螺旋より外れて

「さあ、新しい剣だ。最後の試練、火翔(かしょう)は手強いぞ。心してかかれ」

 火之迦具土神の言葉を背負い、新しい剣を与えられた飛影は、永夜たちと共に再び空に舞い上がる。
 弾け飛んだ右腕は、永夜の治癒術で治してもらい、新しい剣は神からの贈り物であるので、炎の気を帯びた高品位なものだ。

 しかし。

「ううう……」

 幽助が撃の背の上でうっそりした顔をしている。

「うむうむ、なかなか噛み心地が良いぞ、若いの!! まともなものを食べているようだな!!」

 紅蓮が幽助の腕だの頭だのをべろべろ舐めたり甘噛みしたり。
 とにかく楽しそうである。

「仕方ありませんね、幽助。あなた、子供や動物に好かれる方ですからね」

 蔵馬がおかしそうに笑うと、今度は紅蓮のでかい口が蔵馬に。
 彼の小さな頭を、紅蓮のばかでかい牙だらけの口が丸のみだ。

「……あの……」

 動いたら怪我するな、と思った蔵馬が控えめに抗議すると、紅蓮はくふくふと笑う。

「こっちは香草の香りがするな。これはこれで美味そうだ。ちょっとかじっていいか?」

 がじがじ。

「やめてください。狐なんで、中身はあんまりいい匂いじゃないと思います」

 恐らく真顔で抗議する蔵馬に、幽助がげらげら笑う。

「蔵馬ヒクツじゃね? どうした?」

「食べられたくないけど、こちらが俺を食べようと思ったら防ぐ手立てはないからね」

 その間にも、今度は紅蓮が幽助の頭をかじりだす。
 がじがじ。

「うう……おい、飛影~~~、オメーのペットだろ!! 何とかしろ!!」

 かじられながら、幽助がそもそもの主である飛影に抗議を持っていく。

 飛影がふと振り向く。
 手の中には、さっきから変わらず、火之迦具土神から贈られた新しい剣がある。
 直剣で、刀身が墨のように真っ黒い。
 全体的に微細な金色の粒子が封じられていてきらきら輝く。
 刀身の中心には、鮮やかな金色の龍が踊っている豪奢なもの。
 飛影はこれを手にして重心の確認や腕に収まる具合を調べていたらしい。

「紅蓮。適当なところで切り上げろ」

「うぃ」

 結局自由裁量ということでしかなく、相変らず紅蓮にかじられる幽助と蔵馬である。

「まあ、皆さん。もうすぐ火翔様の居場所に着きますから」

 撃の首の付け根に座り操っていた永夜が苦笑しつつそう告げる。
 目の前には、それは広い輝く湖が横たわっている。
 海と見まがうほどで、遠くにぽつりと小さな島が見える。
 いや、小さいと見えるのは巨大な湖との対比のせいで、実際にはささやかな市町村程度の面積ならすっぽり入るくらいの大きさはあるだろう。
 島は森と岩山に覆われ、瑞々しく輝いている。
 こんな状況でなかったら、風光明媚という感想が飛び出たかも知れない。

「あ、おいでになりましたね」

 永夜の声に緊張が混じる。
 ホバリングする撃の前に、これまた翼を持つ色鮮やかな影が舞い上がって来たのだ。

「おお、久し振り、火翔~~~!!」

 蝶の姿で飛影の肩に止まっていた炎也が嬉しそうな声を上げる。

「久し振りだ、火翔。今度の主はなかなかのお方だ。お主でも、手こずるかもな?」

 息を漏らすような笑い声を立てたのは、紅蓮。

 彼らの目の前に羽ばたいて浮かんでいるのは、人間より大きな鳥である。
 多彩に光り輝く麗しい羽毛、後光のような翼。
 その姿は鳳凰に似て、華麗な羽冠とたなびく飾り羽が優雅極まりない。
 プーにも似ているが、彼より色鮮やかである。

「これはこれは、ようこそ、我が領域へ、飛影様。お話は今の主にうかがっております。わたくし、火之迦具土神の眷属が一、火翔と申します。お見知りおきを」

 しっとりした響きの良い、若い男の声で、火翔はそう名乗る。
 優雅に翼を羽ばたかせ、飛影を見ては嘴で穏やかに微笑む。

「さて、飛影様。いつ始めましょうか?」

「もう始まっている」

 飛影は炎の翼を広げ、空に舞い上がる。
 炎也は蝶の大きな群れとなり、紅蓮は足の下に炎を生み出して宙を踏むことで飛行している。

「さ、私たちは下がりますよ」

 永夜が撃を後退させることで、戦場から距離を取る。

 その瞬間。

「なっ、なんだ、歌……?」

「まずい……」

 幽助が突如響き渡り始めた美麗な歌声に気を取られ、永夜が咄嗟に何かの防壁を展開する。
 途端に、飛影ばかりか、今や彼の眷属となった炎也、紅蓮も苦しみだす。
 というより、行動が突如おかしい。
 意識が朦朧としているようだ。
 動きが乱れ、その場で転がりそうになるのを必死でこらえている様子。

「なんだ、一瞬眠く……」

「火翔様の『死出の歌』だ。眠ってはいけないよ」

 永夜が素早く幽助と蔵馬に何かの術をかける。

「体内の炎、つまりは生命エネルギーを、火翔様は操る。行動を抑えて眠らせるだけのこともあるが、生命力を減衰させて死の眠りに誘うという歌もあるのだよ」

 幽助は思わずげっと喉を鳴らし、蔵馬と顔を見合せる。

「まずいな。一番危険な存在だ。生命力そのものを直接削られるのでは、いかにS級妖怪といえども対抗する術がない」

 蔵馬は低く唸る。
 さしもの彼の額に冷や汗。

 永夜が静かにうなずく。

「飛影様なら対抗手段があるかも知れないが……それに気付かれるかどうか」

 目の前で、へろへろと炎也が落下していく。
 紅蓮も動けないようだ。
 飛影はどうにか自分を抑えているが、これまた死の眠気に襲われ動けない。
 その間にも、生命力はどんどん削られているようで、飛影の顔色が土気色に近くなっている。

「このっ!!」

 咄嗟に放つ剣から伸びた炎の枝も、速さが足りない。
 火翔はなんなく羽ばたいて避ける。

 その一瞬である。

「邪王炎殺黒龍波!!!!」

 飛影が、黒龍波を……いや。
 真上に放つ。
 戻ってきた黒龍波は、飛影の体に吸い込まれる。

「飛影!?」

 幽助が咄嗟に叫ぶ。

「上手い!! 黒龍波で生命力を補ったんだ、しばらくいける!!」

 蔵馬が大きくうなずく。

 生命力を補われた飛影は、本来の素早い動きを取り戻す。
 剣を横に一閃。
 火翔の翼を狙う。
 しかし、敵もさるもの。
 羽ばたくというより、見えないレールにでも乗っているかのように、火翔はすいすいと飛影の攻撃を避ける。

「まずいな、長期戦に持ち込まれれば飛影は不利だ。短期決戦に持ち込まないと」

 蔵馬は呻く。
 確かに、こうしている間にも、歌はやまない。
 飛影の生命力は削られている訳だ。

 と。

 飛影がいきなり炎の翼を折りたたむ。
 繭のように炎で自身をくるんで丸くなり、ぎゅっと縮む。

「!? 飛影!? オイどうした!?」

 幽助が叫ぶのも終らないうちに。
 炎の繭が手品のようにふつりと消える。
 青空の只中に、炎の香りが残るだけ。

「飛影!? 飛影どこにいったオイ!?」

 幽助は何があったのか理解できず動転するばかり。
 蔵馬でさえ一瞬息を呑む。

 しかし。

「あ……!!」

 再び燃え上がった炎は、まさに火翔の背中。

 飛影が、火翔の背中に一瞬で瞬間移動し、剣を突き立てている。

 悲痛な声を上げて、火翔は真っ逆さま。

 その後を、慌てて撃が追う。


 ◇ ◆ ◇

「ええ、かくの如しでございまして、飛影様は試練を全て克服なさりました。私めが見届けております」

 火之迦具土神の宮殿。
 出発前と同じように、永夜、幽助、蔵馬が並んでいる。
 眠りこけた飛影は蔵馬と幽助に支えられ。
 飛影が手に入れた眷属は、小さい蝶ともふもふ狼、ハトくらいの大きさのもっふり鳥となって、新しい主の背後だ。

「飛影はよくやった。眠気が限界だったのだな。よし、私が寝床に運んでやろう」

 火之迦具土は穏やかに笑い、幽助と蔵馬から飛影のぐったりした体を受け取る。
 永夜と下働きの神人が先導する中、宮殿の一角、客間に、飛影の体を運ぶ。

 新しい主が寝床に横たえられると、眷属たちはその周囲に寝そべって護る体勢。

「なあ、飛影、無理してたみたいだけど、ちゃんと目覚めるんだろうな?」

 後ろからついてきた幽助が心配そうに友人を覗き込む。

「案ずるな。今は眠る時間だ。そなたらが集う時になったら、目覚めるだろう。そなたらの中には今いないが、飛影がいなくては努力の甲斐もないと思う者もいることだしな?」

 それが誰を指すのか思い至り、幽助は蔵馬と顔を見合せて笑ったのだった。
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