螺旋より外れて
「じゃあな、行ってくる。飛影、俺のことは待ってなくていいからな」
まるで、会社からの帰りが遅くなるとパートナーに電話連絡を入れる一般人みたいな気軽さ。
軀の姿は、黒っぽいきらきらした石でできた、広めの玄室の中で、不思議な精彩と共に浮き上がっているように見えた。
軀本人の他は、飛影、幽助、蔵馬、雷禅に食脱医師、黄泉に修羅。
そんな魔界トップの面々が、一堂に集まっているのは、「魔龍塚(まりゅうつか)」の中の、半地下の玄室だ。
玄室と言っても、棺が置いてある訳ではなく、幾つもの奇怪な装飾の円柱が林立する石造りの広間といった風情である。
かなりの権勢の大妖怪の屋敷の広間くらいはある「玄室」だ。
奥に人が座るような広い台座があり、その脇に石を磨き上げた扉がある。
「ガキの頃は、な。不思議だった」
軀が、ゆっくり奥の扉に近付く。
「この扉,どうやっても開かない。壊すこともできない。石でできているみたいに見えるが、何でできているんだろう、とな」
軀はその扉に右の義手を滑らせる。
「当時のオレがわかったことは……この向こうから、奇妙な気が流れて来ることだけだ」
飛影が見据える軀の華奢と言える背中。
それに重なるように、更に華奢な、薄着の哀れな少女の姿が、彼には見える。
と、修羅が大人たちの足元をすり抜けて、軀の隣に駆けこんだ。
そのまま、小さな手を伸ばして、扉に触れる。
「軀!! この扉の向こう、何かいるよ!!」
息せき切るように、修羅は声を張り上げる。
父親の黄泉が、慌てて追いついてくる。
「ああ。お前もわかるか。オレも感じていたよ。何がいるんだろう、動く気配もないけど、生き物だと思っていたな。……伝説の魔龍ってやつが、この向こうで眠っているんだろう」
軀がそう呟くと、横に並ぶ形となった黄泉が、ふとこぼす。
「……確かに生き物だとわかるのに、心音も聞こえず、体温も伝わって来ない。感じるのは妖気ではない。なのに、何かしらの巨大な生き物の気配。なるほど、軀。お前さんは、こいつに魅入られていたという訳か。一筋縄でいかない訳だな」
「こいつが、神ってやつの気配なのか……魔界にあったのに、俺は気付いてもいなかった。まるで……」
雷禅が、修羅のはるか頭上越しに扉に手を触れる。
「……神の呼び声というものは、そういうもの。資格のない者は呼ばれない。声が聞こえたとしても、それに注意を払うことはないのじゃ」
聖果が静かに、夫の背中に語り掛ける。
「まー、ハッキリ言って、軀を好きになるタイプの奴は、親父みてえなのは好きになんねえと思うぞ?」
ずいぶんな断言をしながら、幽助が雷禅の脇から頭を出すようにして、扉にぺたぺた触る。
「……これは……通常の結界ではない。でも、開けることができなくなっている。不思議な作用だ。どういう仕組みが働いているんだ?」
蔵馬が怪訝そうに扉を観察し続ける。
ただ、飛影が、顔を青ざめさせながら、無言で扉を凝視している。
「飛影?」
幽助が気付くと、飛影はようやく我に返ったようだ。
「お前等は感じないのか。とんでもない巨大な気配だ。今まで見知った魔界のどんな生き物よりデカい奴の気配がする」
彼は扉の前にようやく進み出る。
「笑えるぜ。三竦みすら問題ではないかも知れん。そのくらいバカでかい奴の気配がする。これは……お前でも危ないかも知れんぞ、軀」
飛影は、ようやく軀を振り向く。
「今の枠を突き破るには、こいつをモノにするしかない。わざわざ、オレがガキの頃から呼んでいたんだ。そう無碍にもされねえだろう。ま、おいしいエサにするつもりだった可能性の方が高いが」
軀がくつくつと笑う。
「誰に殺されるかの違いだ、飛影。『呼ばれざる者』とかいうけったいな奴に殺されるか、それとも、わざわざオレに目を付けて護ってくれた奴に命の借りを返すことになるのか。前者なんざまっぴらごめんだから、オレはここにいるんだ」
軀はじっと飛影を見る。
お前なら、わかるだろう。
目がそう言っている。
飛影は再び黙り込む。
単に軀の決意が固いと悟ったからではない。
軀の言い分に、100%同意できるからだ。
確かに、自分をも犠牲にしてきた可能性のある「呼ばれざる者」の手にかかるくらいなら、自分の守護神とも言うべき存在に食われた方がマシ。
「さ、離れていろ。もう行く」
軀が、その場にいた全員に扉から離れるように促す。
彼らが従うと、改めて扉に触れた軀の手の先で、恐らく数千年は開いた事のなかったであろう扉が、かすかな軋みと共に開いたのだ。
「なんだ……こりゃあ」
幽助が唖然としたのも道理。
扉の向こうは、ぐるぐると星空が渦巻くような、奇妙な空間であったのだ。
長年閉ざされていたはずなのに、冷えた高山のそれのような、新鮮な空気が流れ込んで来る。
「軀!! 戻ったら、俺と手合わせしてくれよな!!」
幽助が呼び掛けると、軀は思いがけず優しく微笑む。
「永夜」
軀は、幼い頃から知っている術師の名を呼ぶ。
彼は、何かあったら助けられるようにというのか、すぐ側に控えていたのだ。
「俺が戻らなかったら、飛影を頼む。こいつのいいように手助けしてやってくれ」
「……お戻りを信じておりますが……御意」
それだけ言うと、軀は軽やかな足取りで、するりと扉をくぐる。
一瞬。
扉は開いた時と同じように、あっさりと閉まっていたのだった。
まるで、会社からの帰りが遅くなるとパートナーに電話連絡を入れる一般人みたいな気軽さ。
軀の姿は、黒っぽいきらきらした石でできた、広めの玄室の中で、不思議な精彩と共に浮き上がっているように見えた。
軀本人の他は、飛影、幽助、蔵馬、雷禅に食脱医師、黄泉に修羅。
そんな魔界トップの面々が、一堂に集まっているのは、「魔龍塚(まりゅうつか)」の中の、半地下の玄室だ。
玄室と言っても、棺が置いてある訳ではなく、幾つもの奇怪な装飾の円柱が林立する石造りの広間といった風情である。
かなりの権勢の大妖怪の屋敷の広間くらいはある「玄室」だ。
奥に人が座るような広い台座があり、その脇に石を磨き上げた扉がある。
「ガキの頃は、な。不思議だった」
軀が、ゆっくり奥の扉に近付く。
「この扉,どうやっても開かない。壊すこともできない。石でできているみたいに見えるが、何でできているんだろう、とな」
軀はその扉に右の義手を滑らせる。
「当時のオレがわかったことは……この向こうから、奇妙な気が流れて来ることだけだ」
飛影が見据える軀の華奢と言える背中。
それに重なるように、更に華奢な、薄着の哀れな少女の姿が、彼には見える。
と、修羅が大人たちの足元をすり抜けて、軀の隣に駆けこんだ。
そのまま、小さな手を伸ばして、扉に触れる。
「軀!! この扉の向こう、何かいるよ!!」
息せき切るように、修羅は声を張り上げる。
父親の黄泉が、慌てて追いついてくる。
「ああ。お前もわかるか。オレも感じていたよ。何がいるんだろう、動く気配もないけど、生き物だと思っていたな。……伝説の魔龍ってやつが、この向こうで眠っているんだろう」
軀がそう呟くと、横に並ぶ形となった黄泉が、ふとこぼす。
「……確かに生き物だとわかるのに、心音も聞こえず、体温も伝わって来ない。感じるのは妖気ではない。なのに、何かしらの巨大な生き物の気配。なるほど、軀。お前さんは、こいつに魅入られていたという訳か。一筋縄でいかない訳だな」
「こいつが、神ってやつの気配なのか……魔界にあったのに、俺は気付いてもいなかった。まるで……」
雷禅が、修羅のはるか頭上越しに扉に手を触れる。
「……神の呼び声というものは、そういうもの。資格のない者は呼ばれない。声が聞こえたとしても、それに注意を払うことはないのじゃ」
聖果が静かに、夫の背中に語り掛ける。
「まー、ハッキリ言って、軀を好きになるタイプの奴は、親父みてえなのは好きになんねえと思うぞ?」
ずいぶんな断言をしながら、幽助が雷禅の脇から頭を出すようにして、扉にぺたぺた触る。
「……これは……通常の結界ではない。でも、開けることができなくなっている。不思議な作用だ。どういう仕組みが働いているんだ?」
蔵馬が怪訝そうに扉を観察し続ける。
ただ、飛影が、顔を青ざめさせながら、無言で扉を凝視している。
「飛影?」
幽助が気付くと、飛影はようやく我に返ったようだ。
「お前等は感じないのか。とんでもない巨大な気配だ。今まで見知った魔界のどんな生き物よりデカい奴の気配がする」
彼は扉の前にようやく進み出る。
「笑えるぜ。三竦みすら問題ではないかも知れん。そのくらいバカでかい奴の気配がする。これは……お前でも危ないかも知れんぞ、軀」
飛影は、ようやく軀を振り向く。
「今の枠を突き破るには、こいつをモノにするしかない。わざわざ、オレがガキの頃から呼んでいたんだ。そう無碍にもされねえだろう。ま、おいしいエサにするつもりだった可能性の方が高いが」
軀がくつくつと笑う。
「誰に殺されるかの違いだ、飛影。『呼ばれざる者』とかいうけったいな奴に殺されるか、それとも、わざわざオレに目を付けて護ってくれた奴に命の借りを返すことになるのか。前者なんざまっぴらごめんだから、オレはここにいるんだ」
軀はじっと飛影を見る。
お前なら、わかるだろう。
目がそう言っている。
飛影は再び黙り込む。
単に軀の決意が固いと悟ったからではない。
軀の言い分に、100%同意できるからだ。
確かに、自分をも犠牲にしてきた可能性のある「呼ばれざる者」の手にかかるくらいなら、自分の守護神とも言うべき存在に食われた方がマシ。
「さ、離れていろ。もう行く」
軀が、その場にいた全員に扉から離れるように促す。
彼らが従うと、改めて扉に触れた軀の手の先で、恐らく数千年は開いた事のなかったであろう扉が、かすかな軋みと共に開いたのだ。
「なんだ……こりゃあ」
幽助が唖然としたのも道理。
扉の向こうは、ぐるぐると星空が渦巻くような、奇妙な空間であったのだ。
長年閉ざされていたはずなのに、冷えた高山のそれのような、新鮮な空気が流れ込んで来る。
「軀!! 戻ったら、俺と手合わせしてくれよな!!」
幽助が呼び掛けると、軀は思いがけず優しく微笑む。
「永夜」
軀は、幼い頃から知っている術師の名を呼ぶ。
彼は、何かあったら助けられるようにというのか、すぐ側に控えていたのだ。
「俺が戻らなかったら、飛影を頼む。こいつのいいように手助けしてやってくれ」
「……お戻りを信じておりますが……御意」
それだけ言うと、軀は軽やかな足取りで、するりと扉をくぐる。
一瞬。
扉は開いた時と同じように、あっさりと閉まっていたのだった。