螺旋より外れて

「ほう。面白い戦法だねェ」

 戸愚呂弟がどこへともなく上着を放り投げて消し、肩の上の戸愚呂兄を斧に変形させて無数の樹木獣を薙ぎ払い……

 と、いきなり戸愚呂兄弟が消える。
 戸愚呂兄の武態の斧がその樹木獣に触れた途端、まるで空間のレイヤーを消し去ったように、戸愚呂兄弟が綺麗に消えたのだ。

「なっ……」

 さしもの幻海が目を見開く。
 唐突過ぎる。

「しまった、この怪物に触れるとどこかに転移させられる……!!」

 永夜が事態を理解した時には遅い。
 幻海も永夜も、崩れるように襲い掛かって来る樹木獣に押され、一瞬でどこかに転移させられていたのだ。

「あひゃひゃひゃひゃ!!」

 女の子を鎖で繋いだ男が甲高い笑い声を上げる。

「まあ、自分たちに相応しい場所に行けばいいさ。仲間にはすぐに会えるだろうよ!!」

 なあ、と顔を覗き込まれた女の子が、鎖に引っ張られてぐらぐら揺れる。
 意思が感じられず、生気のないその動きは、自分のこれからの運命を悟っているかのようだ。


 ◇ ◆ ◇

「ほお。これは。うまいこと考えたもんだねェ」

「感心してる場合かよバカ弟。ハメられたんだっつーの」

 武態を解除した戸愚呂兄が、弟を小突く。
 兄弟がいるのは、森の中には違いないが、先ほどの場所ではないとはっきりわかる一角。
 外周に近かった先ほどの場所からかなり内部に入った部分であろう。
 一際暗く、地面では木の根が大蛇の群れのように絡み合い、その間から、奇妙な形の大輪の花が、地面からカラフルなラッパが生えているかのようにそそり立っている。
 空気は湿って生暖かく、甘ったるい匂いがする。
 戸愚呂弟は、上半身裸のまま、兄を肩に乗せて、周囲を見回す。

「ふん。で、どこに飛ばされたんだろうねェ。同じ森の中みたいだが」

 単純にランダムに森の中に飛ばして孤立させ、各個撃破を狙う作戦なのではないだろう、と戸愚呂弟は推測する。
 何か裏があるはずだ。
 そうでなくては、宿神を得る、もしくはリンクした戦士を倒すことなどできないはずだ。

 それより。

「……前から訊きたかったんだがよ」

 唐突に、戸愚呂兄が弟に問いかける。

「……何だい、急に」

 戸愚呂弟はいきなり雰囲気の変わった兄を訝しむ。

「おめェ、幻海と昔デキてただろ」

 兄の言葉に、弟の肩がぴくり、と震えたように見える。

「……何でそんな風に思うんだい」

「覚えてるさ。ある時、半日くらい両方とも姿が見えなくなって、戻って来たと思ったらベタベタするようになりやがって。あれじゃ、周り中にデキてますって宣言してるようなモンだろうが」

 けけけと笑われ、弟は沈黙する。
 それが何よりの答えである。

「オメーもよくやるぜ。あんなことがあったとはいえ、昔の女の心臓えぐって殺したんだってなァ? どんな気分がしたよ、え?」

 あんなこととは、弟子が殺された事件であろう。
 あの前後で、戸愚呂弟はある意味別人になったのだ。
 それは、兄としてもよくわかっていることのはずである。

「……あんたに、人のことが言えるかい」

 弟は、短く息を吐き、意を決したように。

「武術会の時、あそこまで幻海を罵り倒すとは思わなかった。何で、あいつをあそこまで憎んでたんだ? あんただって、昔は幻海にしょっちゅう色目を使ってたじゃないかね? あんたみたいなのが、本気で惚れたのって幻海くらいだろ」

 兄は、フン、と鼻を鳴らす。

「そうだな。なんか面白くなくってさ。弟子なんか取って、俺たちを尻目に『人間としての人生全うします』って感じのアイツが」

 けらけらと、兄が笑う。
 どこか悲鳴じみているなと、弟は思う。

「そうじゃなくてな、オメーの話だよ。オメー、幻海に未練タラタラじゃねーか。そのイキッたグラサンかけてれば、オメーが幻海を目で追っているのが誤魔化せるとでも思ったのかよ。相変わらずのアホだなオメーは」

 弟は何か言いかけて、やはり口を閉じるを二度ほど繰り返した後。

「……何で、幻海を殺しちまったのか、自分でもよくわからないんだ。今思い出せるのは、是が非でもそうしなければならないっていう気がした、それだけなんだよ」

 言い訳でしかない。
 だが、そうとしか言いようがないんだ。

 ややうつむいてそんなことを呟く弟を、兄は容赦なく嘲笑う。

「ヨリを戻したいとかかよ!? 図々しいなァ、流石に俺の弟だぜァ!!」

 弟は、かすかに溜息をつく。

「……無理なのはわかっている」

「ほーん。オメーは引くのか。じゃあ、俺が出ようかな」

 兄の唐突な言葉に、弟がぎょっとしたように顔を上げる。
 兄はますますケラケラと。

「何を驚いた顔してやがる? オメーは諦めるんだろ? じゃあ、俺がもらって悪いことあんのか?」

「……弟の昔の女を自分の女にする気か」

「そうだ、それの何がいけねえ? 俺は女の過去になんか何の興味もねえよ。これから俺に応じてくれさえすりゃあな」

 兄のふてぶてしい回答に、弟は本格的に溜息を落とす。
 そうだ、兄はこういう男だ。

「……だがな。それには問題がある。気付いているだろ?」

 兄の口調が変わったのを、弟は怪訝な表情で応じる。

「何の話だ」

「……永夜だよ。幻海と永夜、仲良いよなァ」

 思いもしなかったことを告げられ、弟はサングラスの下で目を瞬かせる。

「そんな気配は」

「そうか? 客観的に言って似合いだと思わねえのか? 忘れてんじゃねえか? 幻海って本職は尼だぜ? で、永夜も同じ宗派の坊主だって話じゃねえか?」

 条件は合う。
 おまけに弟子の兄貴っていう一種の身内。
 永夜の方にちらっと聞いたが、あいつ、700年前に嫁と死別して以来、特に相手はいないらしいなあ。
 こっちも問題ねェ。

「……」

 弟は努めてポーカーフェイスを貫くが、頭の中で兄の投げ寄越した情報がぐるぐる回る。

「正直、永夜は嫌いじゃねえよ。それどころか、かなり好きだ。だがな、幻海を渡せるかとなったら話は別だ」

 珍しく、兄の言葉に完全に同意できる、と、弟は断じる。

 と。

 ゆらゆらと、地面から伸びている花が揺れ出す。
 まるで何かが掻き分けているように。

「……イケニエを欲している匂いがしますね」

 低い、快い声が近付いてくる。
 戸愚呂兄弟は、油断なく構える。
 誰かいる。

「わかりますよ。あの永夜でしょう? 邪魔ですよね? 妙に気取っって善人ぶった信用のならない男。排除したいとお思いなんじゃないですか?」

 がさり。

 花の群れをかきわけて、異様な風体の何かが、兄弟の目の前に進み出て来る。

 魔族、だろうか?

 深緑色の皮膚、地面に届くような長い腕の先端には剣のような爪。
 顔はあるのだろうが、それだと思しい部分には小さな穴がぽつりと開いているだけ。

 その魔族らしき者は口にする。

「イケニエを捧げなさい。今更少し穢れても、あなた方ならそんなに問題ありませんから」
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