螺旋より外れて
「ここが西の森かあ。ふーーーん」
幽助が、その温暖な地方特有の植生の森を眺めながら呟く。
幽助からすれば、見たこともないほど巨大に育った植物ばかりで、森が構成されている。
下生えの葉っぱすら、幽助の顔くらいはある。
頭上は瑠璃色の空の天蓋。
しかし、その森は重なり合う枝葉のせいで、日差しが届かぬほどだ。
「さあ、行こうか。この森のどちらかに、天御中主神がおわしますはずだ」
永夜が撃を縮めて肩に乗せる。
「こんなところで鬼ごっことはなあ。走るのも面倒だぞここ」
幽助が渋い顔を見せる。
「仕方ない。あちらが条件を指定できるのだ。分霊をいただく側としては、大人しく条件を呑むしかない」
永夜は淡々とそう告げる。
幽助は、ちらと兄の時はどんな条件だったのだろうと気になったが、集中力を切らせたくなくて、その質問は控えることにする。
「ええい、まあ、しょーがねーな。行くぞ!!」
幽助は倒木をまたぎ越し、森の奥へと足を進める。
永夜がそのすぐ後だ。
「くっそ、歩きにくい……ん?」
幽助は巨大な植物に邪魔されながらも無理やり森の奥であろうという方向に進み。
次いで、立ち止まる。
「なあ、兄貴、これ……」
幽助が目を瞬かせたのも道理。
そこには、夕映えのような黄金の色をたたえる、空間の歪みじみた「何か」があったのだ。
「なんだ、これ……」
ちょうど、人一人がくぐれるくらいの大きさの「歪み」を、幽助はしげしげ眺める。
光を含んだ水面のように、それはぐるぐる渦巻きながら、黄金の光を撒き散らす。
「……これに、入れ、ということだろうね。どこか、他の時空と繋がっているはずだ」
永夜が解説してくれる。
「天御中主神は宇宙開闢の神。全ての時空と繋がっておられるお方だ。どの時空に飛ばされるかは」
「……行ってみるまで、わかんねーってか? けっ、上等だぜ!!」
幽助は、ふんと鼻を鳴らして胸を反らせ、その黄金の渦に突っ込む。
のれんでもかきわけるように、穏やかに続くのは永夜。
「……あれ? ここは」
幽助は、ぎくりとして立ち止まる。
黄金の光をくぐり抜けた先にあったのは……案の定、夕日の差し込む時間帯の、街である。
しかも、極めて見覚えのある街だ。
夕餉の煙と匂い。
空気の匂い。
光の中に浮かび上がる街並み。
横たわり静かに流れるやや大きめの川。
……故郷だ。
自宅の近所。
皿屋敷市の、古くからの住宅街の一角。
目の前に流れる川に、明確に見覚えがある。
「やだ、ちょっと返してよ!!」
「へーーーんだ、こっちまでおいでーーーーだ!!」
目の前を、弾丸のように小さな子供が横切ったのを、幽助は思わず背後に避けながら眺め。
次いで、ぎくりとする。
この子供は。
夕映えの中、先に走っていったのは、短く黒髪を刈った半ズボンの男の子。
目の強い光といい、見覚えがある――洗面所で毎朝出くわす顔ではないか!?
そして、その背後から追うのは、ワンピースの女の子。
くりっとした、澄んだ大きな目と、色白の肌、華奢な手足。
――螢子。
幽助は一瞬動けなくなる。
その子供たちは両方とも、小学校就学前くらいに見える。
――自分と、螢子の、もう十年も前の思い出だ。
いつのことだろうと思い返し、幽助は先に走っていく自分が、何かを頭上に掲げ持っているのに気付く。
その瞬間に、幽助は思い出す。
「あの」ぬいぐるみだ。
今も後悔が消えない嫌な思い出。
そのぬいぐるみは、いわゆるテディベアの類に分類されるようなものだ。
ただ、珍しいことに、鮮やかなコバルトブルーの毛皮を持つ、あまり見かけない洒落た感じのぬいぐるみだ。
思い出す。
「あれ」は、螢子の宝物だったもの。
自宅の店のお得意さんの一人が、英国に出張したとかで、お土産に買ってきてくれてプレゼントしてもらったとかいう、日本国内では手に入らないテディベアだったはず。
螢子はそれを大事に……
「おい!!」
そのテディベアを盗んだ幽助を追いかけていた幼い螢子が、派手に転倒する。
幽助は咄嗟に彼女を助け起こす。
宝物を盗られたのと痛みで泣きべそをかいていた螢子を、幽助は立たせて、頭を撫でてやる。
「宝物、盗られたんだな? よし、兄ちゃんが取り返して来てやるから待ってろ。……兄貴!!」
幽助は側にいた永夜を呼ぶ。
「螢子を頼む。俺は『あいつ』を仕置きしてくっからよ」
「ああ」
永夜が、螢子の側にかがんで、優しい声で話しかけ始めたのを確認するや、幽助は身を翻す。
かつての自分だった、小さな背中に追いついたのはすぐ。
橋のたもと。
記憶にあるなら、自分はこの橋の上から、真下の川に向かって、螢子の「宝物」を投げ捨てたのだ。
確か、あの時はなかなか許してもらえず、三か月も口をきいてくれなくなった螢子を見かね、母親の温子が、出来る限り高級なテディベアを弁償したのではなかったか。
国内に同じものは出回ってなかったので、あくまで辛うじて近いものくらいであったが、それでも何もないよりはマシ程度だったのだ。
「やめろ」
橋の欄干に駆け登ろうとして幼い自分を、今の幽助が首根っこを掴んで止める。
「何してんだ。友達の、大事な宝物を捨てる気か? 本当にそんなことしていいと思ってるのか?」
夕映えだけではない、興奮で紅い顔をしたかつての自分に、幽助は話しかける。
そいつは、きっ!! と大きな目を剥いて、将来の自分を睨みつける。
「うるさい!! 螢子が悪いんだ!! ぬいぐるみばっかで、俺と遊ばないんだもん!!」
ああ、そうだ、と、その言葉を聞いた今の幽助は思い出す。
何でそこまで悪質なことをしてしまったのかの、記憶。
それは、つまらない嫉妬である。
貧乏な母子家庭出身の自分では買ってもやれないような珍しくて高級な外国のぬいぐるみに、夢中になって自分とあまり向き合ってくれなくなった螢子に対する意趣返し。
「何かしてほしいことがあるんなら、話し合え。そんないじわるするんじゃない。お前、そのぬいぐるみをなくしたら、同じものは買ってやれないんだぞ? 取り返しがつかないんだ。そんなことするな」
螢子を悲しませたいのか?
そう問うと、幼い幽助は顔を歪める。
「別に……そうじゃない。俺は、螢子に遊んでほしくて」
「じゃあ、ぬいぐるみで一緒に遊べ。さ、螢子にぬいぐるみ返しに行こう」
幽助は、幼い自分の手を引いて歩き出す。
そういえば、天御中主の試練の最中だっけ。
そんなことを思い出す。
でも、もうそんなことはどうでもいいように思える。
自分は、変えたかった過去を一つだけ変えたのだ。
道を引き返して行くと、目の前に幼い螢子と、永夜の姿。
「さ。返しに行くんだ」
幽助は幼い自分の背中を押す。
自分は小さくうなずき、螢子に近付く。
手の中のテディベアを突き出して、小さく
「ごめん」
とはっきり告げる。
「後悔なんかと無縁の君が、今も抱える数少ない後悔……か」
永夜は、幼い二人を見ながら、ふっと笑う。
「些細なこと、しかし、信頼という点では大事なことだね」
永夜が呟いた途端。
彼らの背後から、影が差したのだった。
幽助が、その温暖な地方特有の植生の森を眺めながら呟く。
幽助からすれば、見たこともないほど巨大に育った植物ばかりで、森が構成されている。
下生えの葉っぱすら、幽助の顔くらいはある。
頭上は瑠璃色の空の天蓋。
しかし、その森は重なり合う枝葉のせいで、日差しが届かぬほどだ。
「さあ、行こうか。この森のどちらかに、天御中主神がおわしますはずだ」
永夜が撃を縮めて肩に乗せる。
「こんなところで鬼ごっことはなあ。走るのも面倒だぞここ」
幽助が渋い顔を見せる。
「仕方ない。あちらが条件を指定できるのだ。分霊をいただく側としては、大人しく条件を呑むしかない」
永夜は淡々とそう告げる。
幽助は、ちらと兄の時はどんな条件だったのだろうと気になったが、集中力を切らせたくなくて、その質問は控えることにする。
「ええい、まあ、しょーがねーな。行くぞ!!」
幽助は倒木をまたぎ越し、森の奥へと足を進める。
永夜がそのすぐ後だ。
「くっそ、歩きにくい……ん?」
幽助は巨大な植物に邪魔されながらも無理やり森の奥であろうという方向に進み。
次いで、立ち止まる。
「なあ、兄貴、これ……」
幽助が目を瞬かせたのも道理。
そこには、夕映えのような黄金の色をたたえる、空間の歪みじみた「何か」があったのだ。
「なんだ、これ……」
ちょうど、人一人がくぐれるくらいの大きさの「歪み」を、幽助はしげしげ眺める。
光を含んだ水面のように、それはぐるぐる渦巻きながら、黄金の光を撒き散らす。
「……これに、入れ、ということだろうね。どこか、他の時空と繋がっているはずだ」
永夜が解説してくれる。
「天御中主神は宇宙開闢の神。全ての時空と繋がっておられるお方だ。どの時空に飛ばされるかは」
「……行ってみるまで、わかんねーってか? けっ、上等だぜ!!」
幽助は、ふんと鼻を鳴らして胸を反らせ、その黄金の渦に突っ込む。
のれんでもかきわけるように、穏やかに続くのは永夜。
「……あれ? ここは」
幽助は、ぎくりとして立ち止まる。
黄金の光をくぐり抜けた先にあったのは……案の定、夕日の差し込む時間帯の、街である。
しかも、極めて見覚えのある街だ。
夕餉の煙と匂い。
空気の匂い。
光の中に浮かび上がる街並み。
横たわり静かに流れるやや大きめの川。
……故郷だ。
自宅の近所。
皿屋敷市の、古くからの住宅街の一角。
目の前に流れる川に、明確に見覚えがある。
「やだ、ちょっと返してよ!!」
「へーーーんだ、こっちまでおいでーーーーだ!!」
目の前を、弾丸のように小さな子供が横切ったのを、幽助は思わず背後に避けながら眺め。
次いで、ぎくりとする。
この子供は。
夕映えの中、先に走っていったのは、短く黒髪を刈った半ズボンの男の子。
目の強い光といい、見覚えがある――洗面所で毎朝出くわす顔ではないか!?
そして、その背後から追うのは、ワンピースの女の子。
くりっとした、澄んだ大きな目と、色白の肌、華奢な手足。
――螢子。
幽助は一瞬動けなくなる。
その子供たちは両方とも、小学校就学前くらいに見える。
――自分と、螢子の、もう十年も前の思い出だ。
いつのことだろうと思い返し、幽助は先に走っていく自分が、何かを頭上に掲げ持っているのに気付く。
その瞬間に、幽助は思い出す。
「あの」ぬいぐるみだ。
今も後悔が消えない嫌な思い出。
そのぬいぐるみは、いわゆるテディベアの類に分類されるようなものだ。
ただ、珍しいことに、鮮やかなコバルトブルーの毛皮を持つ、あまり見かけない洒落た感じのぬいぐるみだ。
思い出す。
「あれ」は、螢子の宝物だったもの。
自宅の店のお得意さんの一人が、英国に出張したとかで、お土産に買ってきてくれてプレゼントしてもらったとかいう、日本国内では手に入らないテディベアだったはず。
螢子はそれを大事に……
「おい!!」
そのテディベアを盗んだ幽助を追いかけていた幼い螢子が、派手に転倒する。
幽助は咄嗟に彼女を助け起こす。
宝物を盗られたのと痛みで泣きべそをかいていた螢子を、幽助は立たせて、頭を撫でてやる。
「宝物、盗られたんだな? よし、兄ちゃんが取り返して来てやるから待ってろ。……兄貴!!」
幽助は側にいた永夜を呼ぶ。
「螢子を頼む。俺は『あいつ』を仕置きしてくっからよ」
「ああ」
永夜が、螢子の側にかがんで、優しい声で話しかけ始めたのを確認するや、幽助は身を翻す。
かつての自分だった、小さな背中に追いついたのはすぐ。
橋のたもと。
記憶にあるなら、自分はこの橋の上から、真下の川に向かって、螢子の「宝物」を投げ捨てたのだ。
確か、あの時はなかなか許してもらえず、三か月も口をきいてくれなくなった螢子を見かね、母親の温子が、出来る限り高級なテディベアを弁償したのではなかったか。
国内に同じものは出回ってなかったので、あくまで辛うじて近いものくらいであったが、それでも何もないよりはマシ程度だったのだ。
「やめろ」
橋の欄干に駆け登ろうとして幼い自分を、今の幽助が首根っこを掴んで止める。
「何してんだ。友達の、大事な宝物を捨てる気か? 本当にそんなことしていいと思ってるのか?」
夕映えだけではない、興奮で紅い顔をしたかつての自分に、幽助は話しかける。
そいつは、きっ!! と大きな目を剥いて、将来の自分を睨みつける。
「うるさい!! 螢子が悪いんだ!! ぬいぐるみばっかで、俺と遊ばないんだもん!!」
ああ、そうだ、と、その言葉を聞いた今の幽助は思い出す。
何でそこまで悪質なことをしてしまったのかの、記憶。
それは、つまらない嫉妬である。
貧乏な母子家庭出身の自分では買ってもやれないような珍しくて高級な外国のぬいぐるみに、夢中になって自分とあまり向き合ってくれなくなった螢子に対する意趣返し。
「何かしてほしいことがあるんなら、話し合え。そんないじわるするんじゃない。お前、そのぬいぐるみをなくしたら、同じものは買ってやれないんだぞ? 取り返しがつかないんだ。そんなことするな」
螢子を悲しませたいのか?
そう問うと、幼い幽助は顔を歪める。
「別に……そうじゃない。俺は、螢子に遊んでほしくて」
「じゃあ、ぬいぐるみで一緒に遊べ。さ、螢子にぬいぐるみ返しに行こう」
幽助は、幼い自分の手を引いて歩き出す。
そういえば、天御中主の試練の最中だっけ。
そんなことを思い出す。
でも、もうそんなことはどうでもいいように思える。
自分は、変えたかった過去を一つだけ変えたのだ。
道を引き返して行くと、目の前に幼い螢子と、永夜の姿。
「さ。返しに行くんだ」
幽助は幼い自分の背中を押す。
自分は小さくうなずき、螢子に近付く。
手の中のテディベアを突き出して、小さく
「ごめん」
とはっきり告げる。
「後悔なんかと無縁の君が、今も抱える数少ない後悔……か」
永夜は、幼い二人を見ながら、ふっと笑う。
「些細なこと、しかし、信頼という点では大事なことだね」
永夜が呟いた途端。
彼らの背後から、影が差したのだった。