25.Elto◆MEINA
ごくり。
小さい嚥下音であったが、その場にいた誰一人として動かなかった為、やけに大きく響いて聞こえた。
これが人一人の命を飲み込む音であるなんて、全く馬鹿馬鹿しい話だ。
「そ、んな……」
そう思ったレンが一番初めに呟いた。少年である彼はメンバーの中でも人生経験も少なく、人の死ぬ場面をあまり見ていないからだろうか。
呆気なく呑み込まれてしまった剛力の少女の姿を信じられずにいる。
「は……はは……嘘だよな?あのゴリラ女が、死ぬわけないよな?!」
泣くどころかむしろ笑ってしまう。必死に、冗談で笑っているように。
けれど離れた場所で刀を握っていたアルグは、無言でその握る力を強めただけだった。ギリッ、と鳴った僅かな音は、彼が敵を睨みつける音のようでもある。
だがドラゴンはその様子を鼻息でふん、と一蹴した。そして顔を持ち上げ、緑の片目で二人を見下ろして言葉を吐く。
「所詮人間ナドコンナモノダ。我々ニ喰ワレルダケノ存在ヨ」
先程までメイナが居た事実すら拭うように、口元をペロリと舐める。……メイナは既に口内にもおらず、腹の中へ送られてしまったらしい。
「てめぇぇええ!」
その暴言と態度に、瞳孔を開いたアルグが大きく振りかぶる。
もはや囮だ何だと言っていられる状況じゃない。
けれど枷が外れたとは言え、上位ドラゴンの巨体と人型の体。打ち合うだけで精一杯で、メイナと言う邪魔も失った今、まともにぶつかってもやはり攻撃は通らない。
レンもまた攻撃に加わろうとするが、体を登られたことに警戒されて中々近付けずにいた。素早さは誰にも負けないが、アルグのような特別な武器もない、一度攻撃を喰らえば終わりの体では無理に踏み込む事も出来ない。
その時。
突然、ざわりと周囲が震えた。
周囲だけではない。アルグもレンもペインドラゴンも。そこにいた全てが、まるで肌が粟立つように何かに感覚を震わされた。
「……ナ、ナンダ?!」
「これは……魔力だ!」
どこかの木々の影から、異常な魔力が一斉に広がってきたのだ。
地面そのものから噴き出すような圧力にドラゴンも瞠目すると、その力が放たれた方向を探るように睨み付けた。
……否、探る必要は無かったか。
何者かがぶつぶつと呟いて、その影から現れたのだから。
真っ黒の服に細かな紋様。茶色の柔らかな髪、貧弱そうな細めの体。腰にもまた、細身の剣を提げている。そんな男が一歩、一歩、俯きがちのままこちらに向かってきていた。
「貴様……!何故生キテイル!」
それら全てを、ドラゴンは叩き潰したはずだった。
潰した時の手応えは確かにあったし、見ただけでもアルグのようなドラゴンならば兎も角、人間では間違いなく死んでいた。
……はずだが、彼は不老不死のネクロマンサー、エルト・メタシナバーであることをドラゴンは知らない。
「君に喰われるだけの存在……?メイナが?」
「ッ!」
エルトが顔をスッとあげた瞬間、優位であるドラゴンの方が怯む。
滲み出る魔力の威圧か、単なる顔の凄みか。
前回同様ぶちっと潰せば、或いはそこらへと払い退けてしまえば良いだけなのに、何故か逃げねばと言う考えがドラゴンの頭に浮かんだ。
尤もそんなもの、詠唱し終えた古代魔術が相手では無謀な考えであるのだが。
「世界構造図」
唱えた瞬間に地面が鳴り響き、ドラゴンの接しているあらゆる場所が蜂起する。傍に居たアルグとレンはエルトの姿を見て素早く察し、大分離れては居たものの、その衝撃に巻き込まれて軽く吹き飛ばされた。
「くっ……これが、古魔術ってやつの威力か……!」
「俺達まで土に潰されるかと思ったぞ!」
だが、それは対象を吹き飛ばす魔術では無い。
蜂起し続ける大地は巨大な蔓のように幾つものうねりとなって赤い巨体にがっしりと巻き付いた。腕も足も胴体にも、尻尾や顔も例外ではなく、何本もの大地が縫い付けるようにドラゴンを押さえ付ける。
「貴様ァッ!一体何ヲシタッ!!」
指先や尾の先をびたんびたんと往生際悪く暴れさせて叫ぶドラゴン。
しかしエルトは至って無機質に、冷たく蔑んだ。
「ふざけた事言ってる暇があるなら、死になよ」
ぱきん。
まるでこのドラゴンに聞かされた骨の折れる音のように、軽く呆気ない音が聞こえた。それはぱき、ぱきと次から次へと続いていく。
あの硬い鱗が大地の締め付けによって簡単に割れているのだ。
ガアアアアッ!と人の言葉を喋っていたドラゴンが獣らしい悲鳴を挙げる。
……だが、締め付けはそこまでだった。ファントムが言っていた通り、どんな大きさのものでも捕らえられる。そこまでの魔術のようだ。エルトがどれほど魔力を注ごうとそれ以上の大地の動きは無く、ドラゴンを縊り殺す事は出来ないらしい。
「……これ以上は無理、か。」
エルトは小さく舌打ちして、余計な魔力を注ぐ事は止めた。ドラゴンもそれを察し……否、割れ得る鱗全てが割れただけなのかもしれないが、悲鳴も止んだ。そしてくぐもった声ではあるが、再び言葉を発し始める。
「フン……少シハヤッテクレルト驚イタガ、ココマデノヨウダナ……」
ただ、ドラゴンが強がろうと拘束は解かれてはいない。世界構造図でそれ以上の攻撃が代わりに、様子を窺っていた二人が再びドラゴンの前へ躍り出た。
「よし、後は俺達に任せてくれ!」
「脇役は幾らチートでも脇役だからな!トドメは勇者の役割だぜっ」
アルグが割れた鱗を更に砕くように、思い切り刀を叩き込む。細かな鱗が跳ね退けられて、刀身が埋まるほど突き刺さっては抜けていく。それを追うように血が飛び出る。
レンは鱗で刃が襤褸にならないようにきっちりと割れ目から覗いた肉を狙って突き刺した。そうしながら体を再び登り、弱点の目を目指す。
今まで一番の巨体だけあってまだまだドラゴンが死にそうな気配は無い。
それでも既に片目は潰れ、動きは押さえられ、その辺りの鱗殆どが割れている。あちこちから血が噴き出し、今も尚その傷を増やしている。
それなのに、ドラゴンは世界構造図に驚いた後、一度もあれ程の鳴き声を響かせなかった。むしろ落ち着き払ってさえいるように見える。
「鱗ガ多少欠ケヨウト、肉ヲ僅カニ斬ラレテモ、所詮人間ノ力デハ我ノ底マデ切リ落トスコトハ出来マイ。魔宝珠ト時間サエアレバコンナ傷ナド」
ドラゴンは赤い涙に濡れていた瞼に数度、ぎゅっ、ぎゅっと力を込める。やがてそれはゆっくりと開いた。
付着した血に緑であったはずの色が少しだけ赤く染まっているが、確かに瞳が再生していた。
「問題デハナイ」
「……再生!?そりゃ、おっさんだって回復は早かったけど!」
それだって数日掛かって骨を修復しただけのはずだ。その後も悠々と動き回っていたものの、暫くは何かある度に痛がっていたし、ほんの数分、数十分の早さで原型を留めない潰され方をした瞳を完璧に再生させたこのドラゴンは異常である。
厄介な物だと三人も分かってはいたが、魔宝珠をどうにかしない限り、これでは切りが無い。
攻撃の手が止まったのを見て、ドラゴンは余裕の笑みを再び浮かべた。
「フハハハ!魔宝珠ガ我ノ中ニアル限リ、我ガ死ヌコトハナ゛……イ゛……ィ、イ゛?」
濁った言葉と共に、ごぷりと血が湧き出す。
肉厚で、決して破れる事の無いはずだった最後の砦、腹部から。己の身であるドラゴンには、どういう事なのか感覚で理解してしまったはずだ。
「それはどうかな」
この時を待っていたように、エルトは満面の笑みを浮かべた。
小さい嚥下音であったが、その場にいた誰一人として動かなかった為、やけに大きく響いて聞こえた。
これが人一人の命を飲み込む音であるなんて、全く馬鹿馬鹿しい話だ。
「そ、んな……」
そう思ったレンが一番初めに呟いた。少年である彼はメンバーの中でも人生経験も少なく、人の死ぬ場面をあまり見ていないからだろうか。
呆気なく呑み込まれてしまった剛力の少女の姿を信じられずにいる。
「は……はは……嘘だよな?あのゴリラ女が、死ぬわけないよな?!」
泣くどころかむしろ笑ってしまう。必死に、冗談で笑っているように。
けれど離れた場所で刀を握っていたアルグは、無言でその握る力を強めただけだった。ギリッ、と鳴った僅かな音は、彼が敵を睨みつける音のようでもある。
だがドラゴンはその様子を鼻息でふん、と一蹴した。そして顔を持ち上げ、緑の片目で二人を見下ろして言葉を吐く。
「所詮人間ナドコンナモノダ。我々ニ喰ワレルダケノ存在ヨ」
先程までメイナが居た事実すら拭うように、口元をペロリと舐める。……メイナは既に口内にもおらず、腹の中へ送られてしまったらしい。
「てめぇぇええ!」
その暴言と態度に、瞳孔を開いたアルグが大きく振りかぶる。
もはや囮だ何だと言っていられる状況じゃない。
けれど枷が外れたとは言え、上位ドラゴンの巨体と人型の体。打ち合うだけで精一杯で、メイナと言う邪魔も失った今、まともにぶつかってもやはり攻撃は通らない。
レンもまた攻撃に加わろうとするが、体を登られたことに警戒されて中々近付けずにいた。素早さは誰にも負けないが、アルグのような特別な武器もない、一度攻撃を喰らえば終わりの体では無理に踏み込む事も出来ない。
その時。
突然、ざわりと周囲が震えた。
周囲だけではない。アルグもレンもペインドラゴンも。そこにいた全てが、まるで肌が粟立つように何かに感覚を震わされた。
「……ナ、ナンダ?!」
「これは……魔力だ!」
どこかの木々の影から、異常な魔力が一斉に広がってきたのだ。
地面そのものから噴き出すような圧力にドラゴンも瞠目すると、その力が放たれた方向を探るように睨み付けた。
……否、探る必要は無かったか。
何者かがぶつぶつと呟いて、その影から現れたのだから。
真っ黒の服に細かな紋様。茶色の柔らかな髪、貧弱そうな細めの体。腰にもまた、細身の剣を提げている。そんな男が一歩、一歩、俯きがちのままこちらに向かってきていた。
「貴様……!何故生キテイル!」
それら全てを、ドラゴンは叩き潰したはずだった。
潰した時の手応えは確かにあったし、見ただけでもアルグのようなドラゴンならば兎も角、人間では間違いなく死んでいた。
……はずだが、彼は不老不死のネクロマンサー、エルト・メタシナバーであることをドラゴンは知らない。
「君に喰われるだけの存在……?メイナが?」
「ッ!」
エルトが顔をスッとあげた瞬間、優位であるドラゴンの方が怯む。
滲み出る魔力の威圧か、単なる顔の凄みか。
前回同様ぶちっと潰せば、或いはそこらへと払い退けてしまえば良いだけなのに、何故か逃げねばと言う考えがドラゴンの頭に浮かんだ。
尤もそんなもの、詠唱し終えた古代魔術が相手では無謀な考えであるのだが。
「世界構造図」
唱えた瞬間に地面が鳴り響き、ドラゴンの接しているあらゆる場所が蜂起する。傍に居たアルグとレンはエルトの姿を見て素早く察し、大分離れては居たものの、その衝撃に巻き込まれて軽く吹き飛ばされた。
「くっ……これが、古魔術ってやつの威力か……!」
「俺達まで土に潰されるかと思ったぞ!」
だが、それは対象を吹き飛ばす魔術では無い。
蜂起し続ける大地は巨大な蔓のように幾つものうねりとなって赤い巨体にがっしりと巻き付いた。腕も足も胴体にも、尻尾や顔も例外ではなく、何本もの大地が縫い付けるようにドラゴンを押さえ付ける。
「貴様ァッ!一体何ヲシタッ!!」
指先や尾の先をびたんびたんと往生際悪く暴れさせて叫ぶドラゴン。
しかしエルトは至って無機質に、冷たく蔑んだ。
「ふざけた事言ってる暇があるなら、死になよ」
ぱきん。
まるでこのドラゴンに聞かされた骨の折れる音のように、軽く呆気ない音が聞こえた。それはぱき、ぱきと次から次へと続いていく。
あの硬い鱗が大地の締め付けによって簡単に割れているのだ。
ガアアアアッ!と人の言葉を喋っていたドラゴンが獣らしい悲鳴を挙げる。
……だが、締め付けはそこまでだった。ファントムが言っていた通り、どんな大きさのものでも捕らえられる。そこまでの魔術のようだ。エルトがどれほど魔力を注ごうとそれ以上の大地の動きは無く、ドラゴンを縊り殺す事は出来ないらしい。
「……これ以上は無理、か。」
エルトは小さく舌打ちして、余計な魔力を注ぐ事は止めた。ドラゴンもそれを察し……否、割れ得る鱗全てが割れただけなのかもしれないが、悲鳴も止んだ。そしてくぐもった声ではあるが、再び言葉を発し始める。
「フン……少シハヤッテクレルト驚イタガ、ココマデノヨウダナ……」
ただ、ドラゴンが強がろうと拘束は解かれてはいない。世界構造図でそれ以上の攻撃が代わりに、様子を窺っていた二人が再びドラゴンの前へ躍り出た。
「よし、後は俺達に任せてくれ!」
「脇役は幾らチートでも脇役だからな!トドメは勇者の役割だぜっ」
アルグが割れた鱗を更に砕くように、思い切り刀を叩き込む。細かな鱗が跳ね退けられて、刀身が埋まるほど突き刺さっては抜けていく。それを追うように血が飛び出る。
レンは鱗で刃が襤褸にならないようにきっちりと割れ目から覗いた肉を狙って突き刺した。そうしながら体を再び登り、弱点の目を目指す。
今まで一番の巨体だけあってまだまだドラゴンが死にそうな気配は無い。
それでも既に片目は潰れ、動きは押さえられ、その辺りの鱗殆どが割れている。あちこちから血が噴き出し、今も尚その傷を増やしている。
それなのに、ドラゴンは世界構造図に驚いた後、一度もあれ程の鳴き声を響かせなかった。むしろ落ち着き払ってさえいるように見える。
「鱗ガ多少欠ケヨウト、肉ヲ僅カニ斬ラレテモ、所詮人間ノ力デハ我ノ底マデ切リ落トスコトハ出来マイ。魔宝珠ト時間サエアレバコンナ傷ナド」
ドラゴンは赤い涙に濡れていた瞼に数度、ぎゅっ、ぎゅっと力を込める。やがてそれはゆっくりと開いた。
付着した血に緑であったはずの色が少しだけ赤く染まっているが、確かに瞳が再生していた。
「問題デハナイ」
「……再生!?そりゃ、おっさんだって回復は早かったけど!」
それだって数日掛かって骨を修復しただけのはずだ。その後も悠々と動き回っていたものの、暫くは何かある度に痛がっていたし、ほんの数分、数十分の早さで原型を留めない潰され方をした瞳を完璧に再生させたこのドラゴンは異常である。
厄介な物だと三人も分かってはいたが、魔宝珠をどうにかしない限り、これでは切りが無い。
攻撃の手が止まったのを見て、ドラゴンは余裕の笑みを再び浮かべた。
「フハハハ!魔宝珠ガ我ノ中ニアル限リ、我ガ死ヌコトハナ゛……イ゛……ィ、イ゛?」
濁った言葉と共に、ごぷりと血が湧き出す。
肉厚で、決して破れる事の無いはずだった最後の砦、腹部から。己の身であるドラゴンには、どういう事なのか感覚で理解してしまったはずだ。
「それはどうかな」
この時を待っていたように、エルトは満面の笑みを浮かべた。