螺旋より外れて

 反射的に振り返った幽助は、そこに「そいつ」を見る。

 指摘されずともわかる。
「呼ばれざる者」の手先だ。

「それ」は、大小様々な極彩色のラグビーボール型や球体で、全身が構成されているかのような奇怪な見た目である。
 一見、獣のように見える。
 ただし、肢は四本ではなく八本。
 先端は尖った蹄で、ハイヒールに似ていなくもない。
 湾曲した白鳥じみた首が四本。
 頭部は二俣に分かれた嘴のような突起がぞろりと突き出す。
 目なのか、それ以外の感覚器官なのか判然としない、虹色の宝玉めいたものが、額に当たる部分に一つずつ光っている。
 頭から尾の付け根まで4mほどもあるが、先端のヒレのようになった尻尾は同じくらいの長さだ。

 子供たちが、過去の幽助と螢子がひいっと引き攣った悲鳴を上げる。

「兄貴!!」

 今の幽助が振り返り、叫ぶ。

「俺が引き受ける!! 兄貴は、螢子とそいつを安全な場所に!!」

「……わかった」

 ほんの一瞬躊躇した永夜だが、すぐに幼い幽助と螢子を袖に庇い、次の瞬間、空間を転移する。
 気配が完全に消える。

「……よっし、これで思う存分やれるな」

 幽助は、夕日に照らされた川べりの道で笑う。
「呼ばれざる者の下僕」はくるくると聞こえるような奇妙な声で鳴く。

 下僕は、目の前になにやら輝く光の網のようなものを生み出す。
 それが地面を削りながら奔り、幽助の元に殺到する。

「食うかっ……ての!!」

 幽助は真横に飛んで霊丸。
 大音声と輝きが周囲を圧するが、下僕は長い尾を振り立てている。
 そこに生み出された光の幕が、霊丸を呑み込み消滅させる。
 熱い紅茶に溶ける砂糖のように、そこには何もない。

「ちぇ。ケモノっぽいと思ったら、器用な奴だな!!」

 幽助はニンマリ笑って一気に間合いに踏み込む。
 至近距離、下僕の胴体に向かってショットガン。

 が、その瞬間。

 下僕の胴体が、弾け飛ぶ。

 いや、ショットガンで弾け飛んだのではない。
 命中する寸前、無数のラグビーボール型や球体と見えたものが、一気にばらばらにほぐれて散ったのだ。
 ショットガンは、すっかり空いた隙間を通過して地面を抉るのみ。

「なっ、なんだ……!!」

 幽助がぎょっとしたのも道理、散ったに見えた極彩色の粒が、今度は一気に幽助に向け押し寄せる。
 まるで大量の水に溺れるように、幽助は極彩色の粒の圧力に溺れる。
 体と同様、意識も混沌の圧力に埋もれ、溶けていく。

 ……

 …… ……

 ふと、幽助は気付く。

 一瞬、見覚えがあるなと思ったその場所。

 ――雷禅の部屋だ。

 それが証拠に、目の前に、台座に座った父と……北神がいる。

『しかしよお。北神。おめえがどうしてもっていうから呼び寄せたが、あの幽助ってガキ。全然使えねえじゃねえか』

 雷禅が、呆れたようにひざまずく北神に向かって愚痴る。

『ただの人間に毛が生えた程度だ。あんなのが、軀や黄泉に対抗できるか!!』

 まあ、そうだよな、と幽助は溜息をつく。
 軀や黄泉を目の前にした時、正直、あまりの力の差に絶望どころか心が停止したことを思い出す。
 親父なら、もっとはっきりわかってたはずだ。
 俺を認識した当初から。
 そうか、俺を呼び寄せるのは、北神が提案したことだったのか。
 あいつのことだから、最後に親父を子供に引き合わせようとしたのか。

『第一よお。俺は、あのガキの先祖の女に子供を産ませたが、その女自体に興味があったんであって、ガキになんぞ興味はねえよ。子供作りゃ、他人ではなくなる、そんな程度の話だ。わかんねえのか野暮天が』

 幽助はふと違和感を覚える。

『その女自身だって、もう何百年も前に死んでる。顔も忘れて――』

「嘘だ!!」

 幽助はきっぱり叫ぶ。
 どこかの時空の、雷禅と北神が今気付いたようにぞろりと振り向く。

「親父がおふくろの顔も忘れたなんて嘘だ。まるで目の前にいるみてえな話し方だったんだぞ」

 幽助は声に力を込める。
 血流が復活したように感じる。
 視界が明瞭に澄んでいく。

「誰だ、てめえら。だれでもいいか。ニセモノ野郎。つまんねえことすんじゃねえ、ぶっ殺すぞ!!」

 その瞬間、雷禅と北神が飛びかかって来る。
 幽助はバク転しながら、北神に回転蹴りを見舞って遠くに吹きとばす。
 着地しながら、低い位置から頭を飛び越えていった雷禅に霊丸を――


 ◇ ◆ ◇

 バシン!!

 と激しい音と共に視界が転換する。
 視界いっぱいに黄金の夕日。
 目の前に横たわっているのは、あの河原である。

 幽助は、少し離れたところにあの奇怪な下僕を見る。
 二俣の嘴を開いて、何か光線じみたものを吐き出そうと……

「させるかぁーーーーーー!!!!」

 幽助は、渾身の力を込めた霊丸を、その下僕に向けて放つ。
 ほぼ、土手が消滅するかのような衝撃。
 砂嵐のような大気が鎮まった時。
 そこには、すでに下僕どころか、何もない。


 ◇ ◆ ◇

「おめでとう。浦飯くん。試練は上手くいったね」

 すぐ背後から声が聞こえて、幽助は振り返る。
 そこにいたのは、あの美しい稚児。
 天御中主神である。

「お、おめー!! よっしゃあっ!!」

 幽助は、問答無用で、その華奢すぎる子供の肩を両手で捕まえる。

「つーかまーえた!! 確かに捕まえたぞ!! これでミッションクリアだろ!!」

 幽助が叫ぶと、天御中主神は穏やかに微笑む。

「捕まえられたね。うん、これで君は試練をこなしたということだ。約束通り、分霊をあげよう」

 その時、すぐ脇の空間が歪む。
 永夜が姿を見せる。

「幽助!! ……天御中主神、これは……?」

「ああ、お帰り、永夜君。終ったんだ、幽助君の勝ちだ」

 天御中主は嬉しそうにニコニコしている。

「最後はもっと苦労するかと思ったんだけどね。雷禅のことを幽助くんは把握してるなあ」

「や、だって、明かに不自然だもんよアレ。神様なのに芸がねえんじゃねーの? もっとマシなニセモノ作れよな」

 あまりの幽助の言い草に、永夜は無言でその背を張り、天御中主はけろけろ笑ったのだった。
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