螺旋より外れて

「ふーーー。楽だ楽だ」

 飛影の肩に、緋色の大きな蝶が止まって、そんな感想を呟いている。
 飛影は追い払うでもなく、撃の背中に座ったまま、進行方向を向いているだけだ。
 周囲には撃を操る主の永夜、幽助と蔵馬が、苦笑気味に取り巻いている。

「炎也様、飛影さんに馴染んでおられますね。やはり炎系の方は落ち着くのですね」

 永夜がそう問いかけると、蝶ははたはたと翅を閃かせる。

「うん、まーーーね。この人といると退屈しなさそうだしさあ。何より、僕をお土産にする予定っていう、軀って人もなかなか面白い人でしかも美人さんなんだろ? もう大の字に寝て構われるの待ってますって!!」

 身も蓋もない言い草に、幽助と蔵馬が苦笑を濃くする。

「あー、飛影。軀って、動物とか大丈夫なんか?」

 幽助が何気なく問う。

「お前の父親はともかく、黄泉の質の悪さを考えると、ペットもそうそう飼えないようだったな。今後はどうなるかわからんが、動物は嫌いでないと聞く」

 飛影が淡々と返すと、蔵馬がわざとらしく首をかしげる。

「おお、するともふもふの俺なんかも嫌われない訳ですね」

「貴様は黄泉の関係者というだけでマイナス100万点からだ」

 冷たく言い放つ飛影に、蔵馬は最近からかいが上手くいかないなあ~~とへらへら笑う。
 ふと、飛影の肩の炎也が騒ぎ出す。

「次のしもべ候補の紅蓮(ぐれん)ももふもふなんだぜ!! もふもふでまあ割と可愛いと思うけど、破壊力はこの神界屈指のヤバさだけどねー」

 その言葉を受けて、永夜が補足説明する。

「紅蓮様は、お名前の通り紅蓮の炎のような色の毛皮を持つ、狼のようなお姿のご眷属であらせられます。そのご神威は、炎の破壊の最たるもの……爆発によって表出されます」

「爆発か。手強そうだな」

 かつて鴉と戦った蔵馬は、何かを思い出したのか渋い顔だ。
 永夜は続ける。

「普段は比較的大人しいお方なのですが、いざ戦闘となると情も容赦もない破壊魔となられます。飛影さん、くれぐれも油断なされませぬよう」

 そうこう話す間にも、目の前に深い丘陵地帯の森が広がっているのが見える。
 枝の先端には、まるで幾枝にも分かれた燭台のように、炎が吹き上がる。
 悼む灯火のように並んだ色とりどりの灯火は、幻想的でどこか物寂しく美しい。

 と。

 大気を震わせる狼の咆哮が、森に殷々と響き渡る。
 幽助たち一行は、撃の背中にあっても思わず聞き入る。

「ああ、紅蓮様ですね」

 永夜が断定する。

「降りましょう。来い、と仰っているようですからね」

 永夜は撃を操り、森の中の、開けた岩場のような一角に降り立つ。
 この燭台のような森の木々の下側から頭上を眺めると、重なり合う葉の間から様々な色彩の炎の明かりが投げかけられていて、夢の中にいるような不思議な気分になる。
 アロマをたしなむ趣味があったら、アロマキャンドルを思い起こさせるであろう、暖かな良い匂いも漂う。

 飛影は森の地面に降り立つと、周囲をゆっくりと見回し警戒する。
 幽助、蔵馬、永夜が撃から降り、清冽な神界の大気に混じる敵の気配を感じ取ろうと努めているようだ。

「!? 何かいる?」

 蔵馬が咄嗟にローズウィップを取り出す。
 現在の妖力だけを帯びた彼では、神界の眷属には太刀打ちできないはずだが、長年戦い続けたが故の反射的行動だ。

 確かに、森の木々の背後、何処からか何かが動き回るような気配がする。
 立ち並ぶ極太の幹の間から、炎がちらちらと。

「出てこい!! 勝負してやる!!」

 飛影が叫ぶのが速いか、その影が姿を見せるのが速いか。
 飛影たちの目の前に、巨大な四足獣の影がそそり立っている。
 人間より大きい。
 最大級のハイイログマくらいはあるだろう。
 白い毛皮に、金と紅の入り交じる炎を纏いつかせた、それは精悍極まりない狼の姿である。
 大きな鋭い目からも炎が吹き出て、ぐるぐると渦を巻いている。

『お前が飛影か? 俺は紅蓮だ』

 巨大な狼は、口元からぼうっと炎を立ち上らせながら大仰に名乗る。

『お前の力、見せてもらうぞ!!』

 一声吼えるや、飛影の足元から、いきなり爆炎が吹き上がる。

「うわわわっ!! 飛影!!」

 幽助が叫ぶが、飛影の小柄な体は上空に噴き上げられている。

「ひぇぇぇえええええーーーー!! 僕もいるんだから手加減しろよな紅蓮!!」

 炎也が悲鳴を上げて上空をぱたぱた舞う。

「舐めやがって!!」

 飛影は咄嗟に木々の枝に取り付いて彼方に吹きとばされるのを避け、地面に降り立つ。

 が、次の瞬間。

「!!!」

 飛影の目前に巨大な顎が迫る。
 咄嗟に飛び退くも間に合わない。
 飛影の右腕は、刀を持った状態のまま、爆発する神威の籠った紅蓮の牙に噛みちぎられ、爆炎をまとったまま、森のどこかへ飛んでいく。

「!! 飛影!!」

「やべえ、飛影!! まずいぞあいつ!!」

 蔵馬も幽助も、思わず血の気が引いている。
 スピードといい戦略といい、紅蓮という眷属はとんでもない使い手だ。
 ハッキリ言って、今の飛影には勝ち目がないと言えるくらいに。

「くそっ、どうしたらいいんだ……!!」

 幽助は呻く。
 蔵馬が、それを受けて沈痛な声を洩らす。

「まずいな。想像以上の爆炎の使い手だ。俺が戦った鴉は、爆弾を実体化させていたが、あの紅蓮という眷属にはそれすら不要のようだ。狙いを付けた場所に自分の気を送り込んで瞬間的に爆発を起している。スピードも威力も桁違い。流石神の眷属だ」

 幽助は右腕を失った仲間の苦しむ様子を目にしながら、思わず声を跳ね上げる。

「蔵馬、どうにかならねえか? 右腕元に……」

「いや、俺たちがここで手だししたら、飛影はどのみち眷属を手に入れられない。見守るしかない」

 蔵馬の苦い声に、幽助は呻いて兄を見上げる。
 永夜は黙って首を横に振る。

「幽助、気持はわかるが、蔵馬さんの仰る通りだ。ここは見守るんだ」

 その間にも、飛影の周囲を紅蓮がぐるぐる巡る。
 ちょうど巻き狩りで獲物を追い詰める狼のように……

「おおっと、待った!! 俺もいるんだぜ!!」

 突然である。
 紅蓮の全身に、無数の蝶に分かれた炎也が纏いつく。
 幽助たちの視界も無数の炎也である蝶に覆われ、何が起こっているかまったく視認できなくなる。
 視界ばかりか気配も乱舞する神威を帯びた蝶に邪魔され全く察知できない。

「なっ、なんだよ、何が起こって……!!」

 幽助が息を呑んだ瞬間、無限の色彩の乱舞の向こうから、悲痛な狼の悲鳴が聞こえてくる。
 ぎくりと動きを止める幽助と蔵馬。
 と。

「勝負あったみたいですね」

 静かな静かな、永夜の声に、幽助ははっとする。

 と、一瞬で、雲が風に吹き散らされるように。
 炎也が上空に逃れ、視界が一気に開く。

「あっ……!!」

 小さく洩らしたのは、幽助だったのか蔵馬だったのか。
 目の前に、紅蓮の巨躯が倒れている。
 その背中に、飛影が左腕と炎の神気でできた幾重もの翼で纏いつき。
 翼の先端で、紅蓮の全身を刺し貫いていたのだ。

「勝負あり!! 飛影さんの勝ちです!!」

 永夜が高らかに宣言するや、幽助も蔵馬も、思わず飛影の側に駆け寄ったのだった。
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