1.ある日、森の中
「メイナは誰にも殺させはしない」
肉塊の奥に現れた、見知らぬ茶髪の男。
高くもなく、低すぎでもなく、ただ綺麗に響くような癖のない声。
細身の剣をスゥッと鞘に滑らせて収めると、血肉を踏むことも厭わず私に一歩、一歩近付いてきた。
アルグさんとはまた違う感じの整った顔。細い体に見合った綺麗な人。着ている物も私達のような汚れても構わない冒険服ではなく、滅多に見かけない紋様の付いた、気品が溢れる黒い服とマント。
何よりも、その言葉と出来事が、彼を王子様のように映した。
「え……と。あ、有難うございました、助かりました……!あっ、アルグさん、アルグさん!大丈夫ですか?」
お礼はもっときちんとしたいし何故私の名前を知っていたかも気になるけど、何より今気になるのはアルグさんの具合だ。
樹に凭れ掛かるアルグさんに駆け寄ると、その姿をざっと観察する。体からは血は殆ど出ておらず、本人も平気だと示すように、そして意識をはっきりさせるように「ああ、大丈夫だ」とふるふると頭を振るった。
「大分痛かったし、一瞬世界が真っ白になったけどな」
正直ドラゴンの攻撃を受けて無事でいられるとは思わなかったけど……流石手練れの冒険者だ。その様子にほうっと体から力が抜けた気がした。
「ごめんなさい……あと、助けてくれて有難うございました」
「平気だって。メイナは……ギルド職員なんだからな。ペリドットドラゴンなんか、怖くて当たり前だ。ははは!……あ痛っ」
調子に乗ったアルグさんは、やっぱり何処かを痛めているらしい。体は自由に動かせるとわかったが、打ち付けられた痛みと損傷がどれほどのものか、私にはわからない。
「アルグさん……。取り敢えず持ってる薬草で簡易的な湿布をしますね。あとは出来るだけ早く町に降りて、お医者さんにきちんと診てもらいましょう」
「いや、そこまで大袈裟なもんじゃないし、俺は造りが頑丈だからすぐ治るさ。……それより」
アルグさんは立ち上がって、助けてくれた男の人を見る。そして彼に向かい掌を開いて差し出した。
「誰かは知らないが助かった。俺からも礼を言うよ、有難う」
「お礼など構いませんよ。僕はメイナを助けたかっただけですから」
差し出された手を握ってくれる事もなく、男の人はさらりとそう言う。
「なんだメイナ、知り合いか?」
勿論アルグさんの問いに、私は頭を振った。
でも、ドラゴンを倒してくれた時もそうだったけれど……どうも私を知っている素振りなんだよね……。
「いえ……その、助けてもらって申し訳無いんですけど、どちら様でしょうか」
「僕がわからないのかい?それは、凄く残念だな」
「ど、何処かでお会いしましたっけ」
男の人が悲しそうにそう言うものだから、私ももう一度必死に記憶を探る。こんな人、知っていたらすぐに思い出すと思うんだけど……。
やっぱり考えてみても、記憶の中には全然見当たらなかった。
すると男の人はまた悲し気ながらも、ぽんと記憶の手掛かりを出した。
「ずっと一緒にいようねって、幼い頃に約束したじゃないか」
幼い頃に、約束。
その言葉は確かに覚えている。まだ私が周りから女の子扱いしてもらえた頃で、お隣に住む男の子と仲が良かったものだから、そんな事を言っていたはずだ。
まあ覚えているって言ったって、今ではあの頃は良かったなあ的な思い出として。
私は大きくなる前に引っ越してしまったし、そんな短い間の子供同士の話。当然相手だって、そんな子供心と少しの気の迷いで交わした約束なんて覚えているはずもないと思っていた。
「まさか、エルト……エルトなの?!嘘、なんでここにっ」
「君を探していたら、町でスコレサイトの森じゃないかって聞いてね」
「うわあ、凄い、大きくなったね。格好良くなったし、声も小さい時以来だから低くなってて、全然わかんなかったよ」
男の子ってやっぱり変わるものだ。
細い体はしてるけど私よりは背が大きいし、声変わりもしてる。昔から可愛い子ではあったけどこんなに美人さんに育つとも思わなかった。
わかってあげられなかった癖に申し訳無いけど、それでも懐かしい人に会うとちょっと興奮してしまう。
「ふふ。思い出してもらえてよかった」
「でも私に会いたかったって、何の用?」
もう十何年も会っていないのに、今頃急に会いに来るなんて。しかも森に。
たまたま仕事でビスカリアの町に来たとか?それとも私、一応ギルド職員だし、何か依頼したい事があるとか?
いまいちしっくりする理由が見出だせなくて、エルトの顔を見つめて答えを待つ。
すると彼は綺麗に笑ってこう言ったのだ。
「メイナを殺しに来たんだ。死んでくれないか」
「……。…………。はい?」
「良かった!これでずっと一緒にいられるよ」
良かった?
もしかして、はい?をはい。と勘違いされた……?
頭がさっぱり追い付かないけれど、エルクは再びの満面笑顔で喜んでから、何か銀色の鋭利なものを投げてくる。凶器だよね、これ凶器だよね!
本能で死を予感した私はそれを鈍器で打ち返した。
カキーンと言うほど綺麗な音は鳴らないものの、凶器はひゅうんと遠くへ飛んで、そのまま返ってこなかった。
……なんか、巷で流行り出したヤキュウみたい。何で私、こんな事してるの。
「違ぁう!今の聞き返す『はい?』だからね!了承の『はい』じゃないからっ!って言うか何。ドラゴンから助けてくれたのに何で殺されるの私!」
「誰にもメイナは殺させないよ。……僕以外はね」
「あんたからも殺されたくないわっ」
意味がわからない。まだ死にたくもないし!
何か子供の頃に恨みを買っていたなら、さっきのドラゴンに殺されるのを待っていれば良い話なのに。まさか自分の手で殺さなきゃいけないほど悪いことをしたのか、過去の私。
その次に投げられた凶器も打ち返した頃、ずっと口を挟まなかったアルグさんが思い出したように言った。
「……なあ。もしかして、エルトって、ネクロマンサーのエルト・メタシナバーか?」
「そうですが。貴方はメイナの上司、ですか」
「ははは。上司って言うか、同僚な。年齢がこいつより高いだけさ。アルグヴァン・ウェンリーって言うんだ。アルグってことで、よろしく」
「アルグさん、エルトのこと知ってるんですか?」
さっきまでは私の知り合いかと聞いてきたのに、名前を知るやどうにも何か知っている様子。私の問いにも頷きを返した。
「ああ。ネクロマンサーのエルトって言やぁ有名だ。まあ顔までは知らなかったけどな。若くして天才って言われるようなやつだ。奇跡の一業を成し遂げてな」
「私、ギルド職員なのに全然知らなかったです……」
情報が重要な仕事なのに……有名人を知らないなんて。しかも幼馴染みのエルトの事を。
少し落ち込んだ私が重たい空気を抱えると、アルグさんは軽い笑いで吹き飛ばしてくれる。
「ははは。無理もないさ。ネクロマンサーじゃ冒険者っていうより魔術ギルドだからな。こっちじゃ有名でも冒険者同士でちょろちょろっと噂が流れるくらいだ」
「……でも、そんな有名人になったエルトがどうして私なんかを殺しに……」
「だから、“ずっと一緒にいるため”だよ」
エルトはそう言うけれど、ずっと一緒にいるために殺すって、矛盾してない?
……まさか、考えたくないけど。私を殺して生き返して、それで私を不死身にしてずっと一緒にいるって、そう言う意味だとしてもネクロマンサー自身は不死身じゃない。結局意味のない事になる。
それだったら、悲しいかな独り身の私に一生一緒にいようって言ってくれた方が嬉しいし、それで何の問題もないだろうに。
「ねえエルト。考え直し……」
「なるほどなぁ。やっぱり噂は本当だったのか。奇跡の一業を成し遂げて、不死身になったってやつ」
「えっ」
アルグさんがふむふむと呟く。その行為はいいんだけど、内容が。
不死身?それって。待って、そうなると。
「ええ。そうじゃないとネクロマンサーになった意味がありませんから」
「……随分と愛されたもんだな、メイナ」
「不死の修業もネクロマンサーも。全ては今日このための物ですからね」
さっきの矛盾は成り立たなくなって。まさか本当にエルト、
「だから、メイナ。潔く死んでくれないかい」
あんた、私を殺す気?!
肉塊の奥に現れた、見知らぬ茶髪の男。
高くもなく、低すぎでもなく、ただ綺麗に響くような癖のない声。
細身の剣をスゥッと鞘に滑らせて収めると、血肉を踏むことも厭わず私に一歩、一歩近付いてきた。
アルグさんとはまた違う感じの整った顔。細い体に見合った綺麗な人。着ている物も私達のような汚れても構わない冒険服ではなく、滅多に見かけない紋様の付いた、気品が溢れる黒い服とマント。
何よりも、その言葉と出来事が、彼を王子様のように映した。
「え……と。あ、有難うございました、助かりました……!あっ、アルグさん、アルグさん!大丈夫ですか?」
お礼はもっときちんとしたいし何故私の名前を知っていたかも気になるけど、何より今気になるのはアルグさんの具合だ。
樹に凭れ掛かるアルグさんに駆け寄ると、その姿をざっと観察する。体からは血は殆ど出ておらず、本人も平気だと示すように、そして意識をはっきりさせるように「ああ、大丈夫だ」とふるふると頭を振るった。
「大分痛かったし、一瞬世界が真っ白になったけどな」
正直ドラゴンの攻撃を受けて無事でいられるとは思わなかったけど……流石手練れの冒険者だ。その様子にほうっと体から力が抜けた気がした。
「ごめんなさい……あと、助けてくれて有難うございました」
「平気だって。メイナは……ギルド職員なんだからな。ペリドットドラゴンなんか、怖くて当たり前だ。ははは!……あ痛っ」
調子に乗ったアルグさんは、やっぱり何処かを痛めているらしい。体は自由に動かせるとわかったが、打ち付けられた痛みと損傷がどれほどのものか、私にはわからない。
「アルグさん……。取り敢えず持ってる薬草で簡易的な湿布をしますね。あとは出来るだけ早く町に降りて、お医者さんにきちんと診てもらいましょう」
「いや、そこまで大袈裟なもんじゃないし、俺は造りが頑丈だからすぐ治るさ。……それより」
アルグさんは立ち上がって、助けてくれた男の人を見る。そして彼に向かい掌を開いて差し出した。
「誰かは知らないが助かった。俺からも礼を言うよ、有難う」
「お礼など構いませんよ。僕はメイナを助けたかっただけですから」
差し出された手を握ってくれる事もなく、男の人はさらりとそう言う。
「なんだメイナ、知り合いか?」
勿論アルグさんの問いに、私は頭を振った。
でも、ドラゴンを倒してくれた時もそうだったけれど……どうも私を知っている素振りなんだよね……。
「いえ……その、助けてもらって申し訳無いんですけど、どちら様でしょうか」
「僕がわからないのかい?それは、凄く残念だな」
「ど、何処かでお会いしましたっけ」
男の人が悲しそうにそう言うものだから、私ももう一度必死に記憶を探る。こんな人、知っていたらすぐに思い出すと思うんだけど……。
やっぱり考えてみても、記憶の中には全然見当たらなかった。
すると男の人はまた悲し気ながらも、ぽんと記憶の手掛かりを出した。
「ずっと一緒にいようねって、幼い頃に約束したじゃないか」
幼い頃に、約束。
その言葉は確かに覚えている。まだ私が周りから女の子扱いしてもらえた頃で、お隣に住む男の子と仲が良かったものだから、そんな事を言っていたはずだ。
まあ覚えているって言ったって、今ではあの頃は良かったなあ的な思い出として。
私は大きくなる前に引っ越してしまったし、そんな短い間の子供同士の話。当然相手だって、そんな子供心と少しの気の迷いで交わした約束なんて覚えているはずもないと思っていた。
「まさか、エルト……エルトなの?!嘘、なんでここにっ」
「君を探していたら、町でスコレサイトの森じゃないかって聞いてね」
「うわあ、凄い、大きくなったね。格好良くなったし、声も小さい時以来だから低くなってて、全然わかんなかったよ」
男の子ってやっぱり変わるものだ。
細い体はしてるけど私よりは背が大きいし、声変わりもしてる。昔から可愛い子ではあったけどこんなに美人さんに育つとも思わなかった。
わかってあげられなかった癖に申し訳無いけど、それでも懐かしい人に会うとちょっと興奮してしまう。
「ふふ。思い出してもらえてよかった」
「でも私に会いたかったって、何の用?」
もう十何年も会っていないのに、今頃急に会いに来るなんて。しかも森に。
たまたま仕事でビスカリアの町に来たとか?それとも私、一応ギルド職員だし、何か依頼したい事があるとか?
いまいちしっくりする理由が見出だせなくて、エルトの顔を見つめて答えを待つ。
すると彼は綺麗に笑ってこう言ったのだ。
「メイナを殺しに来たんだ。死んでくれないか」
「……。…………。はい?」
「良かった!これでずっと一緒にいられるよ」
良かった?
もしかして、はい?をはい。と勘違いされた……?
頭がさっぱり追い付かないけれど、エルクは再びの満面笑顔で喜んでから、何か銀色の鋭利なものを投げてくる。凶器だよね、これ凶器だよね!
本能で死を予感した私はそれを鈍器で打ち返した。
カキーンと言うほど綺麗な音は鳴らないものの、凶器はひゅうんと遠くへ飛んで、そのまま返ってこなかった。
……なんか、巷で流行り出したヤキュウみたい。何で私、こんな事してるの。
「違ぁう!今の聞き返す『はい?』だからね!了承の『はい』じゃないからっ!って言うか何。ドラゴンから助けてくれたのに何で殺されるの私!」
「誰にもメイナは殺させないよ。……僕以外はね」
「あんたからも殺されたくないわっ」
意味がわからない。まだ死にたくもないし!
何か子供の頃に恨みを買っていたなら、さっきのドラゴンに殺されるのを待っていれば良い話なのに。まさか自分の手で殺さなきゃいけないほど悪いことをしたのか、過去の私。
その次に投げられた凶器も打ち返した頃、ずっと口を挟まなかったアルグさんが思い出したように言った。
「……なあ。もしかして、エルトって、ネクロマンサーのエルト・メタシナバーか?」
「そうですが。貴方はメイナの上司、ですか」
「ははは。上司って言うか、同僚な。年齢がこいつより高いだけさ。アルグヴァン・ウェンリーって言うんだ。アルグってことで、よろしく」
「アルグさん、エルトのこと知ってるんですか?」
さっきまでは私の知り合いかと聞いてきたのに、名前を知るやどうにも何か知っている様子。私の問いにも頷きを返した。
「ああ。ネクロマンサーのエルトって言やぁ有名だ。まあ顔までは知らなかったけどな。若くして天才って言われるようなやつだ。奇跡の一業を成し遂げてな」
「私、ギルド職員なのに全然知らなかったです……」
情報が重要な仕事なのに……有名人を知らないなんて。しかも幼馴染みのエルトの事を。
少し落ち込んだ私が重たい空気を抱えると、アルグさんは軽い笑いで吹き飛ばしてくれる。
「ははは。無理もないさ。ネクロマンサーじゃ冒険者っていうより魔術ギルドだからな。こっちじゃ有名でも冒険者同士でちょろちょろっと噂が流れるくらいだ」
「……でも、そんな有名人になったエルトがどうして私なんかを殺しに……」
「だから、“ずっと一緒にいるため”だよ」
エルトはそう言うけれど、ずっと一緒にいるために殺すって、矛盾してない?
……まさか、考えたくないけど。私を殺して生き返して、それで私を不死身にしてずっと一緒にいるって、そう言う意味だとしてもネクロマンサー自身は不死身じゃない。結局意味のない事になる。
それだったら、悲しいかな独り身の私に一生一緒にいようって言ってくれた方が嬉しいし、それで何の問題もないだろうに。
「ねえエルト。考え直し……」
「なるほどなぁ。やっぱり噂は本当だったのか。奇跡の一業を成し遂げて、不死身になったってやつ」
「えっ」
アルグさんがふむふむと呟く。その行為はいいんだけど、内容が。
不死身?それって。待って、そうなると。
「ええ。そうじゃないとネクロマンサーになった意味がありませんから」
「……随分と愛されたもんだな、メイナ」
「不死の修業もネクロマンサーも。全ては今日このための物ですからね」
さっきの矛盾は成り立たなくなって。まさか本当にエルト、
「だから、メイナ。潔く死んでくれないかい」
あんた、私を殺す気?!