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世界は夢でできている

16.交差



 からん、と氷が涼しげな音をたてて、黄金色の中に溶けていく。その音に何だか早く飲めと急かされた気がして一口、喉にすうっと通した。舌にはほんのりとした苦味が。花の香りはふんわりと鼻の奥に広がっていく。

「……はぁ」

 あたしはあれから言い得ないもやもやとした気分を抱えていた。
 仕事は仕事だ。今日もきっちり終えてきたし、こうして休憩しているのは報告する予定の時間までまだまだ余裕があるからだった。

 ――でも。

 グラスを少し横に避けて、鞄から書類を取り出す。その中でも報告書をテーブルの上に広げる。
 天界の宮殿で書いても良かったのだけど、と言うかその方が圧倒的に多いけれど、今はそんな気分でもなかった。
 この書類はルリエラから受け取った。
 ルリエラはあたしと同期で年も同じの女の子だから、よく話もするし仲の良い方だと思っていた。

「……あー……間違った。もうっ、欄一個下じゃん……」

 なのに、内緒事をしてた。
 勿論秘密も全部共有すると言う程の仲ではないと思うし、そもそもそんな仲があるのか、天仕なんてやっていたら疑問ではあるけど。ただその秘密は、あたしが殺したはずの幼馴染みと……いや、きっと好きだった人とココで会っていたという事だった。
 あたしには口を挟む権利はない。
 あたしには追及する権利はない。
 でも、どうしても、ざわつくのだ。心が。
 ルリエラはあたしが起こした事は知らないけれど、あたしとカイルの関係は知っているのに。仲が良いと思っていたのに。
 何で。

「……っ、」

 なんで。ガラスの向こうで、また、あの黒髪と緑髪が接しているのだろう。

「なんで二人が一緒に居んねやろ」

 今さっき、はっと息を呑んだばかりのあたしには、間もない連続の驚きにただ目を開いたまま止まるしかなかった。
 赤い髪。黒いベストの中に赤いフリルの付いた、所謂ゴスロリ服を着た女。それが人の目に着くのはわかるけれど、あたしが注目してしまったのは勿論そこではない。
 ……顔が、あたしそっくりなのだ。顔を洗う度、化粧する度、お風呂に入る度、何度も何度も見ている顔が髪色と服装だけを変えてそこにいた。少しキツい印象の目もその色も同じで、肩に着くか着かないかのパーマがかった髪も一緒。
 固まった体は置いて、頭の中だけでこの姿を見たことがあるのを思い出す。

「……ルース、シャーレの、」

 口が漸く動いた。そうだ、ルース・シャーレの妹……。でも彼女は死んだはずで、それに写真に写っていたのはこんな嫌らしい笑顔ではなかった。
 じゃあ彼女は生きていて、そもそも何かを企んで死んだ振りをしていた……?

『貴方は、悪魔と言うものを知っていますか?』

「――悪魔?」

 それはお伽噺だって思っていたのに。
 ふとあの時エデンがあたしに問い掛けてきた言葉が浮かんだ。そんなわけ無いかもしれないけど、エデンはもしかして、悪魔の存在を示唆したかった……?
 女は楽しそうににやっと笑って、いつの間に頼んだのか淡く白に濁った飲み物を、ストローで一周かき混ぜた。からん、と氷の崩れた音がした。

「ようわかったね。ミューリ・フレイア」

「なっ……!」

 がたん!と立ち上がると周囲の視線が一斉に集まって、あたしはおずおずと座り直すしかなくなる。彼女を消すなり何なりは兎も角として、地上で無駄な騒ぎを起こすわけにもいかないし、目撃者をどうこうすると言う訳にもいかない。適当に誤魔化すには多い人数だ。
 と言うかそもそも、お伽噺とされていた悪魔がそうかと聞かれてそうだと答えるだろうか。

「……となると、あたし達に害なす相手ってワケね?」

 天界に報告する……何なら人目さえなければ消滅させてやると凄むように問い掛ける。が、この悪魔にとっては大したことではないように飄々としている。

「どーやろなぁ。ミューリ・フレイアにとっては、ルリエラ・ピアニッシモの方が問題と違う?」

「それは……ルリエラは、関係ないでしょ!」

「ルリエラ・ピアニッシモとカイル・イレイザーが会うてるのは偶然でも何でもないで。お互い約束もできれば会ったのは今回が初めてってわけでもない。連絡がいつでも取れる距離にあるんや、二人はな?」

 悪魔はあたしの事をどこまで知っているのか、さも重大な事のように語り掛けていた。

「まっ!何にせよミューリ・フレイアは悪魔の存在を報告する気満々みたいやけど」

「そりゃそうでしょ」

 ただでさえ何を企んでいるかわからない不穏分子なのに、これだけ挑発されて対処を考えないはずがない。

「一体誰が信じるんやろなぁ?」

 にっこりと。写真の笑顔とまるで同じだったのが、最大級の嫌味に見えて。そして次の瞬間、悪魔は黒い何かになり地面へと溶けていった。
 そうだ。エデンに聞かれたあたしは何て答えた。あたしの地位はそんな架空の存在を証明できるほど高いものだったか。

「……飲み物代、払っていきなさいよ」

 あたしは、悔し紛れに伝票に書かれたリンゴジュースへと愚痴るしかなかった。
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