26.私の帰る場所
心臓の音が時計の針音のように等間隔で鳴る。
痛い。痛い、痛い。そればかりが支配する世界に。
この場所が暗いのか、視界が無いから暗いのか。痛みと鼓動以外の情報が無いここは死の恐怖を詰め込んだかのようだ。
けれどもやがて、何かがずるりと動く音が聞こえた。
否、耳は再生していないから、心音と同じ様にただ感覚が伝わっただけかもしれない。痛みの中では正確な、正常な判断が出来なかった。
(ああ……私、何してるんだっけ)
ぼんやりとする暇も無いのに、あやふやになっていた意識に無理矢理思考をさせる。……駄目だ、痛い。
苦し紛れに何かを握る。そこには期待も何も無かったが、ぐにょんと気持ちの悪い感覚が得られた。
……握った……?
あ。これは、手だ。手が動かせるようになったらしい。
先程の音は、私の体の一部が動いた音だったのだろう。改めて認識してみれば、手を動かすと同時に心臓の周りの肉が揺れている気がする。
でも、それ以上は動かない気がした。再生していないから?……否、動かす気になれないだけかもしれない。だって。
(私は何でこんな風に痛くなってるんだろ……。ここ、何処……)
だって、考えても痛いだけなのだから。動いて誰かの手を取れた訳でもない。意識を逸らそうと精一杯考えるのに、痛みで直ぐに掻き消されていくから何もわからないまま。真っ暗な世界のまま。
それで何をやっていると言うの。何をやる必要があるの。
(そもそも私って、何だ……?)
何かの音が聞こえて、何かの何処かが動いて。
そんな曖昧なものに成り下がって、痛みに“私”が剥奪されている。
それでも現状を否定する理由が浮かばなかった。
そこに、青年の声が響き渡るまでは。
『君に喰われるだけの存在……?』
聞き覚えのある声。あれだけ世界を支配していた痛みを一瞬忘れそうになる程意識を奪われる。
誰だっけ。絶対に思い出さなきゃ。思い出さなきゃ駄目だ。
ほんの短い時間なのにその考えがぐるぐると回って、次に頭に鉄槌のような衝撃を落とす。
『メイナが?』
エルトの声だ。
(メイナ……そうだ、私!)
漸く気が付いた“私”ははっと起き上がった。……起き上がりたかった。
「い゛っ――?!」
悲鳴を正確に発音する事すら出来ないぐらい痛い。
意識さえも一瞬、かちりと途切れて飛んだ。
それもそうだ。先程から少しずつ再生してはいるようだが、まだ痛覚が外で野晒しになっているようなもので、その上に再生途中の未熟な筋肉や骨や臓器を今無理に動かそうとした。
もしかしたら痛みのショックで余計に一回死にかけたのかもしれない。
(エルトに殺された時はこんなに痛くも、怖くもなかったのに……!)
殺された一瞬の痛みはあったけれど、それきりだ。
恐らくエルトは最小限の傷で殺してくれて、その前も後も触れていてくれた。殺されてもエルトが生き返してくれるし、傍にいると無意識に思っていたから怖さも我慢できた。
だから、私は生き返った直後も“私”を失わずにいられたのだ。
それが今回の死は――
(よくもごりごりと噛み砕いてくれたものね!私を食べるにしても、飲み込めば良いだけでしょ!)
みるみる内に死ぬ間際の記憶が甦り、自分を取り戻した私は頭の中でドラゴンへと悪態を吐いた。
食べられる事に関しては想定内であった。もしも殺されても、燃やし尽くされたりよほどペインドラゴンの胃液が特殊で、一瞬の内に溶けてしまうほど強力でない限りは生き返れる。
だから思い切って踏み込める。遠慮無く囮になれる。それに喰われた後で再生すれば、鱗に関係なく内側から直接攻撃出来ると思っていた。
……でも、致命傷で生き返るのがここまで痛いとは。
(うう……う……?目が復活してきた、かも)
再生する感覚なんて普通は体験する事もないのだから確かな事はわからない。けれど目の辺りから先ほどまでとは違う感覚がした。手と同じ様に動かそうとしてみればいけるかも……。
重い瞼を痛みに耐えながらゆっくりと開くと、薄らとした光が床を照らしていた。折角目を開いて見えた光景だったが、それ以外は明かりもなく開く前とそう変わらない暗さだった。
けれど先程までの曖昧な私とは違う。今の私なら、暗闇の怖さは我慢できる。
流石に一人きりの空間で怖くないと強がりは言えないが。
(外では皆が待ってる。中に入ってしまえばこっちのものだし、ここからは思い切り反撃……をうっ?!)
突然床が揺れ、衝撃が体に伝わる。
そうだ、まだ戦いの途中。外にいる皆はドラゴンに攻撃しているはずだ。揺れるのも当たり前だった。
どうやら再生するのはまず生命維持に関わる部分、次は人の姿を形造る部分が優先されるらしく、さっきまでは起き上がろうとしても無理だったのに、今は何とか手をついて体を起こす事ができた。
……ただし細かい所や必須ではない臓器は後回しのようで、塞がっていない傷も多く中身も痛む場所がいっぱいあるのだけど。
「……ふう。兎に角、揺れに気を付けて進もう。あ。棍棒……は、手元にはないか」
無ければこの体だ。素手で殴っても構わないけれど、与えられるダメージ量も違うし、あの棍棒で撲れるならそれに超したことは無い。
そう思い目をきゅうっと細めて周囲を確認してみるが、いまいち暗くて見え難い。
私は仕方なく、ぐにょぐにょとした感触の湿った床や壁を手探りに進んでいった。
「うわっ!……と、凄い揺れてるなぁ。エルト、『世界構造図』使ったのかな」
先程の声を思い出して、背中がひゅうっと寒くなる。
……うん。何で聞こえたかはわからないけど、あの声は怒っていたね、エルト。オブシディアンドラゴンの時みたいだった。否、それ以上の冷たく強い声だったかもしれない。
私は死なないと言うのはエルトが一番知っている事だけど、私が痛め付けられて一番怒ってくれるのもまたエルトだから。
これは多分、古魔術をぶっ放した後だろう。
「……わっ!今度は何!」
カッ!と紫の光が奥から広がり、私は思わず腕で顔を防ぐ。
しかし数秒しても何も起こらず、腕をゆっくりと避けると、紫掛かってはいるものの視界が一気に開けていた。
「あっ!棍棒!」
お蔭で通り過ぎていた棍棒の下に駆け戻る事ができた。真っ白だけど先が血に染まって、私の手にぴったりの握り易さ。間違いなく私の棍棒だった。
いや、そもそもドラゴンの体内にそんなに棍棒が落ちているとは思えないけれども。
……でもこの光って何なんだろう。
口から体内までは光も届かないだろうし、アルグさん達が付けた傷ならもっと細く複数箇所から光が漏れてきてもおかしくない。何より光が紫って言うのがおかしい。
「……紫?ああっ!」
私は重大な事を思い出して、その光源の下へと走って行った。
辿り着いた場所は予想通り。私の頭ほどもある紫色の透き通った宝玉が壁に引っ付いていた。
普通に思い描く宝玉の大きさもあり、私から見れば随分と大きなものだけど、ドラゴンの体内の広さを考えるとほんの微々たる食べ滓みたいなもの。
けれどそれが煌々と辺りいっぱいに紫を満たしていた。そしてその光を浴びるとまだ再生しきれていなかった私の体がどんどんと回復していく。
「これが、魔宝珠……」
そしてこれが魔宝珠の力なのだろう。宝珠に込められた途方もない魔力が再生力を引き出している。
それがドラゴンの体内に埋まっていると言う事は……。
『鱗ガ多少欠ケヨウト、肉ヲ僅カニ斬ラレテモ、所詮人間ノ力デハ我ノ底マデ切リ落トスコトハ出来マイ』
また突然声が響く。それに呼応するように、目の前の宝玉も光を増幅させていた。
……もしかして、この魔宝珠が外から無造作に拾ってきているのだろうか。
『魔宝珠ト時間サエアレバコンナ傷ナド問題デハナイ』
じゃあ、これはドラゴンが実際に喋っている声で。考えた通りこの魔宝珠があるままでは、私達は勝てない……?
「なんてまあ、どっちでも良いか」
高笑いしているところ悪いけれど、そのご自慢の魔宝珠は目の前だし。
何にせよ私は中から攻撃するだけだ。だから、取り戻した棍棒を振り上げて。
ドラゴンのお腹をぶち破って。
「ここから、おさらばするだけだしね……!」
痛い。痛い、痛い。そればかりが支配する世界に。
この場所が暗いのか、視界が無いから暗いのか。痛みと鼓動以外の情報が無いここは死の恐怖を詰め込んだかのようだ。
けれどもやがて、何かがずるりと動く音が聞こえた。
否、耳は再生していないから、心音と同じ様にただ感覚が伝わっただけかもしれない。痛みの中では正確な、正常な判断が出来なかった。
(ああ……私、何してるんだっけ)
ぼんやりとする暇も無いのに、あやふやになっていた意識に無理矢理思考をさせる。……駄目だ、痛い。
苦し紛れに何かを握る。そこには期待も何も無かったが、ぐにょんと気持ちの悪い感覚が得られた。
……握った……?
あ。これは、手だ。手が動かせるようになったらしい。
先程の音は、私の体の一部が動いた音だったのだろう。改めて認識してみれば、手を動かすと同時に心臓の周りの肉が揺れている気がする。
でも、それ以上は動かない気がした。再生していないから?……否、動かす気になれないだけかもしれない。だって。
(私は何でこんな風に痛くなってるんだろ……。ここ、何処……)
だって、考えても痛いだけなのだから。動いて誰かの手を取れた訳でもない。意識を逸らそうと精一杯考えるのに、痛みで直ぐに掻き消されていくから何もわからないまま。真っ暗な世界のまま。
それで何をやっていると言うの。何をやる必要があるの。
(そもそも私って、何だ……?)
何かの音が聞こえて、何かの何処かが動いて。
そんな曖昧なものに成り下がって、痛みに“私”が剥奪されている。
それでも現状を否定する理由が浮かばなかった。
そこに、青年の声が響き渡るまでは。
『君に喰われるだけの存在……?』
聞き覚えのある声。あれだけ世界を支配していた痛みを一瞬忘れそうになる程意識を奪われる。
誰だっけ。絶対に思い出さなきゃ。思い出さなきゃ駄目だ。
ほんの短い時間なのにその考えがぐるぐると回って、次に頭に鉄槌のような衝撃を落とす。
『メイナが?』
エルトの声だ。
(メイナ……そうだ、私!)
漸く気が付いた“私”ははっと起き上がった。……起き上がりたかった。
「い゛っ――?!」
悲鳴を正確に発音する事すら出来ないぐらい痛い。
意識さえも一瞬、かちりと途切れて飛んだ。
それもそうだ。先程から少しずつ再生してはいるようだが、まだ痛覚が外で野晒しになっているようなもので、その上に再生途中の未熟な筋肉や骨や臓器を今無理に動かそうとした。
もしかしたら痛みのショックで余計に一回死にかけたのかもしれない。
(エルトに殺された時はこんなに痛くも、怖くもなかったのに……!)
殺された一瞬の痛みはあったけれど、それきりだ。
恐らくエルトは最小限の傷で殺してくれて、その前も後も触れていてくれた。殺されてもエルトが生き返してくれるし、傍にいると無意識に思っていたから怖さも我慢できた。
だから、私は生き返った直後も“私”を失わずにいられたのだ。
それが今回の死は――
(よくもごりごりと噛み砕いてくれたものね!私を食べるにしても、飲み込めば良いだけでしょ!)
みるみる内に死ぬ間際の記憶が甦り、自分を取り戻した私は頭の中でドラゴンへと悪態を吐いた。
食べられる事に関しては想定内であった。もしも殺されても、燃やし尽くされたりよほどペインドラゴンの胃液が特殊で、一瞬の内に溶けてしまうほど強力でない限りは生き返れる。
だから思い切って踏み込める。遠慮無く囮になれる。それに喰われた後で再生すれば、鱗に関係なく内側から直接攻撃出来ると思っていた。
……でも、致命傷で生き返るのがここまで痛いとは。
(うう……う……?目が復活してきた、かも)
再生する感覚なんて普通は体験する事もないのだから確かな事はわからない。けれど目の辺りから先ほどまでとは違う感覚がした。手と同じ様に動かそうとしてみればいけるかも……。
重い瞼を痛みに耐えながらゆっくりと開くと、薄らとした光が床を照らしていた。折角目を開いて見えた光景だったが、それ以外は明かりもなく開く前とそう変わらない暗さだった。
けれど先程までの曖昧な私とは違う。今の私なら、暗闇の怖さは我慢できる。
流石に一人きりの空間で怖くないと強がりは言えないが。
(外では皆が待ってる。中に入ってしまえばこっちのものだし、ここからは思い切り反撃……をうっ?!)
突然床が揺れ、衝撃が体に伝わる。
そうだ、まだ戦いの途中。外にいる皆はドラゴンに攻撃しているはずだ。揺れるのも当たり前だった。
どうやら再生するのはまず生命維持に関わる部分、次は人の姿を形造る部分が優先されるらしく、さっきまでは起き上がろうとしても無理だったのに、今は何とか手をついて体を起こす事ができた。
……ただし細かい所や必須ではない臓器は後回しのようで、塞がっていない傷も多く中身も痛む場所がいっぱいあるのだけど。
「……ふう。兎に角、揺れに気を付けて進もう。あ。棍棒……は、手元にはないか」
無ければこの体だ。素手で殴っても構わないけれど、与えられるダメージ量も違うし、あの棍棒で撲れるならそれに超したことは無い。
そう思い目をきゅうっと細めて周囲を確認してみるが、いまいち暗くて見え難い。
私は仕方なく、ぐにょぐにょとした感触の湿った床や壁を手探りに進んでいった。
「うわっ!……と、凄い揺れてるなぁ。エルト、『世界構造図』使ったのかな」
先程の声を思い出して、背中がひゅうっと寒くなる。
……うん。何で聞こえたかはわからないけど、あの声は怒っていたね、エルト。オブシディアンドラゴンの時みたいだった。否、それ以上の冷たく強い声だったかもしれない。
私は死なないと言うのはエルトが一番知っている事だけど、私が痛め付けられて一番怒ってくれるのもまたエルトだから。
これは多分、古魔術をぶっ放した後だろう。
「……わっ!今度は何!」
カッ!と紫の光が奥から広がり、私は思わず腕で顔を防ぐ。
しかし数秒しても何も起こらず、腕をゆっくりと避けると、紫掛かってはいるものの視界が一気に開けていた。
「あっ!棍棒!」
お蔭で通り過ぎていた棍棒の下に駆け戻る事ができた。真っ白だけど先が血に染まって、私の手にぴったりの握り易さ。間違いなく私の棍棒だった。
いや、そもそもドラゴンの体内にそんなに棍棒が落ちているとは思えないけれども。
……でもこの光って何なんだろう。
口から体内までは光も届かないだろうし、アルグさん達が付けた傷ならもっと細く複数箇所から光が漏れてきてもおかしくない。何より光が紫って言うのがおかしい。
「……紫?ああっ!」
私は重大な事を思い出して、その光源の下へと走って行った。
辿り着いた場所は予想通り。私の頭ほどもある紫色の透き通った宝玉が壁に引っ付いていた。
普通に思い描く宝玉の大きさもあり、私から見れば随分と大きなものだけど、ドラゴンの体内の広さを考えるとほんの微々たる食べ滓みたいなもの。
けれどそれが煌々と辺りいっぱいに紫を満たしていた。そしてその光を浴びるとまだ再生しきれていなかった私の体がどんどんと回復していく。
「これが、魔宝珠……」
そしてこれが魔宝珠の力なのだろう。宝珠に込められた途方もない魔力が再生力を引き出している。
それがドラゴンの体内に埋まっていると言う事は……。
『鱗ガ多少欠ケヨウト、肉ヲ僅カニ斬ラレテモ、所詮人間ノ力デハ我ノ底マデ切リ落トスコトハ出来マイ』
また突然声が響く。それに呼応するように、目の前の宝玉も光を増幅させていた。
……もしかして、この魔宝珠が外から無造作に拾ってきているのだろうか。
『魔宝珠ト時間サエアレバコンナ傷ナド問題デハナイ』
じゃあ、これはドラゴンが実際に喋っている声で。考えた通りこの魔宝珠があるままでは、私達は勝てない……?
「なんてまあ、どっちでも良いか」
高笑いしているところ悪いけれど、そのご自慢の魔宝珠は目の前だし。
何にせよ私は中から攻撃するだけだ。だから、取り戻した棍棒を振り上げて。
ドラゴンのお腹をぶち破って。
「ここから、おさらばするだけだしね……!」