螺旋より外れて
かしかしかし……
ごきゅごきゅ……
がっがっがっ……
戸愚呂兄が、霊気で作られた光球の下、敷かれたピクニックシートの上で、ホーロータッパーから直接口に鶏じゃがを運んでいる。
相変わらずの入魔洞窟深部、地底湖からの空気の流れはひんやりしているが、まさに食事をがっついている戸愚呂兄はじめ、軽く食べた後はほうじ茶を飲んでいるだけの幻海、同じようなものの永夜も、寒さは感じていないようだ。
幻海も永夜も、鶏じゃが一皿とおむすび一個を御相伴で口にした後は、飢え切っているであろう戸愚呂兄に残りの食糧を譲っている。
戸愚呂兄の食欲は、この小さな体のどこにこれだけ入っているのかが物理的に不思議に思えるようなものだ。
かなり大振りのホーロータッパーに詰まった鶏じゃがの八割方を掻き込んでいる。
やはり一年も続いた飢えは、不死身の戸愚呂兄にしてもこたえたらしい。
「ぷはあ……食った食った」
戸愚呂兄が、ようやくタッパーから顔を離して天井を仰ぐ。
「永夜とか言ったな? おめえ、料理の腕前、大したもんじゃねーか。また、何か作ったら食ってやるぞ」
戸愚呂兄は、ピクニックシートの上に、ごろりと無造作に横になる。
下になった右腕で頭を支え、残り二人を眺め回す。
「で? さっき言いかけた話ってのの続きを聞かせな。おめえら、『呼ばれざる者』とかいう気味悪ぃのと戦ってるんだってなあ?」
幻海を、そして、永夜を見た戸愚呂兄の視線を受け、幻海が溜息をつく。
「あんたの弟のニセモノってのと戦ったよ。それ以外にもたんまりいて、今まで密かに活動してたらしい。あたしも戦わない訳にはいかなくなったんで、こちらの永夜のツテを辿って、力を得た訳さ」
「ほおん」
戸愚呂兄は鼻を鳴らす。
「……弟。あいつ、生きてるのか? 死んだんじゃねえのか」
幻海は再度溜息を落とす。
「死んだのは確かさ。あたしの弟子の幽助と戦って負けて死んだ。冥獄界に行くのを、あたしもこの目で確認したさ」
「冥獄界……バカ弟がよ」
戸愚呂兄は吐き捨てる。
恐らくそれ以上、無数の言葉があるのだと表情でわかるが、彼はそれ以上を口にしようとはしない。
「その戸愚呂さんのニセモノを仕立てるとなると、どんなに力があっても、通常の妖怪や人間では無理です。邪神である『呼ばれざる者』の手の者が、今現在冥獄界におられる弟さんに何かしているのだと。外見的ばかりでなく、能力的にもそっくりなコピーを作り出しておりましたからね」
永夜が静かに事実を告げると、戸愚呂兄は、じろりと彼を睨む。
「……その、『呼ばれざる者』とかいうケッタイな邪神ってのはどういうものなんだ。詳しく説明しな」
「ええ。わたくしの長年の宿敵です。先ほども申しました通り、邪な神、すなわち邪神。他の神仏同様、神としての力を持っており、それなりの数の信者が人間界ばかりでなく、霊界にも魔界にもおりましてね。それが厄介なことなのです」
永夜は深い溜息をこぼして続ける。
「奴らが冥獄界においでの、戸愚呂さんの弟さんに手出しをしたのは、恐らく単純に兵力増強が必要だったからだと思われます。奴らは、最近活動方針を転換したようなのです。すなわち、おおっぴらに三界の支配に乗り出そうと。魔界の体制激変に合わせた動きですね」
魔界の体制が変われば、今までのような「数ある小国の一つ」を隠れ蓑にして活動というのもできなくなると思われますので。
すると、その小国と繋がって活動していた人間界や霊界の組織も、改変せざるを得なくなります。
永夜が説明すると、戸愚呂兄は、また鼻を鳴らし、永夜を見やる。
「でも、その実際に活動している奴らは、邪神そのものじゃねえんだろ? 人間や妖怪なんじゃねえのか?」
永夜は難しい顔で首を横に振る。
「そう単純ではないのですよ。邪神にせよ、神と縁を結ぶと、人間であれ妖怪であれ霊界人であれ、三界とは次元の違う、神の力を手に入れられる。すると、三界の生き物は、どんなにその世界の基準で鍛えていたとしても、力が全くそいつらには通じなくなるのです」
神界側の力は、下界に干渉できますが、下界側からは神界の力を帯びたものに干渉はできないのですよ。
そこがまた輪をかけて厄介なことですね。
永夜がそう告げると、戸愚呂兄は思わずといった様子で、上半身を半ば起こす。
「……おい、そんなのとどうやって戦うんだ? 力が通じねえだと?」
「方法はあります。神の力に対抗するには、こちらも神仏の力を借ります」
永夜が殊更穏やかに説明する。
「あなた方妖怪、あるいは霊界人の方は、神仏とリンクして神性を帯びた力を身に着けます。人間になると、神仏の分霊の一部を肉体に受け入れ、神仏の力そのものを振るえるようになるのです。その状態なら、邪神の力を帯びた者とも対等以上に戦えます」
「あたしは、すでに軍荼利明王を『宿仏』にした。この状態なら、『呼ばれざる者』と戦える」
幻海が説明を捕捉する。
「あんたも、弟も同じことができるはず。あんたら兄弟とリンクしたがっている仏尊がいるらしいね」
戸愚呂弟が幻海を鋭い目で見据える。
「……確かな話か」
答えたのは永夜。
「確かです。長年仏尊にお仕えしているわたくしに、最近ある仏尊からあなた方ご兄弟をお連れするようにとのご下命がありました」
戸愚呂兄の目の光がますます強くなる。
幻海が、ほうじ茶を飲み下すと、つっけんどんないつもの調子で投げかける。
「と、言う訳だ。行くよ。あいつを迎えに、冥獄界へ」
◇ ◆ ◇
霊界は、上へ下への騒ぎになっている。
記録にある限り、初めての事態であっただろう。
肉体のある者が霊界に侵入したのなぞ。
それも、一人ではなく、三人。
人間、妖怪、そして半妖。
その騒ぎの中心は、逆説的に静かではあるが。
コエンマは、自らの執務室に侵入してきた三人を、頭を抱えて眺め回す。
「しかしなお前等……戸愚呂兄と永夜はともかく、幻海までこんな……どういうことだ?」
幼児の姿のまま、コエンマはその三人に対峙している。
ごつい執務机。
小柄な影と、長身の影と、その肩に乗った人間にしては小さすぎる影。
「何度も言わせるんじゃないよ。緊急事態だ」
幻海は、相変わらずの切り口上だ。
「わかってるんだろ? 霊界だって。冥獄界に異常がある。戸愚呂弟が、何かされてるんじゃないのかい? 怪しげな奴らに」
コエンマは真っ蒼な顔で幻海を見返す。
目に畏怖がある。
「な、なんでそれを……霊界の極秘情報で、地上に洩れるはずが」
戸愚呂兄がニヤニヤ割り込む。
「因果だなあ、霊界のニイチャン。おめーらじゃ、どうもできねえんだろう? じゃあ、俺らがどうにかしようと言ってるんだよ。ゴチャゴチャ言ってねえで、通行許可を出しな」
永夜が、その後を取る。
「幻海師範とわたくしは、宿仏を得た者。こちらの戸愚呂兄さんは、私の一時的な使い魔になっていただいて、同じく神性を帯びております。冥獄界に侵入するのに、不都合はないかと思われますが」
コエンマは苦悶の呻きを洩らす。
異常事態、型破り過ぎると言えば型破り過ぎる要求。
しかし。
あの事態を収めねばならぬとなると……
彼は、わずかの間悩み。
そして、決断した。
ごきゅごきゅ……
がっがっがっ……
戸愚呂兄が、霊気で作られた光球の下、敷かれたピクニックシートの上で、ホーロータッパーから直接口に鶏じゃがを運んでいる。
相変わらずの入魔洞窟深部、地底湖からの空気の流れはひんやりしているが、まさに食事をがっついている戸愚呂兄はじめ、軽く食べた後はほうじ茶を飲んでいるだけの幻海、同じようなものの永夜も、寒さは感じていないようだ。
幻海も永夜も、鶏じゃが一皿とおむすび一個を御相伴で口にした後は、飢え切っているであろう戸愚呂兄に残りの食糧を譲っている。
戸愚呂兄の食欲は、この小さな体のどこにこれだけ入っているのかが物理的に不思議に思えるようなものだ。
かなり大振りのホーロータッパーに詰まった鶏じゃがの八割方を掻き込んでいる。
やはり一年も続いた飢えは、不死身の戸愚呂兄にしてもこたえたらしい。
「ぷはあ……食った食った」
戸愚呂兄が、ようやくタッパーから顔を離して天井を仰ぐ。
「永夜とか言ったな? おめえ、料理の腕前、大したもんじゃねーか。また、何か作ったら食ってやるぞ」
戸愚呂兄は、ピクニックシートの上に、ごろりと無造作に横になる。
下になった右腕で頭を支え、残り二人を眺め回す。
「で? さっき言いかけた話ってのの続きを聞かせな。おめえら、『呼ばれざる者』とかいう気味悪ぃのと戦ってるんだってなあ?」
幻海を、そして、永夜を見た戸愚呂兄の視線を受け、幻海が溜息をつく。
「あんたの弟のニセモノってのと戦ったよ。それ以外にもたんまりいて、今まで密かに活動してたらしい。あたしも戦わない訳にはいかなくなったんで、こちらの永夜のツテを辿って、力を得た訳さ」
「ほおん」
戸愚呂兄は鼻を鳴らす。
「……弟。あいつ、生きてるのか? 死んだんじゃねえのか」
幻海は再度溜息を落とす。
「死んだのは確かさ。あたしの弟子の幽助と戦って負けて死んだ。冥獄界に行くのを、あたしもこの目で確認したさ」
「冥獄界……バカ弟がよ」
戸愚呂兄は吐き捨てる。
恐らくそれ以上、無数の言葉があるのだと表情でわかるが、彼はそれ以上を口にしようとはしない。
「その戸愚呂さんのニセモノを仕立てるとなると、どんなに力があっても、通常の妖怪や人間では無理です。邪神である『呼ばれざる者』の手の者が、今現在冥獄界におられる弟さんに何かしているのだと。外見的ばかりでなく、能力的にもそっくりなコピーを作り出しておりましたからね」
永夜が静かに事実を告げると、戸愚呂兄は、じろりと彼を睨む。
「……その、『呼ばれざる者』とかいうケッタイな邪神ってのはどういうものなんだ。詳しく説明しな」
「ええ。わたくしの長年の宿敵です。先ほども申しました通り、邪な神、すなわち邪神。他の神仏同様、神としての力を持っており、それなりの数の信者が人間界ばかりでなく、霊界にも魔界にもおりましてね。それが厄介なことなのです」
永夜は深い溜息をこぼして続ける。
「奴らが冥獄界においでの、戸愚呂さんの弟さんに手出しをしたのは、恐らく単純に兵力増強が必要だったからだと思われます。奴らは、最近活動方針を転換したようなのです。すなわち、おおっぴらに三界の支配に乗り出そうと。魔界の体制激変に合わせた動きですね」
魔界の体制が変われば、今までのような「数ある小国の一つ」を隠れ蓑にして活動というのもできなくなると思われますので。
すると、その小国と繋がって活動していた人間界や霊界の組織も、改変せざるを得なくなります。
永夜が説明すると、戸愚呂兄は、また鼻を鳴らし、永夜を見やる。
「でも、その実際に活動している奴らは、邪神そのものじゃねえんだろ? 人間や妖怪なんじゃねえのか?」
永夜は難しい顔で首を横に振る。
「そう単純ではないのですよ。邪神にせよ、神と縁を結ぶと、人間であれ妖怪であれ霊界人であれ、三界とは次元の違う、神の力を手に入れられる。すると、三界の生き物は、どんなにその世界の基準で鍛えていたとしても、力が全くそいつらには通じなくなるのです」
神界側の力は、下界に干渉できますが、下界側からは神界の力を帯びたものに干渉はできないのですよ。
そこがまた輪をかけて厄介なことですね。
永夜がそう告げると、戸愚呂兄は思わずといった様子で、上半身を半ば起こす。
「……おい、そんなのとどうやって戦うんだ? 力が通じねえだと?」
「方法はあります。神の力に対抗するには、こちらも神仏の力を借ります」
永夜が殊更穏やかに説明する。
「あなた方妖怪、あるいは霊界人の方は、神仏とリンクして神性を帯びた力を身に着けます。人間になると、神仏の分霊の一部を肉体に受け入れ、神仏の力そのものを振るえるようになるのです。その状態なら、邪神の力を帯びた者とも対等以上に戦えます」
「あたしは、すでに軍荼利明王を『宿仏』にした。この状態なら、『呼ばれざる者』と戦える」
幻海が説明を捕捉する。
「あんたも、弟も同じことができるはず。あんたら兄弟とリンクしたがっている仏尊がいるらしいね」
戸愚呂弟が幻海を鋭い目で見据える。
「……確かな話か」
答えたのは永夜。
「確かです。長年仏尊にお仕えしているわたくしに、最近ある仏尊からあなた方ご兄弟をお連れするようにとのご下命がありました」
戸愚呂兄の目の光がますます強くなる。
幻海が、ほうじ茶を飲み下すと、つっけんどんないつもの調子で投げかける。
「と、言う訳だ。行くよ。あいつを迎えに、冥獄界へ」
◇ ◆ ◇
霊界は、上へ下への騒ぎになっている。
記録にある限り、初めての事態であっただろう。
肉体のある者が霊界に侵入したのなぞ。
それも、一人ではなく、三人。
人間、妖怪、そして半妖。
その騒ぎの中心は、逆説的に静かではあるが。
コエンマは、自らの執務室に侵入してきた三人を、頭を抱えて眺め回す。
「しかしなお前等……戸愚呂兄と永夜はともかく、幻海までこんな……どういうことだ?」
幼児の姿のまま、コエンマはその三人に対峙している。
ごつい執務机。
小柄な影と、長身の影と、その肩に乗った人間にしては小さすぎる影。
「何度も言わせるんじゃないよ。緊急事態だ」
幻海は、相変わらずの切り口上だ。
「わかってるんだろ? 霊界だって。冥獄界に異常がある。戸愚呂弟が、何かされてるんじゃないのかい? 怪しげな奴らに」
コエンマは真っ蒼な顔で幻海を見返す。
目に畏怖がある。
「な、なんでそれを……霊界の極秘情報で、地上に洩れるはずが」
戸愚呂兄がニヤニヤ割り込む。
「因果だなあ、霊界のニイチャン。おめーらじゃ、どうもできねえんだろう? じゃあ、俺らがどうにかしようと言ってるんだよ。ゴチャゴチャ言ってねえで、通行許可を出しな」
永夜が、その後を取る。
「幻海師範とわたくしは、宿仏を得た者。こちらの戸愚呂兄さんは、私の一時的な使い魔になっていただいて、同じく神性を帯びております。冥獄界に侵入するのに、不都合はないかと思われますが」
コエンマは苦悶の呻きを洩らす。
異常事態、型破り過ぎると言えば型破り過ぎる要求。
しかし。
あの事態を収めねばならぬとなると……
彼は、わずかの間悩み。
そして、決断した。