23.世界は丸くて明日は未来
暫くの間、私達はそれぞれのやるべき事に身をおいた。
エルトは詠唱文の解読、アルグさんは少しでも力を鍛える為に訓練、私にはそれに加えてレン君の説得も。
そんな健康に見える状態(アルグさんの治り具合は怪しいところだけど)でお世話になる訳にはいかないから、途中で宿を借りて拠点はそちらに移す事にした。
冒険者ギルドに居させて貰えたのは、怪我をして運ばれたからこそ。エルスースさんは気にしなくて良いと言ってくれたけれど、ただでさえ何日も泊めさせてもらったのだ。遠慮と言う言葉を知らないレン君を引き摺って出てきた。
そしてその日も、私達は同じ事をしていた。
日も落ちた頃、私は付け焼き刃のような訓練から宿に戻る。すると人気の少ない食堂にエルトの姿が見えた。私達の借りている部屋に向かう階段は食堂に近くて、ちょっと覗こうと思えばそこから見えてしまうのだ。
部屋に戻る前に声でも掛けていこうかと思ったが、エルトは羊皮紙片手に頭を抱えていた。
私は宿の主人に調理場を使う許可を貰うと、廊下から調理場に入りコーヒーを淹れる。そしてエルトの手元にそっと置いた。
それで漸くエルトが紙から顔を離した。
「ああ……メイナ。有難う」
近付いてみればテーブルには羊皮紙とは違う紙束が置かれていて、そこにびっしりと何かが書かれている。多分解読の為に書き留めたのだろう。凄い。こんなに書いてあるのに私にはその意味が微塵もわからない。
私がぽけっと紙を見つめている間に、エルトはコーヒーを口に運んでいた。飲み込んだ後は溜まった疲れの所為か、ごく自然に息を落とす。
私が外で体を動かしている間、エルトはずっと宿に籠りきりで羊皮紙とにらめっこしている……。それもエルトは朝が早くて夜が遅い。もう寝たらと言っても結局私の方が寝てしまうばかりだ。
「……エルト。根詰めすぎは良くないよ。そりゃ、魔術があった方が勝率は上がるけどさ」
「メイナだって毎日特訓してるでしょ。……それに上がるんじゃなくて、勝つにはこれしかないんだ。それは僕もわかってる」
「……。あー……ほら、アルグさんも力を取り戻したみたいだし、少しは戦況も変わるよ!人間化したドラゴンだなんて、ほんと、お伽噺みたいで吃驚しちゃったけど」
「もう二度とあんな事になりたくないんだ」
とん。と置かれたカップの音がやけに響いた。
取り繕った言葉じゃエルトの真剣な言葉には敵わないみたい。勿論アルグさんは頼りになると思うし心にもない言葉って訳じゃないけど、それならきっとこうすべきなんだと思った。
「っ……!メイ、ナ……?」
訓練から戻って来たって言っても、ちゃんとお風呂屋さんには寄ったから臭くはないはず。後ろから抱き着いたって。
私がエルトの体温で、心臓の音で安心したように。私だって無事に生きてるんだって。拒絶なんかしないよ。だって……。
少し恥ずかしいけど、人も少ないし夜だし、後ろからだからエルトに顔も見られない。
だから珍しく、私からエルトをぎゅっと抱き締めた。
「あ。今仕事中だから狙うのは無しだよ」
「……こんな嬉しい状況、誰が止めるって言うんだい」
「……エルトは少しは照れるとかしないの?」
励ますつもりだったのに、相変わらずの余裕が何だかつまらなくも感じる。するとエルトは軽く肩を揺らして笑った。
「いつだって僕は照れているじゃないか」
「えっ」
照れるって言うのは顔が自分の言うことを聞かなくて、体の奥が暖かくって、何だかむずむずするような嬉しいような感覚の事を言うんですよエルトさん。一体そのいつも微笑んでこっちが更に照れてしまう台詞を吐く人間の何処が照れているんだか。
「嬉しくて頬が緩むし、その嬉しい気持ちはやり場がないくらいだし、もどかしさでどうにかなりそうなんだ。メイナが一緒にいるといつもこうだよ。これって照れでしょ?」
「そ、そう……なのかな……?」
た、確かに、心の中を見透かされたのかと思うくらい考えていた照れると言う条件には、合うような合わないような。
考えた傍からむずむずする台詞を吐くものだから、私の言葉も曖昧になってしまった。
「そうだよ。だから殺したいと思うんだ。昔の約束だからだけじゃないよ。ずっと一緒にいたい。改めて会ってからもずっとそう思ってる。そうしたら照れ臭さなんてどうでも良くなって、不安も少しは無くなると思うんだ」
「……少しなの?」
殺されて生ける屍になったら、ずっと一緒にいる事はもうほぼ決定みたいなものじゃない。
愛の言葉にしては重たく血生臭い話なのに、すっかり毒されたらしい私は下手な突っ込みも入れずにそう聞くだけだった。
「メイナが他の人間に盗られたらって不安は残るからね」
「誰も盗らないし。そもそも私でなくても死んでたら相手しないよ、普通」
「メイナだからこそ心配なんだよ。どんな状態だってね。まあ、そんな奴はペリドットドラゴンのように八つ裂きにするけど」
そう言われてあの時の光景を思い出す。スパスパと切られた肉片。断面から血飛沫。……文字通り八つ裂きだ。エルトなら本当にそれが出来る。それ故にふふっと無邪気な笑みが少し怖かった。
まあでも、こんなに冗談(?)言えるようなら少しは不安が取れたのかな。抱き着いた瞬間は少し強張っていた気がする体も、今は緊張が抜けている気がする。……良かった。
エルトもアルグさんも、次の戦いで対抗する力がある。アルグさんは取り戻した力、エルトは古魔術の地球構造図。でも私には何もない。人よりは強いだけの力と棍棒。こんなもの少し鍛えたって前回と何にも変われない。私だけの役目、レン君を帰すことだってまだ叶ってないのだ。
今の私ではエルトを気遣う事しか出来ない。
「……あのね、エルト」
「ん?何だい」
カップに口を付けようとしたエルトは手を止める。その静止にまだ少し残る黒が揺れた。
「そのコーヒー飲んで、少し休んでからで良いんだけど」
「うん」
「ちょっと外に付き合ってほしいの。良いかな?」
エルトは詠唱文の解読、アルグさんは少しでも力を鍛える為に訓練、私にはそれに加えてレン君の説得も。
そんな健康に見える状態(アルグさんの治り具合は怪しいところだけど)でお世話になる訳にはいかないから、途中で宿を借りて拠点はそちらに移す事にした。
冒険者ギルドに居させて貰えたのは、怪我をして運ばれたからこそ。エルスースさんは気にしなくて良いと言ってくれたけれど、ただでさえ何日も泊めさせてもらったのだ。遠慮と言う言葉を知らないレン君を引き摺って出てきた。
そしてその日も、私達は同じ事をしていた。
日も落ちた頃、私は付け焼き刃のような訓練から宿に戻る。すると人気の少ない食堂にエルトの姿が見えた。私達の借りている部屋に向かう階段は食堂に近くて、ちょっと覗こうと思えばそこから見えてしまうのだ。
部屋に戻る前に声でも掛けていこうかと思ったが、エルトは羊皮紙片手に頭を抱えていた。
私は宿の主人に調理場を使う許可を貰うと、廊下から調理場に入りコーヒーを淹れる。そしてエルトの手元にそっと置いた。
それで漸くエルトが紙から顔を離した。
「ああ……メイナ。有難う」
近付いてみればテーブルには羊皮紙とは違う紙束が置かれていて、そこにびっしりと何かが書かれている。多分解読の為に書き留めたのだろう。凄い。こんなに書いてあるのに私にはその意味が微塵もわからない。
私がぽけっと紙を見つめている間に、エルトはコーヒーを口に運んでいた。飲み込んだ後は溜まった疲れの所為か、ごく自然に息を落とす。
私が外で体を動かしている間、エルトはずっと宿に籠りきりで羊皮紙とにらめっこしている……。それもエルトは朝が早くて夜が遅い。もう寝たらと言っても結局私の方が寝てしまうばかりだ。
「……エルト。根詰めすぎは良くないよ。そりゃ、魔術があった方が勝率は上がるけどさ」
「メイナだって毎日特訓してるでしょ。……それに上がるんじゃなくて、勝つにはこれしかないんだ。それは僕もわかってる」
「……。あー……ほら、アルグさんも力を取り戻したみたいだし、少しは戦況も変わるよ!人間化したドラゴンだなんて、ほんと、お伽噺みたいで吃驚しちゃったけど」
「もう二度とあんな事になりたくないんだ」
とん。と置かれたカップの音がやけに響いた。
取り繕った言葉じゃエルトの真剣な言葉には敵わないみたい。勿論アルグさんは頼りになると思うし心にもない言葉って訳じゃないけど、それならきっとこうすべきなんだと思った。
「っ……!メイ、ナ……?」
訓練から戻って来たって言っても、ちゃんとお風呂屋さんには寄ったから臭くはないはず。後ろから抱き着いたって。
私がエルトの体温で、心臓の音で安心したように。私だって無事に生きてるんだって。拒絶なんかしないよ。だって……。
少し恥ずかしいけど、人も少ないし夜だし、後ろからだからエルトに顔も見られない。
だから珍しく、私からエルトをぎゅっと抱き締めた。
「あ。今仕事中だから狙うのは無しだよ」
「……こんな嬉しい状況、誰が止めるって言うんだい」
「……エルトは少しは照れるとかしないの?」
励ますつもりだったのに、相変わらずの余裕が何だかつまらなくも感じる。するとエルトは軽く肩を揺らして笑った。
「いつだって僕は照れているじゃないか」
「えっ」
照れるって言うのは顔が自分の言うことを聞かなくて、体の奥が暖かくって、何だかむずむずするような嬉しいような感覚の事を言うんですよエルトさん。一体そのいつも微笑んでこっちが更に照れてしまう台詞を吐く人間の何処が照れているんだか。
「嬉しくて頬が緩むし、その嬉しい気持ちはやり場がないくらいだし、もどかしさでどうにかなりそうなんだ。メイナが一緒にいるといつもこうだよ。これって照れでしょ?」
「そ、そう……なのかな……?」
た、確かに、心の中を見透かされたのかと思うくらい考えていた照れると言う条件には、合うような合わないような。
考えた傍からむずむずする台詞を吐くものだから、私の言葉も曖昧になってしまった。
「そうだよ。だから殺したいと思うんだ。昔の約束だからだけじゃないよ。ずっと一緒にいたい。改めて会ってからもずっとそう思ってる。そうしたら照れ臭さなんてどうでも良くなって、不安も少しは無くなると思うんだ」
「……少しなの?」
殺されて生ける屍になったら、ずっと一緒にいる事はもうほぼ決定みたいなものじゃない。
愛の言葉にしては重たく血生臭い話なのに、すっかり毒されたらしい私は下手な突っ込みも入れずにそう聞くだけだった。
「メイナが他の人間に盗られたらって不安は残るからね」
「誰も盗らないし。そもそも私でなくても死んでたら相手しないよ、普通」
「メイナだからこそ心配なんだよ。どんな状態だってね。まあ、そんな奴はペリドットドラゴンのように八つ裂きにするけど」
そう言われてあの時の光景を思い出す。スパスパと切られた肉片。断面から血飛沫。……文字通り八つ裂きだ。エルトなら本当にそれが出来る。それ故にふふっと無邪気な笑みが少し怖かった。
まあでも、こんなに冗談(?)言えるようなら少しは不安が取れたのかな。抱き着いた瞬間は少し強張っていた気がする体も、今は緊張が抜けている気がする。……良かった。
エルトもアルグさんも、次の戦いで対抗する力がある。アルグさんは取り戻した力、エルトは古魔術の地球構造図。でも私には何もない。人よりは強いだけの力と棍棒。こんなもの少し鍛えたって前回と何にも変われない。私だけの役目、レン君を帰すことだってまだ叶ってないのだ。
今の私ではエルトを気遣う事しか出来ない。
「……あのね、エルト」
「ん?何だい」
カップに口を付けようとしたエルトは手を止める。その静止にまだ少し残る黒が揺れた。
「そのコーヒー飲んで、少し休んでからで良いんだけど」
「うん」
「ちょっと外に付き合ってほしいの。良いかな?」