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19.冷たく暖かい現実

 十一日目。予想した日よりは遅く、けれど許容範囲内で返答はやって来た。それもビスカリアと王都では少しだが距離が違うのに、全く同じ日の朝の事だった。
 こんこん、と借りている部屋をノックする音。
 朝食は食堂が無く外で買って来て食べるから、運びに来たり時間を知らせてくれる人などはいない。私達がここを借りているのも他の職員さんには知らされているので、空き部屋と誤って入ってくる事もない。そもそもそれならノックの必要もないんだけど。
 だからわざわざ訪ねてくる人や用件は限られていた。

「はい」

「エルスースです。失礼しますよ」

 やっぱり。その上でこの部屋を訪ねるのはエルスースさんくらいだ。そしてエルスースさんが来たと言う事は……少しの期待を抱いて私は彼の入室を待った。

「……イクシーダさん。返って来ましたよ」

「本当ですか、エルスースさん!」

 扉を閉め切り開口一番、エルスースさんはそう言った。
 嘘を吐いたってどうしようもないのに疑ってしまうくらい、私が待ちわびていた事はばればれな様だ。
 エルスースさんの名前を呼びはしたが、申し訳無い事に待っていたのはその手に握られた二通の手紙。
 どうぞと言う声と同時に渡された手紙を人生で何番目くらいだろうと思うほど素早く受け取る。
 そして開封しながらお礼を言った。

「有難うございますっ。……でも、王都の方が少し距離があるのによく同じ日に届きましたね」

 一通目の封を綺麗に破り終えて早速中身に目を通す。

「ええ。王都の方は魔術ギルドを通して送ってきましたから。料金は破格ですがその分時間は一瞬ですしね。王都ですから手続きが長引いた分、同じくらいの時間になってしまったのでしょう」

「なるほ、ど……」

 エルスースさんの話は耳から入れながら、視線を動かして手紙を読んでいると……手紙の所為で言葉が途切れてしまった。
 耳へ分散させていた気を目だけに集中させる。そしてもう一度同じように文字列を辿っていくが、内容は変わらない。

「そんな……どうして……?!」

「やはり、嫌な予感は的中しましたか」

 私が声を荒らげ紙に皺を作った事で、エルスースさんにも大体察しが付いたようだった。

『冒険者ギルドビスカリア支部雑務課
 メイナ・イクシーダ 様

    冒険者ギルドステルンベルギア本部事務長
       セネルド・ヴォルティス

 報告書の件につきまして

 報告書を受理致しましたのでお知らせ致します。
 しかし王都周辺に潜伏するドラゴンの処理、また王都と王城警護の為、早急にミルトニアに派遣できる余裕は御座いません。
 周辺住民の避難が可能な場合、必要に応じてミルトニア支部と協力し、その誘導や補助を行って下さい。その際は必ず混乱などが起きない様に注意をお願いします。
 予定しているドラゴンの駆除が完了、警戒が不要になり次第、そちらに向かわせて頂きます。

 また、ビスカリア支部の指示よりも王都本部の指示が優先である事をここに明示しておきます。

 以上』

 ――要は王都が大切だから優先して、そうなると間に合いそうにないミルトニアは見捨てるって事だ。
 避難が不可能な場合は書かれていないし具体的な避難受け入れ先も書かれていない。王都周辺のドラゴン退治がいつ終わるのかも書いていないし(そりゃあどのくらい、何処にいるのか分からないから予測もし辛いのだろうけど……こんな時なのに……)、それが終わっても警戒をいつ解くのかも書かれていない。
 ご丁寧に印章まで捺して書かれた紙切れはそれっきりだった。
 エルスースさんは眼鏡を軽く押し上げて位置を調整すると、もう一つの手紙を懐から取り出す。今読んだ本部からの手紙と同じ気品ある赤の封筒だった。

「一応こちら宛にも一通来ていましてね。先にイクシーダさんに手紙をお渡ししたので、まだ読んではいないのですが……どうやら貴女方に協力する旨では無いようですね」

「いいえ。必要に応じてミルトニアと協力しろと書かれています……。避難の、ですが。それも避難先も避難計画も何もなく、応援は一人も来ない状態で」

「……困りましたね」

 眉をひそめて口許に手を当てるその表情以上に、エルスースさんの頭の中では難しい事になっているだろう。支部長なんて言う上のまとめ役の難しさなど、まだまだ下っ端の私には分からないけど。

「本部がどの程度把握しているなどは書かれていませんか」

「いえ。報告書を受け取ったとしか。……読まれますか?」

 やるせなさに力の抜けてしまった首を軽く振り、少しくしゃりとした紙を差し出す。

「それでは失礼して」

 とエルスースさんが私から手紙を受け取った瞬間、ガチャリと音がした。ノック音は無かったと思うけれど、職員さんが入ってきたのだろうか。
 エルスースさんは振り返り、私は彼に隠れていた扉の向こうを見ようと少し体を傾ける。
 開かれたそこにあった姿は、起き抜けか少しくしゃりとした金髪と変わらない緑の目。胸当ても剣も無く、がたいの良い体には簡易的に白いシャツとズボンだけを着けていた。

「……アルグさん?!」

「よう。ちょっと寝坊し過ぎたみたいだな」

「そんな冗談いらないですから、まだ寝てなきゃ駄目ですよ!」

 見舞いにだって漸く『明日あたりから大丈夫でしょう』、と昨日医師に言われたばかりだ。往診が終わってから部屋に行こうと思ってたのに……もう一人で動き回ってるなんて。まだ塞がり切っていない傷口が開いたらどうするつもりなんだろう。

「そうですよ、ウェンリーさん。貴方はメタシナバーさんと違って普通の人なんですから」

「普通の人間じゃないさ。普通よりも頑丈なのが取り柄だからな」

「それってやっぱり普通の人間じゃないですか!」

 いつも通りの冗談にははは、と言う笑い声。一刻も早くベッドに就かせたい気持ちは本当だけどその姿が見れて良かったと思う自分がいた。その所為だ、目の辺りがじわっと熱が集まってくるのを感じる。
 けれど涙は、ぽんと頭に乗せられた大きな手で止められた。

「泣くのはエルトが起きてからにしとけ」

「うう……」

「メイナが起きていてエルトが寝てるって事は、俺と同じ寝坊だろ?」

 寝坊……か。

「アルグさん、エルトの様子を見てきたんですか?」

「適当に部屋を開けたら寝てたぞ。誰もいないしどの部屋にメイナがいるかわからなかったからな」

 それもそうか。私は偶々エルスースさんが来たから事情も聞けたけど、今のアルグさんは見知らぬ部屋に誰もいない状況だもんね。……って、

「知らない場所だからって一人で動き回らないで下さいよ!重症なのに!」

「ははは。まあ、部屋の前から話は聞こえたし、何と無くの話はわかったから良いじゃねぇか」

「良くないです!ちゃんと治してからにして下さいっ」

 いつも通りの応酬をして騒いでしまう。それが恥ずかしい事だと気付いたのは、エルスースさんの生暖かい微笑みが視界に入り込んだ時だった。

「あ……す、すみませ……」

「いえいえ。仲の良い事は良い事です。それにウェンリーさんもまだ完治でないとは言え、回復されたようで良かった」

 けれどそれで話は終わり、とはならない。
 私達は元々手紙の事を話していたのだ。それで――とエルスースさんが改めて切り出してきた事で思い出される深刻な事態。

「もう一枚、ビスカリアからは何と言う手紙が来たのですか?」

「あ、ええと……」

 ぺりぺりっと剥がして、此方は形式上はキチンとしたものの中身はパットさんらしい手紙を取り出した。
 状況はわかった。仕事はその報告で終わりだからすぐに戻って来い。お前達だけじゃペインドラゴンは無理だ。そんな内容だった。冷たくて何の救いもない手紙とは違い、少し心配が滲んだ手紙。
 ……でもミルトニアの事は書いていなかった。多分、パットさんでも良い案は浮かばなかったのだろう。本部が動かない以上ビスカリアも大きな動きは出来ないだろうし。
 エルスースさんはこちらも予想できていた様で、「やはりどうにもなりませんか……」と呟いた。

「ん?」

 そして本題が終わって最後の数行。追伸、と急に丸っこくなった字で書かれていた。どうやらパルマが書いたものらしい。
 心配して何か書いてくれたのかな、なんて軽い気持ちで短い文も読み終えたが、私はまた彼女に驚かされる事となった。

「レン君が、こっちに向かったぁ?!」
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