螺旋より外れて

「うん、まずいな、まずい。蔵馬さんはまずいな」

 つる草で縛り上げられているのもどこ吹く風に、永夜は呟く。
 幽助が顔だけ兄を見て怪訝な顔だ。

「なんだよ、兄貴。蔵馬の何がまずいんだよ」

「正確に言うなら、蔵馬さんが、ではなく、そのお相手の方々が、だけどね」

 永夜はかすかに溜息。

「あの真ん中の女性の妖狐さんは、この神界で数いる宇迦之御魂神の神使の中の、頂点に立つ方。第一の側近でいらっしゃる。まさかあの方を投入してくるとは驚いた。しかも戦えとは」

「え……マジか。今の時点じゃ、蔵馬に勝ち目なしか。どうすりゃいいんだ……って、他の奴は」

 幽助が残りの妖狐たちに目をやったが、永夜はやはり首を横に振る。

「他の方々も、やはり上位の神使ばかり。あの方でなくとも、真正面から戦って、今の時点の蔵馬さんに太刀打ちできるような相手ではないんだが。幽助、君や蔵馬さんがピンチを切り抜けるたびに妖気霊気を増大してきたような手法は、この場合無意味だ」

 神気と妖気霊気では根本的に違うのだよ。
 永夜は更に溜息。

「そんな……これじゃ試練じゃなくてなぶり殺しなんじゃねーか? なんでこんな」

 さしもの幽助も青ざめている。
 落ち着いてよく観察すれば、神使妖狐たちの膨大な神気は明らかである。
 兄の言う通り、今の蔵馬では太刀打ちできぬというのも実感として理解できる。

「しかし……この試練が本来何であったかを、蔵馬さんが思い出せれば……もしや、の可能性はある」

 永夜が声をひそめる。

「何だよ、何言って……」

 幽助が混乱しているうちに、妖狐蔵馬が動く。

「そうだな。そこのあなたに戦ってもらいたい」

 妖狐蔵馬が指さしたのは、まさに、神使たちの頂点に立つという、あの美女妖狐である。

「やり合う前に……名前を聞いておきたいのだが?」

 蔵馬が不敵に笑いながら問うと、美女妖狐は嬉し気に微笑む。

「これはご無礼を。わたくしは、羅春(らしゅん)。羅春と申します。お見知りおきを、蔵馬様」

「羅春か。さて、いつ始める?」

 蔵馬が手の中に薔薇棘鞭刃を取り出すと、羅春はますます笑みを深くして、手の中に何やらぐるぐる回転する、奇妙な多面体のような「何か」を呼び出す。
 何色とも言い難い、不可解な炸裂する視覚に対する刺激。
 蔵馬にも幽助にもそれが何か理解できないのだが、非常な力を秘めていることだけは肌で理解する。

「『次元珠(じげんじゅ)』。昔の人間の方なら、狐の玉、とでも仰るでしょうね。もちろん、一般の妖狐の方のとは違いますけど」

 言うなり、羅春は手の中の次元珠を揺する。
 瞬時に、次元珠をコピーしたようなぐるぐる回る奇怪な多面体が、蔵馬の周囲に幾つも配置される。
 どっちに進もうと、体が次元珠に触れてしまう密度である。

 それに動揺したのは、蔵馬よりも幽助である。

「なんだ、あのぐるぐるチカチカするやつは?」

「ふむ。どうにかすぐさま降伏する余地は残してある程度だな」

 永夜は、弟には聞こえる声で呟く。

「このぐるぐるしたのは『運命のゆらぎ』。羅春様を最強たらしめる術だ。これをいきなり出されたからには、羅春様に手加減するおつもりは全くないようだな……」

 幽助はそのぐるぐるに酔っぱらいそうな気分になりながら更に尋ねる。

「兄貴、これって何だよ? 何がどうなって最強なんだ? 運命のゆらぎ?」

 永夜は鋭く息を吐く。

「羅春様は、いわゆる因果律というものを操れる最強神使だ。この運命のゆらぎに触れると、例えどんな行動をしていたとしても、羅春様が意図した運命に『修正』されてしまう」

 え、と小さな幽助の声。

「それって、蔵馬がどんな攻撃をしたとしても絶対あの羅春って奴に届かないようになっちまうってことなんじゃねえか!?」

「攻撃が届かない、程度ならいいがね。そんな単純ではないはずだ」

 永夜が言い終わるまでもなく。

 薔薇棘鞭刃一閃。

 しかし。

「くうっ!!」

 蔵馬が悲鳴を上げる。
 真正面の羅春に、運命のゆらぎを避けて放ったはずの薔薇棘鞭刃は、どういう訳だか、蔵馬の真後ろから迸り出て来たのだ。
 自分の武器で背中を横薙ぎに抉られて、蔵馬は一瞬で血まみれになる。

「く、蔵馬!!」

 幽助が叫ぶ。

 それも知らぬげに、羅春はそこから動かず、ただ微笑んでいる。

「おわかりになりましたか、蔵馬さん。あなたはすでに『運命のゆらぎ』に取り囲まれている。何をしても無駄です。わたくしを指名なさらなければ、ここまでのことにはならなかったのですが」

 残念です、と羅春が小さく嘆息するが、蔵馬は不敵な表情を隠さない。

「なに。まだまだ。俺が今まで経験してきた戦いとは違う。そういうことなのだろう?」

 言うなり、蔵馬はほぼ真横、左手側に、薔薇棘鞭刃を走らせる。
 また歪んで弾き返されると思いきや。

「うわっ!!」

 誰か、若者の声が上がる。

 不意を打たれた、蔵馬から見て真左あたりにいた神使妖狐。
 黒銀の狐である彼を襲った薔薇棘鞭刃は、しかし、彼の肉体を切り裂くではなく、その左腰に吊られていた、濃緑色の袋に絡みつき、はるか頭上に弾き飛ばしていたのだ。

「えっ!? くっ、蔵馬!?」

 幽助は訳が分からず目を白黒させるばかり。
 永夜はなるほどといわんばかりに唸る。
 彼は一瞬でその行動の理由を理解したようだ。

「……チェックメイトだ」

 頭上から降ってきた袋を、蔵馬はひょいと掴み取る。
 するりと紐を解いて中身を引っ張り出す。

「なるほど、地図か。かくれんぼの最終目的地はここ、という訳だ」

 蔵馬は絹の布に記された地図を、羅春に見えるように広げて見せる。
 羅春はくすくす嬉しそうに笑い、

「お人が悪い。いつから彼が『正解』だとお気づきで?」

「最初からだ。あの、緑の布袋を見た時からな。だが、正面から行けば妨害されると踏んだのだ。……気を逸らせるなら、あなたではなく別の奴を指名するべきだったと、すぐさま後悔はしたが」

 ふう、と大きく溜息をつく蔵馬の前から「次元のゆらぎ」が消えていく。

「お見事です。正解です。さすが我ら一族の中でも名高き蔵馬様」

「嫌味なお情けが身に染みる。あなたも妖狐族だな」

 蔵馬は苦々しく笑い、膝を伸ばして立ち上がったのだった。
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