雑多文庫
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フエゴ坊ちゃまが齢15の時、私は死にました。
それまで、私はフエゴ坊ちゃまの給仕をするメイドでございました。給仕と言いましても、魔法には恵まれていたものですから、メレオレオナお嬢様の外出のお迎えや、ヴァーミリオン家に仇をなす痴れ者の粛清もさせていただきました。
何故死んだのか簡単に申し上げますと、長年ご主人様を敵視されていた貴族どもが開催したパーティにご主人様と奥様がご出席される際、奥様を暗殺するという物騒な情報を聞いたものですから、恐れながら私めが奥様に化けてご出席させていただきました。
しかし、それだけでは貴族を根こそぎ粛清することはできないと思い、そのパーティが開かれております貴族共の根城に爆弾を仕掛け、貴族もろとも粛清させていただいた次第であります。もちろんご主人様や奥様は先に避難していただきました。
あれから何年経ったのでしょうか。ここは想像にあった天国でも地獄でもございません。
しかし、川は流れ、清流の水は透き通っており、口に含むこともできます。どこまでも続く草原と、しばらく歩くと花畑もございます。たまにリスや蝶などが通ります。空腹になることもなければ、排泄するものもございません。とにかく長い間、無欲のままここには私しかおりませんでした。
しかし、なんということでしょうか。今私の目の前には、一人の立派な男性が草原の上で眠っているではありませんか。
よくみると、瞼には赤いアイラインと、額にはヴァーミリオン家の印。そして、燃えるような赤橙色の髪は私は忘れるはずがございません。
長年仕えていたヴァーミリオン家のフエゴ坊ちゃま。気持ちよさそうに寝息を立てておりまして、声をかけるのも憚られました。
「こんなに大きくなって・・・」
水面に映る私の顔は死んだ年齢から変わっておりませんから、もしかすればフエゴ坊ちゃまの方が歳を召されているかもしれません。あれからご苦労をされていらしたのでしょうか、眉間の皺が刻まれたように思います。
しばらく坊ちゃまのお顔を拝見させていただいておりますと、ぴくりと体を動かし、その紫の双峰が私を捕らえました。
その美しい紫陽花のような瞳に少し私の胸は高鳴り、「坊ちゃま」と呼びかけますと、坊ちゃまも私だと気づいてくださりまして、私の名前を呼んでくださいました。
「リン・・・本当にお前なのか?」
「はい。フエゴ坊ちゃま。」
「・・・生憎、私の方が老けてしまったようだが」
くすりとフエゴ坊ちゃまは穏やかに笑いかけました。あの頃もとても落ち着いていらっしゃいましたが、今はその大人の落ち着きと内側に秘めた情熱が伝わってきます。
「変わってないな。リン」
「おかげさまで。しかし、坊ちゃまがこちらの世界に見えるのは芳しくない事態でございますね」
「ああ、クローバー王国がテロリスト集団に襲われてな・・・しかもその頭目が魔法騎士団の団長で、そいつにやられたと思ったらここに」
「それはそれは、物騒なことになりましたね」
フエゴ坊ちゃまは起き上がって周囲を確認いたしました。その時、坊ちゃまの右腕がなくなっていることに私は胸を痛めました。
「坊ちゃま・・・右腕が」
「その頭目にやられたのだ。全く、私としたことが情けない」
「私が生きていれば、坊ちゃまのお力になれましたのに」
「いや・・・お前に会えただけで私は救われた気持ちだ」
あと、と坊ちゃまが続けて言いました。左頬を掻いて、「その、坊ちゃまというのはやめてくれないか」と。
「ふふ、何をおっしゃいますやら。いくつになっても坊ちゃまは私の中でフエゴ坊ちゃまでございます」
「リン・・・お前は齢25で時が止まったままだろう。私はもう30を過ぎているのだぞ・・・」
「それはおめでとうございます。では、フエゴレオン様、と」
「私とおまえの仲だ。呼び捨てで構わん」
「それは従者としてあるまじき行為ですわ。どうかお許しを」
坊ちゃま・・・いえ、フエゴレオン様は納得がいかないというようなお顔をなさっておりました。深く頭を下げておりますと、くしゃりとその大きな左手が私の頭を撫で、「頭をあげてくれ」と困ったように言うのでした。
「リン」
「はい」
「お前と出会って私の考えは変わったのだ。誰であれ対等な態度は変わらない」
そういうフエゴレオン様は、私をじっと見据えておりました。なんとご立派になられたことか。私も見つめておりますと、フエゴレオン様はふいと視線を逸らしまして、少し頬が朱紅に染まったのでした。
具合でも悪いのですかと聞きますと、フエゴレオン様は頭を掻いて、声にならない声をあげられたので私はひどく心配いたしました。
「フエゴレオン様、具合でも悪いのでしょうか。ああどうしましょう、ここにはお医者様のお薬もございませんし・・・」と申しますと、「違う!」と少し荒げた声で言ったのでますますわからなくなってしまいました。
フエゴレオン様の左手が私の左肩を掴んで、視線がしばらく絡み合いました。ああなんて綺麗な紫の瞳なのでしょう。そう思っていると私の名前をフエゴレオン様はお呼びになりました。
「お前が死んでしまってから何度私の力が及ばなかったことに悔いたことか・・・齢15の魔導書を受け取ったばかりのあの日、私は大切な人を失う恐ろしさを知ったのだ」
フエゴレオン様のその双眼は私を見て揺らぎ、苦悶の表情をしておりました。私には数日前の出来事のように感じておりましたが、彼にとっては半生時を経ているのであります。長い間、彼を苦しませてしまった私は何と声をかけてよいかわからなくなってしまいました。
「もう少し私が強ければ、もう少し歳をとって権力があれば、失わずにすんだのにと、何度思ったか」
フエゴレオン様が私の左肩を掴む手はだんだん弱くなっていって、次第に足から崩れるようになる彼を抱きとめました。
沈黙が私達の間を包み、私は色々思案した後、やっとのことで口を開きました。
「代々、私の一族は“ヴァーミリオン家の猟犬”としてその生を全うしておりました。ご主人様や奥様、そしてフエゴレオン様をお守りするのが私めの使命でございます。その役目を全うできたのであれば、私はこの命を失おうとも構わなかったのですよ」
「本来であればそれが正しい従者の役割だろう。私の父も母もお前に感謝と敬意を払っていた・・・でも違うのだ。」
違う、とははたまたどういうことでしょう。フエゴレオン様の顔を覗き込むように腰をかがめて、首を傾げていると、フエゴレオン様はこちらを見て、そっと弱弱しく左腕をまわして私を抱きしめたのです。
その力強く屈強な肉体とは裏腹に、私を繊細に包み込むフエゴレオン様。ほんのりとヴァーミリオン家の雄々しく上品な香りが私の鼻腔をくすぐって、懐かしい気持ちになりました。
「私は・・・主人として失格なのだ。お前を愛していた。墓前で何度も会いたいと願っていた」
私はその言葉に驚いて、フエゴレオン様の顔を見てしまいました。自嘲する彼の表情に胸がきゅっと痛くなりました。
フエゴレオン様が物心をつく前から私はヴァーミリオン家の従者として働いてきました。
給仕の仕事はもちろんのこと、文学や魔法の教育係であったり、時には“ヴァーミリオン家の猟犬”として、フエゴレオン様には到底お伝え出来ないような汚い仕事も。しかし全てを打ち明けたところで、従者は主人と結ばれない運命なのです。王族の落胤として、子供の苦労する話が絶えないのはそういうことです。
でも、それでも、ひと時でいいですからフエゴレオン様の寵愛をお受けしたいと思うのは私も欲深い人間なのでしょうね。
締め付けられたかのように胸が悲鳴をあげて、私の頬から涙が流れてしまいました。フエゴレオン様は驚いて、その涙を掬って「困らせてしまって、すまない」と眉を下げて言ったのです。
私は首を横に振って、「私もフエゴレオン様にお会いしたかった。いつの間にかご主人様のような立派な男性になっていて、もし私が生きていたら、と考えると堪らなく切ないのです」と伝えました。
主人と従者の関係以前に、私はもう死んだ存在。結ばれることなどありえないはずなのに、待ち望んでいる自分がおりました。
生き返りたい。生き返って、フエゴレオン様と添い遂げたいと願っていると、この奇妙な世界の空がバリバリと音を立てて裂けはじめ、フエゴレオン様が私を覆って守ってくださりました。
なんと空から、火の精霊サラマンダーが鳴き声をあげてやってきたのです。
私が生きていた頃、火の精霊サラマンダーは私のお友達でした。まだ小さかったドラゴンは肩に乗って寝て居たり、勝手に私のお食事を食べたりやんちゃなこともしておりましたが、大切な存在でした。
サラマンダーは私を見るなり、一直線にこちらに向かってきて甘えるように首に巻き付いてきたのです。今まで心細かったのでしょうか。それとも、私の次の主人が死んでしまったのでしょうか。理由はわかりませんが、ここにサラマンダーがやってきたのは何か運命を感じました。
「サラマンダー、フエゴレオン様の力になってはいただけませんか」
「な・・・リン・・・!」
「フエゴレオン様。まだこちらの世界に来るには時期尚早というものであります。」
フエゴレオン様は驚いたような、今にも泣き出すような、いろいろな気持ちが混ざった顔をなさっておりました。その小さいドラゴンは私の肩に乗り、フエゴレオン様をじっと見ておりました。火の精霊として、自分の主人になり得るか見定めているのでしょう。
しばらくすると、サラマンダーが私の肩からフエゴレオン様の肩に移り、その失った右腕から炎の形をした右腕が姿を現しました。
「頼みましたよ。サラマンダー」
私がそう言うと、フエゴレオン様を主と認めたその小さいドラゴンはきゅううと鳴き声をあげました。少し大きくなったようですが相変わらず可愛らしい。
辺り一面草原だったこの世界はサラマンダーによって炎に包まれました。ああ、久しぶりの心地よい炎の世界だと思いました。
「リン」そう言って、炎の渦の中に包まれていくフエゴレオン様に深々と頭を下げました。きっとサラマンダーが現実世界へと導いてくれることでしょう。
「・・・従者としてあるまじき言動をお許しください。
あなたのことをお慕いしておりました。フエゴレオン様」
フエゴレオン様の美しい瞳は大きく開き、その伸ばした手までもが炎の中へと包まれていきました。私はずっとここでお待ちしております。いつか結ばれるべきお方と添い遂げられ、やるべきことを全うされるまで。
いってらっしゃいませ。私の愛すべきご主人様。