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第一章 目覚め



 —— 数分前 ——


 俺は再度、ルールの紙全体に目を通した。

 その内容を見るに、これはアドベンチャーゲームのようなもの。幼い頃はよくやったものである。こういったゲームでは、最初にやることは相場が決まっている。自分の持ち物の使い方、今何ができるのかを理解することである。

 よし。両手で何回か、自分の頬を叩いた。気合も入ったところで。リュックサックから、いくつか気になっていたものを取り出した。

 まず、「細長い空き瓶」。

 これを見て思ったのが、先程のコスモスの花である。入れるのに丁度良い大きさではないか。

 床に置いていた花を手に取り、瓶に入れ込む。すると考えのとおり。ぴったりとそれは収まった。そのままその瓶を、リュックサックに入れておく。

 次に、「紐のついた丸い何か」。

 これだ。一番気になっていた。掌に収まる程度に小さい何か。親指と人差し指でそれをつまみ、四方八方より眺める。

 形状は円盤、大きさは直径五センチメートル程。厚さは一センチも無い。そして、重さも無い。紐…少々太めで短い、ガーゼのような布でできた紐が付いている。

 透ける程の薄紙で包まれたそれの表面には、一文書かれている。

『紐を抜いてお使いください』

 俺はその文章のとおり、何の気なしに紐を抜いてみた。途端に、それからシューと空気が抜けるような音がし始めた。

 まさか。危険を感じた俺は、襖を開けた。

 途端に明るい、朱い光が薄暗い室内に入ってくる。眩しさに手をかざしつつも、ゆっくりと開いた情景を視界に収めた。

 廊下だ。左右、先が見えない程長い廊下が続いている。目の前は壁、一メートル程度の幅の廊下である。壁は木製だが、見た風で言えば頑丈そうな造りをしていた。壁の上方…俺の頭一つ分上のあたりに、長方形で格子のかかった窓が備わっている。窓は等間隔に壁面の同じ高さに設置されており、それぞれから外の光が入り込んでいた。

 俺は手に持ったそれを、適当に左側へと投げた。何度か床を跳ね、数メートル先に鎮座する。

 それと同時だった。パンッ!という大きな破裂音がしたかと思うと、同じようにパン、パンと音が繰り返される。キラキラとした綺麗な火花を放ちながらも、音が鳴るたびにそれ自体軽く跳ねている。

 どうやらこれは花火のようである。明るくて判断が付かないが、ねずみ花火と爆竹が合わさったようなものか。もしもあのまま手に持ったままなら、酷く火傷していたかもしれなかった。

 それにしても、どうして花火が。そう不思議に思った、その時。

(足音…?)

 俺が花火を投げた方向、左の廊下の先から、ドスドスと重い足音が木霊してきたのだ。

 自分以外にも人がいたのか。つばを飲み込む。もしかすると、俺と同様この記憶さがしに参加している者かもしれない。

 そう考えた途端、心がほっと安堵感に包まれた。内心こんなところに一人、知らないうちに記憶さがしなんてものに参加させられ、寂しさや不安を感じていたのだろうか。

 相手が自分と同じ状況であれば、情報共有もできる。一人より二人、心の余裕も生まれるに違いない。相手が何者であっても、会話ができればそれで良い。俺は襖から廊下へと、一歩踏み出した。

 しかし。実際は踏み止め、元の和室へと身を戻すことになる。その理由は。

 あ、ああああああああ

 その何者かが、人語と思えない大きな奇声を発していたのだから。

 気味が悪い、体の芯まで響く程に恐ろしい声。この和室へと、着々と近付いてくる。

 開いたままとなっていた襖を素早く閉め、和室の端、箪笥の影へと移動した。何も分からない。しかし何とも表現しにくい、おぞましい気配。姿かたちは見えなかったが、声とその気配から、危険な存在であると直感した。

「あ…ああ…あ」

 まさに間一髪。それは想像以上の移動速度を持っていたようだ。俺が部屋の端に移動したとほぼ同時に、今ほど花火を投げた襖の前までやってきていた。数秒でも遅ければ、襖を閉める際気付かれていただろう。

「ううう…あああ…」

 襖の向こうで、それは重苦しく唸る。落ち着け。このままやり過ごす、それしかない。

 沈黙。呻き声は止み、何も音は聞こえない。
 が、次の瞬間だった。ガタァンと、襖が一枚倒された。大きな音に体が震える。それが、和室内に通じる襖を壊したのだ。

 吐き気がする程、おぞましい空気が室内を漂う。幸い俺の姿は箪笥に隠れ、ぎりぎり死角となっている。室内全体を歩き回らなければ、見つかることはないだろう。

 自然と呼吸の回数が増える。早く去ってくれ、そう心の中でそう願うが、どうやらそれはその場から動いていないようだ。本当ならその姿を見ておきたいが、全身が強張り動かない。そのような軽率な行動をとろうとは、俺の体が許さないようだった。

 未だ荒い息遣いは聞こえてくる。何か、頃合いを見計らっているのだろうか。あああ…と、ざらついた声が響く。

 そうして数分はそのままだったか。それは、向かってきた時と同様、大きな足音を立てた。そのままその音は左の方へと、徐々に小さくなっていった。

(助かった?)

 そう考えても、すぐに体を動かすことはできなかった。完全にその音が聞こえなくなったことを理解した段階で、やっとその体は自由になった。ゆっくりと立ち上がり、一つ空いた襖から、恐る恐る廊下に出た。

 何もいない。格子窓からの暖かな光で照らされ朱に染まった廊下に、相も変わらず虫の鳴き声が響いているだけである。

「何だよ、あれ」

 声が出た。体中冷や汗でびしょ濡れである。溜息をつき、気を落ち着かせる。

 正体は分からない。しかしあの気配に雰囲気。縮み上がる程に、ぞっとするような恐怖。…もし、見つかっていたとしたら、俺はどうなっていたのだろうか。

 とにもかくにも。どうやら簡単に記憶を集めさせる気は無いようだ。先程の何かが突然ここに来たのは、花火の音を聞きつけたからに違いない。単純な好奇心だったが、危うく早々に命を落とすところだったかもしれない。

 失った記憶を手に入れる。しかもそれは、単に探索するにとどまらない。この場所には、得体の知れない危険な何かも存在している。そう表すと、まるで空想の世界の物語のようだが、現実問題そうなのだから仕方がない。

 ひとまず別の場所に移動しよう。この様子だと、捜索範囲はかなり広そうだ。
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