世界は夢でできている
21.風船
どこかの店の宣伝なのか、街頭で奇抜な格好をした女が風船を配っている。子供達は彼女から一本一本紐を受け取ると、嬉しそうにその先の球を揺らして、親のもとへと走りながら引いていった。
女がふうとほんのり垂れた汗を拭う。
「真っ当なお仕事ってのも、大変なもんやねぇ……」
その呟きを誰かがはっきりと聞いていれば、普段は何をしているのかと突っ込みたくなるだろうが。満足した家族連れが過ぎ去ると、良い大人が近付くには気が引ける姿と持ち物で、彼女の側に人はいなかった。
「……あと一本」
女は残ってしまった赤い風船をどうしようかと眺める。ぷかぷかと気儘に浮いている風船はきっと傍から見た自分に似ているのだが、まるで違う。
「ん?」
そんな風船にフォーカスを合わせていた視界に、見たことのある姿が横切った。
慌てて女はそちらに切り替えて目で追う。……間違いない。今度は数歩、小走りで追った。そして。
「どうも、ミューリです」
「っ?!」
「なーんちゃって」
あからさまにビクリと跳ねた男の肩。その上に乗った髪。
ゆっくりと振り向いた顔は少し頼りなく、しかし顔立ちはまあ良い方であった。
「……あなたは……び、吃驚しました……」
「あはは、すまんなぁ。ちょっと驚かしてみただけなんやけど」
「ははは……」
女が思っているよりも面白くないジョークだったのか、頼り無さそうな男は情けない乾いた笑いを漏らす。
「この間喫茶店で間違えてしまった人ですよね。あの時はすみませんでした」
「ええんやて。……こうやって、脅かさしてもろたからね」
「はは……」
とびきりの笑顔で言われても、男は再び笑うしかない。
女と男は少し前に喫茶店で出会った。出会ったと言っても、男の方が女を知り合いと見間違えただけだ。彼女の事を『ミューリ』と。
「でも良く気付きましたね。一度会っただけなのに、僕だって」
「そんなに前の事でもないし、イケメンさんやからかなぁ?そこまで顔覚えるのが得意って訳でもないんやけど」
「あ、有難うございます……?」
褒められて、男は少し戸惑いながらも愛想笑いで礼を言った。そんなにド直球な褒められ方をされると何と言って良いのかわからないのだろう。尤も、言った女ならば「有難さん」と笑ってさらりと受け取るのだろうが。
「なあ、良かったら二度も会ったのは何かの縁。連絡先交換しようや!あ。今ならお礼にこの風船も付くで!」
女は左手でポケットから携帯を出して、その後思い出したように残った風船の紐をずいっと突き出した。突き出された風船は『えっ?俺?』と言うように頭を倒しながら慌ててそこにやって来る。
だってお礼もなにも、それは余り物だ。
男の目にはその赤い風船に印字された白い店名も見えるし、彼女の前を通りすぎたのだから先程まで配っていたことも知っている。
けれど逆にそれがおかしくて、男はくすりと笑みを溢した。
「いいんですか?本来は子供にあげるものでしょう」
「ええんやて。この一個はお兄さんにあげるものやったんや!」
「あはは」
今度は本当の、乾いていない笑い。
ほいほいと連絡先を交換するのも考えものだが、男にはもう柵が殆ど無かったし、先に間違いという失態もして、何より今の雰囲気がまあいいかと言う気にさせた。
「あ、でも彼氏さんいるのに、良いんですか」
「彼氏……?」
「あの時一緒にいた男の人、彼氏さんじゃないんですか……?」
「ああ!あれなぁ、ただの連れ。虫除けや。知り合いに似てるってナンパされることもあるし、ね?」
「はは……」
どうも女のジョークはこの男にはあまり受けが良くないようだ。
お互いの携帯に保存されたのを確認して、女は約束通りに残りの風船を渡した。
「ルカちゃーん、そろそろ配り終わったかーい」
「あ、はーい!バッチリですー!」
その内に女が雇われていたらしい店から店員が様子を見に顔を出す。女は空の両手をぶんぶん振り、聞こえるように同じぐらいの声量で返した。
「それじゃ、また会おうや!カイル・イレイザーさん?」
「はい、また」
どこかの店の宣伝なのか、街頭で奇抜な格好をした女が風船を配っている。子供達は彼女から一本一本紐を受け取ると、嬉しそうにその先の球を揺らして、親のもとへと走りながら引いていった。
女がふうとほんのり垂れた汗を拭う。
「真っ当なお仕事ってのも、大変なもんやねぇ……」
その呟きを誰かがはっきりと聞いていれば、普段は何をしているのかと突っ込みたくなるだろうが。満足した家族連れが過ぎ去ると、良い大人が近付くには気が引ける姿と持ち物で、彼女の側に人はいなかった。
「……あと一本」
女は残ってしまった赤い風船をどうしようかと眺める。ぷかぷかと気儘に浮いている風船はきっと傍から見た自分に似ているのだが、まるで違う。
「ん?」
そんな風船にフォーカスを合わせていた視界に、見たことのある姿が横切った。
慌てて女はそちらに切り替えて目で追う。……間違いない。今度は数歩、小走りで追った。そして。
「どうも、ミューリです」
「っ?!」
「なーんちゃって」
あからさまにビクリと跳ねた男の肩。その上に乗った髪。
ゆっくりと振り向いた顔は少し頼りなく、しかし顔立ちはまあ良い方であった。
「……あなたは……び、吃驚しました……」
「あはは、すまんなぁ。ちょっと驚かしてみただけなんやけど」
「ははは……」
女が思っているよりも面白くないジョークだったのか、頼り無さそうな男は情けない乾いた笑いを漏らす。
「この間喫茶店で間違えてしまった人ですよね。あの時はすみませんでした」
「ええんやて。……こうやって、脅かさしてもろたからね」
「はは……」
とびきりの笑顔で言われても、男は再び笑うしかない。
女と男は少し前に喫茶店で出会った。出会ったと言っても、男の方が女を知り合いと見間違えただけだ。彼女の事を『ミューリ』と。
「でも良く気付きましたね。一度会っただけなのに、僕だって」
「そんなに前の事でもないし、イケメンさんやからかなぁ?そこまで顔覚えるのが得意って訳でもないんやけど」
「あ、有難うございます……?」
褒められて、男は少し戸惑いながらも愛想笑いで礼を言った。そんなにド直球な褒められ方をされると何と言って良いのかわからないのだろう。尤も、言った女ならば「有難さん」と笑ってさらりと受け取るのだろうが。
「なあ、良かったら二度も会ったのは何かの縁。連絡先交換しようや!あ。今ならお礼にこの風船も付くで!」
女は左手でポケットから携帯を出して、その後思い出したように残った風船の紐をずいっと突き出した。突き出された風船は『えっ?俺?』と言うように頭を倒しながら慌ててそこにやって来る。
だってお礼もなにも、それは余り物だ。
男の目にはその赤い風船に印字された白い店名も見えるし、彼女の前を通りすぎたのだから先程まで配っていたことも知っている。
けれど逆にそれがおかしくて、男はくすりと笑みを溢した。
「いいんですか?本来は子供にあげるものでしょう」
「ええんやて。この一個はお兄さんにあげるものやったんや!」
「あはは」
今度は本当の、乾いていない笑い。
ほいほいと連絡先を交換するのも考えものだが、男にはもう柵が殆ど無かったし、先に間違いという失態もして、何より今の雰囲気がまあいいかと言う気にさせた。
「あ、でも彼氏さんいるのに、良いんですか」
「彼氏……?」
「あの時一緒にいた男の人、彼氏さんじゃないんですか……?」
「ああ!あれなぁ、ただの連れ。虫除けや。知り合いに似てるってナンパされることもあるし、ね?」
「はは……」
どうも女のジョークはこの男にはあまり受けが良くないようだ。
お互いの携帯に保存されたのを確認して、女は約束通りに残りの風船を渡した。
「ルカちゃーん、そろそろ配り終わったかーい」
「あ、はーい!バッチリですー!」
その内に女が雇われていたらしい店から店員が様子を見に顔を出す。女は空の両手をぶんぶん振り、聞こえるように同じぐらいの声量で返した。
「それじゃ、また会おうや!カイル・イレイザーさん?」
「はい、また」