螺旋より外れて

「幽助さん!!」

 北神に叩き起こされるや否や、聞かされたのはとんでもないこと。

「おい……どういうことだよ、墓荒らしって……ええ!?」

 いつもの道着に着替え、しかし髪の毛はワックスで固める時間も惜しい。
 最低限のものしか置いていない、ぶっきらぼうな部屋――インテリアに凝っている時間などないのが実情であるが――から飛び出て、北神を伴って、国の外れに赴く。

 ……来たことは数度。
 父の、雷禅と呼ばれていた男の、葬儀の時と。
 よりにもよって、あの軀に差し出された弔意の花を、彼の墓前に生けた時と。
 そして、彼の友人だという一団が訪問してきた時の応対と。

 まるっきりの人間だった頃なら不気味と思っていただろう、常に不機嫌そうな雷鳴が轟く空の下を、ほんの一瞬で走りぬける。
 アリ塚のような建物の密集する居住エリアを抜けるとすぐ、開けた国の外周部に出る。
 まるでスケボーの競技用のあのスロープを巨大にしたような崖が、外界とこの国の領地を分ける一帯。
 ささやかな木立を背後に背負い、雷禅の墓がある。

 今や、そこに国民の大部分が集まっている。
 大部分と言っても知れた数であるが、それでもこの、田舎の小国の規模からすれば大人数。
 それこそ、先代国王の葬式以来。

「幽助さんがおいでだ!! みな、道を開けろ!!」

 北神が露払いする形で、幽助のために、人垣に道が開く。
 足早に進んだ幽助は、見知ったその墓の前まで来ると、立ちすくんだ。

「なっ……なんだよ、これ……!?」

 灰白色の、故人の髪の色のような墓石自体は無事である。
 だが、その下。
 亡骸が収められているはずの、大きめの敷石が外されている。

 まるで、ジェンガのブロックを引き抜いたように、すぽんときれいに外されているのが奇妙だ。
 破壊されている訳でもなし、それが証拠に、その大きな敷石は、何者かが慎重に運んだかのように、墓の脇に綺麗に置かれている。
 その丁寧な置き方を見る限り、どう考えても、故人に恨みがあるようではない。
 明かに、「墓の中にある”もの”を取り出したかった」のであって、死者を冒涜するような動機は存在していないように思える。

「……親父……」

 幽助の口から、自然にそんなつぶやきが漏れる。
 取り立てて親子らしい思い出がある訳ではないが、血が繋がっているのは確かだし、食脱医師の、つまり、自分の遺伝上の母との切ない思い出を聞いてしまった今となっては、ただの暴君とは思えない存在ではある。

 幽助は、ごくりとつばを飲み込みながら、かがみこんで、雷禅の亡骸が収められているはずの空間を覗き込む。
 暗いが目を凝らせば、かなり余裕を持たせた石造りの、玄室と呼んでも差し支えない空間が地下に設えられている。
 その半ば。
 故人の巨躯でも十分余裕があったであろう棺。
 その蓋が、空いている。
 生前と変わらぬ装いで横たえられていたはずの、故人の亡骸が――ない。

 幼い頃鉄棒にぶらさがったのと同じ要領で、幽助は逆さに玄室を覗き込み。
 北神に手渡された懐中電灯で隅々まで照らしてみたが、申し訳程度の副葬品の類が以前と何ら変わらぬ配置で安置されているのが見えるだけ。
 雷禅の、あの命を失った巨躯だけが、陰も形もなくなっている。

 ――まるで、故人が、墓の中で息を吹き返して、棺から起き上がって、自主的に外へ歩いて出て行った、ように見える。

 しかし。

「……北神、親父の死骸、なくなってるの、最初に気付いたのは?」

 幽助が、玄室から頭を引っこ抜き、ゆっくりと立ち上がる。

「はい。本日の朝の、墓掃除の当番の者です。ここに来てみたら、すでにこういう状態だったと」

 北神が手招きしたのは、この国ではよく見かけるタイプの魔族の若い男。
 どうにかA級に引っ掛かっている、くらいの妖力である。

「ここに来てみたら、こうなっているのに気付いてびっくりしたっていうことなんだな? その前に、なんか気配とか、物音とか、何かしら変なことは?」

 幽助が問いただすと、当番の男は申し訳なさそうに首をすくめる。

「いえ、全く……。墓の前に回って初めて、こうなっているのに気付いて仰天しまして……。その時、すぐに周囲を窺いましたが、特に不審な妖気などは」

 彼自身、人間界の言葉で言うなら「狐につままれた」ような顔をしているのが、幽助にはどうも気の毒に思える。

 こういう状況って、何かで見たことあるな、と幽助は記憶を引っ張り出し、何に似ていたのか思い出す。
 以前、たまたま夜更かしした時にテレビで放映していた、吸血鬼ものの映画だ。
 気の毒な犠牲者の美少女が、淫蕩な誘惑者たる吸血鬼となって甦ってくるとか、そういう話だったような。

 そこまで考えて、幽助はまさかと打ち消す。
 人間が言うところの吸血鬼に相当する種族が魔界に存在したところで、あの”闘神”雷禅に、噛みつくどころか、触れることすらできなかったに違いない。

 それに。

「……昨夜の、見張りの奴らは?」

 幽助は、少し離れたところに屹立している、櫓に目を向ける。
 この国は、三竦みが一、雷禅を国王に戴く一種の軍事国家的な面が大きい。
 まして前国王が崩御、新しい体制を決めるはずの魔界トーナメント開催までの隙間期間。
 万が一にも、不安定な体制をひっくり返そうと、あらぬ考えを抱く者が押し寄せてこないよう、警戒は怠らぬ。
 夜間も交代で見張りの者が立ち、一晩中警戒を続けていた、はずであるが。

「この三名ですが、まるで気付かなかったと。夜間、墓の周囲もサーチライトで何度か警戒しましたが、全くそれらしい動きは」

 北神に押し出された三人は、やはりこの国の国民の制服のような道着を纏う、先ほどの墓当番よりいささか年嵩に見える男たちだ。
 もっとも、魔族、見た目で年齢はまず判断できないのだが。

「誠に申し訳ございません、新国王陛下。墓周辺の警戒は、通常と変わらぬ頻度で行っていたのですが……朝になって、早番の者と交代しようとしたところ、墓の掃除当番の彼が血相を変えて走って来られて、その時にようやく」

 平均よりかなり大柄な体をちぢこめる見張りの者の証言に、幽助はますます首をかしげる。
 彼らは、決して弱い妖怪ではなく、愚かでもないはずだ。
 全員、A級以上。
 そんな彼らがガン首揃えて、すぐ目と鼻の先で行われたはずの、墓荒らし行為に気付かなかった?

 いくら何でも、あまりに不自然過ぎる話である。
 外部から墓荒らしが侵入したにせよ、雷禅が何かの拍子に息を吹き返したにせよ、すぐそばにいる誰かに、全く気付かれもしないのは、奇妙に過ぎる。
 もし、雷禅が夜中に息を吹き返していた、などということになっていたら、まず誰よりも、幽助自身が反応したであろう。
 どれだけ熟睡していようとも、自分を何度となくぶちのめしてくれたあの妖気を少しでも感知したら、飛び起きる自信がある。

「ああああ、どういうことなんだかわかんねえ……仕方ねえ、蔵馬に……」

「いえ、いけません、国王陛下」

 北神が、緊張の面持ちで、幽助の思い付きをぶったぎる。

「蔵馬殿に助力を乞う、ということは、あの黄泉にも伝わる可能性が髙い。それはまずいですよ。こんなことを知れば、あの黄泉が、何を仕掛けてくるかわかったものでは」

 幽助は、その言葉の妥当性をしっかり認識してしまい、盛大に溜息をつく。

 どうやら、この不気味で異様な事件に、自分の力だけで立ち向かわねばならないようだ。
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