24.はつかねずみがやって来る
各々の準備を終えて、その時がやって来た。入り口は相変わらず普通の、静かな草原。
けれど奥に進んだ景色も相変わらず。一月もしていない時間経過では、こびりついた黒はそうそう変わりはしなかった。
始めは雑談も交わせた私達も、ざりざりと足音が変わった今では既に警戒態勢を取っている。
あのふざけっぱなしのレン君でさえその緑と黒の境界に入った時、言葉を止めて喉を鳴らした。始めは遊んで私達の隊列を乱していたりもしたけれど、今はきちんと周りに合わせて進んでいる。
一番後ろは、勿論エルトだ。レン君は出来るだけ無事に帰してあげたいけれど、私達が一番死守しなければならないのはエルト。この戦いはその魔力、魔術にかかっているから。幾ら色々と規格外なレン君であっても、魔力はエルトを超せはしなかった。魔術を使う慣れもあるし、事態の重さもあってこればかりはレン君もエルトに譲ってくれた。
「……本当に、メイナが囮で、大丈夫なのか?」
「大丈夫です」
「幾ら強くなったからって――」
「大丈夫です」
きっぱりとアルグさんの言葉を断ち切る。
そう。私は強くなれたと思う。それは僅かばかりだと思うけれど、囮になると自ら手を挙げられたほど。
握りしめた棍棒はぎちり、と滑り止めに巻かれた布が音をたてた。
まだ心配そうな表情を浮かべるアルグさんを後目に、私はどんどん進んでいった。
「……覚えてる。確か、ここら辺から走り出して見つけたんだ」
恐怖で刻まれた風景は、あと少しでその大元に遭えると教えてくれた。アルグさんもエルトも覚えているようで、私達は顔を見合って無言で行こうと合図した。
黒い木々を越えた先。
それは、真っ赤な巨体。
二度目の邂逅だろうと圧倒される大きさは変わらない。レン君が絶句しているのが空気の音でわかった気がした。
くすんだ赤の鱗に包まれたそれを見上げる。向こうも私達が来た事などお見通しのようで、アルグさんと同じ緑の目がぎょろりとこちらを見下して、それから顔もこちらに向けてきた。
「答エヲ聞コウ」
「……それは、もうわかってるんじゃない?」
上手く挑発的な笑いは出来ているだろうか。いや、何だか筋肉が強張って張り付いた笑いになっているような。
それでもペインドラゴンには気に食わないものに出来たようで、奴はギッと眼光を鋭くして大きな口で、息を吸い込み、そして吐き出すように森中を揺らす咆哮を放った。
どんっと大地を踏みつけられれば体が揺らぐ。けれどその衝動の波に乗るように姿勢を沈めて、私は駆け出した。
勿論そうなれば真っ先に狙われるのは私。迫りくる巨大な手はそれだけで私の体を握りつぶす事が出来るだろう。
……大丈夫。しっかりと見ていれば、怯えずに対抗すれば、避けられるか吹き飛ばされるだけで済む。そのくらい、時間を稼げるのなら大丈夫。
「はアッ!」
ガギ、と澄み切らない音で阻まれてそれは動きを止めた。
吹き飛ばされもしなかった。
何故なら私と横には、しっかりと剣をその鱗に食い込ませるアルグさんがいたから。
「貴様ッ……!」
「ははは……お陰様で死なずに済んだよ」
アルグさんは不敵に笑ってる。力を込めている所為で笑い声は軽くないけれど、ドラゴンはそれでも更に腹を立てた。
「今度ハ生カシテハ帰エサヌゾ」
「それはどうかな?メイナ……いくぞ!」
「は、はいっ!」
幾ら動きを止めたとて、握り潰されれば終わりだ。けれどそうされる前にアルグさんはぐんっと剣を振るった。前は吹き飛ばされる側だったアルグさんが、ドラゴンの手を薙ぎ払ったのだ。
そして一線から赤い血が噴き出た。
アルグさんがぐしゃぐしゃになってしまう程の攻撃を受けて、その剣は砕けただろうか?いや、今もアルグさんの手にある。つまり強度はあるのだ。それだけで簡単に鱗を裂ける訳ではないとしても、使い手の力が強ければ叩き割り、裂く事のできる剣だったのだ。
だから今のアルグさんなら。
「貴様、我ニ傷ヲツケルトハ……一体何処ノ……」
「悪いなァ。ちょっと檻が外れかかってて、前の俺とは違うんだわ」
明るくも穏やかな心のアルグさんから、獣のような気配が漂う。ドラゴンの瞳が少しだけ何かを感じ取ったように揺れた。けれどそれも一瞬。再びギッと睨みつけてはアルグさんに襲いかかる。
そこで私も思い切り赤の滴る場所へ白い棍棒を打ちつけた。
オブシディアンの時とは逆だけれど、少しでもこのペインドラゴンの注意を引かなくちゃならない。出来るのなら痛みを与えたい。
「っ……くっ!」
こっちが痺れるような反動。気を抜けば棍棒が弾け飛びそう。けれど私の武器だって材料が材料なのだから、アルグさんの剣に負けないくらいの代物だ。私さえ我慢できれば。この手がぼろぼろになろうとも、もう構わないはずでしょう。
けれど奥に進んだ景色も相変わらず。一月もしていない時間経過では、こびりついた黒はそうそう変わりはしなかった。
始めは雑談も交わせた私達も、ざりざりと足音が変わった今では既に警戒態勢を取っている。
あのふざけっぱなしのレン君でさえその緑と黒の境界に入った時、言葉を止めて喉を鳴らした。始めは遊んで私達の隊列を乱していたりもしたけれど、今はきちんと周りに合わせて進んでいる。
一番後ろは、勿論エルトだ。レン君は出来るだけ無事に帰してあげたいけれど、私達が一番死守しなければならないのはエルト。この戦いはその魔力、魔術にかかっているから。幾ら色々と規格外なレン君であっても、魔力はエルトを超せはしなかった。魔術を使う慣れもあるし、事態の重さもあってこればかりはレン君もエルトに譲ってくれた。
「……本当に、メイナが囮で、大丈夫なのか?」
「大丈夫です」
「幾ら強くなったからって――」
「大丈夫です」
きっぱりとアルグさんの言葉を断ち切る。
そう。私は強くなれたと思う。それは僅かばかりだと思うけれど、囮になると自ら手を挙げられたほど。
握りしめた棍棒はぎちり、と滑り止めに巻かれた布が音をたてた。
まだ心配そうな表情を浮かべるアルグさんを後目に、私はどんどん進んでいった。
「……覚えてる。確か、ここら辺から走り出して見つけたんだ」
恐怖で刻まれた風景は、あと少しでその大元に遭えると教えてくれた。アルグさんもエルトも覚えているようで、私達は顔を見合って無言で行こうと合図した。
黒い木々を越えた先。
それは、真っ赤な巨体。
二度目の邂逅だろうと圧倒される大きさは変わらない。レン君が絶句しているのが空気の音でわかった気がした。
くすんだ赤の鱗に包まれたそれを見上げる。向こうも私達が来た事などお見通しのようで、アルグさんと同じ緑の目がぎょろりとこちらを見下して、それから顔もこちらに向けてきた。
「答エヲ聞コウ」
「……それは、もうわかってるんじゃない?」
上手く挑発的な笑いは出来ているだろうか。いや、何だか筋肉が強張って張り付いた笑いになっているような。
それでもペインドラゴンには気に食わないものに出来たようで、奴はギッと眼光を鋭くして大きな口で、息を吸い込み、そして吐き出すように森中を揺らす咆哮を放った。
どんっと大地を踏みつけられれば体が揺らぐ。けれどその衝動の波に乗るように姿勢を沈めて、私は駆け出した。
勿論そうなれば真っ先に狙われるのは私。迫りくる巨大な手はそれだけで私の体を握りつぶす事が出来るだろう。
……大丈夫。しっかりと見ていれば、怯えずに対抗すれば、避けられるか吹き飛ばされるだけで済む。そのくらい、時間を稼げるのなら大丈夫。
「はアッ!」
ガギ、と澄み切らない音で阻まれてそれは動きを止めた。
吹き飛ばされもしなかった。
何故なら私と横には、しっかりと剣をその鱗に食い込ませるアルグさんがいたから。
「貴様ッ……!」
「ははは……お陰様で死なずに済んだよ」
アルグさんは不敵に笑ってる。力を込めている所為で笑い声は軽くないけれど、ドラゴンはそれでも更に腹を立てた。
「今度ハ生カシテハ帰エサヌゾ」
「それはどうかな?メイナ……いくぞ!」
「は、はいっ!」
幾ら動きを止めたとて、握り潰されれば終わりだ。けれどそうされる前にアルグさんはぐんっと剣を振るった。前は吹き飛ばされる側だったアルグさんが、ドラゴンの手を薙ぎ払ったのだ。
そして一線から赤い血が噴き出た。
アルグさんがぐしゃぐしゃになってしまう程の攻撃を受けて、その剣は砕けただろうか?いや、今もアルグさんの手にある。つまり強度はあるのだ。それだけで簡単に鱗を裂ける訳ではないとしても、使い手の力が強ければ叩き割り、裂く事のできる剣だったのだ。
だから今のアルグさんなら。
「貴様、我ニ傷ヲツケルトハ……一体何処ノ……」
「悪いなァ。ちょっと檻が外れかかってて、前の俺とは違うんだわ」
明るくも穏やかな心のアルグさんから、獣のような気配が漂う。ドラゴンの瞳が少しだけ何かを感じ取ったように揺れた。けれどそれも一瞬。再びギッと睨みつけてはアルグさんに襲いかかる。
そこで私も思い切り赤の滴る場所へ白い棍棒を打ちつけた。
オブシディアンの時とは逆だけれど、少しでもこのペインドラゴンの注意を引かなくちゃならない。出来るのなら痛みを与えたい。
「っ……くっ!」
こっちが痺れるような反動。気を抜けば棍棒が弾け飛びそう。けれど私の武器だって材料が材料なのだから、アルグさんの剣に負けないくらいの代物だ。私さえ我慢できれば。この手がぼろぼろになろうとも、もう構わないはずでしょう。