世界は夢でできている
23.時代
時が経てば全ては風化していく。植物も、無機物も、人も、全て。
――百年。
悪魔や天仕にとっては短い時間だけれど、人間はそれが一生であった。たったそれっぽっちの時間を過ごして、次の世代へ交代していく。だから時代が変わるのも早かった。
始めは人間達に紛れても不思議に思われなかったあの少女の服装も、今では目立ってしょうがない。
それでもまあ、一周回って個性として見られる時代にもなったからどうでも良い話だ。
閉店後のデパートの屋上で一人黄昏る男にとっては、その遷移が重要であった。……否、正しくは時が失われていくこと。廻ると言えばその垣根も消えようが、男はそんな広い視野で見られる存在ではなかった。
ちっぽけな、悪魔だった。
「この建物も、前はルース・シャーレが死んだ場所だったんだよなァ」
事故現場などすぐには買い手がつかなくとも、百年も経てば事件のことなど忘れてしまう。誰も覚えていない。
それは地上の人間だからか?
……違うのだ。だから、男は黄昏る。
天界人も人間も悪魔も、皆時を消化し、時代らしき枠を作ると、やがては消える。何も持っていないと言い合う悪魔だって気付かないだけで本当は時間くらい持ち合わせているのだから。
そのスパンが短いか長いかだけで、おそらく慣れきった感覚と掛け合わせると何も変わりはしない。
「……なんて話、あいつぐらいしか付き合っちゃくれねェよなァ」
男は転落防止にしては低い手摺のような柵に腕をだらりと掛けて、再びそこからの光景を眺めていた。
特に意味はなければ、この行為に意味を後付けする事もない。
男は蝶ではないのだから地上世界に影響を及ぼさない動き方も出来るし、そうなると誰も見ていない今は何かが変わる事もない。ただ自分の姿勢を変えただけだ。
一生がその無意味さと同じ様なものだと言われたって大抵の人間や天仕は理解しないだろう。そして悪魔は“持っている”事を否定する。
だからずっと時代は移ろっていくし、天仕は天仕、人間は人間、悪魔は悪魔。何にも変われずにいるのだ。
「お客さん、ここは立ち入り禁止なんやけど?」
否、変わらずにいられるのだ。
かつんとヒールの音がわざとらしく近付く。女の影が男の足元まで伸びていた。
誰の声かなんてわかりきった事だが、それでも男はゆっくりと振り返る。
「……お前もじゃねェか」
「こんな気持ち悪い黄昏た男に注意しにくいやろ。可哀想な店員さんの代わりや」
「格好良すぎて声掛けらんねェの間違いだろォ」
げらげらと笑う男は元は一人。悪魔らしく一人だった。
それなのに無意味さに気付いてしまったから、男は悪魔らしくなれなかった。何もないことが悪魔の原動力なのに、真に何もない事を知ると逆の力が働いた。
どうせ全ては零になり、時代の波に浚われていくのだと。
「どっからそんなけったいな自信湧くんや……」
「ここからだぜェ!」
「心臓から送り出されるのは自信やなくて血液やで」
そう思っていたら、男の巣に女が現れた。殆どが一人しか生み落とされない巣に二人が生み落とされたのだ。
そこから漸く男は悪魔になれた。
例え時が失われ、そこに意味はなくとも、彼女と一緒に悪魔をやっていきたい。その欲望だけの為に。
いつもの適当な冗談が済むと、女は改めてきょろきょろと辺りを見回した。
女もこの場所がどこであるのか、今更ながらに気付いたらしい。男はそれを見て口許を歪めた。
「あれ、ここってもしかしてルース・シャーレの死場所やった……?」
「随分変わったもんだよなァ」
今度は柵を肘掛けのようにして背を凭れさせる。ゲラゲラという笑い声にぴったりの態度の悪さだ。
「本当に、もうすっかり無い事みたいになっとるなぁ」
「ま、それが世の常ってヤツだろ」
「覚えとるのは私らと天仕くらいちゃう?」
「…… 」
そいつらと俺達が死んだらどうなるんだろうな、なんて野暮な事は言わなかった。その女の言葉の余韻を少しでも味わっていたかった。純粋で何も知らない故に、時に心地よい彼女の言葉。
「何や、黙って」
「……いや、眠くなってきたなと思ってよォ」
「よっしゃ、永遠に眠らしたるわ!」
「おっと、殴られる前に巣に戻るとするかァ」
「うわ、逃げよった!」
とぷんと男が足元に生まれた黒い水面に沈みこむ。人のいないデパートをどんどんと通過して、やがては地下の地獄、自分達の巣へと到達する。
女も一言叫んでから男の後を追って沈んでいった。
とぷん。
そしてそこからは誰もいなくなった。
事故の話を知るものも、誰も。
時が経てば全ては風化していく。植物も、無機物も、人も、全て。
――百年。
悪魔や天仕にとっては短い時間だけれど、人間はそれが一生であった。たったそれっぽっちの時間を過ごして、次の世代へ交代していく。だから時代が変わるのも早かった。
始めは人間達に紛れても不思議に思われなかったあの少女の服装も、今では目立ってしょうがない。
それでもまあ、一周回って個性として見られる時代にもなったからどうでも良い話だ。
閉店後のデパートの屋上で一人黄昏る男にとっては、その遷移が重要であった。……否、正しくは時が失われていくこと。廻ると言えばその垣根も消えようが、男はそんな広い視野で見られる存在ではなかった。
ちっぽけな、悪魔だった。
「この建物も、前はルース・シャーレが死んだ場所だったんだよなァ」
事故現場などすぐには買い手がつかなくとも、百年も経てば事件のことなど忘れてしまう。誰も覚えていない。
それは地上の人間だからか?
……違うのだ。だから、男は黄昏る。
天界人も人間も悪魔も、皆時を消化し、時代らしき枠を作ると、やがては消える。何も持っていないと言い合う悪魔だって気付かないだけで本当は時間くらい持ち合わせているのだから。
そのスパンが短いか長いかだけで、おそらく慣れきった感覚と掛け合わせると何も変わりはしない。
「……なんて話、あいつぐらいしか付き合っちゃくれねェよなァ」
男は転落防止にしては低い手摺のような柵に腕をだらりと掛けて、再びそこからの光景を眺めていた。
特に意味はなければ、この行為に意味を後付けする事もない。
男は蝶ではないのだから地上世界に影響を及ぼさない動き方も出来るし、そうなると誰も見ていない今は何かが変わる事もない。ただ自分の姿勢を変えただけだ。
一生がその無意味さと同じ様なものだと言われたって大抵の人間や天仕は理解しないだろう。そして悪魔は“持っている”事を否定する。
だからずっと時代は移ろっていくし、天仕は天仕、人間は人間、悪魔は悪魔。何にも変われずにいるのだ。
「お客さん、ここは立ち入り禁止なんやけど?」
否、変わらずにいられるのだ。
かつんとヒールの音がわざとらしく近付く。女の影が男の足元まで伸びていた。
誰の声かなんてわかりきった事だが、それでも男はゆっくりと振り返る。
「……お前もじゃねェか」
「こんな気持ち悪い黄昏た男に注意しにくいやろ。可哀想な店員さんの代わりや」
「格好良すぎて声掛けらんねェの間違いだろォ」
げらげらと笑う男は元は一人。悪魔らしく一人だった。
それなのに無意味さに気付いてしまったから、男は悪魔らしくなれなかった。何もないことが悪魔の原動力なのに、真に何もない事を知ると逆の力が働いた。
どうせ全ては零になり、時代の波に浚われていくのだと。
「どっからそんなけったいな自信湧くんや……」
「ここからだぜェ!」
「心臓から送り出されるのは自信やなくて血液やで」
そう思っていたら、男の巣に女が現れた。殆どが一人しか生み落とされない巣に二人が生み落とされたのだ。
そこから漸く男は悪魔になれた。
例え時が失われ、そこに意味はなくとも、彼女と一緒に悪魔をやっていきたい。その欲望だけの為に。
いつもの適当な冗談が済むと、女は改めてきょろきょろと辺りを見回した。
女もこの場所がどこであるのか、今更ながらに気付いたらしい。男はそれを見て口許を歪めた。
「あれ、ここってもしかしてルース・シャーレの死場所やった……?」
「随分変わったもんだよなァ」
今度は柵を肘掛けのようにして背を凭れさせる。ゲラゲラという笑い声にぴったりの態度の悪さだ。
「本当に、もうすっかり無い事みたいになっとるなぁ」
「ま、それが世の常ってヤツだろ」
「覚えとるのは私らと天仕くらいちゃう?」
「…… 」
そいつらと俺達が死んだらどうなるんだろうな、なんて野暮な事は言わなかった。その女の言葉の余韻を少しでも味わっていたかった。純粋で何も知らない故に、時に心地よい彼女の言葉。
「何や、黙って」
「……いや、眠くなってきたなと思ってよォ」
「よっしゃ、永遠に眠らしたるわ!」
「おっと、殴られる前に巣に戻るとするかァ」
「うわ、逃げよった!」
とぷんと男が足元に生まれた黒い水面に沈みこむ。人のいないデパートをどんどんと通過して、やがては地下の地獄、自分達の巣へと到達する。
女も一言叫んでから男の後を追って沈んでいった。
とぷん。
そしてそこからは誰もいなくなった。
事故の話を知るものも、誰も。