畜生

 ……俺が、どのくらい前から存在しているのか、もうはっきりとは覚えてねェな。
 親とかいたと思うんだが、どうも記憶があやふやだ。

 だが、はっきりわかっているのは、俺が生粋の「闘神(とうしん)」っていう種族に属しているこった。

「闘神」だなんて、御大層だって?
 まあ、戦う以外に能がない種族だ。
 大げさな名乗りくれェ許してくれ。

 だがよ、俺ら闘神、戦うとなったら、かなりのモンなんだぜ?
 かく言う俺は、その闘神種族ばかりか、魔界の全てを見渡しても、太刀打ちできるような奴は滅多にいねェ。
 多分、俺が魔界で一番強ェ。

 ……鼻で嗤いやがったな、あんた。

 でもまあ、客観的な事実ってやつだと思うんだがな。
 だからこそ、こう、難しいんだよ。
 あんたが、馬鹿らしいって思うのも、まあわかる。
 今のこの状態じゃあな。

 ……まあ、なんていうか。
 若い頃から、戦って、戦って、戦って。
 気が付いたら、ほとんど敵と言えるような奴がいなくなっていた。
 誰と戦っても、当たり前のように勝てちまう。
 つまんないぜ?
 絶対に勝つ勝負を延々するっていうのは。
 何一つ、真新しいことがない。

 ……ふと、最近思うんだ。
 俺の願いは叶ったはずなんだ。
 魔界最強。
 だけど、何だろうな、この虚しさ。
 あれほど追い求めてたはずなのに。
 いざこうなって久しいと、自分は本当にこんなものが欲しかったんだろうかってよ。
 つまんねえんだ。
 自分は、本当は魔界最強の称号なんて、欲しくなんかなかったんじゃないかってすら思える。

 でもさ。
 今更、どうしたらいいのかわかんねえんだ。

 だけど。
 そこにあんただ。

 あんたは、か弱い人間の女だ。
 だけど……俺は、あんたに「勝」てねェ。
 あんたを、単純に殺すことはできるだろう。
 だけど、あんたを上回るって思える何かを。
 俺は、何一つ、持ってはいねェ。
 それに、今、気付いちまった。

 教えてくれよ。
 あんたは何で、そんなに「強く」いられるんだ?
 怖いとか、何かねえのか?


 ◇ ◆ ◇

「下らぬ」

 食脱医師の女は、改めて鼻先で嗤ってやる。
 いわゆる魔族のつぶさな内面など、聞かされたことは初めてではあるが、あまりにも浅ましい。
 あの世界には、価値観が一つしかないのだろうか?
 魔界は、地獄に近いと唱える法師も存在するが、あながち間違いではないかも知れない。
「貪る」という概念しかない、餓鬼道のようなものか。
 この場合は。

「つくづく、お前らは、畜生(ちくしょう)よ」

「畜生……?」

 雷禅と名乗る魔族は、いきなり水でも浴びせられたような顔をする。

「そうじゃ。本能のままに己の欲を満たすことしか頭になく、邪魔な他人は踏みつけにするだけ。本当の意味での『信念』など、抱いたこともない。遠く輝く何かを追おうと、考えることすらないのじゃな」

 冷ややかに、そう雷禅に浴びせたものの、遠い日が一瞬脳裏によみがえり、不世出と言われる食脱医師は、かすかに苦々しい笑みを浮かべる。

「……あんたは」

 不意に、雷禅が真顔になる。
 あぐらをかき、食脱医師と向きあうように座る。

「あんたは、何を追ってるんだ? 何かを追って、その……食脱医師というやつに、なったのか?」

「そうじゃな」

 不意の気まぐれ。
 こいつにわかるとも思えないが、少し面白い話だったので、自分も答えてやる。

「我は、追いやりたい。この世に充満する、『死』というものを」

「死……死、って。あんた……だって、人間には……」

 雷禅は、あまりに当惑したらしく、かすかに頭を振って言葉を探しあぐねる様子。
 それがまた面白く、食脱医師は言葉を重ねる。

「お前、人間なんかすぐ死ぬから人間やってるんだろう、とでも思っておるか? その通りよ。お前等と違って生きて数十年。お前らは気にも留めない些細なことで死ぬ、すぐ死ぬ。不治の難病なんぞ、掃いて捨てるほどにある。きりがないわ。じゃが」

 食脱医師は、まるで屋根を突き抜けて、月が見えているように微笑む。

「この世に充満する『死』に立ち向かうと決めたのじゃ。それだけが、我の信念よ。この身が、骨のひとかけらとなり果てるその日まで、戦うのが、我の道」

 ああ、そうじゃ。
 久しぶりに思い出したの。
 少しは、この魔族に感謝せねばなるまい。

 ふと。
 いつの間にか、目と鼻の先に、雷禅がにじり寄っているのに、食脱医師は気付く。

「やっぱり……やっぱり、あんたしかいねえ。あんたとなら……なあ」

 大きな熱い腕に包み込まれるのを感じる。
 牡の匂い。
 荒い吐息と、求める言葉。

 まあ、良いか。
 面白い話を聞かせてくれた畜生ゆえ、我も畜生流に……番ってでもやろうか。
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