世界は夢でできている
24.早退
「……え?エデン……様、もう帰られたんですか?」
天界を統べる宮殿、幾つもある執務室の内の一つ。間違いなくエデンの執務室前であるそこで、ミューリは拳の裏を掲げたままぴたりと止まっていた。
一度ノックしたにも関わらず返答がないので、もう一度と思った丁度その時に、通り掛かった他の天仕が「あ。エデン様なら先程帰られましたよ」と教えてくれたのだ。
いつもなら様付けどころかさん付けもしないので、むず痒くなる呼び方をしながらもミューリは驚く。
確かにエデンという人物はいつも仕事をしていて、その量と質故に現宮殿のトップである神様に取り立てられ、今ではミューリの立派な上司となっている。勿論忙しさは半端ではないので、宮殿を留守にする事も多いのだが。
「おっかしーなぁ。ボードにも何にも無かったし、聞いてもいないんだけど……」
それは専ら仕事の為で、大概用事のある場合は何処かしらに事前に記録してあるはずだ。そうでなくとも、ある任務の為に連絡を取らねばならないミューリには大体口伝てで教えてくれている。
そうでないとすれば、ミューリが今関わっているような表沙汰になる前の仕事だろうか。
他の天仕よりは交流があれど、エデンとミューリの間には隔たりがあり、そうでなくとも彼女はどれを誰に口にして良いのか冷静に判断する天界人だ。
先程教えてくれた天仕は既に通路からいなくなっており、むぅっと考えながら口にしたミューリの独り言は誰にも聞こえずに消えた。
……まあ、いないものはしょうがない。
一センチはあろうかと言う地上の一部地域についての報告書を届けに来たのだが、ミューリはその書類袋を抱えたまま自分の部署、そしてデスクに戻った。
エデンほどではないが、ミューリもまたそんな上司に似て仕事一筋になっていたものだから、抱えている案件も多い。
例えば、届けようとした報告書とはまた別の地域の調査があったり。来月までに処理しなければいけない人間のリストがあったり。今月処理した人間の報告書を書き起こしたり。
時間が空けば取り掛かる仕事は幾らでもあった。
そうして退勤した翌日。今度は早めに、同じ様に書類を抱えて、ミューリは執務室にやって来ていた。
こん、こん。
「はい」
今度は返事があった。すかさずミューリは用件を述べる。
「ミューリです。地上の調査書を持ってきました」
「どうぞ」
そうして開けた先にはいつものようにエデンが座って待っていた。いつもと違うのは、机の上に置かれているのがやりかけの書類ではなくて全く手の付けられていない山と黒い翼の一部分であった事。羽と言えないのはそれが一枚のふわふわしたものの束だったのではなく、小さくとも骨格のある塊に魔力の黒の羽が張られているものであったからだ。
ミューリは息を呑む。
彼女が早退する理由は体調不良であってもおかしくないのに。昨日、一番に浮かんだのは別の何かを水面下でしている姿だった。そしてやはりエデンはその通りの天界人であったのだ。
『……ただ、悪魔を証明するには悪魔の首でも持ってこなければいけませんからね』
「――首は、どうしたの」
恐らく、そういう事なのだろう。
「残念ながら灰になりまして。どうにか保持させたのがこれだけだったのです。全く、時の力と言うのは相変わらず恐ろしいものですね」
恐ろしいのはあんただよ、とは言えず。
悪魔を証明するそれを机におっ広げているエデンに言えたのはこの程度だった。
「これ、どうするの?もしかしてあたし達の作戦は中止?」
これさえあればミューリが悪魔に翻弄される必要も無く、宮殿中に知らしめて悪魔を標的にする事が出来る。まあ必要がなくとも、悪魔の方からやっては来るのだろうが。
ミューリの疑問にエデンは首を振って答える。勿論、横に。
「明確に悪魔が宮殿を狙ったという報告も付けなければなりません。また以前の情報盗難の真実も暴くべきです。貴女が矢面に立つことでこそ、ルース・シャーレに関与した悪魔が出てくるでしょうから」
「……そう、かもね」
前に会った、自分とそっくりの、なのに全然違う少女を思い出す。
「何よりも貴女も自分に立ち向かうのなら」
「……そう、ね」
ミューリが答えてから数秒して、「ところで……」とエデンが書類を催促した。ミューリも忘れていた訳ではないがつい悪魔の話ばかりになってしまったのだ。
受け取ってすぐに中身を確認したエデンは「確かに受けとりました」と頷いて書類の山の更に横に置く。
「ねぇ、エデン。話を少し戻すけど」
「はい」
「宮殿を狙った事や前の事件については報告出来るとして、“それ”だと証拠にならないんじゃない?悪魔は悪魔でも、同じ悪魔じゃないわけだし」
ミューリにはエデンのような力は無い。同じ様に魔力で出来た翼をもいで保存するなんて出来ないだろう。
それでもエデンは清々しいほど黒さを感じる笑顔でこう言った。
「悪魔という証拠にさえなれば、”同じにする“んですよ」
「あ、そう……」
「……え?エデン……様、もう帰られたんですか?」
天界を統べる宮殿、幾つもある執務室の内の一つ。間違いなくエデンの執務室前であるそこで、ミューリは拳の裏を掲げたままぴたりと止まっていた。
一度ノックしたにも関わらず返答がないので、もう一度と思った丁度その時に、通り掛かった他の天仕が「あ。エデン様なら先程帰られましたよ」と教えてくれたのだ。
いつもなら様付けどころかさん付けもしないので、むず痒くなる呼び方をしながらもミューリは驚く。
確かにエデンという人物はいつも仕事をしていて、その量と質故に現宮殿のトップである神様に取り立てられ、今ではミューリの立派な上司となっている。勿論忙しさは半端ではないので、宮殿を留守にする事も多いのだが。
「おっかしーなぁ。ボードにも何にも無かったし、聞いてもいないんだけど……」
それは専ら仕事の為で、大概用事のある場合は何処かしらに事前に記録してあるはずだ。そうでなくとも、ある任務の為に連絡を取らねばならないミューリには大体口伝てで教えてくれている。
そうでないとすれば、ミューリが今関わっているような表沙汰になる前の仕事だろうか。
他の天仕よりは交流があれど、エデンとミューリの間には隔たりがあり、そうでなくとも彼女はどれを誰に口にして良いのか冷静に判断する天界人だ。
先程教えてくれた天仕は既に通路からいなくなっており、むぅっと考えながら口にしたミューリの独り言は誰にも聞こえずに消えた。
……まあ、いないものはしょうがない。
一センチはあろうかと言う地上の一部地域についての報告書を届けに来たのだが、ミューリはその書類袋を抱えたまま自分の部署、そしてデスクに戻った。
エデンほどではないが、ミューリもまたそんな上司に似て仕事一筋になっていたものだから、抱えている案件も多い。
例えば、届けようとした報告書とはまた別の地域の調査があったり。来月までに処理しなければいけない人間のリストがあったり。今月処理した人間の報告書を書き起こしたり。
時間が空けば取り掛かる仕事は幾らでもあった。
そうして退勤した翌日。今度は早めに、同じ様に書類を抱えて、ミューリは執務室にやって来ていた。
こん、こん。
「はい」
今度は返事があった。すかさずミューリは用件を述べる。
「ミューリです。地上の調査書を持ってきました」
「どうぞ」
そうして開けた先にはいつものようにエデンが座って待っていた。いつもと違うのは、机の上に置かれているのがやりかけの書類ではなくて全く手の付けられていない山と黒い翼の一部分であった事。羽と言えないのはそれが一枚のふわふわしたものの束だったのではなく、小さくとも骨格のある塊に魔力の黒の羽が張られているものであったからだ。
ミューリは息を呑む。
彼女が早退する理由は体調不良であってもおかしくないのに。昨日、一番に浮かんだのは別の何かを水面下でしている姿だった。そしてやはりエデンはその通りの天界人であったのだ。
『……ただ、悪魔を証明するには悪魔の首でも持ってこなければいけませんからね』
「――首は、どうしたの」
恐らく、そういう事なのだろう。
「残念ながら灰になりまして。どうにか保持させたのがこれだけだったのです。全く、時の力と言うのは相変わらず恐ろしいものですね」
恐ろしいのはあんただよ、とは言えず。
悪魔を証明するそれを机におっ広げているエデンに言えたのはこの程度だった。
「これ、どうするの?もしかしてあたし達の作戦は中止?」
これさえあればミューリが悪魔に翻弄される必要も無く、宮殿中に知らしめて悪魔を標的にする事が出来る。まあ必要がなくとも、悪魔の方からやっては来るのだろうが。
ミューリの疑問にエデンは首を振って答える。勿論、横に。
「明確に悪魔が宮殿を狙ったという報告も付けなければなりません。また以前の情報盗難の真実も暴くべきです。貴女が矢面に立つことでこそ、ルース・シャーレに関与した悪魔が出てくるでしょうから」
「……そう、かもね」
前に会った、自分とそっくりの、なのに全然違う少女を思い出す。
「何よりも貴女も自分に立ち向かうのなら」
「……そう、ね」
ミューリが答えてから数秒して、「ところで……」とエデンが書類を催促した。ミューリも忘れていた訳ではないがつい悪魔の話ばかりになってしまったのだ。
受け取ってすぐに中身を確認したエデンは「確かに受けとりました」と頷いて書類の山の更に横に置く。
「ねぇ、エデン。話を少し戻すけど」
「はい」
「宮殿を狙った事や前の事件については報告出来るとして、“それ”だと証拠にならないんじゃない?悪魔は悪魔でも、同じ悪魔じゃないわけだし」
ミューリにはエデンのような力は無い。同じ様に魔力で出来た翼をもいで保存するなんて出来ないだろう。
それでもエデンは清々しいほど黒さを感じる笑顔でこう言った。
「悪魔という証拠にさえなれば、”同じにする“んですよ」
「あ、そう……」