螺旋より外れて
軀は目を開く。
茫洋と広がる荒野が、そこにはある。
強い風に、砂塵が時折舞い上がる。
太陽は頭上で白々と燃え、陽炎が立つが、軀は何故だか暑さは感じない。
さて、ここはどこだ。
軀は何気なく振り返る。
さっきくぐり抜けたはずの石の扉はどこにもない。
ということは、進まないといけないということだ。
前方を改めて確認する。
揺れる地平線に、何やら塔のような、細長い影が見て取れる。
魔界にたまに見かける自然の浸食による岩山のようにも、人工による髙い塔のようにも、どちらとも取れる造形である。
とりあえず、あそこまで行ってみるか。
軀がそう決断しかけた、その時である。
――ワタシノモトヘ。
誰かの声がして、軀ははたと周囲を見回す。
人の気配はない。
砂礫だけが広がる荒野である。
――我ガ子ヨ、ワガ元ニ来タリテ、我ガ力ヲ受ケヨ。
その声には、遠い昔に聞き覚えがあることを、軀は思い出す。
ズタボロに傷ついていた子供の頃。
あの魔神塚を本拠にしていた時に、頻繁に聞いていた気がする。
起きている時にも、夢の中にも、あの声は響いていたのだ。
大抵は助言をしてくれたのだが。
「ああ……お前が『魔神』か?」
軀は、頭の中の声に向けて問いかける。
――然リ。
声は、はっきりこう応じる。
「わかった。お前の元に行ってやる。で、どこにいるんだ?」
――迎エをヨコス。
その声が、終らぬうちにである。
頭上に、黒い影が差す。
いや、それは影ではない。
軀の頭上の空間に、大きく空間を占める「歪み」である。
都合、六つある。
ぐるぐると黒と形容しようのない色彩が混然一体になったかのような渦である。
こういうことには敏感な軀は、それが時空の歪みであると瞬時に見て取る。
ランダムに頭上に撒き散らされたようなそれの中に、更に黒い影が現れる。
渦巻くきらめきをまとって現れたかのような存在は、都合六体。
それは魔族であるのか。
長い年月の間に、無数の魔族と出くわしてきた軀にも、見覚えがない姿かたちである。
それは、昆虫と人間が相半ばしたような奇怪な姿の「何か」である。
黒虹色の甲殻にところどころ覆われた肌は、薄黒の人のような外観。
甲殻が変化したような角と触覚が、光の中で刃物のように輝く。
腰の上辺りから、蠍のような棘付きの尾が長く伸びている。
背中に広がる翅は大きく、まるで宇宙そのものを切り取ったかのような華麗な星空紋様が渦巻く。
いや、宇宙が覗けているのか。
その六体の生き物は、翼を広げて漆黒の弾丸のようなものを射出する。
咄嗟に、軀は避けて奔る。
同時に右手で空間断裂。
右端から二番目にいた虫人間が、袈裟懸けに寸断されてそのまま落下、空中に溶けるように、黒銀の霧に変じる。
「おい!! これが迎えか!! ずいぶんだな!!」
軀は魔神に向け怒鳴るが、返ってきたのは面白そうに笑う気配。
「ちっ!!」
まだ弾丸を射出する昆虫人を、軀を走りながら次々と斬り放つ。
胴を、頭を、手足を切り離され、そいつらは次々に落下し……
「ちっ!!」
軀は咄嗟に背後に飛び退く。
二体残った昆虫人の片方が、尾を無限に長く伸ばして軀を刺し貫こうとしてきたのである。
同時に、もう一体は翅から相変わらずの弾丸を射出し、軀を追い詰める。
二匹は一定の距離を置いて、軀を自在に追い詰め始める。
軀でも、その暗黒の弾丸に当たるとまずいとはわかる。
恐ろしく高密度のエネルギー体だ。
それが証拠に、当たった地面が音もなく消滅している。すでに一帯は地雷原のようになっている。
ぎゅわん!!
と渦を巻いて、昆虫人の尻尾が軀の左胸、心臓に迫る。
軀が咄嗟に左手で先端の針を掴み――同時に迫った暗黒弾に向け、右手の空間断裂を打ち振り……
ひゅん、と、空間が軽く明るくなったように見える。
軀はまじまじと目を見開く。
そこには、何もない。
空間断裂で真っ二つになったはずの昆虫人。
それが、二体ともいない。
まるで、空間に消しゴムでもかけたかのように、そこには「何もない」。
ただ、まるで彩雲がたなびいたかのような、薄い虹色の帯が広がっているのが、軀の目に入る。
これは。
「空間断裂? 空間除去?」
ゆるゆると戻り始める無の空間を、軀はじっと見据える。
自分の攻撃の軌道だ。
自分の攻撃があれであることは間違いない。
だが、見知った空間断裂どころか、空間除去?
「今のは、間違いなくあなたの力よ、軀。あなたの中に眠っていた魔神の力」
ふと、軀は振り向く。
一体、そいつはどこから現れたのだろう?
女が、いた。
魔族の女……に、見える。
下半身は、銀河のようにきらめくシャンパンゴールドの大蛇である。
上半身は、肌も露わな女であるが、最低限の衣服とシャンパンゴールドの長い髪が、調和を保っている。
恐らく美しいであろう顔の上半分を、仮面舞踏会のようなきらびやかな仮面が覆う。
その奥から覗く、悪戯っぽい金色の目。
「何者だ」
軀は、相手に殺気がないことは確認するものの、まだ戦闘態勢は解かずに問う。
何せ怪しすぎる登場の仕方である。
「大きくなったこと。それにしっかりしたわね。前は、あんなに頼りない子供だったのに」
美しく響きのいい女の声で放たれたのは、そんな意外な一言。
「私は、遠音(とおね)。昔、あなたに名乗ったことがあるの。忘れてしまったかしら?」
彩られた唇が嫣然と微笑み、軀は凝然とその奇妙な女を見返したのだった。
茫洋と広がる荒野が、そこにはある。
強い風に、砂塵が時折舞い上がる。
太陽は頭上で白々と燃え、陽炎が立つが、軀は何故だか暑さは感じない。
さて、ここはどこだ。
軀は何気なく振り返る。
さっきくぐり抜けたはずの石の扉はどこにもない。
ということは、進まないといけないということだ。
前方を改めて確認する。
揺れる地平線に、何やら塔のような、細長い影が見て取れる。
魔界にたまに見かける自然の浸食による岩山のようにも、人工による髙い塔のようにも、どちらとも取れる造形である。
とりあえず、あそこまで行ってみるか。
軀がそう決断しかけた、その時である。
――ワタシノモトヘ。
誰かの声がして、軀ははたと周囲を見回す。
人の気配はない。
砂礫だけが広がる荒野である。
――我ガ子ヨ、ワガ元ニ来タリテ、我ガ力ヲ受ケヨ。
その声には、遠い昔に聞き覚えがあることを、軀は思い出す。
ズタボロに傷ついていた子供の頃。
あの魔神塚を本拠にしていた時に、頻繁に聞いていた気がする。
起きている時にも、夢の中にも、あの声は響いていたのだ。
大抵は助言をしてくれたのだが。
「ああ……お前が『魔神』か?」
軀は、頭の中の声に向けて問いかける。
――然リ。
声は、はっきりこう応じる。
「わかった。お前の元に行ってやる。で、どこにいるんだ?」
――迎エをヨコス。
その声が、終らぬうちにである。
頭上に、黒い影が差す。
いや、それは影ではない。
軀の頭上の空間に、大きく空間を占める「歪み」である。
都合、六つある。
ぐるぐると黒と形容しようのない色彩が混然一体になったかのような渦である。
こういうことには敏感な軀は、それが時空の歪みであると瞬時に見て取る。
ランダムに頭上に撒き散らされたようなそれの中に、更に黒い影が現れる。
渦巻くきらめきをまとって現れたかのような存在は、都合六体。
それは魔族であるのか。
長い年月の間に、無数の魔族と出くわしてきた軀にも、見覚えがない姿かたちである。
それは、昆虫と人間が相半ばしたような奇怪な姿の「何か」である。
黒虹色の甲殻にところどころ覆われた肌は、薄黒の人のような外観。
甲殻が変化したような角と触覚が、光の中で刃物のように輝く。
腰の上辺りから、蠍のような棘付きの尾が長く伸びている。
背中に広がる翅は大きく、まるで宇宙そのものを切り取ったかのような華麗な星空紋様が渦巻く。
いや、宇宙が覗けているのか。
その六体の生き物は、翼を広げて漆黒の弾丸のようなものを射出する。
咄嗟に、軀は避けて奔る。
同時に右手で空間断裂。
右端から二番目にいた虫人間が、袈裟懸けに寸断されてそのまま落下、空中に溶けるように、黒銀の霧に変じる。
「おい!! これが迎えか!! ずいぶんだな!!」
軀は魔神に向け怒鳴るが、返ってきたのは面白そうに笑う気配。
「ちっ!!」
まだ弾丸を射出する昆虫人を、軀を走りながら次々と斬り放つ。
胴を、頭を、手足を切り離され、そいつらは次々に落下し……
「ちっ!!」
軀は咄嗟に背後に飛び退く。
二体残った昆虫人の片方が、尾を無限に長く伸ばして軀を刺し貫こうとしてきたのである。
同時に、もう一体は翅から相変わらずの弾丸を射出し、軀を追い詰める。
二匹は一定の距離を置いて、軀を自在に追い詰め始める。
軀でも、その暗黒の弾丸に当たるとまずいとはわかる。
恐ろしく高密度のエネルギー体だ。
それが証拠に、当たった地面が音もなく消滅している。すでに一帯は地雷原のようになっている。
ぎゅわん!!
と渦を巻いて、昆虫人の尻尾が軀の左胸、心臓に迫る。
軀が咄嗟に左手で先端の針を掴み――同時に迫った暗黒弾に向け、右手の空間断裂を打ち振り……
ひゅん、と、空間が軽く明るくなったように見える。
軀はまじまじと目を見開く。
そこには、何もない。
空間断裂で真っ二つになったはずの昆虫人。
それが、二体ともいない。
まるで、空間に消しゴムでもかけたかのように、そこには「何もない」。
ただ、まるで彩雲がたなびいたかのような、薄い虹色の帯が広がっているのが、軀の目に入る。
これは。
「空間断裂? 空間除去?」
ゆるゆると戻り始める無の空間を、軀はじっと見据える。
自分の攻撃の軌道だ。
自分の攻撃があれであることは間違いない。
だが、見知った空間断裂どころか、空間除去?
「今のは、間違いなくあなたの力よ、軀。あなたの中に眠っていた魔神の力」
ふと、軀は振り向く。
一体、そいつはどこから現れたのだろう?
女が、いた。
魔族の女……に、見える。
下半身は、銀河のようにきらめくシャンパンゴールドの大蛇である。
上半身は、肌も露わな女であるが、最低限の衣服とシャンパンゴールドの長い髪が、調和を保っている。
恐らく美しいであろう顔の上半分を、仮面舞踏会のようなきらびやかな仮面が覆う。
その奥から覗く、悪戯っぽい金色の目。
「何者だ」
軀は、相手に殺気がないことは確認するものの、まだ戦闘態勢は解かずに問う。
何せ怪しすぎる登場の仕方である。
「大きくなったこと。それにしっかりしたわね。前は、あんなに頼りない子供だったのに」
美しく響きのいい女の声で放たれたのは、そんな意外な一言。
「私は、遠音(とおね)。昔、あなたに名乗ったことがあるの。忘れてしまったかしら?」
彩られた唇が嫣然と微笑み、軀は凝然とその奇妙な女を見返したのだった。