螺旋より外れて
百足が、轟音を立てて魔界のねじくれた森を行く。
先ほど永夜と魔族の面々との戦いが行われた荒野がある階層からは、また数階層下の階層である。
強引に百足で山脈を越え、今はこの「ねじれの森」を突き進んでいる。
山脈に囲まれた広大な原生林である「ねじれの森」は、その名の通りにねじくれた不気味な樹形の大木が生い茂る。
そればかりか、内部に足を踏み入れると、説明のつかない奇妙な力で永遠に出られない、魔族かどうかもわからない「何か」に襲われる、などという噂が流れている。
実際に足を踏み入れたら最期、A級妖怪でも二度と帰って来なかったという事実は多く、それゆえ、滅多に足を踏み入れる者がいない奇妙な場所だ。
「軀よぉ。マジでそん中に入るのかよ」
百足のテラス。
雷禅が胡坐をかきながら、小柄な背中に声をかける。
「ああ。永夜もそうだって言ってただろ? あの塚は、魔神を名乗るバケモノの墓に繋がっている」
軀は、くくく、と喉を鳴らす。
「……恩もあるな。俺が奴隷の身分から逃げ出した時の」
軀は、痴皇の元から逃げ出した直後、この「ねじれの森」に逃げ込んでいた。
痴皇の住む階層よりは深く、単純な距離でもかなり離れている。
どうやって逃げ込んだのか、いまだ思い出せないと、軀は言う。
恐らく、階層間の「門」から転げ落ちたのだろうと推測してはいるが、結局証拠になるものがある訳ではない。
気が付いたら辿り着いていた。
そして、邪魔する者のいないこの森で、軀は産まれて初めての「自由」を味わう。
記念すべき地である。
初めての義手義足は、この森の植物を加工して作ったものである。
この森の中で暮らし、時折外に出ては、強い奴と戦い、物資を奪う。
そんな生活。
「あの塚の内部の、玄室っていうのか。そこで寝起きすることが多かった。なぜかたまに、欲しいなと思っていた物資……成長した体に合わせた服や、不足していた食糧が、何故か置いてあることがあってな」
重宝していたぜ、と軀。
「うむ。昔の人間なら、神徳を有難がる場面だろうが……が、冷静に考えると筋の通らない不気味な話ではないか」
黄泉が、眉をひそめる。
「お前さんの過去にケチをつけたい訳ではないが、全く道理が通らんな。恐怖体験ではないか」
「不思議だよな? 不気味なはずなんだが、何故かその時のオレはそう思わなかったんだ。誰だか知らんがありがたい、助かったっていうばかりだ。目につく者誰彼殺していた当時のオレが、その見えない援助者ってやつにだけは、警戒心が湧かなかったのさ」
軀は懐かしむようにくつくつ笑う。
「間違いなく、それはあの塚に眠る魔龍(まりゅう)様のご加護でありましょう」
永夜が、ふと口を挟む。
「その救援物資を顕現させたのも、魔龍様……古代エジプトなどではアポフィスと呼ばれた闇の蛇神ですが、その神の加護でしょう。だいぶ封印が緩んでいたのですね、その時点で」
永夜は更に続ける。
「アポフィス様は、魔神と呼ばれるべき恐るべき神です。昔の信仰地であったエジプトでは、太陽を呑み込む存在と言われていました。人間界では断片的にしか伝わっていませんが、単にそれだけではない。かつては『呼ばれざる者』と戦い、追いやり封じた実績のある偉大な存在です」
「……なるほど。かつて、『呼ばれざる者』を打ち負かせた力ある神なら、リンクするのに」
蔵馬が唸るや、
「リンクじゃねえな。永夜の言った融合ってやつをしてくる。要するに、食うんだよ」
軀は、あっさりそんな爆弾発言。
「融合だと……?」
飛影が、顔を上げる。
「そうだ。融合すれば、分霊ってやつを宿すよりはるかに強力な力を得ることができるんだろ? 見逃す手はねえ」
「……」
軀が当たり前のように応えると、飛影の目に炎が宿る。
だが、言葉は口から出てこない。
「確かに、かの神の前に立てば、融合するか食われるかしかないでしょう。アポフィス様は凶暴な神です。だからこそ、『呼ばれざる者』を封じられたと申せますが」
ですが、と更に永夜は付け加える。
表情に悲壮な色がある。
「融合によって、軀様の人格がかの神を凌駕すれば良いでしょう。しかし、かなりの確率で、軀様の人格の方が『食われる』ことになりましょう」
「構わん。そのくらいでないと面白くねえ」
軀は笑う。
「さて、そろそろ着くな」
軀は、壁に据え付けの屋内無線で、奇淋の名を呼ぶ。
あっという間に来たところからすると、すぐ近くで待機していたらしい。
「奇淋。オレは今から少し留守にする。10日間待て。それまでに戻らなかったら、百足はお前の好きにしろ。それ以上は、待たなくていい」
言われた瞬間、奇淋の纏う妖気が乱れ凍り付く。
「飛影も出かけると思うが、飛影が戻った場合は、こいつの指示に従え。いいな?」
「……御意」
「行け」
「は」
奇淋が重い足取りでテラスを出ていく。
姿が見えなくなってから、黄泉がぽつりと呟く。
「……彼、恐怖で心拍が遅くなっていたな。お前さんを失うかも知れないと言う恐怖だ。見上げた忠誠心だ。人望があるな、軀。俺にはついぞ手に入れられなかった人望だ」
黄泉がふっと笑う。
「お前さんが帰ってくることは疑っていないよ。お前さんがこんなことでいなくなるような控えめな女だったら、俺はあそこまで振り回されはせん」
「帰ってきて、気が向いたら殺してやるよ」
それだけ言い捨て、黄泉が鼻白んでいる間に、軀は飛影に向き直る。
「飛影、奇淋に言った通りだ。お前は気にせず、自分のやり方で力を手に入れろ。永夜は信用できる奴だ、少なくともオレよりは。永夜を頼れ」
「言われるまでもない。さっさと帰ってこい。たっぷり新しい力でぶちのめしてやるぜ」
飛影がじっと燃える目で軀を見据える。
ただその瞳が、行かないでほしいと引き留めるのを、その場にいる全員が目にする。
黄泉までも。
百足が急停止する。
テラスから見える前方に、森の開けた場所にこんもり盛り上がる、円錐形の大きな塚が見えた。
先ほど永夜と魔族の面々との戦いが行われた荒野がある階層からは、また数階層下の階層である。
強引に百足で山脈を越え、今はこの「ねじれの森」を突き進んでいる。
山脈に囲まれた広大な原生林である「ねじれの森」は、その名の通りにねじくれた不気味な樹形の大木が生い茂る。
そればかりか、内部に足を踏み入れると、説明のつかない奇妙な力で永遠に出られない、魔族かどうかもわからない「何か」に襲われる、などという噂が流れている。
実際に足を踏み入れたら最期、A級妖怪でも二度と帰って来なかったという事実は多く、それゆえ、滅多に足を踏み入れる者がいない奇妙な場所だ。
「軀よぉ。マジでそん中に入るのかよ」
百足のテラス。
雷禅が胡坐をかきながら、小柄な背中に声をかける。
「ああ。永夜もそうだって言ってただろ? あの塚は、魔神を名乗るバケモノの墓に繋がっている」
軀は、くくく、と喉を鳴らす。
「……恩もあるな。俺が奴隷の身分から逃げ出した時の」
軀は、痴皇の元から逃げ出した直後、この「ねじれの森」に逃げ込んでいた。
痴皇の住む階層よりは深く、単純な距離でもかなり離れている。
どうやって逃げ込んだのか、いまだ思い出せないと、軀は言う。
恐らく、階層間の「門」から転げ落ちたのだろうと推測してはいるが、結局証拠になるものがある訳ではない。
気が付いたら辿り着いていた。
そして、邪魔する者のいないこの森で、軀は産まれて初めての「自由」を味わう。
記念すべき地である。
初めての義手義足は、この森の植物を加工して作ったものである。
この森の中で暮らし、時折外に出ては、強い奴と戦い、物資を奪う。
そんな生活。
「あの塚の内部の、玄室っていうのか。そこで寝起きすることが多かった。なぜかたまに、欲しいなと思っていた物資……成長した体に合わせた服や、不足していた食糧が、何故か置いてあることがあってな」
重宝していたぜ、と軀。
「うむ。昔の人間なら、神徳を有難がる場面だろうが……が、冷静に考えると筋の通らない不気味な話ではないか」
黄泉が、眉をひそめる。
「お前さんの過去にケチをつけたい訳ではないが、全く道理が通らんな。恐怖体験ではないか」
「不思議だよな? 不気味なはずなんだが、何故かその時のオレはそう思わなかったんだ。誰だか知らんがありがたい、助かったっていうばかりだ。目につく者誰彼殺していた当時のオレが、その見えない援助者ってやつにだけは、警戒心が湧かなかったのさ」
軀は懐かしむようにくつくつ笑う。
「間違いなく、それはあの塚に眠る魔龍(まりゅう)様のご加護でありましょう」
永夜が、ふと口を挟む。
「その救援物資を顕現させたのも、魔龍様……古代エジプトなどではアポフィスと呼ばれた闇の蛇神ですが、その神の加護でしょう。だいぶ封印が緩んでいたのですね、その時点で」
永夜は更に続ける。
「アポフィス様は、魔神と呼ばれるべき恐るべき神です。昔の信仰地であったエジプトでは、太陽を呑み込む存在と言われていました。人間界では断片的にしか伝わっていませんが、単にそれだけではない。かつては『呼ばれざる者』と戦い、追いやり封じた実績のある偉大な存在です」
「……なるほど。かつて、『呼ばれざる者』を打ち負かせた力ある神なら、リンクするのに」
蔵馬が唸るや、
「リンクじゃねえな。永夜の言った融合ってやつをしてくる。要するに、食うんだよ」
軀は、あっさりそんな爆弾発言。
「融合だと……?」
飛影が、顔を上げる。
「そうだ。融合すれば、分霊ってやつを宿すよりはるかに強力な力を得ることができるんだろ? 見逃す手はねえ」
「……」
軀が当たり前のように応えると、飛影の目に炎が宿る。
だが、言葉は口から出てこない。
「確かに、かの神の前に立てば、融合するか食われるかしかないでしょう。アポフィス様は凶暴な神です。だからこそ、『呼ばれざる者』を封じられたと申せますが」
ですが、と更に永夜は付け加える。
表情に悲壮な色がある。
「融合によって、軀様の人格がかの神を凌駕すれば良いでしょう。しかし、かなりの確率で、軀様の人格の方が『食われる』ことになりましょう」
「構わん。そのくらいでないと面白くねえ」
軀は笑う。
「さて、そろそろ着くな」
軀は、壁に据え付けの屋内無線で、奇淋の名を呼ぶ。
あっという間に来たところからすると、すぐ近くで待機していたらしい。
「奇淋。オレは今から少し留守にする。10日間待て。それまでに戻らなかったら、百足はお前の好きにしろ。それ以上は、待たなくていい」
言われた瞬間、奇淋の纏う妖気が乱れ凍り付く。
「飛影も出かけると思うが、飛影が戻った場合は、こいつの指示に従え。いいな?」
「……御意」
「行け」
「は」
奇淋が重い足取りでテラスを出ていく。
姿が見えなくなってから、黄泉がぽつりと呟く。
「……彼、恐怖で心拍が遅くなっていたな。お前さんを失うかも知れないと言う恐怖だ。見上げた忠誠心だ。人望があるな、軀。俺にはついぞ手に入れられなかった人望だ」
黄泉がふっと笑う。
「お前さんが帰ってくることは疑っていないよ。お前さんがこんなことでいなくなるような控えめな女だったら、俺はあそこまで振り回されはせん」
「帰ってきて、気が向いたら殺してやるよ」
それだけ言い捨て、黄泉が鼻白んでいる間に、軀は飛影に向き直る。
「飛影、奇淋に言った通りだ。お前は気にせず、自分のやり方で力を手に入れろ。永夜は信用できる奴だ、少なくともオレよりは。永夜を頼れ」
「言われるまでもない。さっさと帰ってこい。たっぷり新しい力でぶちのめしてやるぜ」
飛影がじっと燃える目で軀を見据える。
ただその瞳が、行かないでほしいと引き留めるのを、その場にいる全員が目にする。
黄泉までも。
百足が急停止する。
テラスから見える前方に、森の開けた場所にこんもり盛り上がる、円錐形の大きな塚が見えた。