪人の魂を浄化吸収することで、我が神の力も増し、そして虐げられるばかりだった信者も救われるのです。
決して邪なシステムではありませんよ。
奸録の言い草に、兄弟は静かだ。
奸録は更に続ける。
「この合理的な救済のシステムを、他の神々は嫉妬しています。だから、こぞって止めようとしてくる訳です。まあ、わかりますよ、自分たちのシステムが不合理で、信者に要求するばかりで、大半の者にとって、何ら有効性がないと明かにしてしまいますからねえ」
永夜みたいに少数の実働部隊以外に大した恩恵はないのが「旧システム」なのです。
しかし、我らが神の「新システム」は違う。
誰でも実行できる行為で、素早く神の恩恵を受けられ、信者は皆平等です。
しかし、それを認めない神仏の「旧システム」の守護者たるのが永夜です。
彼がいなくなれば、多くの人が真実に触れることができるでしょう。
もちろん、あなた方ご兄弟も。
戸愚呂兄弟は、奸録のその言葉にこぞって不審な顔を見せる。
「俺たちは、あんたのところの神様の信者って訳じゃないがねェ?」
弟が静かに口にすると、妙に朗らかに奸録は笑う。
「『新システム』はもっとフレキシブルですよ。信者になる、入信する、などと大仰に構える必要はないのです。神に裁いて欲しい人物を選ぶだけ。それを我らが神が受け取りさえすれば、あなた方は恩恵を受け取れます」
兄弟が顔を見合せる。
奸録はここだとばかりに声を強める。
「さあ、永夜を我が神に捧げると誓ってください。それだけで、あなた方の苦しみは終わるのです。幻海さんとのことは、あなた方のやり方でいいのですよ」
ともかく、今は永夜の排除を優先せねば、そうでしょう?
戸愚呂兄の目が泳ぐ。
その時、戸愚呂弟が軽く鼻を鳴らす。
「その次のやり方はわかるよ。永夜さんを排除したら、次は俺たち兄弟同士に、どっちが幻海の相手か決めるために、殺し合えと囁く気だろう?」
奸録の動きが止まり、戸愚呂兄が肩の上で、ぎょっとしたように弟を見やる。
「各個撃破は仕掛けてくるとは思っていたが、こういうやり方とはねェ。シュムバさんとニシュムバさんの話を聞いていて良かった。全くそのまんまじゃないかね」
戸愚呂兄がはたと我に返ったように。
「ちっ……変に美味い話だと思ったら」
「兄者、あんたちょっと安易に美味い話に食いつきすぎじゃないのか? そんなことで幻海に胸を張れるのか? 一人の男として? 頭を冷やすんだね」
兄はぐらりと来た自分が恥ずかしいのか、唸って黙り込む。
「ふん……半端妖怪風情が、なかなかやるじゃありませんか。それなりに場数を踏んでいるようですね」
奸録がなじると、弟はにやりと笑う。
「永夜さんを殺した後に、いそいそと幻海にすり寄る自分を想像したらいたたまれなくなっただけだよ。あたしはねェ、せめてあいつの前くらいではかっこつけたいのさ」
「この詐欺野郎、ただじゃ済まねえぞ!!」
兄が一瞬で変身する。
現れたのは、巨大な剣。
妙にうねった刀身を持つ、何色とも形容し難い剣だ。
「ふん、また弟頼り……」
奸録がせせら笑いつつ、虚空に無数の鋭角の図形と思しい何かを現出させる。
それが弾丸のように戸愚呂兄弟に向かい……
が。
さくりと軽い音がしたように思われた。
「馬鹿な……そんな……」
胸の真ん中を戸愚呂兄の変じた剣に一瞬で貫かれた奸録が、ゆっくり背後に倒れていく。
その剣は誰にも握られていない。
伝説の踊る剣のように、戸愚呂兄自身である剣は、ひとりでに一瞬で奸録を斬殺したのだ。
まるでインクが紙に吸い上げられるように、奸録の体が、黒い粒子に分解されて見る間に戸愚呂兄の刀身に吸い込まれていく。
「覚えて……おける訳がねえか。こいつはな、おめえの持ってる『時』を吸い取ってるんだよ。おめえは二度と『時』の中に存在できねェ」
数千年は下らないであろう魔族の持つ「時」を瞬く間に吸いつくした戸愚呂兄は、剣の姿のまま笑う。
しかし。
同時に、弟の立つ地面が揺れる。
彼らの足元に生えていたラッパ状の花から、けばけばしい色の煙が吐き出される。
花自身がうねり、その中心から触手状の何かが這い出す。
「ぬゥん!!」
戸愚呂弟が一瞬で筋肉操作を行う。
見たところ、そう大きくはない。
「ま、20%ってところだねェ」
戸愚呂弟は筋肉に纏いつかせた力の波動をそのまま地面に叩きつける。
大地震のように地面が鳴動し、一瞬でクレーターでもできたかのように、森の植物が朽ちて塵となり溶け消える。
戸愚呂兄弟中心に、ぽっかりと森が消えた空虚な空間が残る。
「ちっくしょー。胸糞悪い。さっさと幻海と永夜探しに行くぞ!!」
兄がすいっと剣のまま空中を滑ってきて、弟の肩の上で人型に戻る。
「あー、この能力に慣れていないせいか、何か腹が減るなー。弁当でも持ってくりゃ良かった」
兄がブー垂れる。
「弁当って。ピクニックじゃないぞ」
弟が苦笑する。
「永夜のピクニック弁当美味くてよー」
「まあ、この件が終わったら頼んでみたらどうかね」
どうだっていい軽口を叩きながら、戸愚呂兄弟は、空中の霊気を探り、ある方向に歩き出したのだった。
戸愚呂弟が、のんびりとさえ聞こえる声音で問い質す。
戸愚呂兄は鋭い目を底光らせる。
「それ」は、ゆったり見えるが妙に滑らかな動きで、ついっと戸愚呂兄弟に近付いて来る。
「わたくしは、この森で……そうですね、お客様のお迎えをさせてもらっている者です。名を奸録(かんろく)と申します」
異形ながらも優雅に見える仕草で、奸録は兄弟に一礼する。
「……この森で生贄を受け取っている、禍報さんの配下か何かかい」
弟は兄と共に警戒しながら、サングラスの下から探るような視線を送る。
「まあ、そのようなものですが。そんなことより、あなた方は生贄にしたい相手がいるご様子。そのご相談を承りたいと思いましてね」
奸録のいきなりの提案に、戸愚呂の兄と弟が妙な沈黙を落とす。
「おいてめえ。そりゃどういう意味だ。俺らは生贄なんぞ」
兄が唸ると、奸録は息が漏れるような奇怪な笑い声を立てる。
構わず、奸録は続ける。
「わかりますよ。永夜、目ざわりですよね。ああいう『表面上は清廉潔白だけど裏がある』タイプは信用できない。まあね、完全な魔族でもなく、ほとんど人間界で暮らしているのに、特に大きな傷もなく七百歳になっているようなのは、その時点でまともじゃありませんけどね」
「……ずいぶん、永夜さんに恨みがあるみたいじゃないかね」
戸愚呂弟が静かに水を向ける。
「そりゃあそうですよ。彼のお陰で、我らは大きく『誤解』されてますからねえ」
奸録は大げさに長い腕を広げる。
人間的な「顔」などないのに、やけに感情表現は豊富である。
「誤解だって?」
戸愚呂弟は戸愚呂兄と一瞬だけ目を見交わす。
「そうです。例えば、あなた方、永夜には我らが『罪がない誰かを一方的に生贄にしている』って吹き込まれているでしょう?」
奸録はやれやれというように。
「違うって言いたいのかい?」
弟は警戒心を掻き立てられ、軽く足を広げて身構える。
「ええ、ええ、そりゃあもう、大幅に違います」
奸録は更に大きく腕を広げて、緑に塗りつぶされる天を仰ぐ。
「我らが求める生贄は、『その者を苦しめる悪人』ですよ。つまり、犠牲者だった者が神に加害者を裁いていただくのです。その行為を、永夜たちのような立場が違う者が『一方的な生贄』と表現しているだけですよ」
罪人の魂を浄化吸収することで、我が神の力も増し、そして虐げられるばかりだった信者も救われるのです。
決して邪なシステムではありませんよ。
奸録の言い草に、兄弟は静かだ。
奸録は更に続ける。
「この合理的な救済のシステムを、他の神々は嫉妬しています。だから、こぞって止めようとしてくる訳です。まあ、わかりますよ、自分たちのシステムが不合理で、信者に要求するばかりで、大半の者にとって、何ら有効性がないと明かにしてしまいますからねえ」
永夜みたいに少数の実働部隊以外に大した恩恵はないのが「旧システム」なのです。
しかし、我らが神の「新システム」は違う。
誰でも実行できる行為で、素早く神の恩恵を受けられ、信者は皆平等です。
しかし、それを認めない神仏の「旧システム」の守護者たるのが永夜です。
彼がいなくなれば、多くの人が真実に触れることができるでしょう。
もちろん、あなた方ご兄弟も。
戸愚呂兄弟は、奸録のその言葉にこぞって不審な顔を見せる。
「俺たちは、あんたのところの神様の信者って訳じゃないがねェ?」
弟が静かに口にすると、妙に朗らかに奸録は笑う。
「『新システム』はもっとフレキシブルですよ。信者になる、入信する、などと大仰に構える必要はないのです。神に裁いて欲しい人物を選ぶだけ。それを我らが神が受け取りさえすれば、あなた方は恩恵を受け取れます」
兄弟が顔を見合せる。
奸録はここだとばかりに声を強める。
「さあ、永夜を我が神に捧げると誓ってください。それだけで、あなた方の苦しみは終わるのです。幻海さんとのことは、あなた方のやり方でいいのですよ」
ともかく、今は永夜の排除を優先せねば、そうでしょう?
戸愚呂兄の目が泳ぐ。
その時、戸愚呂弟が軽く鼻を鳴らす。
「その次のやり方はわかるよ。永夜さんを排除したら、次は俺たち兄弟同士に、どっちが幻海の相手か決めるために、殺し合えと囁く気だろう?」
奸録の動きが止まり、戸愚呂兄が肩の上で、ぎょっとしたように弟を見やる。
「各個撃破は仕掛けてくるとは思っていたが、こういうやり方とはねェ。シュムバさんとニシュムバさんの話を聞いていて良かった。全くそのまんまじゃないかね」
戸愚呂兄がはたと我に返ったように。
「ちっ……変に美味い話だと思ったら」
「兄者、あんたちょっと安易に美味い話に食いつきすぎじゃないのか? そんなことで幻海に胸を張れるのか? 一人の男として? 頭を冷やすんだね」
兄はぐらりと来た自分が恥ずかしいのか、唸って黙り込む。
「ふん……半端妖怪風情が、なかなかやるじゃありませんか。それなりに場数を踏んでいるようですね」
奸録がなじると、弟はにやりと笑う。
「永夜さんを殺した後に、いそいそと幻海にすり寄る自分を想像したらいたたまれなくなっただけだよ。あたしはねェ、せめてあいつの前くらいではかっこつけたいのさ」
「この詐欺野郎、ただじゃ済まねえぞ!!」
兄が一瞬で変身する。
現れたのは、巨大な剣。
妙にうねった刀身を持つ、何色とも形容し難い剣だ。
「ふん、また弟頼り……」
奸録がせせら笑いつつ、虚空に無数の鋭角の図形と思しい何かを現出させる。
それが弾丸のように戸愚呂兄弟に向かい……
が。
さくりと軽い音がしたように思われた。
「馬鹿な……そんな……」
胸の真ん中を戸愚呂兄の変じた剣に一瞬で貫かれた奸録が、ゆっくり背後に倒れていく。
その剣は誰にも握られていない。
伝説の踊る剣のように、戸愚呂兄自身である剣は、ひとりでに一瞬で奸録を斬殺したのだ。
まるでインクが紙に吸い上げられるように、奸録の体が、黒い粒子に分解されて見る間に戸愚呂兄の刀身に吸い込まれていく。
「覚えて……おける訳がねえか。こいつはな、おめえの持ってる『時』を吸い取ってるんだよ。おめえは二度と『時』の中に存在できねェ」
数千年は下らないであろう魔族の持つ「時」を瞬く間に吸いつくした戸愚呂兄は、剣の姿のまま笑う。
しかし。
同時に、弟の立つ地面が揺れる。
彼らの足元に生えていたラッパ状の花から、けばけばしい色の煙が吐き出される。
花自身がうねり、その中心から触手状の何かが這い出す。
「ぬゥん!!」
戸愚呂弟が一瞬で筋肉操作を行う。
見たところ、そう大きくはない。
「ま、20%ってところだねェ」
戸愚呂弟は筋肉に纏いつかせた力の波動をそのまま地面に叩きつける。
大地震のように地面が鳴動し、一瞬でクレーターでもできたかのように、森の植物が朽ちて塵となり溶け消える。
戸愚呂兄弟中心に、ぽっかりと森が消えた空虚な空間が残る。
「ちっくしょー。胸糞悪い。さっさと幻海と永夜探しに行くぞ!!」
兄がすいっと剣のまま空中を滑ってきて、弟の肩の上で人型に戻る。
「あー、この能力に慣れていないせいか、何か腹が減るなー。弁当でも持ってくりゃ良かった」
兄がブー垂れる。
「弁当って。ピクニックじゃないぞ」
弟が苦笑する。
「永夜のピクニック弁当美味くてよー」
「まあ、この件が終わったら頼んでみたらどうかね」
どうだっていい軽口を叩きながら、戸愚呂兄弟は、空中の霊気を探り、ある方向に歩き出したのだった。