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世界は夢でできている

 その隙間を覗いてしまったのなら。
 曲が終われば、お互いに仮面を被り、隠し合う時間も終わりを迎える。
 知らない方が良かったのか、知って良かったのか。
 どちらにせよ、もはやそれは意味を持たないのだから。



47.仮面



 彼らの髪が揺れる。
 一人は明るい茶色で、 うねった髪が風に踊る。
 一人は黒く、束ねられた少しの長さがさらさら揺れる。

「――カイル」

「ミューリ……」

 二人は共に息を詰まらせたように言葉を続けられず。けれども、まるでデートでもしているように柵に寄りかかり、一人は綺麗な遠い景色を。一人は綺麗な灰色の瞳を見ていた 。
 私がルースを騙していた頃、あの湖に私達がいた時のような静けさ。
 でも他はまるで違う。ここは湖でも天界ないし、仮面を被り合っていたのは騙していたのではなく、視線を遮る為だったから。
 何よりも、彼らには“アイ ”があった。

「……どうして天界から消えたの?」

「僕を見る度、ミューリは僕を殺した事を思い出すんじゃないですか」

 責められると、そう覚悟していたのだろう。ミューリはひたすらぼうっと遠くを見つめさせていた瞳を、はっとカイルに向けた。そして、同時にその顔を翳らせた。

「……」

 無言が、肯定。
 私達悪魔は嘘を吐くときに否定で使うけれど。
 ……ああ、違う。もう私は、悪魔ですら無くなってしまったのだ。
 あとほんの少しの消滅の時間。姿すら見えず、風に溶けている最中の下らない時間を、 私は彼らを観察するために使っている。

「やっぱり。死んだ事にして地上に降りれば、殆どの確率でミューリに会うことはありませんからね」

「じゃあ、その為に……?」

「って言ったら、ミューリには好印象なんでしょうけどね」

「へ」

 今度はカイルが悲しい表情をする番だ。とはいえ、彼は誤魔化して笑う。元が情けない顔だからか、少し紛らわしい。

「それはほんの一部の理由でしかありません……僕は、ある人に問い掛けられました。まだ行きたいかと」

「ある人……?」

「薄れていく意識の中だったので僕にもよくは分からないんですが……はいと答えると、僕は生まれ変わっていたんです。地上人として。天界から見ればほんの少しの時間でも、地上人が大人に成長するまでの時間になりますから」

「生まれ変わり……」

「そう。今の僕は紛れもない地上人なんです。大人の、それも天界の知識を持ったまま生まれた。その知識で稼ぐようになり、独り立ちした時、緊急措置としての連絡手段でエデンに連絡を取ると、既に僕の事は上手く処理してくれていたと知りました」

 処理をしてくれた。
 その言葉で思い出したように、ミューリは視線を落として逸らす。この話をする以上は仕方のない事で、カイルはただ続きを話した。

「そして、僕はただ生まれ変わらせてくれた理由や原理を知りたいと思いました。元々天仕になったのも、神様がどんな存在なのか。地上の人間達はどういう風に管理されているのか知りたかったからなんです」

「……給料高いとか、名誉ある仕事だったからじゃなくて?」

「他の人から見れば、変な理由だと思いますけど」

「別に、変って言うわけじゃなくて……!」

「知ってます。ミューリは優しかったですからね」

「っ」

 一瞬、ミューリの顔がぽっと染まる。
 しかし、過去形だった事に気付き、再び視線を落とした。
 仮面が剥がれた事で、優しく包まれただけの言葉ではなくなる。全ての気持ちや状況を明らかにするならば、勿論痛みだって含まれる。

「……ごめん」

 一言で済む筈がない。
 でも、一言以上で済ませられる方法もない。

「……ほら、こうなってしまうんです。確かにあの時の痛みによる少しの恐怖もありました。でもそれ以上に、意味のない傷付け合いになってしまいます」

 悲し気に、カイルは笑う。
 ミューリにはどうしようも出来ない。彼の言う通りになってしまう事を受け入れるしかないのだ。

「だから僕はもう天界に関わらず、探究心、知識欲の為にその人を探していくつもりでした。結局ルカ……悪魔の所為でルリエラと引き合わされてしまったんですけどね」

「……これからも、その道を行くつもり?」

「はい。全ての時を賭けて」

 堂々とした宣言。
 知らない男の素顔がまた一つ増えたようで。
 胸をきゅっと締め付ける姿がまた一つ増えたようで。
 はあと大きなため息を一つ落とし、ミューリはキッと灰色の目をしっかりと向けて言った。
 
「あたしなんかに言われるのも嫌だと思うけど……」

「その前置き、さっきも聞きましたね」

「もう!そんなのいいから!……頑張んなさいよ、カイル」

「……はい」

 カイルがおそらく一番の笑顔で答えると、ミューリもふっと笑い返す。二人の距離は確実にあり、それ以上近付くこともなければ、求めることもない。
 だけど彼らには、いつまでも在る。

「僕、ミューリの事が好きでしたよ」



 男が去ると、女は一人。ミューリはぐったりと疲れきったように柵に凭れ掛かっていた。
 実際体はへとへとだった。悪魔との戦闘が終わった後、ルリエラとカイルに応急処置をされ、後から処理にやってきたエデンに仕上げの治療をされたわけで、見目は普通の状態であるものの、少し前までは死体直前だったのだから。
 しかし、ミューリには何よりカイルの一言が効いていた。

「……はあ。振られちゃったな。当たり前だけど」

 それでも彼らはまだ行き続けるのだ。
 ……これから消える、私とは違って。
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