世界は夢でできている
10.呼吸
ひぃ、ひぃ、と悲鳴のように下手くそな呼吸音が響く。喉の奥が痛くなり、空気が満足に得られず苦しい。
どんなに強がりを言っても、現実逃避をしても、彼女が死んだ事を受け入れてしまえばこうなった。
一体何故。彼女が死ななければならなかった理由なんて、あるのか?
苦しさを目一杯に感じて漸く、呼吸が一定のリズムを刻み今までが狂っていたと残った痛みで教えてくれる。
こぽん、と床が歪んだ。
否、本来は歪むような材質ではない。ましてやこんな粘着性のある液体ではなく、真っ黒になる事も火事でなければないだろう。
その黒がまとわりつくように人の形に引き出され、それが本当に人の姿になっていく。
赤い、少女。艶やかな素材と交差する紐の下にフンワリしたスカート。その端からパニエが覗く。ブーツは厚底でストライプの靴下を履いていた。
出現の仕方に似合う異様さだが、まだ珍しくも現実で来ている人間が世の中に数パーセントいる分、姿の方は受け入れる事が出来る。
「なあ、あんた。殺したい相手がおるんやない?」
単刀直入とはまさにこの事。
物騒で密やかにも喋る事を憚られるその言葉は、僕の胸をず、と突いた。
――ああ、いるさ。彼女を殺した奴だ。
警察が言うには死因は自殺だと。バカを言うな。彼女とはその前日に会って話をしている。それもその日にたまたま会ったんじゃない。付き合っている僕達は結構な頻度で約束していた。
その頻度が落ちるでもなく増すでもなく、何時も通りに楽しそうな顔をしていた彼女が、次の日に死ぬだって?遺書はごめんなさいと当たり障りのない文が三行だって?
一応の事情聴取は受けたけれど、何かあったならば一番疑わしい僕が完璧なアリバイを持っていると、あとは特になにもなく自殺となった。
自殺の原因は遂にはっきりしなかったが、変な宗教ではないかと誰かが言っていた。家に悪魔や黒魔術についての本が大量にあったからだそうだ。
「ええ子やったのにねぇ」
「君は……彼女の知り合い、なのか?」
彼女を知るような口ぶりの少女に、僕は思わず聞いた。
「知り合い言うたら知り合いなんかな?あの子はよう信仰してくれてな」
「……信仰?君は」
身構える。彼女が変な宗教に填まっているだなんて信じていなかった。漫画なんかの非現実的なものが好きだからそういうものを集めていただけだろうと思っていた。
けれど目の前の少女は信仰と言った。……もし本当に変な宗教の所為ならば、彼女が死んだのも目の前の人間の所為と言う事になる。
だが少女の答えは僕の想定の上を行った。
「……悪魔や」
「悪、魔?」
「ああ、誤解せんといて。殺したのは私らと違うで」
言葉が詰まったのはそこを疑ったからではない。無論その二文字を言うまでは疑っていたが、自殺にまで追いやった宗教の関係者ならば完全に身分を隠すか、そうでなければ正しいか否かは兎も角きちんと整えた説明をするだろう。少なくとも悪魔だなんて馬鹿らしい誤魔化しはしないはずだ。
何より僕は、その証明足る少女の出現を目にしている。
「……じゃあ、誰が」
「天仕や。天仕」
「天使……?」
真っ白な羽の生えた金髪の子供が頭に浮かんだ。それらが麻縄で彼女の細い首を括って吊るし、悶え必死に首もとの縄を探る彼女を最後まで絞め殺す絵は余りにも不釣り合いに思える。
少女はその絵が見えているように苦笑した。
「実際の天仕はあんたの思うてる天使とは結構違うで。世界に危険だと思えば簡単に処分。天仕の邪魔をすればこれまた簡単に処分、や」
「……彼女は危険な事なんてしない」
「だとしても、天仕が思い込めばそれで十分や」
「……」
「なぁ。殺したい相手。おるやろ?」
悪魔は息をするように嘘を吐く。息をするように他人の手を染める。
尤も、真実だって言う。私は彼女が危険な事をしていないとは言っていないし、だから天仕が殺したのも本当だ。
まあそれは悪魔にとってどうでも良い事だ。
「はあ、今日もええ仕事したわぁ」
ひぃ、ひぃ、と悲鳴のように下手くそな呼吸音が響く。喉の奥が痛くなり、空気が満足に得られず苦しい。
どんなに強がりを言っても、現実逃避をしても、彼女が死んだ事を受け入れてしまえばこうなった。
一体何故。彼女が死ななければならなかった理由なんて、あるのか?
苦しさを目一杯に感じて漸く、呼吸が一定のリズムを刻み今までが狂っていたと残った痛みで教えてくれる。
こぽん、と床が歪んだ。
否、本来は歪むような材質ではない。ましてやこんな粘着性のある液体ではなく、真っ黒になる事も火事でなければないだろう。
その黒がまとわりつくように人の形に引き出され、それが本当に人の姿になっていく。
赤い、少女。艶やかな素材と交差する紐の下にフンワリしたスカート。その端からパニエが覗く。ブーツは厚底でストライプの靴下を履いていた。
出現の仕方に似合う異様さだが、まだ珍しくも現実で来ている人間が世の中に数パーセントいる分、姿の方は受け入れる事が出来る。
「なあ、あんた。殺したい相手がおるんやない?」
単刀直入とはまさにこの事。
物騒で密やかにも喋る事を憚られるその言葉は、僕の胸をず、と突いた。
――ああ、いるさ。彼女を殺した奴だ。
警察が言うには死因は自殺だと。バカを言うな。彼女とはその前日に会って話をしている。それもその日にたまたま会ったんじゃない。付き合っている僕達は結構な頻度で約束していた。
その頻度が落ちるでもなく増すでもなく、何時も通りに楽しそうな顔をしていた彼女が、次の日に死ぬだって?遺書はごめんなさいと当たり障りのない文が三行だって?
一応の事情聴取は受けたけれど、何かあったならば一番疑わしい僕が完璧なアリバイを持っていると、あとは特になにもなく自殺となった。
自殺の原因は遂にはっきりしなかったが、変な宗教ではないかと誰かが言っていた。家に悪魔や黒魔術についての本が大量にあったからだそうだ。
「ええ子やったのにねぇ」
「君は……彼女の知り合い、なのか?」
彼女を知るような口ぶりの少女に、僕は思わず聞いた。
「知り合い言うたら知り合いなんかな?あの子はよう信仰してくれてな」
「……信仰?君は」
身構える。彼女が変な宗教に填まっているだなんて信じていなかった。漫画なんかの非現実的なものが好きだからそういうものを集めていただけだろうと思っていた。
けれど目の前の少女は信仰と言った。……もし本当に変な宗教の所為ならば、彼女が死んだのも目の前の人間の所為と言う事になる。
だが少女の答えは僕の想定の上を行った。
「……悪魔や」
「悪、魔?」
「ああ、誤解せんといて。殺したのは私らと違うで」
言葉が詰まったのはそこを疑ったからではない。無論その二文字を言うまでは疑っていたが、自殺にまで追いやった宗教の関係者ならば完全に身分を隠すか、そうでなければ正しいか否かは兎も角きちんと整えた説明をするだろう。少なくとも悪魔だなんて馬鹿らしい誤魔化しはしないはずだ。
何より僕は、その証明足る少女の出現を目にしている。
「……じゃあ、誰が」
「天仕や。天仕」
「天使……?」
真っ白な羽の生えた金髪の子供が頭に浮かんだ。それらが麻縄で彼女の細い首を括って吊るし、悶え必死に首もとの縄を探る彼女を最後まで絞め殺す絵は余りにも不釣り合いに思える。
少女はその絵が見えているように苦笑した。
「実際の天仕はあんたの思うてる天使とは結構違うで。世界に危険だと思えば簡単に処分。天仕の邪魔をすればこれまた簡単に処分、や」
「……彼女は危険な事なんてしない」
「だとしても、天仕が思い込めばそれで十分や」
「……」
「なぁ。殺したい相手。おるやろ?」
悪魔は息をするように嘘を吐く。息をするように他人の手を染める。
尤も、真実だって言う。私は彼女が危険な事をしていないとは言っていないし、だから天仕が殺したのも本当だ。
まあそれは悪魔にとってどうでも良い事だ。
「はあ、今日もええ仕事したわぁ」