螺旋より外れて
戸愚呂弟は、食べている。
戸愚呂兄も、その横で食べている。
幻海の寺の居間。
重厚な造りの座卓に並んであぐらをかいて、兄弟は食べている。
戸愚呂弟はサングラスを外し、食熱が差しているのか、上着を脱いでタンクトップだけになっている。
向かい合って幻海も食べているが、兄弟ほどがっついてはいない。
それでも美味そうに食べている。
一日は暮れようとしている。
雪見障子から差し込む夕暮れ時の蜂蜜色の光。
かすかな風に、寺の庭木の枝葉も、周囲を囲む山林の緑の重なりも、さわさわ揺れて心地よいざわめきを響かせる。
鳥の声が一日の終わりを告げている。
まるで数年がかりの旅を終えたような思いを抱く、幻海と戸愚呂兄弟の食べているメニューは、
・ごろごろ豚肉と春キャベツの甘酢炒め
・玉子巾着
・海老団子入り春雨スープ
・白飯
肉体は再生しても、胃の中身は空っぽな状態のため、冥獄界から帰ってすぐ異様な空腹に襲われたのは戸愚呂弟。
彼のために、永夜は前もって仕込んでおいた材料で、得意の料理を振舞ったのだ。
春キャベツはじめ、春野菜をふんだんに使い、大きめに切った豚肉を炒め合わせた甘酢炒めは、戸愚呂弟の好みの真ん中だったようで、彼は一心不乱に食いついている。
個人が食べるにしてはかなり大きめの皿を使っているのだが、その皿の中身も見る間に減っていく。
戸愚呂兄も似たようなもので、子供のような体のどこにこんなにと思う程に掻き込んでいる。
「皆様、おかわりはいかがですか?」
永夜が他三人に比べれば控えめに食べている食事の手を休めて、空っぽになりかけている彼らの皿に目を留める。
「……すみませんね、おかわりお願いします、永夜さん」
戸愚呂弟が差し出したのは、甘酢炒めの大皿と春雨スープの椀。
「いや……物理的に腹が空っぽになるってのは恐ろしいモンですな。あなた方ご兄弟のお父上の、お話に聞いた物凄さを思わずにはいられませんな……」
永夜から、自分と弟幽助の父親というのが、魔界三王の一人雷禅で、彼は兄弟の母親と死別してから数百年間絶食していたという話を今しがた聞いたばかりの戸愚呂弟は、肉体の耐久力の差を感じざるを得ない。
それすなわち、妖力の差でありどうしようもないことなのだが。
同時に、自分が幽助に負けた訳も、より腑に落ちたというもの。
「しょうがねーだろ。俺らも明日にはそのS級だかなんか以上になりに行くんだっての、焦るなよ。あ、ガキンチョ、俺はこっちのおかわりな」
戸愚呂兄は弟と同じく甘酢炒めと春雨スープの皿を差し出す。
「あたしもおかわりいただこうか。今日は疲れちまったね」
幻海も、甘酢炒めと玉子巾着の皿を永夜に寄越す。
ふうと彼女は溜息をつき、
「街中を見て来ただろう? あれが、弟に化けた『呼ばれざる者』の手先が暴れた跡さ。自分たちを贔屓にしていることがわかり切っている運営のいる武術大会、なんてお膳立てされた生ぬるい舞台は二度とない」
おかわりをよそいに台所に向かう永夜を見送りながら、幻海は口を開く。
にわかに真剣な表情で、兄弟を見据える。
「……霊界でコエンマにもちょっと説明されただろう? 弟、あんたの弟子をいたぶり殺した潰煉も、間違いなく『呼ばれざる者』の影響下にあった。何せ、霊界の閻魔大王は、そいつらの方針に従って妖怪の一部を洗脳し、犯罪を起こさせていたんだからな」
幻海の静かな視線を受け止め、戸愚呂弟は小さく、何かおかしいとは思ったような気がしたさ、途中で考えるのをやめたがね、と呟く。
幻海は更に続ける。
「洗脳した妖怪の名簿の中に『潰煉』の名前があったって言われたろう。奴らの狙った『生贄』は、あんたの弟子ばかりでなく、行きつく先はあんた自身さ、弟。だって最終的にあんたは冥獄界に放り込まれた。自分の意思だったかも知れないが、その実、奴らの巧みな策に乗せられていた面がないとは言えない」
幻海は断言する。
戸愚呂弟は何も言わない。
ゆっくりした動作で、ほうじ茶の注がれた湯のみを口に運ぶ。
「何でも、奴らにとって上等な生贄ってのは、なるべく優秀な人間や魔族、霊界人であればあるほど良いんだそうだ。本来なら世界に良い影響を与えられる優秀な人材を潰し、世界に逆に悪影響を与えるように歪め、最終的に非業の最期を迎えさせるのが最上等な生贄のあり方なんだそうだ。まるであんたの説明みたいじゃないか」
戸愚呂弟は、重い息を吐く。
「……『呼ばれざる者』の話を聞いた時から気になっていたことがある。俺を雇っていた、左京。あの人も、もしかしたら『呼ばれざる者』の……」
「永夜の調査によると、間違いなく左京も『呼ばれざる者』の援助を受けていただろうということだ。そもそも、どんな剛運と度胸があったとしても、ごく普通の民間人の家に生まれた若造が、あの若さで闇の世界でのしあがったのは不自然だとさ。かなり強力な援助があったとのこと、それが三界全部に影響力のある『呼ばれざる者』勢力だとすると、全部に筋が通るな」
それに反応したのは戸愚呂兄の方。
「ちっ!! ナメやがって、俺も弟も、その『呼ばれざる者』の掌の上だったってことか!!」
幻海は小さく溜息を落とし、兄弟を見据える。
「こういう存在がいるだろうっていうのは、昔から各種宗教の中では連綿と伝えられてきた。だが、ここまで広範囲で具体的な影響力を持っているのが明かになったのは最近のことだ。奴らも方針を変えて来たということだ。裏で動くのではなく、表の世界を支配しようとな。あたしもお前さんらも、その時代の渦に巻き込まれざるを得ないのさ」
どこにも逃げ場所なんかないくらい、奴らは世界のあちこちに食い込んでいる。
地獄でさえ、あんたの逃げ場所じゃなくなったということさ、弟。
断言され、戸愚呂弟は、苦々しくどこか寂しげな笑みを浮かべる。
「地獄でさえ、逃げ場じゃない……か。世知辛い世の中になったねェ」
幻海は、静かな揺るがぬ瞳で、弟を見据える。
「あんたが地獄に引きこもったままじゃ、あんたばかりか、殺されたあんたの弟子たちも、ただの生贄のままだ。奴らのエサとして死んだということが固定しちまう。それを拒否するというのなら、奴らと正面切って戦うしかない。自分と自分の大事な者の生と死の意味を汚されたくないなら、戦って勝ち取るしかない。そういう時代になったのさ」
まあ、と殊更澄ました口調で、幻海は付け加える。
「あんたが地獄に戻りたいといっても、あたしが許さないけどな。あんたに勝ったのはあたしで、一時的にあんたを使い魔契約で従わせている。嫌だと言っても、あんたには『呼ばれざる者』に対する戦力になってもらうよ」
文句は受け付けない。
悔しかったら、とっととあたしに勝てるように頑張るんだね。
横柄ないつもの言い草に戸愚呂弟はふっと、妙に優しく微笑む。
そうだ、忘れていたような気がする。
幻海とはこういう奴で、だから生きている間に伝説的な人物となったのだ。
俺は戦う者として、俺が正しいと思っていたが、今となっては。
「幻海。俺は……」
戸愚呂が言いかけた時。
「お待たせしました、おかわりお持ちしましたよー!!」
永夜がタイミング悪く、より美味しそうなおかわりを持って戻って来たのだった。
戸愚呂兄も、その横で食べている。
幻海の寺の居間。
重厚な造りの座卓に並んであぐらをかいて、兄弟は食べている。
戸愚呂弟はサングラスを外し、食熱が差しているのか、上着を脱いでタンクトップだけになっている。
向かい合って幻海も食べているが、兄弟ほどがっついてはいない。
それでも美味そうに食べている。
一日は暮れようとしている。
雪見障子から差し込む夕暮れ時の蜂蜜色の光。
かすかな風に、寺の庭木の枝葉も、周囲を囲む山林の緑の重なりも、さわさわ揺れて心地よいざわめきを響かせる。
鳥の声が一日の終わりを告げている。
まるで数年がかりの旅を終えたような思いを抱く、幻海と戸愚呂兄弟の食べているメニューは、
・ごろごろ豚肉と春キャベツの甘酢炒め
・玉子巾着
・海老団子入り春雨スープ
・白飯
肉体は再生しても、胃の中身は空っぽな状態のため、冥獄界から帰ってすぐ異様な空腹に襲われたのは戸愚呂弟。
彼のために、永夜は前もって仕込んでおいた材料で、得意の料理を振舞ったのだ。
春キャベツはじめ、春野菜をふんだんに使い、大きめに切った豚肉を炒め合わせた甘酢炒めは、戸愚呂弟の好みの真ん中だったようで、彼は一心不乱に食いついている。
個人が食べるにしてはかなり大きめの皿を使っているのだが、その皿の中身も見る間に減っていく。
戸愚呂兄も似たようなもので、子供のような体のどこにこんなにと思う程に掻き込んでいる。
「皆様、おかわりはいかがですか?」
永夜が他三人に比べれば控えめに食べている食事の手を休めて、空っぽになりかけている彼らの皿に目を留める。
「……すみませんね、おかわりお願いします、永夜さん」
戸愚呂弟が差し出したのは、甘酢炒めの大皿と春雨スープの椀。
「いや……物理的に腹が空っぽになるってのは恐ろしいモンですな。あなた方ご兄弟のお父上の、お話に聞いた物凄さを思わずにはいられませんな……」
永夜から、自分と弟幽助の父親というのが、魔界三王の一人雷禅で、彼は兄弟の母親と死別してから数百年間絶食していたという話を今しがた聞いたばかりの戸愚呂弟は、肉体の耐久力の差を感じざるを得ない。
それすなわち、妖力の差でありどうしようもないことなのだが。
同時に、自分が幽助に負けた訳も、より腑に落ちたというもの。
「しょうがねーだろ。俺らも明日にはそのS級だかなんか以上になりに行くんだっての、焦るなよ。あ、ガキンチョ、俺はこっちのおかわりな」
戸愚呂兄は弟と同じく甘酢炒めと春雨スープの皿を差し出す。
「あたしもおかわりいただこうか。今日は疲れちまったね」
幻海も、甘酢炒めと玉子巾着の皿を永夜に寄越す。
ふうと彼女は溜息をつき、
「街中を見て来ただろう? あれが、弟に化けた『呼ばれざる者』の手先が暴れた跡さ。自分たちを贔屓にしていることがわかり切っている運営のいる武術大会、なんてお膳立てされた生ぬるい舞台は二度とない」
おかわりをよそいに台所に向かう永夜を見送りながら、幻海は口を開く。
にわかに真剣な表情で、兄弟を見据える。
「……霊界でコエンマにもちょっと説明されただろう? 弟、あんたの弟子をいたぶり殺した潰煉も、間違いなく『呼ばれざる者』の影響下にあった。何せ、霊界の閻魔大王は、そいつらの方針に従って妖怪の一部を洗脳し、犯罪を起こさせていたんだからな」
幻海の静かな視線を受け止め、戸愚呂弟は小さく、何かおかしいとは思ったような気がしたさ、途中で考えるのをやめたがね、と呟く。
幻海は更に続ける。
「洗脳した妖怪の名簿の中に『潰煉』の名前があったって言われたろう。奴らの狙った『生贄』は、あんたの弟子ばかりでなく、行きつく先はあんた自身さ、弟。だって最終的にあんたは冥獄界に放り込まれた。自分の意思だったかも知れないが、その実、奴らの巧みな策に乗せられていた面がないとは言えない」
幻海は断言する。
戸愚呂弟は何も言わない。
ゆっくりした動作で、ほうじ茶の注がれた湯のみを口に運ぶ。
「何でも、奴らにとって上等な生贄ってのは、なるべく優秀な人間や魔族、霊界人であればあるほど良いんだそうだ。本来なら世界に良い影響を与えられる優秀な人材を潰し、世界に逆に悪影響を与えるように歪め、最終的に非業の最期を迎えさせるのが最上等な生贄のあり方なんだそうだ。まるであんたの説明みたいじゃないか」
戸愚呂弟は、重い息を吐く。
「……『呼ばれざる者』の話を聞いた時から気になっていたことがある。俺を雇っていた、左京。あの人も、もしかしたら『呼ばれざる者』の……」
「永夜の調査によると、間違いなく左京も『呼ばれざる者』の援助を受けていただろうということだ。そもそも、どんな剛運と度胸があったとしても、ごく普通の民間人の家に生まれた若造が、あの若さで闇の世界でのしあがったのは不自然だとさ。かなり強力な援助があったとのこと、それが三界全部に影響力のある『呼ばれざる者』勢力だとすると、全部に筋が通るな」
それに反応したのは戸愚呂兄の方。
「ちっ!! ナメやがって、俺も弟も、その『呼ばれざる者』の掌の上だったってことか!!」
幻海は小さく溜息を落とし、兄弟を見据える。
「こういう存在がいるだろうっていうのは、昔から各種宗教の中では連綿と伝えられてきた。だが、ここまで広範囲で具体的な影響力を持っているのが明かになったのは最近のことだ。奴らも方針を変えて来たということだ。裏で動くのではなく、表の世界を支配しようとな。あたしもお前さんらも、その時代の渦に巻き込まれざるを得ないのさ」
どこにも逃げ場所なんかないくらい、奴らは世界のあちこちに食い込んでいる。
地獄でさえ、あんたの逃げ場所じゃなくなったということさ、弟。
断言され、戸愚呂弟は、苦々しくどこか寂しげな笑みを浮かべる。
「地獄でさえ、逃げ場じゃない……か。世知辛い世の中になったねェ」
幻海は、静かな揺るがぬ瞳で、弟を見据える。
「あんたが地獄に引きこもったままじゃ、あんたばかりか、殺されたあんたの弟子たちも、ただの生贄のままだ。奴らのエサとして死んだということが固定しちまう。それを拒否するというのなら、奴らと正面切って戦うしかない。自分と自分の大事な者の生と死の意味を汚されたくないなら、戦って勝ち取るしかない。そういう時代になったのさ」
まあ、と殊更澄ました口調で、幻海は付け加える。
「あんたが地獄に戻りたいといっても、あたしが許さないけどな。あんたに勝ったのはあたしで、一時的にあんたを使い魔契約で従わせている。嫌だと言っても、あんたには『呼ばれざる者』に対する戦力になってもらうよ」
文句は受け付けない。
悔しかったら、とっととあたしに勝てるように頑張るんだね。
横柄ないつもの言い草に戸愚呂弟はふっと、妙に優しく微笑む。
そうだ、忘れていたような気がする。
幻海とはこういう奴で、だから生きている間に伝説的な人物となったのだ。
俺は戦う者として、俺が正しいと思っていたが、今となっては。
「幻海。俺は……」
戸愚呂が言いかけた時。
「お待たせしました、おかわりお持ちしましたよー!!」
永夜がタイミング悪く、より美味しそうなおかわりを持って戻って来たのだった。