世界は光でできている
赤い。
赤い視界に、赤い手。
目の前には、まるでインクがこぼれたような、
赤ペン
―まるとばつをつけるもの―
魔力で出来た刃から、ぼたりぼたりと落ちる。
(本当にこれで、よかったの……?)
神様を裏切ってはいけないと言う忠誠は、きっと間違いじゃない。
そうは思っても、目の前に横たわるあいつを見ると――
「うっ……」
人の死に様なんて、地上の処理で何度も見てきた。あたしが手を下す事はなかったけれど、この先きっとあるんじゃないかって予感もしてた。
ただ、目の前の死体と赤く染まった手に、“本当に”冷静になった今、吐き気が込み上げてくる。
症状は抑えきれる程度。でも、精神的には今すぐ吐き出したい程。
こつん、こつん――。
足音が響く。
(他の上官……なら、早く通報しなくちゃ)
どこからか焦りが湧く。
きっとあたしは、一刻も早くカイルの元から自分を離したい。
こつ。
あたしの灰の瞳と合ったのは、紫色の瞳。
そう、それは
「エデン……!」
「これは……」
互いに次の言葉を出す間もなく、ナイフを構えた。
ルースの言うことが本当だったと言う事は、このエデンは同じく裏切り者。気付いたという事が気付かれたら、あたしは殺意の標的になる。
空気の流れが止まると、た、と足を踏み出す。
素早く切りかかるも、全てあちらのナイフにいなされる。それでも振り上げ――
瞬間、体の側面に強い衝撃が走った。
左に飛ばされるも、床に手をついて跳び、体制を整える。
あたしも足を使うが、ナイフと同じく簡単にいなされる。
魔力を込めてもう一度蹴り上げ、
(当たった!!)
しかし彼女は軽く衝撃を受け、角度が変わる程度。
さっと此方に向き直ると再びナイフと魔力の硬い音が響き合う。
(あっ――)
そしてぴ、と首もとにナイフを突きつけられた。そこにはあたしと違った魔力を感じる。
――早い。いや、早かった。
力も速さも、あたしより何段も上だ。
ここからは動けない。
ナイフが突き付けられてるからだけじゃない。動かなかった。もう終わりなのだと感じられたから。
彼女の鋭い視線があたしの目を射抜く。
声は落ち着いた普段の、しかしどこか寒気がした。
「答えなさい。貴方はルースの協力者?」
「――は?」
協力者、だなんて。まるで悪者みたいに。
協力者かどうか問いたかったのはこちらだ。こんな状況であたしと刃を向けあって。カイルの協力者じゃないの、と。
いつもの穏やかな笑みではなく、なんと言うか、小さい子に見せるような笑みを溢してナイフを首から外す。
「……やっぱり。貴方は何も知らなそうだったもの」
もう抵抗する気はないけど……。
「どういう事?」
「端的に言えば、悪者はルース・シャーレという事です。旧神派でもなく、新神派でもなく」
「旧……それってやっぱり、あんた達が反乱を起こすって事!?」
訳がわからない。
神を倒して反乱でも起こそうって言うなら、それはこの宮殿社会で紛れもなく悪者じゃない。
でも、彼女は誤魔化そうとしている素振りも見せない。
「宮殿内の意思を無視したものではありません。既に裏では枠が出来ている状態です。今に、神の世代交代が行われます。そしてそれは今までの宮殿の歴史でも行われていた事。貴方達のような経験のない新人、並みの実力者では詳しく伝えられないお話です」
「なっ……!」
あたしはこれでも仕事が出来る方の天仕だったから、カチンと来た。
彼女のような並み外れた力を持っているかと問われれば、答えられないけど。
でもそれ以上に衝撃を受けたのは、“神様の世代交代”。
そして宮殿内の意思を無視していないということ。つまり、上層部の大半は知っていた――?
「いくら支持が減り、世代交代と言ったところで、所詮やる事は首の奪い合いですから。もっと綺麗な形になれば伝えられるでしょうけども」
(じゃあ、カイルは……)
あたしの戸惑いを察したように、彼女は話を続けた。
「……神は、地上において絶対的な影響力があります。その神が代わる時、何もないなんて事が、あり得ると思いますか?当然、ここにも地上のような権力争いが生まれます」
そう。
地上の人間を生かすも殺すもあたし達には容易いこと。
魔力はどんな生き物にとっても活性化させるエネルギー。大地を富ませる事も、地震を起こす事もできる。
天仕の力によっては影響も少ないけれど、神様の魔力は偉大であり強大だ。
そして人はそれを信仰し、また信仰によって魔力もより強くなる。
「今の神とそれを支持する旧神派は支持が薄れ、力や数が衰え、私達新神派に圧されています。先程も言ったように、もう裏では枠が出来ているほどに」
エデンは血に染まった資料を拾い上げると、それに目を落とした。
「それでも今の神が神である以上、支持する者達には強い権力があり、その位置に居座ろうとする」
必要だったのだろう、それの文字はまだ、読めるのだろうか。
そして、カイルに視線を移す。
「サボり癖のあるだらしない子。でも本当は新神派の中で、特に優秀な子です。だからこそ旧神派の強かったあそこでは、窓際に追いやられた。それを知らない者には、わざと駄目な人間だと見せているのです」
(じゃあ……あれは、全部、演技だったってこと?)
ただ。
ただルースがあたしに変な事を吹き込んだだけだったのだ。
それなのにあたしはいつの間にか、有り得ないカイルを疑って。
実際やろうと思えば出来る実力はあったみたいだけど。
「本当に情報を盗んでいたのはルース・シャーレ。両方の神の情報を盗み、新神派にも旧神派にも擦り寄っていたんです。故に宮殿が混乱した……。彼を炙り出すために、そしてこの権力闘争を隠すために、今回のような話が流されました」
「……」
あたしはそこに、力なく崩れ落ちた。
この手の赤は、○ではなく、罰の証だったみたい。
赤い視界に、赤い手。
目の前には、まるでインクがこぼれたような、
赤ペン
―まるとばつをつけるもの―
魔力で出来た刃から、ぼたりぼたりと落ちる。
(本当にこれで、よかったの……?)
神様を裏切ってはいけないと言う忠誠は、きっと間違いじゃない。
そうは思っても、目の前に横たわるあいつを見ると――
「うっ……」
人の死に様なんて、地上の処理で何度も見てきた。あたしが手を下す事はなかったけれど、この先きっとあるんじゃないかって予感もしてた。
ただ、目の前の死体と赤く染まった手に、“本当に”冷静になった今、吐き気が込み上げてくる。
症状は抑えきれる程度。でも、精神的には今すぐ吐き出したい程。
こつん、こつん――。
足音が響く。
(他の上官……なら、早く通報しなくちゃ)
どこからか焦りが湧く。
きっとあたしは、一刻も早くカイルの元から自分を離したい。
こつ。
あたしの灰の瞳と合ったのは、紫色の瞳。
そう、それは
「エデン……!」
「これは……」
互いに次の言葉を出す間もなく、ナイフを構えた。
ルースの言うことが本当だったと言う事は、このエデンは同じく裏切り者。気付いたという事が気付かれたら、あたしは殺意の標的になる。
空気の流れが止まると、た、と足を踏み出す。
素早く切りかかるも、全てあちらのナイフにいなされる。それでも振り上げ――
瞬間、体の側面に強い衝撃が走った。
左に飛ばされるも、床に手をついて跳び、体制を整える。
あたしも足を使うが、ナイフと同じく簡単にいなされる。
魔力を込めてもう一度蹴り上げ、
(当たった!!)
しかし彼女は軽く衝撃を受け、角度が変わる程度。
さっと此方に向き直ると再びナイフと魔力の硬い音が響き合う。
(あっ――)
そしてぴ、と首もとにナイフを突きつけられた。そこにはあたしと違った魔力を感じる。
――早い。いや、早かった。
力も速さも、あたしより何段も上だ。
ここからは動けない。
ナイフが突き付けられてるからだけじゃない。動かなかった。もう終わりなのだと感じられたから。
彼女の鋭い視線があたしの目を射抜く。
声は落ち着いた普段の、しかしどこか寒気がした。
「答えなさい。貴方はルースの協力者?」
「――は?」
協力者、だなんて。まるで悪者みたいに。
協力者かどうか問いたかったのはこちらだ。こんな状況であたしと刃を向けあって。カイルの協力者じゃないの、と。
いつもの穏やかな笑みではなく、なんと言うか、小さい子に見せるような笑みを溢してナイフを首から外す。
「……やっぱり。貴方は何も知らなそうだったもの」
もう抵抗する気はないけど……。
「どういう事?」
「端的に言えば、悪者はルース・シャーレという事です。旧神派でもなく、新神派でもなく」
「旧……それってやっぱり、あんた達が反乱を起こすって事!?」
訳がわからない。
神を倒して反乱でも起こそうって言うなら、それはこの宮殿社会で紛れもなく悪者じゃない。
でも、彼女は誤魔化そうとしている素振りも見せない。
「宮殿内の意思を無視したものではありません。既に裏では枠が出来ている状態です。今に、神の世代交代が行われます。そしてそれは今までの宮殿の歴史でも行われていた事。貴方達のような経験のない新人、並みの実力者では詳しく伝えられないお話です」
「なっ……!」
あたしはこれでも仕事が出来る方の天仕だったから、カチンと来た。
彼女のような並み外れた力を持っているかと問われれば、答えられないけど。
でもそれ以上に衝撃を受けたのは、“神様の世代交代”。
そして宮殿内の意思を無視していないということ。つまり、上層部の大半は知っていた――?
「いくら支持が減り、世代交代と言ったところで、所詮やる事は首の奪い合いですから。もっと綺麗な形になれば伝えられるでしょうけども」
(じゃあ、カイルは……)
あたしの戸惑いを察したように、彼女は話を続けた。
「……神は、地上において絶対的な影響力があります。その神が代わる時、何もないなんて事が、あり得ると思いますか?当然、ここにも地上のような権力争いが生まれます」
そう。
地上の人間を生かすも殺すもあたし達には容易いこと。
魔力はどんな生き物にとっても活性化させるエネルギー。大地を富ませる事も、地震を起こす事もできる。
天仕の力によっては影響も少ないけれど、神様の魔力は偉大であり強大だ。
そして人はそれを信仰し、また信仰によって魔力もより強くなる。
「今の神とそれを支持する旧神派は支持が薄れ、力や数が衰え、私達新神派に圧されています。先程も言ったように、もう裏では枠が出来ているほどに」
エデンは血に染まった資料を拾い上げると、それに目を落とした。
「それでも今の神が神である以上、支持する者達には強い権力があり、その位置に居座ろうとする」
必要だったのだろう、それの文字はまだ、読めるのだろうか。
そして、カイルに視線を移す。
「サボり癖のあるだらしない子。でも本当は新神派の中で、特に優秀な子です。だからこそ旧神派の強かったあそこでは、窓際に追いやられた。それを知らない者には、わざと駄目な人間だと見せているのです」
(じゃあ……あれは、全部、演技だったってこと?)
ただ。
ただルースがあたしに変な事を吹き込んだだけだったのだ。
それなのにあたしはいつの間にか、有り得ないカイルを疑って。
実際やろうと思えば出来る実力はあったみたいだけど。
「本当に情報を盗んでいたのはルース・シャーレ。両方の神の情報を盗み、新神派にも旧神派にも擦り寄っていたんです。故に宮殿が混乱した……。彼を炙り出すために、そしてこの権力闘争を隠すために、今回のような話が流されました」
「……」
あたしはそこに、力なく崩れ落ちた。
この手の赤は、○ではなく、罰の証だったみたい。