螺旋より外れて

 聖果の操る空飛ぶ牛車は、暗いがちらちら星や地上からの光が瞬く美しい空間を滑らかに飛んでいく。

 牛車の広い内部では、雷禅が黄泉の隣に陣取って、やけに上機嫌で話しかけている。
 近くに苦笑する聖果。
 修羅は、極楽浄土の勢至菩薩の元にしばし留まるため、ここにはいない。

「黄泉よぉ。俺はオメーを見直したぜ。おめえ、こんな短期間に立派な父親になってんじゃねーか」

 雷禅は、ぐいと黄泉と肩を組む。
 状況的に許されるなら、酒でも入れたいところであろう。

「でも、わかるぞ。子供ができるとなあ。側にいてやれなかった俺でも考えに考えた。育てていてよ、日々成長を実感しているおめーなら、考えざるを得ねえよなあ」

 黄泉は、雷禅の言葉を受け、力なく微笑む。

「あの時言った言葉は本音だよ。俺は全然なってない。こんな駄目な父親なら、お前さんみたいにそもそも側にいなくても変わらないんじゃないかとな」

 雷禅はぽんぽんと黄泉の背を叩く。

「俺があいつらの最低限の信用を勝ち取るなんて基本的なことですら、どんだけ骨を折ってるかわかるか? 子供の頃に一緒にいるのは、何より大事だ。自信持てよ、修羅が生まれてくるのを選んだのもオメーなら、一人で育てることにしたのもオメーだろ? 何があったかは知らねーが」

 黄泉はその言葉に撃たれたように、ふとうつむく。
 何かいいたげだが、珍しいことに言葉が出てこないようだ。

 雷禅はいつにない動揺した黄泉の様子に、怪訝な表情を見せる。

「なんだ、どうし……」

「俺は、そんな大層な男ではない。最初、修羅を見捨てる気で生み出したんだ」

 黄泉がますますうつむくのに、雷禅はただならぬ様子を感じ取る。
 真顔で向き直り、にわかに真剣な口調で問いかけ始める。

「なあ、黄泉よ。前から気になってたんだが、あの修羅の母親なんかはどこにいるんだ? あれ、匂いからすると、おめーの100%クローンって訳じゃねえな?」

 黄泉は問われうなずく。

「ああ。女性の部下の一人に、卵子を提供させて人工的に培養した子だ。遺伝子工学を駆使し、最も相性のいい遺伝子の持ち主を選び、更に受精卵をブーストした……俺のために死なせるためにな」

 最後の吐き捨てられた一言に、雷禅はぎくっとした表情を見せる。

「おめーのために死なせるって、どういうことなんだ?」

 にわかに緊迫した雷禅の口調に、黄泉はいたたまれない吐息をこぼしますますうつむく。

「……あの子を生み出したのは、子孫が欲しいとか、そんなマトモな理由からではそもそもなかったんだ。お前さんが死んだあと、軀を総攻撃するときのことを考えた」

 そこで、黄泉は言葉を切る。
 一瞬ののち、意を決したように。

「……修羅は、あの子は、軀にぶつけて彼女の妖力を削ぐ捨て石だ。都合よく育てて、言葉巧みに軀にけしかけて、そして彼女の妖力を半減させるのと引き換えに、彼女に殺される。そういう役回りだったんだ」

 しん、とした沈黙が落ちる。

 黄泉は顔を覆って低く呟く。

「軽蔑しただろう? これが”子煩悩な父親”こと、俺の正体だ。だが、生まれた修羅を見た瞬間に計算違いが生じたんだ。可愛くて……とても死なせられない。それどころか、俺の人生の全てになったんだ」

 ふと。
 黙っていた聖果がぽつりと呟く。

「人生は、計算違いの連続じゃ。短い人間の人生でもそうなのじゃ。そなたら魔族の長い人生で、最終的に計算通りになるものなどどのくらいあるのか? そなたは今のままでいい。今の気持で、修羅殿を育ててあげればいいのではないか?」

 雷禅も聖果に続いてうなずく。

「これは、俺たちが墓場まで持っていく秘密にするぜ。安心しろよ。黙ってれば、軀も気付かねえだろうしよ……」

「いや、軀は知っているよ。あの異様に勘の鋭い彼女が、感付かないはずがないじゃないか。明かにあの子が生まれたのは緊迫した不自然な時期だしな」

 黄泉が首を横に振る。
 更に続けて、

「彼女が、声をひそめて、俺にだけ聞こえるように呟いたことがある。『修羅がどうして生み出されたか見当はついてるが、それを誰にも告げる気はねえ。本人が受け止められる時期になるまで、おめえも心に蓋をしな』ってな」

 雷禅は、黄泉の言葉を聞いてふと笑う。

「あいつらしいな」

「ああ。彼女に対抗するなんて、俺では土台無理だったんだ。器の違いをひしひし感じる」

 黄泉が盲いた目から涙を一筋こぼすのを、雷禅はちらと見て取り、彼の背中を叩いて慰める。

「ま、三人無事だったら、俺んちで呑もうぜ。修羅は永夜にでも見ていてもらうか。あいつ子供は好きだしな」

 ああ、三人無事で帰らねえとな。
 雷禅はそんな風に呟く。

 牛車はいつしか、宝珠のような発光する花が咲き乱れる地上に近付いている。
 暗いのに、豊穣な穀物はじめ植物の匂いの満ちる、麗しくも不思議な国。

 その小高くなった丘の上に、地上の月のように発光する、真っ白な不思議な宮殿が鎮座している。
 牛車はそこに下りていく。

「さ、黄泉殿、着いたぞえ。『夜の食国(よるのおすくに)』、月読命(つくよみのみこと)の宮殿じゃ」
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