世界は夢でできている
29.心配
「へっくしゅ!」
「あー。風邪?段々寒くなって来たものね。大丈夫?」
「……あなたに風邪の心配をされるとは、私も焼きが回ったようです」
何時もは堂々と、或いは冷静な姿でいる化物か何かかと思われる彼女だが、結局は人の子と言う事か。目の前の部下である天仕にいつもとは違う目で見て心配されながらも、こんな時の為に引き出しに常時用意していたティッシュでぐずぐずとする鼻をかんだ。
「何て言うか、あんたでも風邪引くのね」
「私を何だと思っているのですか」
心配したのではなかったのか。そう言いたげなのを察知して、怒らないでよと部下の天仕は苦笑した。
皆が描いている彼女のイメージは先述した通りで、部下はイメージではなく現実を少し知っているけれど、それでもやはり雨の日も風の日も、風邪の日も。いつでも鉄火面で仕事をしている、あるいは先を見ているようなカンペキ超人だと思っていた。
よもや部下の前でこんなに弱々しいくしゃみをして鼻までかんでいるとは。
「ああ、伝染してはいけませんし、今日はもう下がって構いませんよ」
そう言われても、今日は大体の仕事の片が付いているのだ。超人のような彼女の部下らしく、部下もまた仕事を抱えていない日は殆ど無い。
だから、デスクに戻った所で明日以降の準備や回りから更に仕事を回してもらう事になる。勿論いつもならそうするのだが、目の前の上司が風邪で辛そうにしている上、
「エデンは?」
「私は勿論仕事を続けますよ。ご覧の通りまだまだ山積みですので」
そう言って指先から肘まで程の高い書類の山からまた一枚取り出して、万年筆を滑らせる。しかし執務机の両端ではなく一山な分、彼女もいつもよりは仕事を抑えているらしかった。
「……お昼食べた?」
「食べられませんでしたけど、それが何ですか。病人が忙しくしているんですから、大人しく仕事させて頂戴」
雑談を続けるだけならお断りだ。普段仕事のやり取りをする間に戯れのような言葉は交わすけれど、今は彼女もそんな気分ではない。
「悪かったわね。また来るわ」
パタンと部下がドアを閉めていくのを見送って、ふうと息を吐いた。
「……全く、用件は一片に済ませてくださいな」
まあ、部下の言いたかった事もわかっているから。
数時間後。橙の陽が外から射し込む中で彼女が計算器で確めた数字と見比べ、書類をふるい分けていた所、こんこんとドアが叩かれる音がした。
「はい」
「ミューリ・フレイヤです。今伺っても宜しいですか」
「……どうぞ」
招き入れた部下の手には、何やら色々と詰まった小さなビニール袋が提げられていた。
「さっき先に地上の仕事をしてきたついでに買ってきた。ここ、置いておくから。それじゃ、お大事に」
数時間前に言った事を気にしているのか、部下は要点だけをつらつらと述べると、入室して数秒でまた去ってしまった。
その間も動かしていた手を止め、彼女はすっと立ち上がる。
「……マスクとサンドイッチと飲み物、ですか」
心配などせずとも良いのに。
けれどもそんな考えとは裏腹に、口元が少しだけ緩んだ。
まだ、彼女は死ぬ事は無いのだから。
彼女にはまだ、時が残されているのだから。
「へっくしゅ!」
「あー。風邪?段々寒くなって来たものね。大丈夫?」
「……あなたに風邪の心配をされるとは、私も焼きが回ったようです」
何時もは堂々と、或いは冷静な姿でいる化物か何かかと思われる彼女だが、結局は人の子と言う事か。目の前の部下である天仕にいつもとは違う目で見て心配されながらも、こんな時の為に引き出しに常時用意していたティッシュでぐずぐずとする鼻をかんだ。
「何て言うか、あんたでも風邪引くのね」
「私を何だと思っているのですか」
心配したのではなかったのか。そう言いたげなのを察知して、怒らないでよと部下の天仕は苦笑した。
皆が描いている彼女のイメージは先述した通りで、部下はイメージではなく現実を少し知っているけれど、それでもやはり雨の日も風の日も、風邪の日も。いつでも鉄火面で仕事をしている、あるいは先を見ているようなカンペキ超人だと思っていた。
よもや部下の前でこんなに弱々しいくしゃみをして鼻までかんでいるとは。
「ああ、伝染してはいけませんし、今日はもう下がって構いませんよ」
そう言われても、今日は大体の仕事の片が付いているのだ。超人のような彼女の部下らしく、部下もまた仕事を抱えていない日は殆ど無い。
だから、デスクに戻った所で明日以降の準備や回りから更に仕事を回してもらう事になる。勿論いつもならそうするのだが、目の前の上司が風邪で辛そうにしている上、
「エデンは?」
「私は勿論仕事を続けますよ。ご覧の通りまだまだ山積みですので」
そう言って指先から肘まで程の高い書類の山からまた一枚取り出して、万年筆を滑らせる。しかし執務机の両端ではなく一山な分、彼女もいつもよりは仕事を抑えているらしかった。
「……お昼食べた?」
「食べられませんでしたけど、それが何ですか。病人が忙しくしているんですから、大人しく仕事させて頂戴」
雑談を続けるだけならお断りだ。普段仕事のやり取りをする間に戯れのような言葉は交わすけれど、今は彼女もそんな気分ではない。
「悪かったわね。また来るわ」
パタンと部下がドアを閉めていくのを見送って、ふうと息を吐いた。
「……全く、用件は一片に済ませてくださいな」
まあ、部下の言いたかった事もわかっているから。
数時間後。橙の陽が外から射し込む中で彼女が計算器で確めた数字と見比べ、書類をふるい分けていた所、こんこんとドアが叩かれる音がした。
「はい」
「ミューリ・フレイヤです。今伺っても宜しいですか」
「……どうぞ」
招き入れた部下の手には、何やら色々と詰まった小さなビニール袋が提げられていた。
「さっき先に地上の仕事をしてきたついでに買ってきた。ここ、置いておくから。それじゃ、お大事に」
数時間前に言った事を気にしているのか、部下は要点だけをつらつらと述べると、入室して数秒でまた去ってしまった。
その間も動かしていた手を止め、彼女はすっと立ち上がる。
「……マスクとサンドイッチと飲み物、ですか」
心配などせずとも良いのに。
けれどもそんな考えとは裏腹に、口元が少しだけ緩んだ。
まだ、彼女は死ぬ事は無いのだから。
彼女にはまだ、時が残されているのだから。