16.燃えたシトリン
「ここですね……シトリン草原」
洞窟や村とは違い、草原では入ったところで区切りは然してわからない。街道の途切れたちょっと拓けた場所という感じで、地図と土に突き刺さった割れ欠けている看板がこの地の名前を示していた。
私達がそれを確認している内に、後ろからブゥゥン……!と私の背丈三分の一ほどの大きな虫が一匹現れる。それは魔物の一種で、臀部にある鋭い毒針が特徴のニードルビーだった。
一番近かったアルグさんが直ぐ様すっぱりと真っ二つに切り落とす。少ない青い血がぴちゃっと土と草に染み付いた。
それでもアルグさんは構えを解かない。私も棍棒を握り締めて周囲を伺った。エルトは一見平然そうにしているけれどいつでも動けるように剣に手をかけている。
「……。おかしいな……一匹だけ、か?」
「他の羽音は全く聞こえませんね」
けれどもそのまま暫く警戒しても何も来ないものだから、それは全くの無駄になってしまった。
ニードルビーは巣を作り、棲み処を移動する場合は群れで行動する。移動中でも餌を探しに出ているのだとしても、一匹見つければ方向音痴で迷い込んだものでもない限り、他のニードルビーも周りにいるはずだった。
「取り合えずは出てこない様ですし、こうしていても仕方ありません。進んでみましょう」
「そうだね。……それじゃ、ここからもいつも通りの列びで良いですか?」
「おう。俺が先頭を行く。だが後ろでも気を付けろよ、メイナ、エルト……は言うまでも無さそうだが。この様子じゃあ何が起こるかわからん」
「はい」
そう言ったアルグさんを先頭にさくさくと雑草を踏みつけて進んでいく。
そこからは時折一匹二匹の魔物が現れては戦っていくけれど、草原への道程よりも頻度が低くて、私達にはいないも同然の数だった。
歩き続けると段々と雑草の中に可愛らしい花の姿が増えてきて、木々が壁を作るように視界の左端に並び始める。
「アルグさん、多分此方に進むと湖に向かう方向になります。草原奥はあっちですね」
目印になりそうな木の壁に一旦立ち止まりコンパスと地図を照らし合わせると、恐らくは事の起こった方向へと導いた。
すると噂に聞くいつものシトリン草原ならば更に増えていくはずの花々が逆に減っていき、木の生えている間隔も開いていく。やがて私の足が黒い焦げの塊をぱり、と踏んでしまうようになった。
「これ……」
割れて剥がれた黒を拾い上げて調べる。端がぽろりと崩れていった。
――とりあえず、触れても影響は無いみたい。
アルグさんもしゃがんで塊に触れたり擦ってみたりと確かめ始めた。
私の掴んだ黒の欠片は見た感じ普通の草が焼けたものだ。鼻にも近付けるが、通っていくのは物が燃える時の嫌な臭い。それが時間が経って少し薄らいだだけのものだった。
アルグさんの方も立ち上がり何のその収穫も無いことを態度で示す。
「エルトは変な魔力とかそういうの、感じたりしない?」
「しないね。日も経っているし、僕も魔力探知にそこまで優れているわけではないから」
「そっか……」
……結局ただの燃えた痕跡だけか。
私は取り合えず規模を報告するために地図に書き込みを入れていく。
「燃えた跡は向こうに続いているね……。幅は広いけど、まるで僕らを死の国に導いている道みたいだ」
「変な言い方はしないでよエルト。……でも、あっちを調査するしかないか」
はあ、と自然に溜め息が出た。
もうあの依頼が終わってから時間が経っている。火も残っていないし、けれどその脅威のおかげか魔物も随分減っているみたい。
だからそんなに危険はないと思いたいけれど、点々とする黒がエルトの指す方には闇のようにどんどんと広がっている。あの焦げの不快な臭いや変に静かなのも相俟って、何だか不気味だった。
それでも進む他はない。地図への書き込みや魔法記録を続けながら私達は恐らく現場であろう方へと進み続けた。
「……幅が広いけれど、どこも一線上に燃えている。やっぱりただの魔法じゃないみたいだ」
「そうなのか?」
調査系の依頼はあまりした事がなかったのか、エルトの呟きにアルグさんはわからんと言った顔をしている。
私はエルトの考えと同じだったから一度頷いて、その言葉に続けた。
「魔術でよっぽどのものでもないと、一発ではこんなに長い範囲焼けるはずがないと思います。乱戦中に連発したならもっと線上だけじゃなくて、横にも焼け跡があると思いますし」
「じゃあ魔法道具の線が有力か。町に戻ったら片っ端から魔法道具店あたってみるか?」
「あ、いえ……でも、魔法道具って言うのも……ううん……どうなんでしょう」
「やっぱはっきりしねぇもんだよな」
始めにも考えていた通り、こんな強力な魔法道具なんて何処をあたれば出てくるものやら。
片っ端からでも結果が出れば良いけれど、その線を疑うなら魔術ギルドや王都の研究所辺りを突つかないと出てこない気がした。普通の道具でこれだけの事をやろうとしたら、結局魔法と同じく焼けた跡が疑問に残る。
「……ま。それならもう一つだけ、可能性があるっちゃあるが」
「え?何ですか」
「ドラゴンだ」
パキン、とペンが折れて字が少し歪んでしまう。
元々ただ魔法を撃っただけなんて可能性は無かった筈だけど、そんなの考えてなかった。でもそう言えば街道にスワロフドラゴンが出たって言ってたっけ。
それに私はペリドットにもオブシディアンにもあってるじゃない。今更そんなのあるわけ無いなんて……
「そんなの、ある、わけ……」
「無かったらいいな。ははは。ま、万が一ってやつさ」
アルグさんはそう笑いはしたけれど、その笑いの前も後もとても真面目な顔をして向こうを見つめていた。
だってそれって、もしそうだとしたら。雑務課ごときのたった一つのパーティに任せられる仕事?
一年もしない内に私の知る限りで四匹。それ以外にも現れているとしたら確実に異変だ。ドラゴンの異変。ドラゴンだよ。ゴブリンやスライムじゃないんだよ?
直ぐに冒険者ギルドを通じて王城に報せる話だ。
「――メイナ」
手が、暖かかった。
包まれているおかげで手が震える事は無かった。
洞窟や村とは違い、草原では入ったところで区切りは然してわからない。街道の途切れたちょっと拓けた場所という感じで、地図と土に突き刺さった割れ欠けている看板がこの地の名前を示していた。
私達がそれを確認している内に、後ろからブゥゥン……!と私の背丈三分の一ほどの大きな虫が一匹現れる。それは魔物の一種で、臀部にある鋭い毒針が特徴のニードルビーだった。
一番近かったアルグさんが直ぐ様すっぱりと真っ二つに切り落とす。少ない青い血がぴちゃっと土と草に染み付いた。
それでもアルグさんは構えを解かない。私も棍棒を握り締めて周囲を伺った。エルトは一見平然そうにしているけれどいつでも動けるように剣に手をかけている。
「……。おかしいな……一匹だけ、か?」
「他の羽音は全く聞こえませんね」
けれどもそのまま暫く警戒しても何も来ないものだから、それは全くの無駄になってしまった。
ニードルビーは巣を作り、棲み処を移動する場合は群れで行動する。移動中でも餌を探しに出ているのだとしても、一匹見つければ方向音痴で迷い込んだものでもない限り、他のニードルビーも周りにいるはずだった。
「取り合えずは出てこない様ですし、こうしていても仕方ありません。進んでみましょう」
「そうだね。……それじゃ、ここからもいつも通りの列びで良いですか?」
「おう。俺が先頭を行く。だが後ろでも気を付けろよ、メイナ、エルト……は言うまでも無さそうだが。この様子じゃあ何が起こるかわからん」
「はい」
そう言ったアルグさんを先頭にさくさくと雑草を踏みつけて進んでいく。
そこからは時折一匹二匹の魔物が現れては戦っていくけれど、草原への道程よりも頻度が低くて、私達にはいないも同然の数だった。
歩き続けると段々と雑草の中に可愛らしい花の姿が増えてきて、木々が壁を作るように視界の左端に並び始める。
「アルグさん、多分此方に進むと湖に向かう方向になります。草原奥はあっちですね」
目印になりそうな木の壁に一旦立ち止まりコンパスと地図を照らし合わせると、恐らくは事の起こった方向へと導いた。
すると噂に聞くいつものシトリン草原ならば更に増えていくはずの花々が逆に減っていき、木の生えている間隔も開いていく。やがて私の足が黒い焦げの塊をぱり、と踏んでしまうようになった。
「これ……」
割れて剥がれた黒を拾い上げて調べる。端がぽろりと崩れていった。
――とりあえず、触れても影響は無いみたい。
アルグさんもしゃがんで塊に触れたり擦ってみたりと確かめ始めた。
私の掴んだ黒の欠片は見た感じ普通の草が焼けたものだ。鼻にも近付けるが、通っていくのは物が燃える時の嫌な臭い。それが時間が経って少し薄らいだだけのものだった。
アルグさんの方も立ち上がり何のその収穫も無いことを態度で示す。
「エルトは変な魔力とかそういうの、感じたりしない?」
「しないね。日も経っているし、僕も魔力探知にそこまで優れているわけではないから」
「そっか……」
……結局ただの燃えた痕跡だけか。
私は取り合えず規模を報告するために地図に書き込みを入れていく。
「燃えた跡は向こうに続いているね……。幅は広いけど、まるで僕らを死の国に導いている道みたいだ」
「変な言い方はしないでよエルト。……でも、あっちを調査するしかないか」
はあ、と自然に溜め息が出た。
もうあの依頼が終わってから時間が経っている。火も残っていないし、けれどその脅威のおかげか魔物も随分減っているみたい。
だからそんなに危険はないと思いたいけれど、点々とする黒がエルトの指す方には闇のようにどんどんと広がっている。あの焦げの不快な臭いや変に静かなのも相俟って、何だか不気味だった。
それでも進む他はない。地図への書き込みや魔法記録を続けながら私達は恐らく現場であろう方へと進み続けた。
「……幅が広いけれど、どこも一線上に燃えている。やっぱりただの魔法じゃないみたいだ」
「そうなのか?」
調査系の依頼はあまりした事がなかったのか、エルトの呟きにアルグさんはわからんと言った顔をしている。
私はエルトの考えと同じだったから一度頷いて、その言葉に続けた。
「魔術でよっぽどのものでもないと、一発ではこんなに長い範囲焼けるはずがないと思います。乱戦中に連発したならもっと線上だけじゃなくて、横にも焼け跡があると思いますし」
「じゃあ魔法道具の線が有力か。町に戻ったら片っ端から魔法道具店あたってみるか?」
「あ、いえ……でも、魔法道具って言うのも……ううん……どうなんでしょう」
「やっぱはっきりしねぇもんだよな」
始めにも考えていた通り、こんな強力な魔法道具なんて何処をあたれば出てくるものやら。
片っ端からでも結果が出れば良いけれど、その線を疑うなら魔術ギルドや王都の研究所辺りを突つかないと出てこない気がした。普通の道具でこれだけの事をやろうとしたら、結局魔法と同じく焼けた跡が疑問に残る。
「……ま。それならもう一つだけ、可能性があるっちゃあるが」
「え?何ですか」
「ドラゴンだ」
パキン、とペンが折れて字が少し歪んでしまう。
元々ただ魔法を撃っただけなんて可能性は無かった筈だけど、そんなの考えてなかった。でもそう言えば街道にスワロフドラゴンが出たって言ってたっけ。
それに私はペリドットにもオブシディアンにもあってるじゃない。今更そんなのあるわけ無いなんて……
「そんなの、ある、わけ……」
「無かったらいいな。ははは。ま、万が一ってやつさ」
アルグさんはそう笑いはしたけれど、その笑いの前も後もとても真面目な顔をして向こうを見つめていた。
だってそれって、もしそうだとしたら。雑務課ごときのたった一つのパーティに任せられる仕事?
一年もしない内に私の知る限りで四匹。それ以外にも現れているとしたら確実に異変だ。ドラゴンの異変。ドラゴンだよ。ゴブリンやスライムじゃないんだよ?
直ぐに冒険者ギルドを通じて王城に報せる話だ。
「――メイナ」
手が、暖かかった。
包まれているおかげで手が震える事は無かった。