螺旋より外れて
「永夜(ながや)」
予想通り、そう呼ばれる青年は、その屋敷の台所にいたのだ。
細身だが均整の取れた、強靭にして優雅な姿。
肌は抜けるように白い、いや青白いくらいか。
人の踏み入らぬ聖域の、清浄な池の水面のような、深い陰影をたたえた水縹(みずはなだ)の瞳。
ややくせのある、つややかな黒髪が、手入れがいいのに、どこかしどけない雰囲気。
静謐で端正な美貌、どこか病的な色気も感じる、そんな青年だ。
年の頃は、二十歳を一つ二つ過ぎたようにしか見えない。
しかし。
「久しぶりだな、永夜。最後に会ってから、もう七百年にもなるな」
雷禅は、カットソーにジーンズ、その上に焦げ色のエプロンといういでたちの「息子」に、そう話しかけて手を伸ばす。
「お久しぶりにございます、雷禅様」
その青年の言葉は、きちんとして丁寧。
だが、冷たい氷と冷気の棘を宿す。
雷禅が、伸ばした手を、本物の氷に触れてしまったように引っ込めるほどに。
「永夜、そう、冷たくしてやるな。こやつのせいで苦労したのは知っておるが、そなたの父親に違いない」
雷禅のすぐ後に台所に入ってきた聖果が、そう言い聞かせる。
「茶でも淹れてやる。座りおれ、二人とも」
聖果は、台所の作業用のテーブルに夫と息子を座らせる。
自身は、ほうじ茶を淹れるために立つ。
「永夜、お前、今までどうして過ごしてたんだ? ずっと人間界にいたのか?」
にわかに表情を引き締めて、雷禅は”息子”に話しかける。
言葉より雄弁な「雰囲気」で、自分と話したくない、産ませるだけ産ませておいて、半妖と追いかけ回される苦労を背負わせたのも恥じる気配もない男と金輪際関りになぞなりたくないのは、如実に伝わってくる。
だが。
雷禅は、せめて、それは違うと言いたい。
生きる機会を与えられたのに、望んで生み出した我が子に軽蔑されたままなど、悔しく悲しい。
時代の制約はだいぶ薄れている。
昔と違って、今なら話せる。
「わたくしは、黙っていれば人間にしか見えませんので。人間界にいるのが、一番都合がようございます」
冷たく淡々と、永夜は聞かれたことにだけ応じる。
食脱医師が命と引き換えのようにして生み出した息子。
雷禅の血は発現していないものの、それでも雷禅にとって、永夜は息子だ。
決定的な決裂までは、たびたび人間界に様子を見に行っていた……のだが。
「……こりゃあ、だいぶ昔に軀の野郎から聞いた話なんだが」
雷禅は前置きし、茶で喉を湿らせる。
「お前、密教の修法使って、不老不死を手に入れたって話だな? 道理で、若い頃から変わらねえ訳だ。……しかしな、そんなことまでして、お前は何をやってたんだ? やらされてた、というべきかもしれねェが」
「妖怪退治にございますね」
一言下に言い切る口調に、さしもの雷禅も一瞬言葉を失う。
知っていた。
永夜は元退魔師だ。
伝説の食脱医師の息子として生まれ、そしてその母より戦闘に向いた能力傾向を持った彼は、当たり前のように妖魔退治の最前線に送られたのだ。
「……そればっかりじゃ、ねェだろう。お前は」
「話が終らぬゆえ、我から説明する」
見かねたらしく、聖果が割り込む。
ふうと小さく溜息。
「永夜、そして、我も行った修法は、『宿仏秘法(しゅくぶつひほう)』と呼ばれるもの。要するに神仏の魂の一部をその肉体に受け入れ、神仏そのものの”化身”と化す、というものでな」
「ほお」
雷禅は目を底光らせる。
「そりゃあ、あれじゃねえのか? 単なる妖怪退治目的とは思えねえ代物なんじゃねェのか? 聖果まで、そんなことまでして何やってるんだ?」
「宿した神仏そのものの力を地上にいるままに振るえるという訳じゃ。我の場合は、宿したのは薬師如来。あらゆる病を癒す功徳を施せる。永夜の場合は、元より崇めておる、大黒天じゃな」
聖果は滑らかに説明していく。
再度茶で喉を湿らせると、
「大黒天は、時間も空間も超えた混沌を象徴する。混沌に帰せられるということで、究極の破壊を司るのと同時に、無限に生成する原初の闇をも司る。破壊の仏尊であると同時に、無限の富をも司る、特に、一国を収める国王には、この上もない味方なのじゃ」
雷禅は再度目を光らせる。
より露骨に。
「永夜よぉ。ちゃんと給料払うからよ、おれの国に来ねェか? あ、そうだ、聖果」
「ん?」
「おめェの子供は預かったから、俺の国に来て、俺の嫁にならねえ? 相性いいぜ俺ら、なあ……」
あまりにロマンチシズムのないプロポーズに聖果以上に、永夜が呆れる。
「……母上。こやつ、この世から消し去りたいのですが」
「まあ、待て。やってもらおうということはあるでな。叶えてくれたら、嫁にくらいいくらでもなってやるわ」
ついと茶を飲んだ聖果に、雷禅が食らいつくように。
「おっ、マジか!! どうすりゃいいんだ!?」
「……そなたにも、深く関わること。雷禅の願いでもあるやも知れぬ。我らと手を組め、雷禅。魔界は、この一手で変わるやも知れぬ」
雷禅が狂暴なまでの高揚した笑みを浮かべる。
「話してくれ。おめえの願いなら、なんでも叶えてやるよ。あ、永夜は、またメシ作ってくれたらいいもんやるぞ」
「真面目に母上の話を聞け」
予想通り、そう呼ばれる青年は、その屋敷の台所にいたのだ。
細身だが均整の取れた、強靭にして優雅な姿。
肌は抜けるように白い、いや青白いくらいか。
人の踏み入らぬ聖域の、清浄な池の水面のような、深い陰影をたたえた水縹(みずはなだ)の瞳。
ややくせのある、つややかな黒髪が、手入れがいいのに、どこかしどけない雰囲気。
静謐で端正な美貌、どこか病的な色気も感じる、そんな青年だ。
年の頃は、二十歳を一つ二つ過ぎたようにしか見えない。
しかし。
「久しぶりだな、永夜。最後に会ってから、もう七百年にもなるな」
雷禅は、カットソーにジーンズ、その上に焦げ色のエプロンといういでたちの「息子」に、そう話しかけて手を伸ばす。
「お久しぶりにございます、雷禅様」
その青年の言葉は、きちんとして丁寧。
だが、冷たい氷と冷気の棘を宿す。
雷禅が、伸ばした手を、本物の氷に触れてしまったように引っ込めるほどに。
「永夜、そう、冷たくしてやるな。こやつのせいで苦労したのは知っておるが、そなたの父親に違いない」
雷禅のすぐ後に台所に入ってきた聖果が、そう言い聞かせる。
「茶でも淹れてやる。座りおれ、二人とも」
聖果は、台所の作業用のテーブルに夫と息子を座らせる。
自身は、ほうじ茶を淹れるために立つ。
「永夜、お前、今までどうして過ごしてたんだ? ずっと人間界にいたのか?」
にわかに表情を引き締めて、雷禅は”息子”に話しかける。
言葉より雄弁な「雰囲気」で、自分と話したくない、産ませるだけ産ませておいて、半妖と追いかけ回される苦労を背負わせたのも恥じる気配もない男と金輪際関りになぞなりたくないのは、如実に伝わってくる。
だが。
雷禅は、せめて、それは違うと言いたい。
生きる機会を与えられたのに、望んで生み出した我が子に軽蔑されたままなど、悔しく悲しい。
時代の制約はだいぶ薄れている。
昔と違って、今なら話せる。
「わたくしは、黙っていれば人間にしか見えませんので。人間界にいるのが、一番都合がようございます」
冷たく淡々と、永夜は聞かれたことにだけ応じる。
食脱医師が命と引き換えのようにして生み出した息子。
雷禅の血は発現していないものの、それでも雷禅にとって、永夜は息子だ。
決定的な決裂までは、たびたび人間界に様子を見に行っていた……のだが。
「……こりゃあ、だいぶ昔に軀の野郎から聞いた話なんだが」
雷禅は前置きし、茶で喉を湿らせる。
「お前、密教の修法使って、不老不死を手に入れたって話だな? 道理で、若い頃から変わらねえ訳だ。……しかしな、そんなことまでして、お前は何をやってたんだ? やらされてた、というべきかもしれねェが」
「妖怪退治にございますね」
一言下に言い切る口調に、さしもの雷禅も一瞬言葉を失う。
知っていた。
永夜は元退魔師だ。
伝説の食脱医師の息子として生まれ、そしてその母より戦闘に向いた能力傾向を持った彼は、当たり前のように妖魔退治の最前線に送られたのだ。
「……そればっかりじゃ、ねェだろう。お前は」
「話が終らぬゆえ、我から説明する」
見かねたらしく、聖果が割り込む。
ふうと小さく溜息。
「永夜、そして、我も行った修法は、『宿仏秘法(しゅくぶつひほう)』と呼ばれるもの。要するに神仏の魂の一部をその肉体に受け入れ、神仏そのものの”化身”と化す、というものでな」
「ほお」
雷禅は目を底光らせる。
「そりゃあ、あれじゃねえのか? 単なる妖怪退治目的とは思えねえ代物なんじゃねェのか? 聖果まで、そんなことまでして何やってるんだ?」
「宿した神仏そのものの力を地上にいるままに振るえるという訳じゃ。我の場合は、宿したのは薬師如来。あらゆる病を癒す功徳を施せる。永夜の場合は、元より崇めておる、大黒天じゃな」
聖果は滑らかに説明していく。
再度茶で喉を湿らせると、
「大黒天は、時間も空間も超えた混沌を象徴する。混沌に帰せられるということで、究極の破壊を司るのと同時に、無限に生成する原初の闇をも司る。破壊の仏尊であると同時に、無限の富をも司る、特に、一国を収める国王には、この上もない味方なのじゃ」
雷禅は再度目を光らせる。
より露骨に。
「永夜よぉ。ちゃんと給料払うからよ、おれの国に来ねェか? あ、そうだ、聖果」
「ん?」
「おめェの子供は預かったから、俺の国に来て、俺の嫁にならねえ? 相性いいぜ俺ら、なあ……」
あまりにロマンチシズムのないプロポーズに聖果以上に、永夜が呆れる。
「……母上。こやつ、この世から消し去りたいのですが」
「まあ、待て。やってもらおうということはあるでな。叶えてくれたら、嫁にくらいいくらでもなってやるわ」
ついと茶を飲んだ聖果に、雷禅が食らいつくように。
「おっ、マジか!! どうすりゃいいんだ!?」
「……そなたにも、深く関わること。雷禅の願いでもあるやも知れぬ。我らと手を組め、雷禅。魔界は、この一手で変わるやも知れぬ」
雷禅が狂暴なまでの高揚した笑みを浮かべる。
「話してくれ。おめえの願いなら、なんでも叶えてやるよ。あ、永夜は、またメシ作ってくれたらいいもんやるぞ」
「真面目に母上の話を聞け」