螺旋より外れて
軀は「その存在」を見上げる。
巨大だ。
体長が数百mはあろうかという大きさ。
だが、軀は悟る。
これでも、こいつは自分に合わせて姿を縮めているのだ。
力までは縮めていないが、本来の大きさだったら、鱗一枚を認識するのがやっとだったはず。
それは巨龍である。
視界を埋め尽くす、輝く宇宙を切り取ったような鱗。
背中には一定間隔を置いて光輪が並び、恒星のように輝く。
蛇というより鰐のような鼻面、口の中からぞろりと覗く湾刀のような牙。
星のような光の粒を旋回させる、反り返った二本の角が目の上からそそり立つ。
その全身から放出されるのは圧倒的な「力」である。
恒星そのものが目の前に降りて来たのではないかとも思える強大さ。
恐らく、今の軀でなければ力に炙られて蒸発していたであろう。
今や少し強めの風圧と感じるだけ、軀は自分も神威を手に入れていたと認識する。
『我が子よ、よくぞここまで辿り着いた』
巨龍から轟雷のような思念が押し寄せる。
軀は意識が吹っ飛びそうな庄を感じるものの、自らを奮い立たせる。
「お前が、魔龍アポフィスか?」
軀は分かってはいるものの、冷静にそう尋ねる。
『然り。我はかつてそなたらが「呼ばれざる者」と呼ぶかの邪神を倒し、封じた者。その時に本来の肉体は失っている者である』
アポフィスはそう断言する。
「すると、お前の今の肉体は、霊体という訳か」
軀は推測していた内容を確認する。
あまりに圧倒的な神気のためにそうは思えないが、この巨龍の肉体は霊体なのだ。
とはいえ、そのこと自体にさほどの意味はなかろう。
これだけの神気なら、いくらでも仮の肉体を実体化できるはず。
むしろ霊体と実体を行き来できて便利ですらあるかも知れないのだ。
『然り。かつての力を完全に取り戻すには、新たな肉体が必要』
金色と虹色が交互に現れる巨大な目が、ぎろりと軀を睨む。
「そこで目を付けたのが、俺の肉体という訳か」
軀は苦さを含んで嘲笑する。
自分はまんまとここにおびき寄せられただけかもしれない。
自分がこいつを食えるというのも、もしかして無理な相談だったのか。
『それを決めるのは、汝の力』
厳かに、アポフィスは言い渡す。
『汝が我を倒し、我を吸収すれば、汝こそが二代目の魔龍。現世に肉体を持つ神となる。しかし、汝が我に食われることも考えられる。そうなれば、汝の人格は消滅し、汝の肉体だけが残る。その中身は復活したアポフィス、我である。“軀”は消滅する』
軀は笑う。
生き残りをかけたサバイバルだ。
生き残るのはどちらか一人だということ。
「御託はそれで十分だろう。さて、やろうぜ」
軀は、自分の中の力を解放する。
「お前は俺を食うために育てたのだろうが、食われるのはお前だってことを教えてやるぜ!!」
……今の自分には目的を遂げて現世に帰還する理由がある。
あまりに大きな理由が。
――飛影。
もう一度会いたい。
話をしたい。
今どうしてるか訊きたい。
あの逆立った髪に触れたい。
隣で安らいで眠りたい。
そのためには、魔界が存続して、今か今以上に安定するところが安定していなければならない。
そのためには、目の前のこいつを倒して、昔こいつが倒したという奴の本体だの手先だのを、とりあえず排除しなければならない。
単純な事実だ、今更再確認することなど何もない。
全ては決まっていたのだから。
俺があの塚に逃げ込んだ、その時から。
「そら、食らいな!!」
軀は空間破砕流を放つ。
極彩色の奔流、千の頭を持つ龍の如き破壊の力が、アポフィスに襲い掛かる。
だが、その力はアポフィスの目前で水流が石に当たったように砕け散る。
アポフィスが空に――というか上方の何もない空間に――向かって叫びを上げると、頭上から凄まじい光が轟音と共に降り注ぐ。
光輪が無数に生まれ、そこから神が下す審判のように光が降り注ぐ。
明るいとも昏いとも表現できない、奇妙な色彩と輝きの異なる光が、軀の頭上にまさに殺到。
視界が異界に塗り潰される。
『逃れたか、我が子よ』
アポフィスの視界の端で、軀が喘いでいる。
右腕と右足が、ない。
いや、何かで削り取られているのだ。
壊れた人形のように無残な軀の姿は、だが一瞬のことである。
軀がいささか精神を集中する気配を見せるや、削ぎ落されたような右腕右足が、一瞬で元に戻る。
あの機械パーツも新品だ。
「この力はお前がくれたものさ。どんなものでも、何にでも変換できる」
軀は空間変転能力を、自分の肉体に使ったのだ。
にやりと。
軀が色っぽさと清楚さの同居した唇を歪める。
今はそこには戦士の顔しかない。
「これはどうだ?」
と、軀が口にするや否や、長大なアポフィスの全身が、繭のような異空間に完全に包まれる。
蛇のぬいぐるみを箱詰めにしたかのように、アポフィスの肉体が完全に異空間に押し包まれたのだ。
軀は、そのまま異空間の内部に「消滅光」を満たす。
空間除去の応用であり、その空間の内部のものを消し去る光とも言えない光である。
アポフィスが激しくのたうつ。
取り囲む空間も、激しく跳ね回る。
瞬間。
目の前から異空間が消える。
「!?」
軀は怪訝そうな表情だ。
アポフィスが彼を取り囲んでいた空間ごと消えたのだ。
察知能力を発動させ……
その瞬間。
背後から噴出した巨大な顎に、軀は一瞬のうちに呑み込まれたのだ。
◇ ◆ ◇
アポフィスが、巨大な鎌首をもたげ、勝利を宣言するかのように伸び上がる。
「何もない空間」は、今やアポフィス以外には本当に「何もない」。
輝かしかった軀の姿は、どこにもない。
恐らく無限が詰まっているであろうアポフィスの体内で、消化されつつあろうというのは、傍からでも推察できること。
『ああ、ようやくだ』
アポフィスは、自分の肉体が変質しつつあることを知り……
と。
アポフィスの肉体の周囲に、またもや繭のような異空間が広がり。
それが、一瞬の間に、爆縮する。
まるで糸のように細くなった異空間は、ぐるぐると渦を巻きながら、ある空間の一点へ。
そこに。
いた。
軀が、右手を無造作に垂らして、そこに縒り合された細い異空間が吸い込まれていく。
まるで、水が流れ去る時の渦巻きのように、細く長く。
すすり上げるように異空間ごとアポフィスを吸収した軀は、しばし動かない。
特に姿に変わったところはない。
だが、一瞬。
膨大な輝きが、その肉体から放たれ……
◇ ◆ ◇
「ああら。上手く行ったみたいね?」
そこは、あのどことも知れない、砂漠めいた荒野である。
どこからともなく、遠音が現れる。
彼女は、軀の背後から腕を回してまとわりつき、
「変な空間にあなたと主が呑み込まれて焦ったわ。ああ、もう、あなたが主ね? 軀であり、アポフィスでもある方。二代目魔龍」
「ああ」
軀は、背中に手を回して遠音を軽く叩く。
「さて。帰るか。飛影はどうしただろうな」
そんな目で見据える荒野の真ん中に。
忽然と、奇妙な石の扉が現れたのだった。
巨大だ。
体長が数百mはあろうかという大きさ。
だが、軀は悟る。
これでも、こいつは自分に合わせて姿を縮めているのだ。
力までは縮めていないが、本来の大きさだったら、鱗一枚を認識するのがやっとだったはず。
それは巨龍である。
視界を埋め尽くす、輝く宇宙を切り取ったような鱗。
背中には一定間隔を置いて光輪が並び、恒星のように輝く。
蛇というより鰐のような鼻面、口の中からぞろりと覗く湾刀のような牙。
星のような光の粒を旋回させる、反り返った二本の角が目の上からそそり立つ。
その全身から放出されるのは圧倒的な「力」である。
恒星そのものが目の前に降りて来たのではないかとも思える強大さ。
恐らく、今の軀でなければ力に炙られて蒸発していたであろう。
今や少し強めの風圧と感じるだけ、軀は自分も神威を手に入れていたと認識する。
『我が子よ、よくぞここまで辿り着いた』
巨龍から轟雷のような思念が押し寄せる。
軀は意識が吹っ飛びそうな庄を感じるものの、自らを奮い立たせる。
「お前が、魔龍アポフィスか?」
軀は分かってはいるものの、冷静にそう尋ねる。
『然り。我はかつてそなたらが「呼ばれざる者」と呼ぶかの邪神を倒し、封じた者。その時に本来の肉体は失っている者である』
アポフィスはそう断言する。
「すると、お前の今の肉体は、霊体という訳か」
軀は推測していた内容を確認する。
あまりに圧倒的な神気のためにそうは思えないが、この巨龍の肉体は霊体なのだ。
とはいえ、そのこと自体にさほどの意味はなかろう。
これだけの神気なら、いくらでも仮の肉体を実体化できるはず。
むしろ霊体と実体を行き来できて便利ですらあるかも知れないのだ。
『然り。かつての力を完全に取り戻すには、新たな肉体が必要』
金色と虹色が交互に現れる巨大な目が、ぎろりと軀を睨む。
「そこで目を付けたのが、俺の肉体という訳か」
軀は苦さを含んで嘲笑する。
自分はまんまとここにおびき寄せられただけかもしれない。
自分がこいつを食えるというのも、もしかして無理な相談だったのか。
『それを決めるのは、汝の力』
厳かに、アポフィスは言い渡す。
『汝が我を倒し、我を吸収すれば、汝こそが二代目の魔龍。現世に肉体を持つ神となる。しかし、汝が我に食われることも考えられる。そうなれば、汝の人格は消滅し、汝の肉体だけが残る。その中身は復活したアポフィス、我である。“軀”は消滅する』
軀は笑う。
生き残りをかけたサバイバルだ。
生き残るのはどちらか一人だということ。
「御託はそれで十分だろう。さて、やろうぜ」
軀は、自分の中の力を解放する。
「お前は俺を食うために育てたのだろうが、食われるのはお前だってことを教えてやるぜ!!」
……今の自分には目的を遂げて現世に帰還する理由がある。
あまりに大きな理由が。
――飛影。
もう一度会いたい。
話をしたい。
今どうしてるか訊きたい。
あの逆立った髪に触れたい。
隣で安らいで眠りたい。
そのためには、魔界が存続して、今か今以上に安定するところが安定していなければならない。
そのためには、目の前のこいつを倒して、昔こいつが倒したという奴の本体だの手先だのを、とりあえず排除しなければならない。
単純な事実だ、今更再確認することなど何もない。
全ては決まっていたのだから。
俺があの塚に逃げ込んだ、その時から。
「そら、食らいな!!」
軀は空間破砕流を放つ。
極彩色の奔流、千の頭を持つ龍の如き破壊の力が、アポフィスに襲い掛かる。
だが、その力はアポフィスの目前で水流が石に当たったように砕け散る。
アポフィスが空に――というか上方の何もない空間に――向かって叫びを上げると、頭上から凄まじい光が轟音と共に降り注ぐ。
光輪が無数に生まれ、そこから神が下す審判のように光が降り注ぐ。
明るいとも昏いとも表現できない、奇妙な色彩と輝きの異なる光が、軀の頭上にまさに殺到。
視界が異界に塗り潰される。
『逃れたか、我が子よ』
アポフィスの視界の端で、軀が喘いでいる。
右腕と右足が、ない。
いや、何かで削り取られているのだ。
壊れた人形のように無残な軀の姿は、だが一瞬のことである。
軀がいささか精神を集中する気配を見せるや、削ぎ落されたような右腕右足が、一瞬で元に戻る。
あの機械パーツも新品だ。
「この力はお前がくれたものさ。どんなものでも、何にでも変換できる」
軀は空間変転能力を、自分の肉体に使ったのだ。
にやりと。
軀が色っぽさと清楚さの同居した唇を歪める。
今はそこには戦士の顔しかない。
「これはどうだ?」
と、軀が口にするや否や、長大なアポフィスの全身が、繭のような異空間に完全に包まれる。
蛇のぬいぐるみを箱詰めにしたかのように、アポフィスの肉体が完全に異空間に押し包まれたのだ。
軀は、そのまま異空間の内部に「消滅光」を満たす。
空間除去の応用であり、その空間の内部のものを消し去る光とも言えない光である。
アポフィスが激しくのたうつ。
取り囲む空間も、激しく跳ね回る。
瞬間。
目の前から異空間が消える。
「!?」
軀は怪訝そうな表情だ。
アポフィスが彼を取り囲んでいた空間ごと消えたのだ。
察知能力を発動させ……
その瞬間。
背後から噴出した巨大な顎に、軀は一瞬のうちに呑み込まれたのだ。
◇ ◆ ◇
アポフィスが、巨大な鎌首をもたげ、勝利を宣言するかのように伸び上がる。
「何もない空間」は、今やアポフィス以外には本当に「何もない」。
輝かしかった軀の姿は、どこにもない。
恐らく無限が詰まっているであろうアポフィスの体内で、消化されつつあろうというのは、傍からでも推察できること。
『ああ、ようやくだ』
アポフィスは、自分の肉体が変質しつつあることを知り……
と。
アポフィスの肉体の周囲に、またもや繭のような異空間が広がり。
それが、一瞬の間に、爆縮する。
まるで糸のように細くなった異空間は、ぐるぐると渦を巻きながら、ある空間の一点へ。
そこに。
いた。
軀が、右手を無造作に垂らして、そこに縒り合された細い異空間が吸い込まれていく。
まるで、水が流れ去る時の渦巻きのように、細く長く。
すすり上げるように異空間ごとアポフィスを吸収した軀は、しばし動かない。
特に姿に変わったところはない。
だが、一瞬。
膨大な輝きが、その肉体から放たれ……
◇ ◆ ◇
「ああら。上手く行ったみたいね?」
そこは、あのどことも知れない、砂漠めいた荒野である。
どこからともなく、遠音が現れる。
彼女は、軀の背後から腕を回してまとわりつき、
「変な空間にあなたと主が呑み込まれて焦ったわ。ああ、もう、あなたが主ね? 軀であり、アポフィスでもある方。二代目魔龍」
「ああ」
軀は、背中に手を回して遠音を軽く叩く。
「さて。帰るか。飛影はどうしただろうな」
そんな目で見据える荒野の真ん中に。
忽然と、奇妙な石の扉が現れたのだった。