螺旋より外れて
「お久しぶりにございます、幻海師範。ご無事で安心いたしました」
庭木の枝がまばらな影を作る、幻海の寺の客間の障子。
その前に、その男は端然と座っている。
抜けるような蒼白な肌に、ややくせのある美しい黒髪、縹色の瞳、淡い金色の直垂。
上座にいる幻海は、実はこの男を知っている。
影沖永夜、という珍しい名だ。
二十歳を一つ二つ過ぎただけの若者に見えるが、実際には、密教の修法でもって長生を手に入れ、今は七百歳を超えているというのだ。
知っているのは幻海に限らない。
「この業界」では有名人である。
「いや。無様なところを見せて悪かったね。影沖の兄さん。助かったよ。しかし、一体あれは何が起こったんだ? 幽助が一時帰ってきていたようだが、それと何か関係があるのかい?」
幻海は、自分が得られた情報との摺り合わせを求める。
幽助が魔界に渡ったのは一年あまり前。
最近になって突然帰って来たと思ったら、母親の温子を魔界に連れて行ったらしい。
そのすぐ後には、飛影や蔵馬も連れて戻ってきて、どうも天界に向かったらしいと聞く。
天界。
幻海ほどの能力がある霊能者でも、直接はやりとりできない神秘の領域。
霊界ではなく、魔界とも人間界とも繋がってはいないが、それは確実に存在している。
いわゆる「神仏」と呼ばれるような高位の存在が生きる世界。
彼らは何らかの理由で、人間界、霊界、魔界の三つの世界の存続を願っている。
それを阻害する「悪しき神」「邪神」と呼ばれるようなものも、天界の一部には存在しているというのだが。
今のところ、幻海が関知できる天界に関する情報はそれだけ。
自分の弟子の幽助は、自分も手が届かなかった天界に迎え入れられたということだ。
嬉しさ反面、心配なのが正直なところ。
幽助は、一体何に巻き込まれてそうなったというのか。
「はい。浦飯幽助くんは、魔界でできた敵とは比べ物にならないような、厄介な敵と戦うことになりました。天界に出向くことになったのも、それが原因です」
永夜は、縹色の静かな目で幻海を見据え、きっぱりと断言する。
やはりか、というのが、幻海の率直な感想だ。
あまり考えたくないところではあるが、魔界の三竦み以上となると、それくらいしか思いつかない。
「その厄介な敵というのは……もしや、邪神か」
「左様でございます。あの戸愚呂さんのニセモノも、奴らの……『呼ばれざる者』の手の者が仕立て上げた悪企み」
きっぱり言い切る永夜に、幻海は大きく溜息をつく。
話が繋がってしまった。
もう引き返せない。
わざわざ戸愚呂のニセモノをこの地に送り込んできたということは、邪神一味は、どうした訳か老い先短い幻海自身も敵認定して、いささか早目に冥途に送る気でいるらしい。
「それと、お弟子様の浦飯幽助くんについては、まだお知らせせねばならないことが」
ふといずまいを正し、永夜が幻海に説明を始めようとする。
「……あいつに何かあったのかい?」
悪い予感がするが、目の前の古の術師の表情に悲壮感はない。
「実は……浦飯くん……幽助と、私、影沖永夜は血縁があるのです」
いきなり永夜に切り出され、幻海はぎょっとする。
「なんだって!? そりゃどういう」
「……浦飯幽助と、この影沖永夜は、子孫と先祖の関係であると同時に、兄弟の関係でもあります」
静かに放たれた爆弾に、幻海は目を剥く。
どういうことなのだ。
「私は、魔界三王が一、雷禅と、人間の食脱医師、聖果の間に生まれた半妖なのです。幽助は私の四十三代後の子孫であると同時に、魔族大隔世によって雷禅の息子として覚醒いたしましたので、私の弟でもあります」
淡々と説明される内容を咀嚼するのにしばらくかかる。
なるほど……
密教の術法によって長生を得た男だと思っていたのだが、もしや不老不死の原因は半妖だったということなのではないか?
密教の術法も施されたのかも知れないが、こやつだけ現代まで生き延びているということは、その生まれつきの肉体が当たり前のように長生をもたらすもの……高位の妖怪の血が流れているものだったからだという、ある種単純な理由だからではないのか。
幻海は、まじまじと永夜を見据える。
「お前さんが、幽助の兄……。あんたは何かと戦っているって話だったが、『呼ばれざる者』とだったんだね。幽助も、あんたの身内、しかも大隔世で邪神でも侮りがたい力を手に入れてしまったという理由で、奴らの敵に数えられるようになったということか」
永夜はうなずく。
「左様にございます。奴らの手の者は魔界でも長年活動して参りましたが、幽助は魔界の三竦みの争いに巻き込まれることによって、図らずも奴らに認識されました。特に、最近奴らは活動を活発化させておりますので、接近も急速でございました」
幻海はそれを受けて鋭く溜息。
「……なるほど、それで『呼ばれざる者』に対抗する力を求めて天界へ……。まずいな」
「? 何がでございます?」
永夜は不思議そうに。
「このままじゃ、あたしがあいつの足手まといになっちまう。あいつら、どうせあたしを人質にでもってところなんだろう?」
名高い霊能者幻海師範ではあるが、それはあくまで人間界における一般的な評価の基準で、ということ。
邪神に比べれば、吹けば飛ぶような存在だろう。
だが、それでも、「邪神に対抗できる者にとって何らかの価値のある存在」であり人質くらいには使える。
ご丁寧に戸愚呂のニセモノまで用意して、念入りに生け捕り、及び情報の攪乱を狙ったというところか。
「……幻海師範。そのことも含めてお願いがございます」
永夜が目に力を込めたのがわかる。
「何だい?」
「幻海師範。ご案内いたしますので、天界に赴いて、『宿神』を得、『呼ばれざる者』との戦いの列に加わっていただきたいのです」
庭木の枝がまばらな影を作る、幻海の寺の客間の障子。
その前に、その男は端然と座っている。
抜けるような蒼白な肌に、ややくせのある美しい黒髪、縹色の瞳、淡い金色の直垂。
上座にいる幻海は、実はこの男を知っている。
影沖永夜、という珍しい名だ。
二十歳を一つ二つ過ぎただけの若者に見えるが、実際には、密教の修法でもって長生を手に入れ、今は七百歳を超えているというのだ。
知っているのは幻海に限らない。
「この業界」では有名人である。
「いや。無様なところを見せて悪かったね。影沖の兄さん。助かったよ。しかし、一体あれは何が起こったんだ? 幽助が一時帰ってきていたようだが、それと何か関係があるのかい?」
幻海は、自分が得られた情報との摺り合わせを求める。
幽助が魔界に渡ったのは一年あまり前。
最近になって突然帰って来たと思ったら、母親の温子を魔界に連れて行ったらしい。
そのすぐ後には、飛影や蔵馬も連れて戻ってきて、どうも天界に向かったらしいと聞く。
天界。
幻海ほどの能力がある霊能者でも、直接はやりとりできない神秘の領域。
霊界ではなく、魔界とも人間界とも繋がってはいないが、それは確実に存在している。
いわゆる「神仏」と呼ばれるような高位の存在が生きる世界。
彼らは何らかの理由で、人間界、霊界、魔界の三つの世界の存続を願っている。
それを阻害する「悪しき神」「邪神」と呼ばれるようなものも、天界の一部には存在しているというのだが。
今のところ、幻海が関知できる天界に関する情報はそれだけ。
自分の弟子の幽助は、自分も手が届かなかった天界に迎え入れられたということだ。
嬉しさ反面、心配なのが正直なところ。
幽助は、一体何に巻き込まれてそうなったというのか。
「はい。浦飯幽助くんは、魔界でできた敵とは比べ物にならないような、厄介な敵と戦うことになりました。天界に出向くことになったのも、それが原因です」
永夜は、縹色の静かな目で幻海を見据え、きっぱりと断言する。
やはりか、というのが、幻海の率直な感想だ。
あまり考えたくないところではあるが、魔界の三竦み以上となると、それくらいしか思いつかない。
「その厄介な敵というのは……もしや、邪神か」
「左様でございます。あの戸愚呂さんのニセモノも、奴らの……『呼ばれざる者』の手の者が仕立て上げた悪企み」
きっぱり言い切る永夜に、幻海は大きく溜息をつく。
話が繋がってしまった。
もう引き返せない。
わざわざ戸愚呂のニセモノをこの地に送り込んできたということは、邪神一味は、どうした訳か老い先短い幻海自身も敵認定して、いささか早目に冥途に送る気でいるらしい。
「それと、お弟子様の浦飯幽助くんについては、まだお知らせせねばならないことが」
ふといずまいを正し、永夜が幻海に説明を始めようとする。
「……あいつに何かあったのかい?」
悪い予感がするが、目の前の古の術師の表情に悲壮感はない。
「実は……浦飯くん……幽助と、私、影沖永夜は血縁があるのです」
いきなり永夜に切り出され、幻海はぎょっとする。
「なんだって!? そりゃどういう」
「……浦飯幽助と、この影沖永夜は、子孫と先祖の関係であると同時に、兄弟の関係でもあります」
静かに放たれた爆弾に、幻海は目を剥く。
どういうことなのだ。
「私は、魔界三王が一、雷禅と、人間の食脱医師、聖果の間に生まれた半妖なのです。幽助は私の四十三代後の子孫であると同時に、魔族大隔世によって雷禅の息子として覚醒いたしましたので、私の弟でもあります」
淡々と説明される内容を咀嚼するのにしばらくかかる。
なるほど……
密教の術法によって長生を得た男だと思っていたのだが、もしや不老不死の原因は半妖だったということなのではないか?
密教の術法も施されたのかも知れないが、こやつだけ現代まで生き延びているということは、その生まれつきの肉体が当たり前のように長生をもたらすもの……高位の妖怪の血が流れているものだったからだという、ある種単純な理由だからではないのか。
幻海は、まじまじと永夜を見据える。
「お前さんが、幽助の兄……。あんたは何かと戦っているって話だったが、『呼ばれざる者』とだったんだね。幽助も、あんたの身内、しかも大隔世で邪神でも侮りがたい力を手に入れてしまったという理由で、奴らの敵に数えられるようになったということか」
永夜はうなずく。
「左様にございます。奴らの手の者は魔界でも長年活動して参りましたが、幽助は魔界の三竦みの争いに巻き込まれることによって、図らずも奴らに認識されました。特に、最近奴らは活動を活発化させておりますので、接近も急速でございました」
幻海はそれを受けて鋭く溜息。
「……なるほど、それで『呼ばれざる者』に対抗する力を求めて天界へ……。まずいな」
「? 何がでございます?」
永夜は不思議そうに。
「このままじゃ、あたしがあいつの足手まといになっちまう。あいつら、どうせあたしを人質にでもってところなんだろう?」
名高い霊能者幻海師範ではあるが、それはあくまで人間界における一般的な評価の基準で、ということ。
邪神に比べれば、吹けば飛ぶような存在だろう。
だが、それでも、「邪神に対抗できる者にとって何らかの価値のある存在」であり人質くらいには使える。
ご丁寧に戸愚呂のニセモノまで用意して、念入りに生け捕り、及び情報の攪乱を狙ったというところか。
「……幻海師範。そのことも含めてお願いがございます」
永夜が目に力を込めたのがわかる。
「何だい?」
「幻海師範。ご案内いたしますので、天界に赴いて、『宿神』を得、『呼ばれざる者』との戦いの列に加わっていただきたいのです」